2006/8/31

千鳥ケ淵で  hiro

本郷の旅館を出てから、東京観光をすることに。
現役の添乗員でもある彼らを、案内する私。
一番厄介なわがままな客である。

いくつか行程を考えていたので、
昨晩のうちに提案したのだが、
採択されたコースは「靖国神社→浅草」
九段会館が入社式会場だったので、
そこにも行って見たいということで。

夏休みも終わろうとしている九段へ。
武道館には凄い人。
24時間テレビ始まる前でした。

「九段下のぉ〜駅を下りて坂道をぉ〜」
スランプ続きのフジケンが歌う。「たまねぎぃー」

「あれがたまねぎだぞ」
と武道館を指差すと
「おお!そういうことだったのか!」
と感動していた。
「意味知らなかったのか?」
「知らんがな。なんでたまねぎなのか、気にもしなかったわ」
「・・・。」

靖国神社も結構な人が参拝していた。
若い人が予想以上に多い。
外交カードの舞台にされているこの場所。

暑い中、杖をついて歩いているご老人の姿。
この神社を一言で結論付けることは難しい。

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S君が、「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」に行きたいと。
近くだから、案内する。
私も中に入るのは初めて。

皇居の堀の緑色の水を見ながら、
「ドリフの池の色ってこれだな」
「あんな色ねえよと思ったけど、東京にはあるんだな」
とインド大使館の横を歩く。

「インド大使館、警備員いないね」
「亡命し放題だな」

平和である。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ到着。
ほんの数分の距離。

さっきの靖国と比べると驚く。
誰もいないのである。
帰り際に、お花を持った老婆とすれ違ったが、
中にいるときは、私たちしかいなかった。

「千鳥ケ淵戦没者墓苑」
昭和34年(1959年)国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑。
戦争に際し、海外地域の戦場において、多くの方々が戦没され、戦後、ご遺骨が日本に持ち帰られましたが、ご遺族にお渡し出来なかったものを、この墓苑の納骨室に納めてあります。いわば「無名戦士の墓」

S君が、100円で売られている菊の花を買って献花。
私たちもそれに続く。
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「何で、こっちは誰もいないのだろうか・・」

靖国神社には「名簿」がある。
こちらには、「遺骨」が。

先人たちの人生を思う。
手を合わせる。
それだけは譲れない。

その後、浅草で大黒屋の天丼をいただく。
「へぇ〜金券ショップがねぇ」
「ちがうよ・・」

私達は、道後で買った「タルトTシャツ」を着て
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サンバカーニバルを鑑賞。
人・人・人・。
サンバ見えない。

平和な夏の一日でした。
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2006/8/29

東京の旅館  hiro

関西から同期軍団が労働組合の集まりで上京。
旅館へ連れて行けという。

19時東京発とした場合、早く見積もっても
箱根の場合、21時からの食事になってしまう。
駅弁を提案したけど、却下された。

ということで、東京の旅館へ。

東大(本郷)周辺には、昔ながらの旅館がある。
その昔、会社の忘年会をその旅館で行った。
まだ1年目だった私は、同期のK君と
全身タイツ着て手品をした。
今、心の傷になっている。

夕食後、ラクーアの露天風呂に入ってから
予約した旅館へ。
昔のままであった。
というか、もうここまでレトロだと、
10年くらいでは、どこがどう古くなっているのか分からない。

下駄履き入れには、宿泊者の名前が貼ってあり、
その他のお客さんは、半分以上が外国の人のようだ。

予想以上に広い部屋でございました。
おっさんが何人かで、夜通し語るには、非常にお勧めでございます。
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2006/8/20

卒業  OZAKI

大型二輪免許の卒業検定に合格いたしました!
ということで、4月から始まった教習所生活もおしまい。
卒業。

土日のどちらかしか通えず、
予約もなかなか取れない。
2週間以上は間があいてしまったりと厳しかったですが、
合格してしまえば、すべてが良い思い出。

今日は私を入れて4名が大型二輪の卒業検定に望みましたが、
合格者は、私一人。ふぉふぉふぉ。

合格証を頂いて、手続きを終え、
最後の送迎バスに乗る前に、
バイクで指導中の教官に、

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と、矢崎滋ばりに「まる!」とすると、
教官が、親指を立て笑顔で「良かったね!」と大きな声で返してくれて
走り去っていった。

バイクの免許を取った理由は、色々あるのですが、
その一つに、
私が今まで訪れた中で、
「日本で一番美しい」と思う場所がありまして。
(そこは、仕事では行きたくない。)

