こんにちは!

ミノダのミノはタケカンムリ、簑田 弘大です!

簑田 弘大BLOGへようこそ!!

普段考えてることや思いついたことなど、かきつらねています。

また、コンサートやレッスン、作品リスト、試聴音源などの最新情報も公開されています。

どうぞお楽しみください!!


簑田 弘大 Home Page

Twitter

Facebookページ



2007/12/29

グミを凍らせてはいけません  たまに日記

 ボクはグミが結構好きで、よく食べるんですが、今作曲にはいってるのでその合間にちょくちょくつまんだりします。食べやすいからついつまんでしまうのだけど、よく考えたら結構カロリー高くて、そのせいで5キロ位太ってしまったかもしれない。まあそのくらいの変動は普段でもよくあるんだけども。
 そこで、ボクは考えました。グミを封印しようと。どうやって封印しようかと思ったとき、ちょっと興味がわいたのが、「グミって凍らせたらどうなるんだろう?」でした。ふとよぎったのですが、封印するのにもちょうど良いので、冷凍庫に入れてみました。冷凍庫はそんなに開く事がないので、あまり気付く事もなく、無事封印。最初は数時間たったら開けてみようと思ったのですが、まんまと数日封印されてました。
 そして、いざ開けてみると、カチッカチになってました。食べてみました。噛めません。ただの凍ったかたまりです。なんとなく、新食感を期待していたのですが。シャリシャリするのかな、はたまたガリガリするのかな、もしやシャキシャキ?いや、全然得るものがなかったです。
 グミはそのまま食べましょう。
0

2007/12/21

実は、  たまに日記

 今日中央区立阪本小学校で公演がありました。
 実はその学校は、ボクの小学校の時の担任だった先生が副校長をやっている学校でした。1,5,6年と3年間お世話になった先生です。先生は全然変わっていませんでしたが、ボクは変わったようです、笑。

 1年生から6年生まで全学年でやったのですが、1年生はまだ小さくて、豆みたいで、自分もこんなだったのかなあと思いました。そしてその時に出会った先生の前今演奏しているのか、と思ったらかなり感慨深かったです。制服がまた似ていて、あー自分も真冬にこんな半ズボンはいていたなあと思いだしました。給食もおいしかったなあ。今日の献立は、とりのなにか不思議揚げとかぼちゃっぽいスープとクロワッサン、あとみかんのはいったデザートと牛乳でした。

 感心したのは、生徒の子達が和楽器の合奏を上手く演奏する事です。しかも、楽器は篠笛、尺八、三味線、箏、十七絃箏、小鼓、大皷、太鼓ともりだくさん。こんなにたくさんの楽器をやっている小学校は聞いた事がありません。小学校であのような合奏を体験できるなんて、将来の邦楽界かわりますね!!恐らく逸材が出てくるのではないでしょうか。

 先生から「話しが上手くなったね〜、昔はシャイだったのに〜。」と言われました。ボクはシャイだったようです、笑。でもそれはそうだと思います。今もそうだし。よくそうではないと思われがちなんですが、実は結構シャイなんですよね。だから話すのとかは本当は苦手分野です。音楽をやってるのはその理由もあるかもしれません。

 今日の公演はいろいろな意味で良い経験になりました。
 音楽集団の今日のメンバーと学校公演にいくというのも初めてだったし。やはりすごいですね、先輩方。楽器の特質をフルにだす感じ。

 先生との久しぶりの再会、生徒の子達との新しい出会い、そして昔の自分にも会った気がします。
0

2007/12/17

作曲は爆発だ!!そしてTシャツ。  簑田弘大の音楽THEORY

 作曲をする時は、だいたい一人でやることが多いので、他の人が作曲をしている場面を見たりする事は少ない。だから、自分が果たして普通な、ノーマルな作曲の仕方をしているかはわからない。めちゃめちゃアブノーマルだったりするかもしれない。

