私が退職当時の我が職場は総勢25人ほどで、社内にあっては比較的小世帯の部署であった。その部署のトップは2代続いてそれぞれ58歳、59歳の若さでの殉職(病死)だった。それだけ身を削って仕事に打ち込んでおられたということか。
2代目の
I田ボスは他部署からの配転ではなく、私たちと同じ生粋のプロパー上がりだったので、親交も深く公私にわたり御高誼に与った。
ご子息の結婚式にはビデオ係りを仰せつかったが、大任を果たした折には過分の御厚志を賜った。敢えてプロカメラマンを頼まず、私に下命くださるその心遣いが嬉しく意気に感じたものだ。
晩年、入院静養中のI田ボスに外泊許可が出たので、病院とお宅の送り迎えをした折のこと。家への車中で気丈なI田ボスがポツリと一言、「もう病院へは戻りたくない、このまま家で過ごせたらなぁ」とつぶやいた。
翌日は何事もなかったかの口ぶりで「(世話になっているナースに)ケーキを買いたいので、白十字(岡山の菓子メーカー)へ寄って・・・」と細やかな心配りを忘れない。
風貌はちょっとケーシー高峰似で(失礼!)、一見豪放磊落ながら細やかな心遣いをされる方だった。巨体を揺すらせて「がっはっは」と高笑いされる姿が今も目に浮ぶ。ボスの名が相応しいお方だった。
昔から我が職場には大柄な人が多く、連れ立って歩く姿は「プロレスリングの巡業か」と冗談も出るほどだそうで、I田ボスもそのお一人。そこへ私が入社してやっと長身記録を塗り替えた。
毎日寒い日が続くが、間もなくI田ボスの20回目の命日である3月8日を迎える。春はもうそこまで。
今日は三男の誕生日であり、義妹の月命日なので、ちらし寿司を作った。I田ボスの陰膳ともしたい。

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