http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100119-587131.html
田口がオリックスに9年ぶり復帰
前カブス田口壮外野手(40)の9年ぶりオリックス復帰が決定した。条件面で合意に達したことが18日、分かった。20日に発表される。田口は今オフも米球界でのプレー続行を模索したが、旧知の仲である岡田新監督の強い要請もあり、日本球界復帰を決めた。
昨年10月にオファーを受けて以来、悩み続けた。昨季途中にはカブス傘下チームのコーチ就任を打診された。米国でコーチ業を学びたい思いも芽生えたが「残りの野球人生で何をどうしたいのか」と自問自答。そんな中、常に忘れなかったのは古巣、そして日本球界への「恩返し」だった。
ただ契約交渉はもつれた。オリックスは当初、年俸4000万円+出来高でオファーしたがまとまらず、田口側の希望である出来高幅よりもベースを上げる内容でようやく合意した。村山球団本部長はこの日「大事な選手なので大事に交渉を進めてきた。キャンプ初日に間に合う形で進めている」と語った。
今のオリックスの外野陣は坂口、大村、下山、濱中、小瀬といますから正直なところ田口はフル出場してもらわなくても重要なところで代打や守備固めで良いように思います。ただ、ファンとしては田口が戻ってきたということで黄金時代の再現を期待したくなってきます。イチローが抜けた2001年は外野に田口、谷、藤井に葛城がレギュラーになりましたから4位でも途中まで優勝戦線に残っていましたが、田口が抜けた2002年以降暗黒時代が始まってしまいました。田口には負け犬根性を払拭するような活躍を期待したいです。
しかし、噂されている背番号5はどうかと思います。というのは田口の前に背番号6をつけていたのが熊野ですが、熊野もトレードされた巨人を自由契約になりオリックスに背番号5で復帰したのですが、一度も一軍に上がることなく1年で引退した実績がありますから(笑)。背番号6は現在大村がつけていますが、大村を背番号7にして濱中を背番号5にして田口を6にするほうがスッキリする感じがするのですが・・・。
もう一つ復帰の話題
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100119-00000021-kyt-l26
不屈の再挑戦!直球勝負でロッテ入団 京出身・山田秋親投手
2008年秋、プロ野球ソフトバンクから戦力外通告を受けた京都市出身の山田秋親投手(31)が独立リーグを経て千葉ロッテに入団した。プロ野球選手が独立リーグを経て復帰するのは極めて異例。最高峰の舞台に再挑戦することになり、「うれしい半面、また厳しい道に入る。気を引き締めたい」と静かに闘志を燃やす。
■ソフトB戦力外→独立リーグ→トライアウトでロッテ
本格派右腕として北嵯峨高3年の夏に甲子園出場。立命館大でもエースとして活躍し、シドニー五輪(00年)の日本代表にも選ばれた。だが注目を集めて01年に入団したダイエー(現ソフトバンク)では、ひじや肩の故障に悩まされた。7年間の通算成績は15勝11敗。最後は自慢の快速球が140キロに届かなくなり、08年オフにユニホームを脱いだ。
だが、野球をあきらめなかった。復帰を見据え、すぐに右肩の手術に踏み切った。痛みの不安を抱えながらも、09年2月に四国・九州アイランドリーグ「福岡レッドワーブラーズ」の練習生として再出発。プライドを捨て、若手ばかりのチームに飛び込んだ。
■一軍目指し「万全を期す」
順調に回復し、9月に福岡に入団。実戦を重ねながらリハビリを続けると、球速も146キロまで戻り「真っすぐで空振りが取れるようになった」。復帰への関門となった11月のトライアウトでも、打者4人から2三振を奪ってアピール。ロッテから声がかかった。
北嵯峨高時代の恩師、卯瀧逸夫・現立命館宇治高監督(60)は「運がいいのもあるが、まじめに努力を続けてきたことがすばらしい。一軍に定着して活躍してほしい」とエールを送る。
1度目のプロ生活は焦りもあり、故障の痛みを隠してマウンドに立った。その反省から「今度、体を痛めたら本当に選手生命が終わってしまう。万全を期してやりたい。ストレートにこだわってみたい」と再挑戦への決意を話した。
母校は彼の時に夏の甲子園に出た後、次の年の春に卯瀧先生が鳥羽高校に異動になってから甲子園の出場はありません。母校から唯一のプロ野球選手ですので頑張って欲しいです。しかし、立命館大学時代にシドニー五輪の代表になり、ダイエーに入団したときは争奪戦になって鳴り物入りでしたが、独立リーグの練習生になりながらもここまで這い上がってきたのは素晴らしいです。まずは一軍での登板をして欲しいですね。応援しています。
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