昨日は明治天皇陵に行きましたが、最寄り駅の桃山駅の東に天皇陵があります。光明天皇陵と崇光天皇陵です。
孝明天皇や崇神天皇、崇徳天皇なら知っているが、光明天皇や崇光天皇なんて125代の天皇の中にはない、ニセモノだと思われる人がいると思います。光明天皇、崇光天皇は「北朝」のそれぞれ第2代、第3代天皇であり、正統性のある天皇とは認められていません。ここで重要なのは「三種の神器」です。仮に天皇陛下が国を滅ぼそうとする勢力に殺害されたとしても、皇太子以下代わりはいます。しかし、三種の神器が奪われたとすれば、神武から続く正統性を証明するものはなくなり、代わりのものはありません。その意味では三種の神器は天皇陛下よりも国民にとって大切であるといえます。
鎌倉時代、第96代後醍醐天皇は第94代後二条天皇の皇子である邦良親王が成人するまでの中継ぎ的役割でしたが、自分の子どもに継がせたい後醍醐天皇は皇位継承を承認している鎌倉幕府に反感を持ち始めます。一方、持明院統は後伏見上皇の皇子である量仁親王(後の北朝初代光厳天皇)が幕府によって皇太子に指名されます。後醍醐天皇は元弘の変の笠置山・赤坂城の戦いで幕府に捕らえられ、光厳天皇に譲位させられ隠岐へ流罪となります。しかし、その後楠木正成の千早城での奮闘や足利高氏の京都の制圧、新田義貞の鎌倉の戦いでついに北条氏は自害し、鎌倉幕府は滅亡します。
そして、後醍醐天皇による建武の中興で、光厳天皇への譲位を無効としますが、自分の処遇に不満を持った足利尊氏が、湊川の戦いで楠木正成らを破り尊氏は光厳天皇の弟の光明天皇を即位させ「北朝」になります。
後醍醐天皇は光明天皇に三種の神器を渡して吉野に移りますが、「吉野朝廷(南朝)」を開き光明天皇に渡した三種の神器はニセモノであり自分が正統な天皇であると宣言します。一方、北朝は光厳天皇の子であり光明天皇の甥である崇光天皇に譲位されますが三種の神器がニセモノとされた天皇の下では不安定で、足利家の内乱により尊氏は吉野朝廷の第97代後村上天皇側に三種の神器を渡し、崇光天皇は退位となります。その後光厳、光明、崇光の3天皇は吉野朝廷側に連行され、幕府の最終決定をする天皇や上皇がおらず、三種の神器もない状態でしたが、崇光天皇の弟である後光厳天皇が即位します。しかし、このような状態では北朝は弱体化します。一方吉野朝廷も弱体化し、後村上天皇の子である第99代後亀山天皇は後光厳天皇の孫である北朝第6代天皇後小松天皇に三種の神器を渡し、後小松天皇が第100代天皇となります。
三種の神器が無くなったなら、誰が正統な天皇かわからなくなりますし、熊沢寛道のような者が出てくることになるでしょう。
これらの歴史から学ぶことは、天皇が中心としてしっかりしていないと争いごとが起こるということです。もし外国であれば、鎌倉幕府は後醍醐天皇を捕らえた時点で処刑していたでしょうし、遺恨が残らないように関係者も皆殺しにしていたでしょう。外国の場合、政権や元首が変わる際に多くの人間が殺されますが、日本の場合最小限なのは天皇に対する尊敬の念を忘れていないことからだと思います。また政権が倒れたりした際は、外国だと前政権の長は処刑か亡命かですが、日本の場合は鎌倉幕府では執権の北条高時は自害しましたが最後の将軍の守邦親王は出家、室町幕府最後の将軍だった足利義昭は秀吉によって大名となり、江戸幕府最後の将軍だった徳川慶喜は明治政府で国会議員(貴族院議員)になっています。外国の様に殺害しないのは、天皇が任命した将軍ということだからだと思います。
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