2007/2/13

三十一歳の地図  OZAKI

もし君達が働きだして、世の中に負けない様に働き続けて
それでも、ふっと心が寂しくなったとき
俺みたいな男がこんな歌を歌った事を思い出してくれ 
by OZAKI
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三十一のしゃがれたブルースを聞きながら
夢見がちな俺はセンチなため息をついている

たいしていい会社あるわけじゃないだろう
長期の出張を疲れも知らず稼ぎ回ってる

バカ騒ぎしてる 街角の俺達の
かたくなな心と黒い瞳には寂しい影が

転職に退職 愚痴でもこぼせば皆同じさ
うずうずした気持で働きつづけ 汗まみれになれ
くわえ煙草のThirtyone's Map

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人波の中をかきわけ 壁づたいに歩けば
隅から隅 はいつくばり 強く生きなきゃと思うんだ
ちっぽけな俺の心に 空っ風が吹いてくる
歩道橋の上 振り返り 焼けつくような夕陽が
今 心の地図の上で 起こる全ての出来事を照らすよ
Thirtyone's Map
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2007/1/18

OH MY LITTLE SALARY MAN  OZAKI

忙しい。
おかしい。
年々、というか日に日に忙しくなっている。
なぜだ?
昔よりも確実に仕事を速くこなしているはずなのに。

答えは、簡単である。
仕事が異常に増えているからである。

こんな歌が、頭の中で回りだした。
末期的かもしれません。
近日、現実逃避の旅に出ます。

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こんなにも忙しい
街並にたたずむ僕は
とても小さく
とっても寒がりで
泣き虫なオジサンさ

後ろの上司 僕を呼んで
ちょっぴり僕に微笑みながら
凍えた書類 そっと摺り寄せて
君は残業せがむんだ

OH マ・マー パスタ
温めて 食べよう

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OH マ・マー パスタ
こんなにも食べている

OH MY LITTLE SALARY
一人会社で カタカタ叩きながら
いつまでも いつまでも 帰れないでいるよ
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2007/1/10

夜の校舎  OZAKI

今日からまた学生生活。
某大学のビジネススクールへ入学しました。
自虐的生活。

校舎に着くと、何か雰囲気が違う。
おそらく、廃校になった小学校を改装したらしい。
窓の外には、
田原俊彦が、びんびんと踊っていそうなグラウンドが見える。

22時に終わり、廊下を歩く。
怖い。
こんなゲームを思い出した。
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「ファミコン探偵倶楽部U うしろに立つ少女」

自分は、何でもゲームに例えるクセがあるようだ。
それも小学生時代の。

ドラクエの転職システムってのが、
もしかしたら今の自分に影響しているのだろうか。

ちなみにドラクエVで「賢者」になるには、
「遊び人」からでしか転職できません。
なるほど。

エレベータまで遠いので、階段を使ったことが災いした。
1階に着くと真っ暗。

遠くの明かりを目指して歩く。

「ポーン」

エレベータの前で、いきなり音が鳴ったので
びびった。
この生活を続けられるか、先行き不安である。
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2006/10/31

路地裏の少年  OZAKI

1994年。
親元を離れ、将来への不安と期待。
時間だけが無駄にありながらも、あせっていた。
「この時間は、限られているんだ」
理解していたから、寝る時間が惜しくてたまらなかった。

学校でしっかり勉強し、バイトして、しっかり夜中まで遊んだ。
そんな時、偶然に見つけたラーメン屋があった。
表参道から少し入った小さいお店。「ばさらか」

じゃんがらラーメンのブームの傍で、
こっちの方が旨いと純粋に思った。
友達連れて、何度も通った。
新宿から歩いてでも。

店員さんは若い人で、スチャダラパーのボーズに似ていた。
自分の周りでは、「似ているよな?」「本人じゃねえのか」
とコソコソしていたけど、
別のお客さんが「似てますよね」と話しかけると、
「良く言われるんですよ」
と答えているのを聞いて、なぜか安心した。

確か、小泉今日子の色紙が貼ってあって、
日付が前日だったのを見て、友達と残念がった記憶がある。

あれから12年。
あんなに通っていた「ばさらか」へも足が遠のいていた。
でも、どこがおいしい?と聞かれれば、
「原宿のばさらか」と答えていた。
「まだあるか分からないけど」と付け加えて。

