去る4月26日の母の葬儀に際しましては、各方面よりご会葬並びに丁重なる弔意を賜り、その上過分のお供えまで頂きありがとうございました。
故人の遺志に沿い、葬儀告別式はできるだけ質素にと心がけておりましたが思いがけず大勢の方々に見送られ、賑やか好きの母はさぞや喜んで旅立ったことと思います。
お陰さまで初七日を滞りなく済ませましたが、心にぽっかりと大きな穴が開き日毎に寂しさが募っております。此処の所の心労もあり、2年ぶりに持病の不整脈が再発しましたが、薬効もあり少し落ち着きました。
雑事に取り紛れお礼のご挨拶が遅くなり失礼いたしました。
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会葬お礼の挨拶(4月26日喪主omotann)
皆様、本日はご多用中にもかかわらず、故緑の葬儀、並びに告別式にご会葬くださいまして、ねんごろなるご回向、その上過分のお供えを賜りありがとうございました。
私は故人の長男omotannでございます。亡き母は、生前皆様より、ひとかたならぬご厚情をいただいておりましたが、葬儀に当たりましても、このように大勢の方にお見送りいただき、さぞかし喜んでおることと存じます。
母緑は赤磐市平山で生まれ、昭和22年農家のT郎に嫁ぎ、一時は乳牛16頭の酪農も経験しました。当地は全国有数のお飾り産地ですが、お飾り作りを生涯の友として、農業の傍ら昼夜を分かたず頑張って参りました。
昭和38年頃のB前自動車O山教習所の開所準備から携わり、以後20年弱、夫T郎と二人で一人前乍ら二人三脚で頑張った参りました。
世話好きの夫T郎と共に生涯で相務めた月下氷人は48組。働くことが生甲斐で“仕事の虫”を地で行くような勤勉ぶりは並々ならず、自他共に認めるところであります。
そんな手足をフル稼働してきた働き者の緑は、平成2年に67歳でよもやのアルツハイマー症と診断されましたが、緩やかな進行のため、今日まで19年間生き長らえました。3年半前に特養K輝園にお世話になり、同居の方々にも恵まれ、職員の皆さんの手厚い看護の下幸せな日々を過ごしておりました。この1年間に3度の死線を乗り越えミラクルリカバリーを遂げましたが、4度目ならず24日に86歳の生涯を閉じました。
「觀明院慈心緑風大姉」という身に余る院号を賜りました。安養寺のご住職から由来についてお聞きし、母の生涯を象徴するものだと感じ入っております。これで彼岸への旅支度も整ったというものです。悔いのない一生であったと思います。
皆様、母亡き後も故人同様、あるいはそれ以上のご厚誼を賜りますようお願い申し上げます。 本日は誠にありがとうございました。

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