今日は熱は37度前後で、38度を超えると食欲がなくなるのですが、この程度なら上半身は問題ありません。ところが、右足の化膿は続いており、非常に歩きづらく遠くへは行けない上に靴を履くにも苦労する状況です。
昨日の日記の続きです。
土曜日は永田町のホテルですが、チャックインは3時。四ツ谷駅に着いた時はまだ2時だったので、近くに名所はないかと思っていると「西念寺」というところに「服部半蔵の墓」があるということで、歩いて7分ほどの西念寺へ行ってみました。
服部半蔵と聞いて千葉真一と「♪チャチャー チャチャチャチャララ」のメロディーが頭に流れてきました。寺の入口に案内板があったのですが、そこには
「服部半蔵は、徳川家康の旧臣で、槍の名手として、また伊賀ものの指導者として知られている。
主君、家康の長男信康が切腹のおり、半蔵は介錯することを命ぜられたが、ついに果たせずが出来ず、後に半蔵は信康の冥福を祈るため仏門に入った。
天正18年(1590)家康に従い江戸に入国し、麹町清水谷に庵居を設け、信康の遺髪をここに埋め、霊を弔った。文禄2年(1593)家康より寺院を建立するように内命を受けたがこれを果たせず、慶長元年(1596)11月14日、55歳で死去した。
その後、同所に寺院の建立が成り、山号、寺号は半蔵の法名から「専称山安養院西念寺」となった。
寛永11年(1634)江戸城外郭拡張に伴う外濠新設のため西念寺は現在地に移転した。」
ちょっと今まで抱いていたイメージと違っていました。
中に入ると、左側に本堂、さらに奥に入ると左側に服部半蔵の墓がありました。
そこから左奥に入ると、説明にあった松平信康を弔った「岡崎三郎信康供養塔」がありました。
両方とも新宿区指定史跡になっています。また、服部半蔵は槍の名手だったそうですか、その時の槍が西念寺本堂に保管されています。
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