ネタが無くなったので、先月ハンナリーズの滋賀でのアウェイ戦でウカルちゃんアリーナに行く前に行った神社の話をします。
湖岸道路の南側は旧東海道です。街道沿いに「膳所城北総門跡」の石柱があります。さらに東へ行くと「西ノ庄湯」の銭湯の看板があります。しかし、西ノ庄湯は昨年4月で廃業になっています。現在大津市で営業している銭湯は8軒です。
さらに少し歩くと右側に神社があって、石坐神社(いわいじんじゃ)がありました。御祭神は八大龍王宮に豊玉比古命(トヨタマビコ・ワタツミ)、産坐王(ヒコイマスノオウ)、正霊天王宮に天智天皇(第38代天皇)、大友皇子(第39代弘文天皇・天智天皇の皇子)、伊賀宅子媛(いがのやかこのいらつめ、大友皇子の御生母)、語霊殿神社に石坐大神(豊玉比古命)、八大龍王神です。余談ですが、第39代弘文天皇の天皇陵は滋賀県大津市にあります。神武天皇から昭和天皇まで124基の天皇陵があるのですが、その内118は京都府(71)、奈良県(31)、大阪府(16)の3府県にあります。残る6基の内、東京都にある大正天皇と昭和天皇を除いた、滋賀県、兵庫県、香川県、山口県にある天皇陵の天皇は幸せな亡くなり方をしなかった天皇であるといえます。弘文天皇は叔父である大海人皇子(後の第40代天武天皇)との壬申の乱に敗れ自害します。
由緒は
石坐神社は、天智天皇が琵琶湖の神様を祭祀したのに始まる。 その創始は、天智天皇御代8年(669)旧9月9日神奈備山(御靈殿山)の磐座に湖中より龍灯が飛来し、御神託のまにまに小祠を建てて祭祀なされた。 これを御霊殿神社と申し上げる。 持統天皇御代・朱鳥元年(686)旧5月1日栗津の王林の地・石坐野に、八大龍王宮と正霊天王宮との両殿が創建された。 八大龍王宮とは、琵琶湖にゆかりの神殿で龍神と伝えられわが国では、水徳の恵みの神で古来より両乞いの神・福寿の神として信仰がある。 主祭神豊玉比古命は、人皇第一代神武天皇の御祖父神にあたり、産坐王は、彦坐命と申し上げ、人皇第9代開化天皇の第3皇子・近江国造活田連の祖霊神であり、近江開拓の祖神に坐しまして八大龍王宮の御祭神である。 近江大津宮を開かせ給ひし天智天皇は、大友皇子(弘文天皇)・伊賀宅子媛(大友皇子御生母)と共に正霊天王宮の御祭神である。
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