2泊3日で熊本方面に行っています。メインは土曜日で、前泊を含めて1泊2日で十分なのですが、一度水俣へ行ってみたかったので、水俣で1泊することにしました。
九州新幹線の新水俣駅で降りました、この付近は在来線の鹿児島本線は肥薩おれんじ鉄道という第3セクターになっています。肥薩おれんじ鉄道の新水俣駅はもともと信号場でしたので、ホームは狭いです。
しばらくして電車と言いたいところですが、ここは鹿児島本線時代に電化されているのですが、走っているのは全て気動車です。銀河鉄道999のラッピング車でした。
1駅の水俣駅で下車。駅前には水俣病の象徴であるJNC(旧チッソ)水俣工場がありました。
お目当ては水俣病資料館ですが、歩いて30分近くかかります、しかし、エコパーク水俣という埋めたてて公園にしたところが歩いて15分ぐらいであり、その奥にありますので、エコパーク水俣を目指して歩いて行くことにしました。
しかし、途中で後悔しました。炎天下で非常に暑く、途中休憩するところもありませんでした。
エコパークの道の駅に到着し、少し涼みました、この付近はバラ園ですがこの時期は咲いていませんでした。
海岸方面へ歩いて行きました。すると「恋人の聖地」というモニュメントがありました。しかし、この暑い時期、だれもいませんでした。
そして、しばらく歩くと、「水俣病慰霊の碑」というのがありました。石碑には「不知火の海に在るすべての御霊よ 二度とこの悲劇は繰り返しません 安らかにお眠りください」とありました。
そして、建物があったので中に入りました。環境省の管轄である水俣病情報センターでした。
館内撮影禁止でしたが、水銀、無機水銀、、メチル水銀の違いやメチル水銀の人体の影響に関するビデオが流されていました。
館内通路で「水俣市立水俣病資料館」に入りました。2011年に「KYOTO地球環境の殿堂」入りをされた原田正純氏、水俣病の症状を最初に発見されたチッソ水俣工場附属病院長だった細川一氏などのパネル展示がありました。胎児性水俣病の話もありましたが、当時は胎盤を通じて毒物を通さないことが定説でしたので、解明するのには苦労されたようです。
それと、現在の福島の問題も書かれていました。水俣では「風評被害」に悩まされてきました。私が子供の時水俣を知った時、危ないところというイメージを持ちました。水俣の人は福島の風評被害を心配されていました。
それからすぐそばに、「熊本県環境センター」がありました。ここは水俣病に限らず、地球温暖化や廃棄物に関する説明や体験コーナーがありました。
何度も言うようですが、非常に暑かったです。そして結構歩きましたので、帰りはタクシーを使って水俣駅まで戻りました。
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