そこにどうしても、今度はバイクで行ってみたい。
いつか、もう一度そこへ。

教習所の皆様、有難うございました!
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2006/8/16

17歳の地図  OZAKI

高校1年の夏。
私は生徒会&文化祭実行委員というのをやっていた。
3年生のパシリとして、雑誌を買ってこいと小銭を渡され
ローソンで「Tokyo Walker」を買った。
買う前に立ち読みして、「こんな雑誌があるのか」と知った。

その1年後、コンビニで「Tokyo Walker」を立ち読みをしていた。
小さな記事で
「TW探検隊募集!」
というのを見つけた。

「Tokyo Walker探検隊募集!
色々な企画や取材などを一緒にしませんか?」
といった募集広告で、履歴書と「TW探検隊になってやりたいこと」
をレポートで送り、審査があると書いてあった。

何かに引き寄せられるように、
バイト用に買った履歴書と、
内容は忘れたけど、レポート用紙に色々書いて送った。

1ヵ月後、
私が探検隊に選ばれたという連絡があった。
発足式があるので来て欲しいという案内状も来た。

新宿の中華レストラン。
「大人」の人が15名くらい集まっていた。
角川書店の方も数名。

いくつかの円卓に座り、自己紹介が始まった。
高校生は、私一人だった。
しかも大学生もほとんどが3年生以上。
全体の半分が社会人の人だった。
終始、緊張していた。

そんな中、Wさんと言う人が、いつも自分を気にかけてくれていた。
「こっち来いよ!」
「最近の高校生は凄いね〜」
この頃で4歳年上となると、ものすごい年齢差があり、
遠慮していた自分を輪の中にドンドン入れてくれた。

探検隊の活動は毎週あり、
新しいアトラクションが出来たといえば、
OPEN前の施設へ行って体験して、カメラマンさんが写真を撮る。
2週間後のTWにそれが掲載されるといった具合。

一番印象に残っているのは、
「ファーストフード全種類、食べ比べ!」
という企画で、
日本中のすべてのメニューを探検隊で食べて、
レポートし、採点した。
高校2年の夏休みは、マックからロッテリア、モス、ファーストキッチンなどに行って、
「えっと、ハンバーガー全種類ください。ナゲットも2つ。ソースも2種類。」
一口食べては採点。予想以上にハードだった。
でも、領収書をもらうときに「Tokyo Walker編集部で」というのが「大人」ぽくて、嬉しかった。
シェイク担当のSさんは、泣いていた(笑)

しかしながら、私以外はすべて大人の人。
自分から連絡して、飲みに行くことなども出来ない。
学ランを着た状態で、編集部に出入りしていた私に、
Wさんはいつも私を気にかけ、誘ってくれた。

「サンシャイン60の階段駆け上り大会が明日あるから、
応援来てくれよ!」
「今度、クリスマスパーティーやるから、友達連れて来いよ!」

Wさんは私に、大学に行く意味を教えてくれた。
「すべては自分次第だということ」
「いくらでも楽しいことは転がっているんだ」
「楽しいことない?なんて聞くなよ。自分で見つけるんだ」
「友達は宝だ」
と。

自分の「17歳の地図」はWさんによって導かれた。

Wさんはその後、TV局のアナウンサーになった。
新しい住所の案内の手紙に
「元気か!いつでも遊びに来いよ!飲もうな!」
と書かれてあった。
でもその手紙を頂いた後、すぐに私も引っ越したので、
住所を教えあうことも出来ず、それっきりになってしまった。

私は大学に入ってからもTW編集部でアルバイトをさせていただいた。
Aさんという編集部の方には、頭が上がらない。
私にとって、永遠の26歳の女性。
いつの間にか、私は年齢を超えたけど、26歳なのである。
今では、私の方が年上に見えるほど、「若い」人。
社会人になってからも、何かと気にかけてくれた。
「学ラン着てたあなたが、スーツ着て、仕事してるとはねぇ〜」

先日、Aさんが「Saitama Walker」の宣伝をするためにTV局へ行った際に、
Wさんと偶然に再会。
TV出演後に
「絶対、喜ぶと思うから」と
Aさんが、私のメールアドレスをWさんに伝えた。

「第一期TW探検隊のWですけど、覚えてますか?」

突然のメールだった。

出会ってから15年。お会いするのは13年振り。
北陸出張帰りで、羽田からそのまま新宿の待ち合わせ場所へ。
焼き鳥屋で飲む。

「まさか、15年経って一緒に酒を飲むようになるとはね〜(笑)
それにしても変わってないねぇ〜、」

今、自分がここにいるのは、あの雑誌の小さな記事がきっかけ。
Wさんのおかげで、自分の地図を作ることが出来たけど、
あの時の夢はまだ叶えていない。

かけがえの無い大学時代の友人や、
社会人になってからは、戦友と言える人たち。
すべて宝物。

そんな15年目の「約束の日」
最高のお酒でした。
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2006/8/14

