2007/3/17

文學ト云フ事「三四郎」  文學ト云フ事

「『文學ト云フ事』。この番組は文学を読むための壮大な予告編である。」
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恋はあまりにも、難解だった。
文学史上に燦然と輝く青春小説の金字塔。

明治41年朝日新聞に連載され「それから」「門」と共に三部作をなす。
作品の舞台となった東大の瓢箪 (ひょうたん) 池は、 後に三四郎池と呼ばれるようになった。
漱石は「私は女の読者を眼中に置いたことがない」と語っている。
つまり彼は男のために、女を書いていた。事実、 漱石ファンは男性が圧倒的に多い。 鼻っぱしの強い美禰子のモデルは婦人運動家の美女・平塚らいてう。
彼女は一流のお嬢様の身で、漱石の弟子と謎の心中事件を起こした。
そんな彼女の生きざまを知り、女性の神秘さを描いたとされている。

■名科白集:
三四郎は茫然 (ぼんやり) していた。 やがて、小さな声で「矛盾だ」と云った。

大学の空気とあの女が矛盾なのだか、あの色彩とあの目付きが矛盾なのだか、 それとも未来に対する自分の方針が矛盾しているのかこの田舎出の青年には、 凡て解らなかった。ただ何だか矛盾であった。

女は恐ろしいものだよ。

雲は雲じゃなくっちゃいけないわ。 こうして遠くから眺めている甲斐がないじゃありませんか。

どうも好きなものには自然と手が出るものでね。仕方がない。
豚などは、手が出ない代わりに鼻が出る。

結婚は考え物だよ。離合聚散、共に自由にならない。

僕が女に、あなたが絵だと云うと、女が僕に、あなたは詩だと云った。

二十歳前後の同い年の男女を二人並べてみろ。 女の方が万事上手だぁね。
男は馬鹿にされるばかりだ。

熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より、頭の中の方が広いでしょう。

画はインスピレーションですぐ描けるから可いが、 物理の実験はそう旨くは不可ない。

自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうから面白い。 崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか。

「ヘリオトロープ」と女が静かに云った。三四郎は思わず顔を後ろへ引いた。
ヘリオトロープの罎 (びん) 。
四丁目の夕暮。
迷羊 (ストレイシープ) 。
迷羊 (ストレイシープ) 。
空には高い日が明らかに懸る。
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2006/2/27

チョモランマがそこにある  文學ト云フ事

先日、部屋の掃除をしておりました。
そろそろ捨てようかなと思っている本の山の下から
新聞の切抜きを集めた1冊のファイルが。

おもわず、ある人をネットで検索し、
その人が書いた1冊の手記を手に入れ、読み終えた。

私のファイルには、
小学校6年の時の字で「チョモランマがそこにある」と書かれている。
当時の筆跡と、あんまり変わっていない今の自分。

もうすぐ中学生になるという私は、
年明けの新聞に、小さな連載記事を見つけた。

「今年の5月5日のこどもの日に、エベレストから衛星生中継を行います。」

すぐに興味が沸いてきた。
世界最高峰の頂上は、どのようになっているのか。
見てみたい。

当時、エベレストの登頂に挑む日本人のニュースは多く、
遭難されたニュースも多かった。

無線で「加藤さーん」と泣きながら叫んでいるシーンをTVで見たことがある。
加藤保男さん。1982年冬、前人未踏の登頂に単独で成功。
しかし、その下山時に行方不明となる。
テレビの前で、ほとんど聞き取れない無線機の音に耳を澄ませた。
翌日、「加藤さん生存絶望」という記事を見た衝撃は、今でも覚えている。

エベレストからの中継という新聞記事が気になり、
その箇所を切り取ってスクラップを始めたようである。
このマニアックさ、生まれつき。

中継基地を一つずつ作り上げていること。
食料の問題。
日本、中国、ネパールの三国が合同で行うこと。
何よりもどんな映像なのか。わくわくしていた。

TVでは、日本テレビディレクターの岩下さんという方が、
しゃがれた声でインタビューに答えていた。
日本からの呼びかけに答えるこの人は、熱く夢を語っていた。

私は、この人が登頂するのではないので
最初はあまり関心がなかった。
しかし、的確な指示を出している姿にいつしか惹かれていた。
笑顔が素敵な白髪のおじさん。

忘れもしない1988年5月5日午後。
番組名は、「チョモランマがそこにある」

新聞の番組欄には、「途中、中継が入る場合があります」と書かれており
まだ出来たての東京ドームでの巨人戦の試合が放送されていた。

たまに速報があるのだが、
あまり天候も芳しくなく、電波状況も良くないらしい。

評論家のような人が言い訳を始めていた。
通常、山頂にアタックするのは、3日くらい予備日を作らないと危険なので、
山頂の登頂日を指定しない。
隊員が運ぶアンテナの重さが半端じゃないこと。

