2007/3/27
海外における日本音楽(続き) 簑田弘大の音楽THEORY
話しを元に戻すが、もしこれが国際交流、異文化交流だとしたら、これから、これに何の大きな意味があるのだろうか。今の文化と違う、日本人でもなかなか知らなかったり、理解が難しいような(その文化を否定しているわけでなく、現実的なスタンダードではないという意味で。)文化を、外国人が理解し、スタンダードにすることはありえるだろうか。
自分の考える、これからの国際交流とは、交わって流れていく、ようなものにしたい。紹介するだけでなく、スタンダードのレベルにまで至るまで。
その音楽が、単発的な刺激的なものではなく、生活の一部に自然と溶け込んでいて、なければならない存在となった時、音楽としての存在価値は比べ物にならない位上がり、和楽器の地位は今とは変わってくる。
そうなると、必然的に音楽性、パフォーマンスの仕方は変わっていくだろう。
そのレベルにまで芸術性や普遍性を達する様にするには大変な努力が必要とされると思う。
しかし、そのために自国の特性を必要以上に抽出し、懐古に要素を求め、いわばつくりだされたエスニックな日本を生み出すより、懐古の自国文化をふまえ、現代としての日本の文化を模索し、生み出し、それを世界に発信していく方が、はるかに建設的であるし、あるべき姿である。
そして、その文化に自信をもって交流し、それが評価され、スタンダードとなったとき、初めて日本が理解されたと理解して良いだろう。
そのためには、日本の音楽の底力を、今より数段あげる必要がある。もちろん今までの作品、演奏、いわゆる古典と呼ばれるものの中のそれは、素晴らしいし(もちろん全てではなく、正直、そうでもないと感じる物もある。)、それ自体スタンダードとなってもおかしくないものもあるが、現代の我々にはそれを越えていかなければならないという使命とその可能性がある。
これからの海外における演奏、またそれに関連した活動全般というのは、その点をふまえ、探求し、創造していく必要がある。
現代の私たちが、外国人に理解してもらいたいことを、芸術という視点から発信する。
国際交流においての芸術とはそういうものだ。
音楽を通して日本を理解するとはそういうことだと思う。
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自分の考える、これからの国際交流とは、交わって流れていく、ようなものにしたい。紹介するだけでなく、スタンダードのレベルにまで至るまで。
その音楽が、単発的な刺激的なものではなく、生活の一部に自然と溶け込んでいて、なければならない存在となった時、音楽としての存在価値は比べ物にならない位上がり、和楽器の地位は今とは変わってくる。
そうなると、必然的に音楽性、パフォーマンスの仕方は変わっていくだろう。
そのレベルにまで芸術性や普遍性を達する様にするには大変な努力が必要とされると思う。
しかし、そのために自国の特性を必要以上に抽出し、懐古に要素を求め、いわばつくりだされたエスニックな日本を生み出すより、懐古の自国文化をふまえ、現代としての日本の文化を模索し、生み出し、それを世界に発信していく方が、はるかに建設的であるし、あるべき姿である。
そして、その文化に自信をもって交流し、それが評価され、スタンダードとなったとき、初めて日本が理解されたと理解して良いだろう。
そのためには、日本の音楽の底力を、今より数段あげる必要がある。もちろん今までの作品、演奏、いわゆる古典と呼ばれるものの中のそれは、素晴らしいし(もちろん全てではなく、正直、そうでもないと感じる物もある。)、それ自体スタンダードとなってもおかしくないものもあるが、現代の我々にはそれを越えていかなければならないという使命とその可能性がある。
これからの海外における演奏、またそれに関連した活動全般というのは、その点をふまえ、探求し、創造していく必要がある。
現代の私たちが、外国人に理解してもらいたいことを、芸術という視点から発信する。
国際交流においての芸術とはそういうものだ。
音楽を通して日本を理解するとはそういうことだと思う。

2007/3/26
海外における日本音楽 簑田弘大の音楽THEORY
前から、自分の活動分野として、海外での演奏というのを視野に入れていた。今も勿論視野には入れているわけだが、以前の海外で演奏したい、という感情と最近とでは、少し変わってきたと思う。
根本的な、国際交流として、異文化交流としてというのは変わってないのだが、どのようにパフォーマンスするかという点で。どのような目的で演奏したいのかということ。
