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2007/8/8

生の音楽についての考察(続き)  簑田弘大の音楽THEORY

 最初の1音目でなにか違うと感じて、1楽章が終わった時に明らかに違うと確信した。
 合奏の一体感が違った。練習のときより数段面白い。
 演奏が終わる時、それが最高潮に達した時だったと思う。

 自分たちの世界観というのがでてきて、それが3つ目の要素となった。

 指揮である自分の最後の役割であって、また唯一演奏家とともに表現できること。
 指揮は演奏者とは違って、実際に音としてアンサンブルをすることもできないし、強弱をつけることもできない。
 でも、気迫をだすことはできるし、テンションや空気感を共有することはできる。

 そして、それの先頭をきるのが3つ目の要素につながり、また指揮のありかただとも思った。

 結局のところ、練習ではどうしようもなかった問題がいとも簡単に本番解決されたということだ。

 それは、本番の時にどこからともなくでてきたその世界観に、メンバーそれぞれが反応できたからだと思う。それが相互増幅作用して、最終的に全体の世界観になった。もし反応できなかったらそのままどこへともなくなくなっていっただろう。

 本番にしかでてこなかったという不思議なもの。

 そう考えると、最初に述べた様に、練習でつくりあげた完璧なものをだすということはできない。というよりも、練習の段階では完璧なものをつくりあげられないという方が正しいかもしれない。

 もちろん、より本番で良いものをだすために、練習の段階で完成度の高いものにしておくのは必須だ。
 そして、本番ではその本番でしかでてこないものを充分に加味する必要がある。

 本番には練習では到達できないものがある。

 生の音楽の良さ、またそれが必要とされるのは、そのためかもしれない。
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