 だいたい、自分が作曲する時は、ためてためてためてきたものを爆発させる様にやる。実際に作業に入るまで、譜面を作成し始めるまでにアイディアをためこんでおくのだが、そのためこみ期間はなんともいえず、短かったり長かったりする。
 自分の場合、作曲法を習っていないので、上手くアイディアが出ない時に、テクニックでカヴァーするということができない。恐らく作曲法とか諸々を良く学んできた作曲家の方たちは、そんな時でもテクニックでなんとかできてしまうんだろうと思う。もちろん経験もあるが。
 だから、このためこみ期間は自分にとっては必要不可欠な期間だ。

 アイディアがでるときというのは不思議なもので、深く考えればでてくるというものでもなくて、なんでもないときにポイッとフワッとでてきたりする。まさに、電球がついたっ!!の絵文字のような感じで。
 電車の中と風呂中が多い気がする。

 そんな時は、きたっ!!と思うのだが、すぐに注意しなければならないのは、それを忘れてしまわない事。さっきはあんなに良いフレーズが思いついたと思ったのに、ちょっと気を抜いたら忘れてしまったとか、よくあるんだ。コレ。その後、それがどんなだったか、どんなに考えてもしっくりこなくて、あのときのフレーズはどんなだったのか気になって仕方が無い。
 電車の中だったら、とりあえず紙に書くとか、携帯で新規メールにうって自分に送るとかできるんですが、風呂中は方法がないのです。とりあえず風呂あがるまで覚えておくために、歌い続けます。歌っていればたいていは忘れません。体にはいってくるし。ただちょっと気を抜いて、また他のフレーズ考えようとしたりすると、やはり忘れちゃったりします。浮気心禁物。
 だから、風呂に入ってすぐにアイディアがでた時は大変です。とりあえず歌い続けながら即行で洗ってでる。忘却というものに追われているので急ぎます。なんだかいいのがうかばない時は長風呂。

 ま、そんなでためたものを、一気に爆発させて、実際譜面を書き始めるのですが、その時なぜか体が急激な変化を現します。体温が急激にあがるのか、暑くてヤバいです。
 これはなんなんですか?科学的にきっと証明できるんだろうな。

 暑くて、耳が妙に熱を持ったり、眼鏡が曇ったり。

 だから、ボクはTシャツを着ています。

 作曲をするときはほぼ必ずTシャツを着てやっています。冬でもあります。
 ちょうど良い。ちょっと身軽になるので動きやすいし。

 芸術は爆発だ!!ならぬ、作曲は爆発だ!!で、そしてその時にはTシャツを。
0

2007/12/14

中央区立阪本小学校公演  演奏履歴

 日時 2007年12月21日(金)
 場所 中央区立阪本小学校
 曲目 冬の一日,アニメメドレー他
 出演者 日本音楽集団団員
      笛 竹井 誠  尺八 米澤 浩
      三味線 簑田 弘大・山崎 千鶴子  琵琶 久保田 晶子
      箏・二十絃箏 熊沢 栄利子  箏・十七絃箏 城ヶ崎 美保
      打楽器 尾崎 太一

 一般非公開です。
0

2007/12/12

善悪と音楽  簑田弘大の音楽THEORY

 音楽家という職業をやっていると、善悪の感覚が薄れていくような気がする。

 それは、なんとなく体で感じていることでもあり、ちょっとしたことを考えた時にもそう感じたりする。

 「善悪」というとなにか重々しいが、全ての事に対しての善悪なので、その対象はほんの小さな事も含まれる。
 例えば、同じドアーに2人で同時に入ろうとしてしまって、譲るか先に入るか、とかそういうちょっとした事でも、どちらかが少しでも善か悪によっていればそれは善悪をつけることができることになる。そういうのも含めて。
 この場合だったら「先に譲る」、が模範解答的に思われるが、それが絶対的な善であるかはわからないのは言うまでもない。もし先に譲ったところでその先になにか悪い出来事が待っていたら、極端な話し、そこに殺人鬼が潜んでいて殺されてしまったとしたら、その先に譲った行為は善であったのか疑問だ。

 結局のところ、絶対的な善悪を見極めるのはかなり難しい。というか不可能かもしれない。それが、上記のドアーがどうとかそういったことであればそんなにリスクもないと思うが、それによって大きく結果が左右される事となるとどちらを選ぶかリスクも高くなる。

