平成9年(1997年)11月18日午前1時頃、二男が大型バイクを運転していて交通事故に遭った。深夜までの研究を終え、校門から公道へ出かけて、T路交差点を猛スピードで突進してきた車に衝突した。相手は同じ学校の歯学部の院生で、やはり研究所を出たところだった。
倅は事故のショックで気を失い救急車で運ばれた。精密検査を受けたが異常は認められず、外傷もなく腰の打撲だけで済んだ。双方とも大した怪我がなかったのは、不幸中の幸いだった。そのままパトカーで下宿まで送って頂いた。
事故の一報が入るまでに9時間のタイムラグがある。親へ無用の心配をかけまいと配慮してのことだが、保険手続きのため止むを得ず連絡をしてきた。保険屋からの報告で、「一週間の要治療の診断が出ている」と聞かされた。
そもそも二男が自動二輪の免許を取ると言い出した時は、親として猛反対した。心を鬼にして体を張ってでも反対し果せば良かったのだが、本人の熱意につい屈した。
長男の時は説得の末断念させたのだが、その実績が生かされず、ついに予想が的中し最悪の事態を招いた。
事故を体験した小生の後輩ライダーからの「痛い目だけでは済まん。下手をすると命と引き換えになるぞ!」とのアドバイスにも聞く耳持たずだった。
初代のバイクはロックしていたにもかかわらず、いとも簡単に盗難にあった。執念で探し出した時には、無残に改ざんし放置されており大ショックを受けた。事故に遭った二代目では、仲間と一緒に富士ツーリングなどはじめ、遠征をしていたことを知った。
卒業式で上阪した折、事故現場を訪ねた。衝突の弾みで飛ばされてブチ当たったガードレールは、縦のパイプが1本はずれ、横はひん曲がっており、相当の打撃を物語っていた。本人の口から「奇跡(の生還)だった」と言わしめた。一歩間違えば…と思い致し、改めて背筋が凍った。
バイクはポンコツとなったが、これでやっと縁が切れた。翌年、大学の方も無事卒業できた。
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三日月51さんが「オートバイ」と題して、息子さんが免許を取得しライダーデビユーする様子を認めておられる。
決して水を注す気はなく、老婆心ながらも同じ轍を踏んで貰いたくなくて、ペンを取った次第。

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