それは、自分が海外で演奏したり、最近は日本の演奏家もだいぶ海外に出て演奏する機会が増えて、そういった話しを聞いたりして感じたことが影響していると思う。
国際交流とか、異文化交流とかいうと、日本の文化を海外の人、外国人に紹介して、理解してもらうとかそういった事になると思うのだが、それでいいのだろうか。
前はそれで良いと思っていた。
もちろんそれとしての意味や意義はあるし、今までに様々な演奏家が海外に行って、演奏をし、パーフォーマンスをし、交流をはかって来たことは、外国人にも、日本人にも大変影響されていると思う。今までの海外演奏としてはこれで十分意味のある事だったであろう。
しかし、これからにおいての海外に向けての発信というのは、進化するべきだ。
これからは、ただ日本音楽を紹介し、それを通して文化を紹介、理解するというレベルを越えて、それをスタンダードとする位までレベルをあげる必要があると思う。
なにをもってスタンダードとするかは難しい問題だが、自分の考えとしては、その違いというのは、エスニックかどうか、ということだと考えている。
例えば、もし海外で演奏したとして、それが評価されたとしても、それがエスニックとして評価されたのか、そうでないのかというのは、同じ評価されるでも大きな違いがあると思う。よく、日本の和楽器奏者やパフォーマーが海外に行って公演をし、大変な評価を得たとか、最近はよく聞く話しだが、それは本当の意味で理解され、評価されているのだろうか。もしそうであれば、その地でそれはスタンダードになっているはずである。
日本においての西洋音楽を例として考えてみよう。
戦後のいろいろないきさつはあったとしても、その入ってきた異文化音楽であった西洋音楽を日本人は受け入れることが出来た。もちろん個人単位での是非はあるとしても、日本人総合的には、その異文化音楽である西洋音楽を異文化音楽からスタンダードなものとできた。エスニックとしてではなく。そこには政治的な理由の他に西洋音楽自体の芸術的な力があったからにほかならない。
事実、今の日本は、三味線は聞いたことがなくても、ピアノはほぼ全ての人がなんらかのかたちで耳にしたことがあるだろう。
これは、まぎれもなくスタンダードである。
さて、日本の音楽、和楽器はどうであろうか。
今までも、世界各地で公演され、大きな評価は得た。しかし、自分の知る限りそれがスタンダードとなっているところはない。もしあったとしても、それは世界規模の話しではない。
これは、本当の意味で理解されているのだろうか。ただ、文化を紹介するというところにとどまるのが、国際交流、異文化交流の目的なんだろうか。
よく、海外公演などで、いわゆる"ウケる"のは、「日本」というイメージが全面に出るような古典、とか伝統芸能とかで、日本を紹介するというのが目的だとこういったパフォーマンスになるだろう。相手側の文化にないような、音楽的な面だけでなく、例えば、しきたりとか仕組みとかが相手側にとっては異文化で、斬新で、紹介という意味ではベターだ。現代の日本人は、普段はたいていの人が洋服を着ている、なんて紹介より、日本人は着物を着て、ちょんまげしたり、刀で切腹したりする、なんて事の方が数倍興味がわくだろう。
しかし、これは確かに日本の文化に違いないが、確実にデフォルメしている。実際、外国人で、日本に行けば侍がいる、なんて勘違いして思ってる人も少なくないかもしれない。
続く→
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根本的な、国際交流として、異文化交流としてというのは変わってないのだが、どのようにパフォーマンスするかという点で。どのような目的で演奏したいのかということ。
それは、自分が海外で演奏したり、最近は日本の演奏家もだいぶ海外に出て演奏する機会が増えて、そういった話しを聞いたりして感じたことが影響していると思う。
国際交流とか、異文化交流とかいうと、日本の文化を海外の人、外国人に紹介して、理解してもらうとかそういった事になると思うのだが、それでいいのだろうか。
前はそれで良いと思っていた。
もちろんそれとしての意味や意義はあるし、今までに様々な演奏家が海外に行って、演奏をし、パーフォーマンスをし、交流をはかって来たことは、外国人にも、日本人にも大変影響されていると思う。今までの海外演奏としてはこれで十分意味のある事だったであろう。
しかし、これからにおいての海外に向けての発信というのは、進化するべきだ。
