2006/10/30
好調!!呑気布袋 たまに日記
呑気布袋の合わせがだいぶ佳境を迎えてきて、全体が見えてきましたが、かなり面白い出来に仕上がっています。舞台的にも面白いですが、音楽も新曲がまたいい曲揃いです。
チケットも2時の部は完売間近ということです。ぜひ観に来て下さい!!
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チケットも2時の部は完売間近ということです。ぜひ観に来て下さい!!

2006/10/30
goez'on結成 分類なし
尺八、三味線、二十絃箏のユニット"goez'on"を結成しました。
尺八中村仁樹、三味線簑田弘大、二十絃箏衣袋聖志の3人による、現代の新たな試みです。
自分たちの感性で新しい音楽を創っていき、オリジナルのものもあれば、編曲のものもあります。
ライヴ活動をしているので、ぜひ聞きに来て下さい。
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尺八中村仁樹、三味線簑田弘大、二十絃箏衣袋聖志の3人による、現代の新たな試みです。
自分たちの感性で新しい音楽を創っていき、オリジナルのものもあれば、編曲のものもあります。
ライヴ活動をしているので、ぜひ聞きに来て下さい。

2006/10/29
芸術とはなにか 簑田弘大の音楽THEORY
芸術とはなに?と聞かれて一言で答えられるだろうか。
自分のなかで芸術はどういうものなのか、感覚的にはこういうものだ、というのがあるのだが、今まではそれを一言で答えろと言われたら答えられなかった。その感覚的に存在するものを言語をつかって表現できなかった。というよりも、実際にその状況がなかったという方が正しい。
しかし、この間ある青年に「おまえにとって芸術ってなに?一言で答えて。」と言われて即座に言語で表現することができずに考えた。そしてそれを言語として表現するとともにもう一度そのことについて考えてみた。
その問いに対して、一つ一つの細かい事項というのはいくつも出てくる。例えば、その自分の音楽を通じて楽しくなったり、悲しくなったり、興奮したり感動してもらいたいとか、実際に楽器を習って弾いている人に対しては、それを趣味の一つとして生きていく一つの糧のようなものになればいい。言語が通じないもの同士でも音楽を通じて共感できることができたらそれは音楽として意義があるし、嬉しいことだ。
でもこれらは一つの要素であって芸術とは何か?と一言で言えるような答えにはならない。
芸術家は自分の表現するもの、自分の場合は三味線だが、それを通じてなにを伝えようと、届けたいと思っているのか。それは、演奏や作品をセンスでもって表現する。そのセンスというのはその人が普段養って培ってきたものである。いろいろな経験の中でセンスを育てまたどういう方向に向けて進めていくのか選んでいく。センスはそういう自分が生きている全ての生活の中で確立していく。つまりその人の生き方が反映するのである。それを表現している訳だから、要はその表現自体が生き方自体でもあり、どういう風に生きていくかというのはその人の思想による。
つまり、芸術とは、思想である。これが今自分の出した答えだ。意外と一言で言えるものだな。簡潔で気持ちいい。
以前から自分が音楽をやるにあたって、哲学をもっていたいと思った。感覚的にそういう音楽がいいと思っていた。でもそれも、この答えなら解決できる気がする。
この考えは、音楽の表現だけでなく、音楽活動さえ影響するということなので、なおさら納得できた。結果だけでなく過程が大きく影響するということ。
だから芸術家である自分は思想をもっていかなければならない。そしてそれを模索し、磨き、確立していく必要がある。でもそれは今も既にもっているものであって、もし未来にちがうものをもっていたとしてもそれはただ変わっていったというだけだ。でもきっと以前のそれをふまえているわけだからよりよくなっていることを願うが。
自分の表現したいことを、演奏や作品を通して伝えていくのではなく、その演奏や作品自体が自分。この考えはとても自分にとってしっくりきたし、恐怖さえ感じた。
思想を、作家や哲学者のように言語や字をつかって表現するのではなく、音や光で表現する。それが今自分の考える芸術家のありかただと思うし、そうありたいと思う。
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自分のなかで芸術はどういうものなのか、感覚的にはこういうものだ、というのがあるのだが、今まではそれを一言で答えろと言われたら答えられなかった。その感覚的に存在するものを言語をつかって表現できなかった。というよりも、実際にその状況がなかったという方が正しい。
しかし、この間ある青年に「おまえにとって芸術ってなに?一言で答えて。」と言われて即座に言語で表現することができずに考えた。そしてそれを言語として表現するとともにもう一度そのことについて考えてみた。
その問いに対して、一つ一つの細かい事項というのはいくつも出てくる。例えば、その自分の音楽を通じて楽しくなったり、悲しくなったり、興奮したり感動してもらいたいとか、実際に楽器を習って弾いている人に対しては、それを趣味の一つとして生きていく一つの糧のようなものになればいい。言語が通じないもの同士でも音楽を通じて共感できることができたらそれは音楽として意義があるし、嬉しいことだ。
でもこれらは一つの要素であって芸術とは何か?と一言で言えるような答えにはならない。
芸術家は自分の表現するもの、自分の場合は三味線だが、それを通じてなにを伝えようと、届けたいと思っているのか。それは、演奏や作品をセンスでもって表現する。そのセンスというのはその人が普段養って培ってきたものである。いろいろな経験の中でセンスを育てまたどういう方向に向けて進めていくのか選んでいく。センスはそういう自分が生きている全ての生活の中で確立していく。つまりその人の生き方が反映するのである。それを表現している訳だから、要はその表現自体が生き方自体でもあり、どういう風に生きていくかというのはその人の思想による。
つまり、芸術とは、思想である。これが今自分の出した答えだ。意外と一言で言えるものだな。簡潔で気持ちいい。
以前から自分が音楽をやるにあたって、哲学をもっていたいと思った。感覚的にそういう音楽がいいと思っていた。でもそれも、この答えなら解決できる気がする。
この考えは、音楽の表現だけでなく、音楽活動さえ影響するということなので、なおさら納得できた。結果だけでなく過程が大きく影響するということ。
だから芸術家である自分は思想をもっていかなければならない。そしてそれを模索し、磨き、確立していく必要がある。でもそれは今も既にもっているものであって、もし未来にちがうものをもっていたとしてもそれはただ変わっていったというだけだ。でもきっと以前のそれをふまえているわけだからよりよくなっていることを願うが。
自分の表現したいことを、演奏や作品を通して伝えていくのではなく、その演奏や作品自体が自分。この考えはとても自分にとってしっくりきたし、恐怖さえ感じた。
思想を、作家や哲学者のように言語や字をつかって表現するのではなく、音や光で表現する。それが今自分の考える芸術家のありかただと思うし、そうありたいと思う。

2006/10/9
太鼓奏者 児玉 文朋 個人ページリンク