昨日のアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三神の神格講座を聞いて、私の場合は地味で縁の下の力持ち的な仕事をしていたのでツクヨミだなと思いました。そしてツクヨミの神社に行ってみようと思いました。
しかし、ツクヨミは古事記でもアマテラスやスサノオに比べると取り上げられていないこともあってか、ネットで調べるとアマテラスやスサノオが祀られている神社は1万社を超えますが、ツクヨミを祀ってある神社は700社ほどだそうです。
ツクヨミで思い出したのは昨年8月にさざれいしジャパンの「お伊勢参りバスツアー」で「月讀宮」へ行ったことでした。覚えているのは社殿が4つ並んでいたことでした。
私は初詣では近くの松尾大社に行くことが多いですが、松尾大社の南に「月読神社」というのがあるようなので行ってみました。松尾大社の摂社で松尾大社から南へ歩いて数分ですが、松尾大社には数えきれないぐらい行ったのに月読神社は初めてでした。
由緒によると
月読神社は延喜式では名神大社の一つに数えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島において海上の神として奉斎されたものです。
文献によれば、顕宗3年(487年)阿閉臣事代(あべのおみことしろ)が朝鮮半島に遣わされる際に、壱岐で月読尊(ツクヨミ)が依り憑いて託宣をしたので、これを天皇に奏上して山城国葛野郡歌荒樔田の地に社を創建したとされ、斎衡3年(856年)に松尾山南麓の現在の地に移ったと伝えます。
境内は、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に、御船社、聖徳太子社などから構成されています。
月読神社が京都へもたらされるにあたっては渡来系氏族、なかでも山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強く、古代教徒の神祇信仰や、また渡来文化を考える上で重要な意味を持つ神社であるといえます。
ここにある「山城国葛野郡歌荒樔田」ですが、現在の右京区の大部分や西京区の桂川沿いは昭和6年(1931)に京都市に編入されるまでは葛野郡でした。「歌荒樔田(うたあらすだ)」の場所は説がいろいろあるようですが。神社東側の上桂やその北の桂川沿いの上野(かみの)、この付近の桂川に流れる支流の有栖川沿いなどがあるようです。桂川沿いとなると由緒にもあるように秦氏の影響は大きそうです。
神格講座で、月読神社の元宮は長崎県の壱岐にあると仰られましたが、由緒からも壱岐からの分霊のようです。
本殿の左側には御船社(御祭神は天鳥船神(アメノトリフネ))、右側には聖徳太子社があります。聖徳太子のブレーンが秦河勝と言われていますので、ここからも秦氏と関係がありそうです。聖徳太子というと仏教のイメージが強いですが、ここ以外にも大阪の通称森之宮神社の「鵲森宮(かささぎもりのみや)」や祇園祭でも聖徳太子が祀られている「太子山」があり、神社とも関係が深いことがわかります。
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