週末、渋谷でラーメンでもという話になり、
せっかくだから、原宿まで歩いて行ってみようと。

その道すがら、「ボーズ似の人がいてさぁ」と懐かしがりながら
明治通りを歩いた。

ウェンディーズの横。
「ばさらか」は存在していた。
行列とともに、進化していた。

「元祖原宿ばさらか1994」

1階にあったはずが、赤いお店の2階にあり、
店内にはジャズが流れているではないか。

席について、ふっと店員さんを見ると、
ボーズ似だった、あの人が働いていた。
髪型も変わり、一見分からなかったけど、
たまに見せる笑顔は、あの人だ。
思わず、以前のように声をかけそうになった。

ラーメンの味は、以前とまったく変わらない美味しさで、
食べながら、胸が詰まった。泣きそうになった。
この人は、あれからずっとこの場所でラーメンを作っていたんだと。
たまらなく、カッコ良かった。

俺はあれから、どれだけ成長したというのか。
友達とダベりながら食べていたこのラーメン。

自分も負けないで働こうと思った。

ただ、それだけの話。
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2006/8/20

卒業  OZAKI

大型二輪免許の卒業検定に合格いたしました!
ということで、4月から始まった教習所生活もおしまい。
卒業。

土日のどちらかしか通えず、
予約もなかなか取れない。
2週間以上は間があいてしまったりと厳しかったですが、
合格してしまえば、すべてが良い思い出。

今日は私を入れて4名が大型二輪の卒業検定に望みましたが、
合格者は、私一人。ふぉふぉふぉ。

合格証を頂いて、手続きを終え、
最後の送迎バスに乗る前に、
バイクで指導中の教官に、

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と、矢崎滋ばりに「まる!」とすると、
教官が、親指を立て笑顔で「良かったね!」と大きな声で返してくれて
走り去っていった。

バイクの免許を取った理由は、色々あるのですが、
その一つに、
私が今まで訪れた中で、
「日本で一番美しい」と思う場所がありまして。
(そこは、仕事では行きたくない。)

そこにどうしても、今度はバイクで行ってみたい。
いつか、もう一度そこへ。

教習所の皆様、有難うございました!
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2006/8/16

17歳の地図  OZAKI

高校1年の夏。
私は生徒会&文化祭実行委員というのをやっていた。
3年生のパシリとして、雑誌を買ってこいと小銭を渡され
ローソンで「Tokyo Walker」を買った。
買う前に立ち読みして、「こんな雑誌があるのか」と知った。

その1年後、コンビニで「Tokyo Walker」を立ち読みをしていた。
小さな記事で
「TW探検隊募集!」
というのを見つけた。

「Tokyo Walker探検隊募集!
色々な企画や取材などを一緒にしませんか?」
といった募集広告で、履歴書と「TW探検隊になってやりたいこと」
をレポートで送り、審査があると書いてあった。

何かに引き寄せられるように、
バイト用に買った履歴書と、
内容は忘れたけど、レポート用紙に色々書いて送った。

1ヵ月後、
私が探検隊に選ばれたという連絡があった。
発足式があるので来て欲しいという案内状も来た。

新宿の中華レストラン。
「大人」の人が15名くらい集まっていた。
角川書店の方も数名。

いくつかの円卓に座り、自己紹介が始まった。
高校生は、私一人だった。
しかも大学生もほとんどが3年生以上。
全体の半分が社会人の人だった。
終始、緊張していた。

そんな中、Wさんと言う人が、いつも自分を気にかけてくれていた。
「こっち来いよ!」
「最近の高校生は凄いね〜」
この頃で4歳年上となると、ものすごい年齢差があり、
遠慮していた自分を輪の中にドンドン入れてくれた。

探検隊の活動は毎週あり、
新しいアトラクションが出来たといえば、
OPEN前の施設へ行って体験して、カメラマンさんが写真を撮る。
2週間後のTWにそれが掲載されるといった具合。

一番印象に残っているのは、
「ファーストフード全種類、食べ比べ!」
という企画で、
日本中のすべてのメニューを探検隊で食べて、
レポートし、採点した。
高校2年の夏休みは、マックからロッテリア、モス、ファーストキッチンなどに行って、
「えっと、ハンバーガー全種類ください。ナゲットも2つ。ソースも2種類。」
一口食べては採点。予想以上にハードだった。
でも、領収書をもらうときに「Tokyo Walker編集部で」というのが「大人」ぽくて、嬉しかった。
シェイク担当のSさんは、泣いていた(笑)