これからは、ただ日本音楽を紹介し、それを通して文化を紹介、理解するというレベルを越えて、それをスタンダードとする位までレベルをあげる必要があると思う。
なにをもってスタンダードとするかは難しい問題だが、自分の考えとしては、その違いというのは、エスニックかどうか、ということだと考えている。
例えば、もし海外で演奏したとして、それが評価されたとしても、それがエスニックとして評価されたのか、そうでないのかというのは、同じ評価されるでも大きな違いがあると思う。よく、日本の和楽器奏者やパフォーマーが海外に行って公演をし、大変な評価を得たとか、最近はよく聞く話しだが、それは本当の意味で理解され、評価されているのだろうか。もしそうであれば、その地でそれはスタンダードになっているはずである。
日本においての西洋音楽を例として考えてみよう。
戦後のいろいろないきさつはあったとしても、その入ってきた異文化音楽であった西洋音楽を日本人は受け入れることが出来た。もちろん個人単位での是非はあるとしても、日本人総合的には、その異文化音楽である西洋音楽を異文化音楽からスタンダードなものとできた。エスニックとしてではなく。そこには政治的な理由の他に西洋音楽自体の芸術的な力があったからにほかならない。
事実、今の日本は、三味線は聞いたことがなくても、ピアノはほぼ全ての人がなんらかのかたちで耳にしたことがあるだろう。
これは、まぎれもなくスタンダードである。
さて、日本の音楽、和楽器はどうであろうか。
今までも、世界各地で公演され、大きな評価は得た。しかし、自分の知る限りそれがスタンダードとなっているところはない。もしあったとしても、それは世界規模の話しではない。
これは、本当の意味で理解されているのだろうか。ただ、文化を紹介するというところにとどまるのが、国際交流、異文化交流の目的なんだろうか。
よく、海外公演などで、いわゆる"ウケる"のは、「日本」というイメージが全面に出るような古典、とか伝統芸能とかで、日本を紹介するというのが目的だとこういったパフォーマンスになるだろう。相手側の文化にないような、音楽的な面だけでなく、例えば、しきたりとか仕組みとかが相手側にとっては異文化で、斬新で、紹介という意味ではベターだ。現代の日本人は、普段はたいていの人が洋服を着ている、なんて紹介より、日本人は着物を着て、ちょんまげしたり、刀で切腹したりする、なんて事の方が数倍興味がわくだろう。
しかし、これは確かに日本の文化に違いないが、確実にデフォルメしている。実際、外国人で、日本に行けば侍がいる、なんて勘違いして思ってる人も少なくないかもしれない。
続く→

2007/3/26
YMAクラシックライヴ 演奏履歴
日時 2007年3月24日(土) 2:00pm〜2:30pm
場所 横浜美術館
曲目 吾妻八景,都風流より他
出演者 唄 半田 綾子
三味線 簑田 弘大
TICKET なし(無料)
小島鳥水版画コレクション展において、"東に西に吹き抜ける風"プログラム、と題されたライヴ。
3月毎週土曜にいろいろなプログラムで開かれているYMAクラシックライヴの第4日目。
古典の長唄よりお送りします。
チラシあります。


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場所 横浜美術館
曲目 吾妻八景,都風流より他
出演者 唄 半田 綾子
三味線 簑田 弘大
TICKET なし(無料)
小島鳥水版画コレクション展において、"東に西に吹き抜ける風"プログラム、と題されたライヴ。
3月毎週土曜にいろいろなプログラムで開かれているYMAクラシックライヴの第4日目。
古典の長唄よりお送りします。
チラシあります。




2007/3/23
そういえば流れ星 たまに日記
そういえばこの間、すごい長い流れ星見ました。寝ようとしてうとうとしていたら、ふと窓の外が気になり見たら、その瞬間にサーーッと流れ星が落ちました。瞬間的だったのに長く落ちたので、観賞できた感じです。こんな長い流れ星は初めて見たので、驚きました!!流れ星って長いと本当に流れる後が見えるんだな。
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2007/3/20
雪降ってますねえ たまに日記
今年は雪降らないと思ってから2回も雪降ってます、驚。なんか今年の雪、雪っぽい気がするんですが、気のせいだろうか。結晶がふんわりしてる感じがします。
