一昨日、長岡京でガラシャ祭の行列を見てからリーディング体験勉強会まで3時間ほど時間がありました。行列で最後に神輿が通ったのですが、「小倉神社」の神輿のようでした。小倉神社に行ってみようと思って地図検索すると場所は長岡京市ではなくて隣の大山崎町。しかし、時間があるので行ってみることにしました。
阪急長岡天神から1駅の西山天王山駅で降りて西へ行くと「小倉神社参道」との案内があります。きつい上り坂を歩いて行くと途中左右に分かれる道があって左に行くのですが、分岐点に祠が立っていました。小倉神社の看板や幟があるのですが、「石倉神社」という名前でした。
「今年も豊作、無病息災であります様に」と社に石を投げました。一般の神社では考えられませんが、この小さな社は「おはらい」と「みそぎ」を授ける社であり人の身代わりと伝えられています。そのあと「お礼の本参り」に小倉神社へおまいりしたとのことです。この習慣は明治中頃まで続いたと言い伝えがあります。社は昭和40年ごろ、つくりかえられました。
社に石を投げるとは考えられませんが、疑問に思ったのは昭和40年にしては祠が新しすぎることでした。ネットで調べてみると、2年ほど前までは竹やぶの中に祠がある感じでしたが、周囲が宅地造成され、石倉神社も変わったようです。
最近建てられたような住宅を通り過ぎていくと、一の鳥居でした。
小倉神社の御祭神は武甕槌命(タケミカヅチ)、天兒屋根命(アメノコヤネ)、斎主命(イワイヌシ、(経津主神(フツヌシ))、比売大神(ヒメ)の4柱です。
當神社は第44代元正天皇養老貮年 (718)、今を距る壱千貮百有余年前の創建にして延喜式の大社として正一位小倉大明神と朝野の崇敬を集め桓武天皇京都に遷都し給ひし時御所の鬼門除として祈願あらせられ年二度の厚き奉幣あり、天正年間豊臣秀吉山崎合戦の節宝寺に本陣を構えし時特に當社に戦捷幸運の祈願をこめ其本懐を達したるを以て家臣片桐祐作、脇阪陣内を使者として来参千俵の寄進あり。其後徳川時代に至り御朱印地として山地二十余町を賜りたり。如斯往古より格別の由緒を以て民衆の崇敬も極めて篤く社殿は結構素朴幽遂の浄地に鎮りまし社側一条の渓流は清冽掬すべく賽者のこの水に浴して祈願を籠むるもの古より少なからず。参道二基の大鳥居何れも元禄年間に創建せられたるものにして、これに奉掲する神額は小野道風の筆と云ふ。
二の鳥居をくぐると割拝殿があり、その奥に拝殿がありました。拝殿で参拝すると「拝殿の周りを1〜3回回れば良い」ようなことが書かれていたのでぐるぐる回りました。拝殿左側には「小倉山、天王山からの深層水」というのがありました。奥には石段があって本殿なのですが、フェンスがあって工事中のようでした。右側には末社があって、右から「若宮社」、「天照皇大神宮」、「八幡宮」でした。左側は天王山への登山道なのですが、「ハイキング道通行禁止」の立て看板があって、「台風21号の暴風による倒木が道をふさいでいるため、ハイキング道を通行禁止にします。」とありました。台風21号は京都市で室戸台風に次ぐ観測史上第2位の39.4mの最大瞬間風速を記録し、京都府内では負傷者54人を出しながらも死亡者がゼロだったのは不幸中の幸いでしたが、私の家の物置も含めて物的被害は相当なものです。
二の鳥居の右側にも神社があって、手前から「龍王神社」、「稲荷神社」、「若宮神社」、「天満宮」とありました。
帰りは下り坂とはいえ、同じだけ歩いて長岡天神からJR長岡京までも歩かなければならないのかと思っていると石倉神社近くのバス停で「JR長岡京駅行き」のバスが来たので迷わず乗りました。
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