しかしながら、私以外はすべて大人の人。
自分から連絡して、飲みに行くことなども出来ない。
学ランを着た状態で、編集部に出入りしていた私に、
Wさんはいつも私を気にかけ、誘ってくれた。

「サンシャイン60の階段駆け上り大会が明日あるから、
応援来てくれよ!」
「今度、クリスマスパーティーやるから、友達連れて来いよ!」

Wさんは私に、大学に行く意味を教えてくれた。
「すべては自分次第だということ」
「いくらでも楽しいことは転がっているんだ」
「楽しいことない?なんて聞くなよ。自分で見つけるんだ」
「友達は宝だ」
と。

自分の「17歳の地図」はWさんによって導かれた。

Wさんはその後、TV局のアナウンサーになった。
新しい住所の案内の手紙に
「元気か!いつでも遊びに来いよ!飲もうな!」
と書かれてあった。
でもその手紙を頂いた後、すぐに私も引っ越したので、
住所を教えあうことも出来ず、それっきりになってしまった。

私は大学に入ってからもTW編集部でアルバイトをさせていただいた。
Aさんという編集部の方には、頭が上がらない。
私にとって、永遠の26歳の女性。
いつの間にか、私は年齢を超えたけど、26歳なのである。
今では、私の方が年上に見えるほど、「若い」人。
社会人になってからも、何かと気にかけてくれた。
「学ラン着てたあなたが、スーツ着て、仕事してるとはねぇ〜」

先日、Aさんが「Saitama Walker」の宣伝をするためにTV局へ行った際に、
Wさんと偶然に再会。
TV出演後に
「絶対、喜ぶと思うから」と
Aさんが、私のメールアドレスをWさんに伝えた。

「第一期TW探検隊のWですけど、覚えてますか?」

突然のメールだった。

出会ってから15年。お会いするのは13年振り。
北陸出張帰りで、羽田からそのまま新宿の待ち合わせ場所へ。
焼き鳥屋で飲む。

「まさか、15年経って一緒に酒を飲むようになるとはね〜(笑)
それにしても変わってないねぇ〜、」

今、自分がここにいるのは、あの雑誌の小さな記事がきっかけ。
Wさんのおかげで、自分の地図を作ることが出来たけど、
あの時の夢はまだ叶えていない。

かけがえの無い大学時代の友人や、
社会人になってからは、戦友と言える人たち。
すべて宝物。

そんな15年目の「約束の日」
最高のお酒でした。
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2006/3/24

ニッポン  OZAKI

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気が付いたら、もうすぐ100回になるようです。このブログ。
そもそも、尾崎の替え歌書いてただけですけど。
日記ってのは、誰かに読んでもらいたいから書くこともあれば、
自分がその時何を考えていたのかを、未来の自分が読み返すことが出来たり、
文字にすることで、大した悩みでないことを認識したり。

話は変わり、私の夢は教師ですが、
言い換えれば、人に何かを伝えたいということが夢なのかもしれない。
そんでもって、日本史オタの私は、
最近の天皇制の問題や、日本と中国・韓国などのアジア外交、
アメリカとの外交問題をどのように学校で教えているのか
興味がある。

先日「男たちの大和」を見に行った。上野に。
予想通り、まさに大和に乗っていたのではないかと言う世代の皆様の真ん中で
映画を見た。
映像技術、演技、どれをとっても過去の日本の映画を超えるものであったが、
戦争映画では100%泣く私が、どうしても号泣できず、
違和感を感じてしまった。
なぜ、生き残ってきた人が、「生きて帰ってきてすいません・・」
という罪悪感の中で生きていかねばならないの?

第2次世界大戦だけを取り上げてしまうと
「日本がアメリカと戦争をした。そして負けた」
という視点しかもてなくなる。
その背後の事情を一つずつ時間をさかのぼっていくと、
日中戦争、第1次世界大戦、日露、日清・・・
明治維新、果てはイギリスの産業革命までつながっていく。

昭和26(1951)年5月3日。
朝鮮戦争に於ける戦争方針でトルーマン大統領と対立し、
GHQ最高司令官を解任されたマッカーサーが、
米国上院軍事外交共同委員会にて以下の発言をした。

『日本は8000万に近い膨大な人口を抱えており、それが四つの島にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。
その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。
潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいずれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産している時の方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見していたのです。
 これほど巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。
しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。
 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万人の失業者が発生するであらうことを彼ら(日本政府・軍部)は恐れていました。
 したがつて彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです』