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2007/3/19
エミリー・ローズ 映画鑑賞感想文
ホラー系。ある田舎から大学に進学し、寮に入ったエミリーは、おかしな出来事に遭遇する。そして、その出来事にあたり、ある神父は悪魔に取り憑かれたと判断し、悪魔払いをこころみる。しかし、結果は失敗し、結局エミリーは死んでしまう。その神父の行動の是非を問われる裁判が行われ、そこで事の真相が明らかになってくる。一方は、エミリーは精神病だったと判断し、悪魔に取り憑かれたとその治療を止めさせた神父を、エミリーを死に追いやった張本人とし、有罪とする説。そしてもう一方は、実際に精神病ではなかったと判断する、神父側の説。裁判が進行されていくにつれて、それぞれの心理的な動きも見られる。そして、裁判の結末は。そして、その結末の後の本当の結末とは。意外な展開が。
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2007/3/17
雪降りましたねえ たまに日記
昨日は、カナダに留学に行っていた友人が日本に帰ってきて、久しぶりに夜明かしました。そして、朝方帰るのに外に出たら、なんと雪が降っています!!今年はもう降らないと勝手に信じ込んでいたので、すごい驚きました!!普段の日だったらまだしも、こんな日にたまたまですが、降るなんてまるで主人公。なんか満足しました、笑。
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2007/3/15
浜松市立富塚中学校公演 分類なし
2007年3月12日 浜松市立富塚中学校にて公演。
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2007/3/15
浜松市立篠原中学校公演 分類なし
2007年3月12日 浜松市立篠原中学校にて公演。
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2007/3/15
浜松市立篠原中学校公演 演奏履歴
日時 2007年3月12日(月) 8:30am〜
場所 浜松市立篠原中学校内
曲目 夏の一日,春の海,メドレー2006他
出演者 和楽団煌
篠笛 間庭 拓夢
尺八 渡辺 淳
三味線 簑田 弘大
琵琶 久保田 晶子
箏・二十絃箏 平田 紀子 十七絃箏 田中 奈央一
打楽器 児玉 文朋
和楽団煌出演の学校公演。
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場所 浜松市立篠原中学校内
曲目 夏の一日,春の海,メドレー2006他
出演者 和楽団煌
篠笛 間庭 拓夢
尺八 渡辺 淳
三味線 簑田 弘大
琵琶 久保田 晶子
箏・二十絃箏 平田 紀子 十七絃箏 田中 奈央一
打楽器 児玉 文朋
和楽団煌出演の学校公演。

2007/3/15
浜松市立富塚中学校公演 演奏履歴
日時 2007年3月12日(月) 1:00pm〜
場所 浜松市立富塚中学校内
曲目 夏の一日,春の海,メドレー2006他
出演者 和楽団煌
篠笛 間庭 拓夢
尺八 渡辺 淳
三味線 簑田 弘大
琵琶 久保田 晶子
箏・二十絃箏 平田 紀子 十七絃箏 田中 奈央一
打楽器 児玉 文朋
和楽団煌出演の学校公演。
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場所 浜松市立富塚中学校内
曲目 夏の一日,春の海,メドレー2006他
出演者 和楽団煌
篠笛 間庭 拓夢
尺八 渡辺 淳
三味線 簑田 弘大
琵琶 久保田 晶子
箏・二十絃箏 平田 紀子 十七絃箏 田中 奈央一
打楽器 児玉 文朋
和楽団煌出演の学校公演。

2007/3/3
新居浜コンサート 演奏履歴
日時 2007年3月2日(月) 開場 6:00pm 開演 6:30pm
場所 新居浜市民センター
曲目 夜叉舞,にほんのうたメドレー,goez'on original他
出演者 goez'on
尺八 中村 仁樹
三味線 簑田 弘大
二十絃箏 衣袋 聖志
goez'onの新居浜公演。
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場所 新居浜市民センター
曲目 夜叉舞,にほんのうたメドレー,goez'on original他
出演者 goez'on
尺八 中村 仁樹
三味線 簑田 弘大
二十絃箏 衣袋 聖志
goez'onの新居浜公演。