司会は福留さんだった。
過去、この岩下さんはエベレスト山頂を録画撮影をすることに挑戦し、
最後の最後で機材を捨てるしかなかった無念など、
福留さんが話していた。

このまま夜になると危険であるとのことで、
失敗してしまうのではという雰囲気が出来つつあった。

16時過ぎ。
突然、東京ドームの映像から、ネパールの映像に切り替わった。
岩下さんが叫んでいる。
「登頂おめでとう!さあ、映像をお願いします!」

巨人戦を吹っ飛ばした日本テレビ。
画面に映っているのは、叫んでいる岩下さんの横顔。
CMも入れず、沈黙と無線からの雑音のみがTVから流れた。

10分以上、もうすぐ20分くらいになろうかという瞬間
「きた・・きたぞ!」
テレビから声が聞こえた。
次の瞬間、鮮明な画像が映し出された。
エベレストの山頂、青い空、ネパールの山々。
思わず私も叫んだ。なんて綺麗なのだ・・。

山頂からの中継は、イメージしていたものをはるかに超え、
音声などもクリアに聞こえていた。携帯など無い時代。
何よりも生中継であるこの一体感。
しかも世界最高峰。

「それでは、鯉のぼりをあげます!」

オレンジ色の服の登頂スタッフの方が、高々と鯉のぼりを掲げた。
無線からは、
「今・・・チョモランマに・・・鯉のぼりが・・・上がりました・・・」

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中学1年。半分大人の私は、その鯉のぼりが無性に嬉しかった。
その後、下山指示を出している岩下ディレクターの映像はあまり映されず、
野球中継に戻った。

その数ヵ月後、特番でこのプロジェクトにかかわった方たちが出演された番組の
一番最後に福留さんが
「さあ、次は何をされますか?」
と問いかけた。

しゃがれた声の岩下さんは
「さて・・・もう一晩寝たら、思いつくんじゃないですか?」
と笑っていた。カッコよかった。

それから数年後、まだ学生だった私は、
日テレのディレクターさんとお話しする機会があった。
その時、
「ああ、岩下さん。昨年亡くなったんだよ。」
と聞かされた。
言葉が続かなかった。
そのディレクターさんも泣いていた。

ネットで岩下さんのことを検索していたら、
岩下さんは、手記を書かれていた。
既に絶版とのこと。
あきらめつつもアマゾンで検索したところ、
在庫は無いが、個人で出品されている方がいらっしゃって、
購入することが出来た。

「テレビがチョモランマに登った」岩下莞爾

壮絶な舞台裏の手記。
自分の夢の為に集まった人たちへの思い。
特に奥様の苦労、息子さんから送られた帽子にかかれた言葉。
涙で声が出そうになり、飛行機内で本を閉じた。

世界一の青い空と鯉のぼりを、子供達に見せたい。
その夢の記録。

岩下さんは、こんな言葉を残されている。

あるがままに撮ろう
あるがままに語ろう
在るものはあると言おう
無いものはないと言おう
無いものを在ると言ってはいけない
在るものを無いと言ってはいけない
もう一度
あるがままに伝えよう
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2005/9/7

文學ト云フ事  文學ト云フ事

「文學ト云フ事」という番組があった。
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その昔、深夜番組で偶然第1回を見て、
それからビデオを毎週撮った。
今でも大事にとってある。
当時、私の友人達もはまっていて、
図書館に行くと、その本が無かったりしていた。

調べてみると、
「94年4月から9月まで6か月間、フジテレビ / 関西テレビで放送されていた番組。」
とある。
この番組をきっかけに、明治時代の文学を読み始めた気がする。

「なあんだ。夏目漱石とか、川端康成も同じことで悩んでたのね(特に女性問題・・)」

「オリンポスの果実」「斜陽」などは、この番組が無ければ、まず読まなかっただろう。

久しぶりに見てみようかと。

「この番組は、文學を読むための壮大な予告編である。」

そういえば、当時小説なんか書いてました。
ワープロの勉強と称して。
はずかしぃー。
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