姉さん。事件です。  水曜どうでしょう

出張ではなく、キャラバンと呼んでも良いかも知れないと思った。
朝起きてテレビをつける。
めざましテレビの「めざましキャラバン」

「今日は福井にいます〜」
「今日は金沢にいます〜」

偶然にも、同じ日に同じ場所にいるとは。
しかも連続で。
ホテルの窓から思わず探す。
「めざまし体操第2」はマスターした。
僕らはみんな生きている。

北陸キャラバンの2日目。
あるお宿で「内覧会」のお誘いがあった。
しかしながら、夜遅くの到着になってしまったので、
翌朝、見学させていただくことに。
少しでも出張費を浮かせるためにも、
(内覧会参加者は、無料でご招待となっておりました)
このお宿で泊まらせていただくことに。

荷物を持つ仲居さんの案内でお部屋へ。
ふすまをあけると・・。
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「?」
布団が2つ。
ぴったりくっついている。
仲居さんは、「浴衣のサイズを合わせますので、そちらへ」
テキパキ。

誰もいなくなった部屋で、
「ツインのシングルユース?」
「寝返りをうってもよいような配慮だ」
「2種類の布団を寝比べろということか」
と、あらゆることを想像していた。
しかし、この布団が2つ並んでいるのは、なんともイヤラシイ。
「いわゆる初夜だな。ふっ」

浴衣に着替えて、PC立ち上げて仕事をしておりました。

30分後、ドアがバタ!と開いて、誰かが入ってきた。

「え?あ?」
「あの〜相部屋らしいです」

某新聞社の方が私の部屋にへ。
相部屋?

まさか、え?

部屋の外を見ると、確かに私の名前と、その方の名前が並んで書かれている。
これは・・・。
もし、俺がヅラだったりしたらどうするのだ?
それよりも、ホモの人だったら・・。

それこそ、初夜になってしまうではないか。

お互い遠慮をしながら、パソコンを叩く。
まんじりとしない時間が流れる。

「あの、少し取材があるので、1時間くらい席を外しますね」
俺「では、私はお風呂に行ってきますので・・。」

大浴場で、湯に浸かりながら、まだ頭の中は「???」
のままであった。
でも、この現実を受け止めなければならない。
部屋に戻り、少し経つと相部屋メンバーのHさんが戻ってきた。

少し話をしておりましたら、これがまた話が合う!
これは運命ではないかと思うくらい(笑)
薬学部ご出身とのことで、
例の添加物の話も色々お聞きすることが出来た。

気がついたら、相当長い時間お話してしまった。
翌朝も、朝食を一緒に食べていた。
また、会うことがあるような気がする。

相部屋は、ユースホステルを回っていた学生の時以来。
「何がおこるかわからないから、旅なんだ」
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2006/8/6


先日、私の誕生日でございました。
GREEの寄せ書きや、グリーティングカードをお送りいただきました皆様、
重ねて御礼申し上げます。
楽屋にも数々のプレゼントを頂戴しておりますが、
私のカバンにはまだ若干の余裕がございます。
ちゃんらーん。

その前日、私は出張でとある旅館におりました。
そちらの女将さんは非常に著名な方で、
講演会などでもひっきりなしに呼ばれるような人。
半年前に初対面だったのですが、
今では「もとちゃん」と呼んでくれるようになりました。

何の話のつながりでそうなったのか。
担当者の人と、年齢の話になって、
「明日誕生日なんですよ〜」
と話しておりますと、すっと女将さんは席を立った。
特に気にしていなかったのですが、
数分後、箱を持った女将さんが。
セレクトしたグッツの数々が中に入っている。

「これをお母さんに贈りなさい。分かるでしょ?」

私は、ハッとした。

「私はね、従業員の誕生日に手紙を書くんだけど、
必ず、両親に感謝の気持ちを伝えなさいって書くのよ。
生んでくれたことを感謝する日が「誕生日」なの。
ここに手紙を入れて送るのよ。「ありがとう」って書いて。
お母さん、泣いちゃうよ(笑)」