 たいていの場合は、もし組織みたいなものがあればそこには規則が生まれる。それは、複数の人が善悪を判断する基準を共有するという意味もあると思う。絶対的な善悪ではなく、思想的な善悪をつくるのだと思う。

 例えば、最近は禁煙がスタンダードになってきて、道で歩きタバコが禁止されていたりするわけだが、これが絶対的に善悪とは言い切れない。
 悪としては、禁止になっている理由の様に、他の歩行者に危険だったり、副流煙の問題で有害だったりするが、善としては、ストレス解消だったりするわけだ。しかしそれではただやったもんがちになってしまうので、思想的な善悪としてそれを悪として禁止している。そのエリアでもし歩きタバコをすれば、本当に悪かどうかはわからないのに悪と化す、ということ。

 このように僕たちは生きていくにあたって、この規則、つまり思想的な善悪に基づいて善悪を判断している場面があるわけだが、音楽家にはその機会が少ない。もしくは、その基準で判断してはならない場合が多いとも言えるが。

 もちろん法律というものの下にはいるのだけれども、他にたいして規則とか大きな思想的な善悪を感じる場面はあまりない。
 善悪の感覚というのはあるのだけれども、それが一般的な善悪の感覚と違っていたり、焦点が異なっていたり、善悪の判断が偏ってくる。
 もしかしたらそれは自分が生み出しているのかもしれないが、なぜそんな環境にあるのかと考えると、音楽が善悪と密接に関係しているからではないかと思う。逆に。
 接する場面が少ないのに近い存在というのはちょっと不思議ではあるが。

 音楽はある意味善悪がない。音楽そのものには純粋にそこに音楽があるだけで、善悪ということではなんの意味ももたない。しかし、現実として音楽が音として存在したら(もしかしたら無音でも)、そこにはなんらかの意味がでてきて、そこに善悪は生まれてくる。0から0<xかx>0になる、みたいな感じで。
 それを操っているのが音楽家である。
 つまり、音楽自体はなにも善悪の意味を持ち合わせていないのだが、その音楽に善悪をつけてしまうのが音楽家ということ。いわば、善悪を生み出す、作り出すということです。恐ろしい事ですね。
 だから、音楽家には善悪を判断できる、少なくとも判断するという意志をもっている必要があるわけです。しかもそれは絶対的な善悪であることが望まれます。そのためには、思想的な善悪を超えて見極めていく力が必要とされます。それは本当に大変な事です。

 そのような位置に置かれていながらも、音楽家は必ずそれが絶対的な善悪であるかということは知り得ません。それは、人間は今のところ絶対的な善悪を知り得ませんが、音楽家も、絶対的な善悪など知り得ない、その人間だからです。

 これは矛盾しているようですが、真理だと思います。事実このような状況に置かれている音楽家は、善悪を判断する事などできないと身をもって知ることができるわけです。

 善悪を扱うながら、その善悪は知り得ない。

 つまり、善悪と密接に関係していながらも、その善悪の感覚が薄くなるのは、そういう理由からだと思います。

 最終的には、自分自身で善悪を判断するしかありません。それができないならば音楽家の意味はありません。知り得ない善悪を判断するためには、それを信じることのできる自分自身になるしかありません。自分は自分自身の善悪を良くも悪くも知ってしまいます。

 やるしかありませんね、笑。
0

2007/12/12

復活!!  たまに日記

 しばらくの間PCが壊れていてインターネットにつなげませんでした。情報が滞ってしまいすいませんでした!!

 ちなみに、今は作曲の期間に突入しています。今思えば、たまたまなのですが、去年と一昨年も年越しは作曲をやっていました。今年もそうなるのだろうか。なるだろうな。
0

2007/12/10

長唄 東音会  演奏履歴

 日時 2007年12月1日(土) 1:00pm開演
 場所 新宿御苑劇場(四谷区民センター9階)
 曲目 竹生島,俄獅子,松の翁,常磐の庭,初時雨,有喜大尽
 出演者 唄・三味線 東音会同人
     囃子 望月 太喜雄他
 TICKET 当日券 ¥5,000  年会費4回分 ¥16,000

 第二二七回長唄東音会です。記念公演に続き2回目の出演になります。今回は「俄獅子」を演奏します。
 チラシ、チケットあります。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