日本を占領しに来たマッカーサーが、なぜこんな発言をしたのか。
理由は、昭和25年の朝鮮戦争により、日本の地理的な問題から、
過去はロシア、中国といった国から脅かされていたということ、
資源がなく、その輸入が止められたときには、日本自体が危機的な状況になるため、
戦争に突入せざるを得なかった状況があったということに改めて気が付いたからといわれている。

それは、ABCD包囲網による石油の輸入停止から日本を追い込んでいったことや、
その後の歴史で、アメリカが日本に自衛隊を持たせ、軍備を強化していかざるを得なかったことからも分かる。

昭和16(1941)年9月6日に開催された御前会議にて、当時の海軍大将の発言。

「戦わざれば、亡国と、政府は判断された。戦うもまた亡国であるかも知れぬ。
戦わざる亡国は魂まで失った亡国であり、最後の一兵まで戦うことによってのみ死中に活を見いだしうるであろう。戦ってよし、勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我らの子孫は再起、三起するであろう」

こんなことを書くと、右翼と呼ばれるのだろうかねぇ。
すぐに決め付けるのは危険ですぜ。アニキ。
ここは自分の祖父の世代の人たちが、
自分達の子孫のためを思い、戦っていたということではないかと
素直に感じたい。

今年はワールドカップ。野球もWBCで1位になった。
そんなときはニッポン、ニッポンと叫ぶ。
みんな、ホントに日本が好きなんだと思います。
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2004/12/29

Scramblin'Rock'n'Roll  OZAKI

俺は、凍てついた心をかばうように歩いていたんだ。
ふと気が付くと、御茶ノ水の駅前のスクランブル交差点の前に俺はいたんだ。

後ろから若いサラリーマンが二人、ささやくように話していた。

A「あのビルが順天堂かぁ」
B「ふうん。そういえば、あれ発売したね」
A「あそこって、足が速いんだよね」
B「ん?Bダッシュまだ使えるんだぁ」

俺は、そんな二人を抱きしめたくなったんだ。
弱い犬ほど、よく吠えるというが、何もしないよりはマシなんだぜ。
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2004/5/31

ロザーナの野沢菜  OZAKI

奥歯傷むわけの そのひとつひとつを 
何度も噛み締めてみたけれど
おまえは歯医者を憎む様になり
歯磨きの意味さえも 忘れていた

辛く激しく受け止めたこのスルメや
見知らぬセンベイの戸惑いの中で
ブラシを持てずにただ打ち消し合うだけの
長い日々を経ても誰も 噛み尽くせやしない

野沢菜 まだ俺の知らぬおまえの心の優しさの中へ
手を引き寄せて抱きしめておくれよ
野沢菜 嘘で取り繕う暮らしに涙だけが
二人を優しくさせていたはずなのに
野沢菜

解説:歯が痛くて、野沢菜を食べたことが無い。なんのこっちゃ。
辛く激しく受け止めたこのスルメや
見知らぬセンベイの戸惑いの中で
ブラシを持てずにただ打ち消し合うだけの
長い日々を経ても誰も 噛み尽くせやしない

野沢菜 まだ俺の知らぬおまえの心の優しさの中へ
手を引き寄せて抱きしめておくれよ
野沢菜 嘘で取り繕う暮らしに涙だけが
二人を優しくさせていたはずなのに
野沢菜

解説:歯が痛くて、野沢菜を食べたことが無い。なんのこっちゃ。クリックすると元のサイズで表示します
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2004/5/19

吉野家ホール  OZAKI

安い吉野家ホールは たくさんの人だかり
陽気なギョクと漬物と煙草の煙にまかれてた
ギュウ牛づめの吉野家ホール しゃれた小さな牛肉
はしゃいで食いつづけてる おまえを見つけた

子牛のような奴で タマネギな奴
小粋なドラ牛川ってとこだよ
おまえはずっと座ってたね

気どってツユダク飲みほして
慣れた手つきで ギョクつける
気のきいた 流行文句だけに
おまえは小さく うなづいた
次の牛皿手にして
訳もないのに 乾杯
こんなものよと 微笑んだのは
たしかに つくり笑いさ

あたい 太りはじめたのは ほんの些細なことなの
彼が吉野家いかれていたし でも本当は あたいの食欲ね
学校はやめたわ 吉野家で働いているわ
赤い紅しょうがかけすぎてた のんびり気分じゃないわね
少し酔ったみたいね 食べ過ぎてしまったわ
けど ギョクがすべてじゃないなんて
きれいには言えないわ

