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2007/12/12

善悪と音楽  簑田弘大の音楽THEORY

 音楽家という職業をやっていると、善悪の感覚が薄れていくような気がする。

 それは、なんとなく体で感じていることでもあり、ちょっとしたことを考えた時にもそう感じたりする。

 「善悪」というとなにか重々しいが、全ての事に対しての善悪なので、その対象はほんの小さな事も含まれる。
 例えば、同じドアーに2人で同時に入ろうとしてしまって、譲るか先に入るか、とかそういうちょっとした事でも、どちらかが少しでも善か悪によっていればそれは善悪をつけることができることになる。そういうのも含めて。
 この場合だったら「先に譲る」、が模範解答的に思われるが、それが絶対的な善であるかはわからないのは言うまでもない。もし先に譲ったところでその先になにか悪い出来事が待っていたら、極端な話し、そこに殺人鬼が潜んでいて殺されてしまったとしたら、その先に譲った行為は善であったのか疑問だ。

 結局のところ、絶対的な善悪を見極めるのはかなり難しい。というか不可能かもしれない。それが、上記のドアーがどうとかそういったことであればそんなにリスクもないと思うが、それによって大きく結果が左右される事となるとどちらを選ぶかリスクも高くなる。

 たいていの場合は、もし組織みたいなものがあればそこには規則が生まれる。それは、複数の人が善悪を判断する基準を共有するという意味もあると思う。絶対的な善悪ではなく、思想的な善悪をつくるのだと思う。

 例えば、最近は禁煙がスタンダードになってきて、道で歩きタバコが禁止されていたりするわけだが、これが絶対的に善悪とは言い切れない。
 悪としては、禁止になっている理由の様に、他の歩行者に危険だったり、副流煙の問題で有害だったりするが、善としては、ストレス解消だったりするわけだ。しかしそれではただやったもんがちになってしまうので、思想的な善悪としてそれを悪として禁止している。そのエリアでもし歩きタバコをすれば、本当に悪かどうかはわからないのに悪と化す、ということ。

 このように僕たちは生きていくにあたって、この規則、つまり思想的な善悪に基づいて善悪を判断している場面があるわけだが、音楽家にはその機会が少ない。もしくは、その基準で判断してはならない場合が多いとも言えるが。

 もちろん法律というものの下にはいるのだけれども、他にたいして規則とか大きな思想的な善悪を感じる場面はあまりない。
 善悪の感覚というのはあるのだけれども、それが一般的な善悪の感覚と違っていたり、焦点が異なっていたり、善悪の判断が偏ってくる。
 もしかしたらそれは自分が生み出しているのかもしれないが、なぜそんな環境にあるのかと考えると、音楽が善悪と密接に関係しているからではないかと思う。逆に。
 接する場面が少ないのに近い存在というのはちょっと不思議ではあるが。

 音楽はある意味善悪がない。音楽そのものには純粋にそこに音楽があるだけで、善悪ということではなんの意味ももたない。しかし、現実として音楽が音として存在したら(もしかしたら無音でも)、そこにはなんらかの意味がでてきて、そこに善悪は生まれてくる。0から0<xかx>0になる、みたいな感じで。
 それを操っているのが音楽家である。
 つまり、音楽自体はなにも善悪の意味を持ち合わせていないのだが、その音楽に善悪をつけてしまうのが音楽家ということ。いわば、善悪を生み出す、作り出すということです。恐ろしい事ですね。
 だから、音楽家には善悪を判断できる、少なくとも判断するという意志をもっている必要があるわけです。しかもそれは絶対的な善悪であることが望まれます。そのためには、思想的な善悪を超えて見極めていく力が必要とされます。それは本当に大変な事です。

 そのような位置に置かれていながらも、音楽家は必ずそれが絶対的な善悪であるかということは知り得ません。それは、人間は今のところ絶対的な善悪を知り得ませんが、音楽家も、絶対的な善悪など知り得ない、その人間だからです。

 これは矛盾しているようですが、真理だと思います。事実このような状況に置かれている音楽家は、善悪を判断する事などできないと身をもって知ることができるわけです。

 善悪を扱うながら、その善悪は知り得ない。

 つまり、善悪と密接に関係していながらも、その善悪の感覚が薄くなるのは、そういう理由からだと思います。

 最終的には、自分自身で善悪を判断するしかありません。それができないならば音楽家の意味はありません。知り得ない善悪を判断するためには、それを信じることのできる自分自身になるしかありません。自分は自分自身の善悪を良くも悪くも知ってしまいます。

 やるしかありませんね、笑。
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