私は素直に受け取った。

「私は、○○温泉のもとちゃんのお母さんだからね。
結婚する前に、お嫁さんを連れて来るんだよ!
しっかり見極めてあげるから(笑)」

「え?!あ・・では、そういうことがあれば・・・」

しどろもどろ。

特急で戻り、そのままコンビニから実家の住所を書いて、
ゆうパックで送った。
手紙は恥ずかしくて、書けなかった。

誕生日の夜、母親からメールが来た。
「宅配がとどきました。ありがとうございます。つかわせていただきます。
いつくるかれんらくください。かいもののつごうがあるからね」

その翌日、場所は変わって都内の某ホテルにて打ち合わせ。
「そういえば、もとちゃんは誕生日いつ?」
「え?あの昨日ですが・・」
「まじ?」

打ち合わせが終わると、一緒に外に行こうと言われ、
近くの本屋さんに行った。
そこで、その方がポストカードを私にプレゼントしてくれた。

そのカードにはこう書かれていた。

「誕」
生まれた日はホントウはお母さんに感謝する日なのです。
なぜなら・・。
あなたのために、お母さんが一番頑張った日だから」
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2006/8/2

卒検まで、あと5回。  hiro

週末の早朝に教習所に通う生活ともあと少しの辛抱です。
先日は、「シュミレーター4」「ディスカッション」
という講習でした。

私以外に2名おりまして、
○茶髪君(20歳くらい。ATバイクの免許が目的。中型は持っている)
○ロンゲ君(23歳くらい。いつもは原付。中型二輪が目的)
というメンバーで、明らかにオッサン(大型二輪)の私と2時間ほど講習。

教習を始めた数ヶ月前は、教官が恐ろしく、
「バカヤロー!死にたいのか!」
「今日は雨だから、ブレーキミスしたらあの世行きだな。かっかっか」
と笑う教官達に、私は何度殺意を感じたことでしょう。

それがいまや、
「いや〜○○君。うまくなったねえ〜。ところで何を買うの?」
なんてやさしく話しかけてくる。
なぜだろう。嬉しい・・(笑)

やはり、バイクの免許は憧れではなかなか難しく、
最初の数回来ただけで、来なくなってしまう人も多いらしい。
(特に女性)
そりゃそうだ。あれだけ怒られれば。
しかし、最初に怒らないとバイクの恐ろしさが伝わらず、
結果として事故につながるので、心を鬼にして怒っているらしい。
本当かなぁ・・。

4回目のシュミレーター講習。
3人で交互に乗る。
どんどん難しくなる。
最後は、真夜中の設定。
何も見えない。
無灯火の自転車を轢きそうになって、何とかすり抜けると、
小さなボールがポーンと飛んでくる。
それもよけて「ふふ」と思っていたら、子供が飛び出してきた。
はい。轢きました。ごめんなさい。

後ろで教官の笑い声が。
後ろのPCで色々操作できるので、子供を飛び出させたようだ。
「真夜中にボールで遊ぶ人なんかいませんよ・・」
と抗議したら、
「ボールが出てきたら、次は子供だろ(笑)」
と。
10年以上、車に乗っているが、なかなかそういった場面には出会わないけど、
肝に銘じた。
皆さん。「ボールが飛び出してきたら、次は子供」ですよ。

続いての「ディスカッション」は、
「今までのバイク経験での危険だと思ったことを話し合う」

私、今まで原付すら乗ったことがありません。
あるのは、10年前のホーチミンでの二人乗りくらい。
(もちろん後ろの座席。
なぜかもう一人、私の後ろにガキが乗っていたが・・。)

若い兄ちゃんたちは、今までの思い出話のネタがあるので、
色々話が出てきて物騒な武勇伝を。
(肋骨何本折ったとか、タクシーに追突したとか)

私にはネタがありません。
「えっと、4月にここで初めてバイクに乗りまして・・」
と話し出すと教官が驚いた声で、
「マジ?!」
「はい・・。」
「いきなり大型って・・なぜ?」
「いや、別に理由は無いんですけど・・大は小を兼ねるといいますし・・」
「いやぁ。珍しいねえ〜。」
「・・・・。」
「普通は、中型から取るもんだけどねぇ・・」

この寂しさは、秘書検定の試験を受けたときに近い。
横浜のYMCA。
大教室で受験。
大教室で男は私一人。
なぜか試験前に出欠を取る。

名前を呼ばれる。
「はい」
と言う。
ざわつく教室。振り向く人々。
あの日が人生で、女性から視線を一番浴びた日であったに違いない。
でも、いい香りがした・・。19歳の冬。

エンジンすらかける方法も分からなかった私も、もうすぐ卒業。
盗んだバイクで走り出さないように気をつけたいと思います。

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