夕べの 口説き文句も忘れちまって
今夜も吉野家行くのかい
寂しい影 落しながら
あくせくする毎日に 腹減ったんだね
俺の胸で食べるがいい
そうさおまえは吉野家ダンサー
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2004/5/16

転職Vol.2  OZAKI

誰かの新規獲得の話に みんな熱くなり
自分がどれだけ偉いか 知りたかった
縁故だけが必要だと 頑なに信じて
従うとは負けることと言いきかした
友だちにさえ 強がって見せた
時には自分で買い取っても

やがて誰も頭ハゲて 医者の言葉と
理想のカツラ それだけに心奪われた
生える為に 計算高くなれと言うが
プロピアのまっすぐさを強く信じた
大切なのは何 植毛することと
生やす為にすることの区別迷った

※繰り返し

転職して いったい何解ると言うのか
退職金のほかに 何が残るというのか
人は誰も縛られた かよわき子羊ならば
社長あなたは かよわき大人の代弁者なのか
俺達の怒り どこへ向うべきなのか
これからは 何が俺を縛りつけるだろう
あと何度自分自身 転職すれば
本当の会社に たどりつけるだろう

仕組まれたリストラに 誰も気づかずに
あがいた日々も終わる

この支配からの転職
戦いからの退職クリックすると元のサイズで表示します
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2004/5/15

転職  OZAKI

会社の影 デスクの上 追い込まれるノルマ
上司からのリアルな視線 感じていた
チャイムが鳴り オフィスのいつもの席に座り
どこで時間 つぶすべきか考えていた
ざわめく心 今 俺にあるものは
意味なく思えて とまどっていた

会社の後 街ふらつき 俺達は風の中
孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた
笑い声とため息の飽和した店で
売り上げのハイスコアー 競いあった
退屈な心 刺激さえあれば
何でも大げさにしゃべり続けた

行儀よく営業なんて 出来やしなかった
夜のオフィス ハードディスク壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く会社を辞めたかった

※信じられぬ課長との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした
ひとつだけ 解っていたこと
この支配からの 退職
Vol.2へ続きます。クリックすると元のサイズで表示します
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2004/5/14

35の夜 Vol.4  OZAKI

会社辞め 貯金をはたき 決めた仕事
超高級牛肉をおいらが 育てて儲けるのさ

山の中 ぽつんとひかる コンビニポプラ
日が暮れれば営業終わり そんなのコンビニといわねぇ

牛の発育も分からないけど
おいらの牛舎 そろいもそろい みんなよろけているぅー
おーおー
村の農協は 牛を捨てろ捨てろというが 俺はいやなのさ
狂牛病の原因が肉骨粉 ならばぁー
俺も食べた 今朝も食べた というか主食 35の夜

盗んだ鶏 インフルエンザ 売り先もわからぬまま
暗い夜の鶏舎の中でーぇぇぇ
実りたてのおイモをふかし 手のひらを みつめながら
農家に飽きた気がした35の夜
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2004/5/14

35の夜 Vol.3  OZAKI

冷たい風 冷えた身体 会社辞めたくて
夢見てる上司の家の横を 「辞めます」つぶやき走り抜ける

闇の中 ぽつんと光る 近所のコンビニ
500円玉で買えるBeing 厚い雑誌を握り締め

退職の結末もわからないけど
かってに俺は次の転職を ずっと夢に見てる

うおおー
同期たちは内定 捨てろ捨てろというが俺はイヤなのさ
「退屈な仕事が俺たちのすべて」 ならば・・・
なんてしたっぱで なんて意味のない なんて現場な
35の夜

盗んだチャリンコ走り出す 行く先は牛丼屋
暗い夜の帳の中へ
納期にしばられたくないと 逃げ込んだ この夜に
自由になれた気がした35の夜
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2004/5/14

尾崎と、石川啄木  OZAKI

尾崎と、石川啄木が対比されるのはよくある話。
当時の「最先端」のメディアで自己表現していた「若きカリスマ」

共通項としては、
・女性問題が多い。
・26歳でこの世を去った。
・尾崎の歌詞に、啄木の詩がたびたび引用されている
などなど。

「男は、26歳で大人になる」
これが私の持論。
沢木耕太郎の「深夜特急」も26歳。

26歳の誕生日に買ったB-ingで転職した私。
いろいろな人に出会ったこと、すべてが財産だと実感しています。

虎視眈々と、同世代がのし上がっていくこと。
それが、歴史を動かすことになる。
恐るるなかれ。
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