2004/6/16

男はつらいよ 幻となった49作目のストーリー 完結編  hiro

以下、山田洋次監督談。

「男はつらいよ」のラスト数本は
2つのストーリーが流れていました。
ひとつは、いうまでもなく、「寅さん」

その2つ目のストーリーは、さくらの息子である
吉岡秀隆さん(満夫)と、後藤久美子さんとの
恋愛話でした。

私は、主人公は「寅さん」ですが
恋愛の主軸は、若い二人に重きを置いておりました。
寅さんには、リリィさん(浅岡ルリ子さん)がいますしね(笑)

そしてラストのシーンですが、
寅さんの第1回目の「あるシーン」と
重ね合わせる予定だったのです。
映画化の第1回目のストーリーは、
寅さんが20年ぶりに柴又に帰ってきて
さくらさんのお見合いをぶち壊し、その結果、
ひろしさんとさくらさんが結婚するという話です。

ひろしさんは、親、田舎を捨て東京に出てきた青年です。
そして、結婚式に、8年ぶりに大学教授でもある
ひろしさんの両親が現れるのです。

そして、ご両親の挨拶

「…なんという私は無力な父親であったか…。
この8年は私ども2人にとって長い長い冬でした・・・・。
やっと、春が訪れたような思いです。
さくらさんのお兄さん。二人を宜しくお願いいたします。」

寅さんは、さくらの元へ駆け寄ります。
そして泣きながら、言うのです。

「良かったな・・・。さくら・・・。」

これが第1回の寅さんの1シーンです。

そして、49作目では、
さくらの息子の満夫の結婚式を予定しておりました。

いつものように、寅さんは音信不通。
そんな中、結婚式は進みます。

そして、最後に、どこからともなく、寅さんが現れるのです。
旅の途中で、風の便りで聞いたのでしょう。
寅さんは、さくらに駆け寄ります。
そして、涙を流しながら、言うのです。

「良かったな・・・。さくら・・・。」

これが、「男はつらいよ」の最後に予定していたシーンでした。
残念ながら、渥美さんが亡くなったことにより
私には、これを撮る事が出来ませんでした。
今日、ここにお集まりの方にお話させていただきました。」

私が、8年前に聞いた山田洋次監督のお話の内容です。
すべて実話です。
私は、胸を熱くしました。
監督の目には、うっすら涙が浮かんでいました。

私はこの話をきっかけに、人生が少し変わった気がします。
その後の就職活動にて、自分を見つめ直すことが出来たのも、
この映画のおかげかと思います。
いまでも旅行業に携わっているのは、
そのせいかもしれません。

今週末は、石垣島に出張です。
ハイビスカスが咲いていたら、また寅さんを想うことでしょう。

今回、こういった形にさせていただきましたが、
人それぞれの「男はつらいよ」に対する思いがあると思いますが
共通していることは、
「人のぬくもりの大切さ」ではないかと。

何かの縁で、このブログを目にしてくれた方へ。
「いつか、旅の途中でお会いしましょう。」

それでは、行ってきます。クリックすると元のサイズで表示します
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2004/6/10

男はつらいよ 幻となった49作目のストーリー Vol.2  hiro

山田洋次監督が、やさしい口調で話し始めました。
「私は、日本で生まれたのではなく、満州で生まれました。
だからこそ、幼年期に過ごしていない、日本への憧れというものが
人一倍強いのでしょう。
私が描く古き良き日本の風景は、私自身の日本への憧れでもありました。

なのに、日本人が忘れてしまおうとしてしまっている・・・・・。」

「渥美清さんに出会って、心底ほれ込みました。
私は、彼に出会っていなければ、この作品自体作っていなかったでしょうし
現実問題、無理だったでしょう。」

「数年前より、彼の体調が良くないことは、
スタッフ誰しも気づいておりました。
最後の数作品は、頭にタオルを巻いたり、スカーフをしたりなど、
痩せこけてしまった体を隠すため、
渥美さんが映画のイメージを壊さないようにと・・。
最後となってしまった、神戸のロケについても、
市民の皆様が、招いてくれたこと、喜んでくれたことに対し、
本当に感謝しておりました。
急遽ストーリを変更して、ロケをしたのですが、
渥美さんは、本当に笑顔で、こなしてくれました。

最近の「男はつらいよ」は、お正月映画ですので、
夏の終わりごろにロケに入ります。

私は、数年前より、彼の体調も考慮して、
最終回というものを意識し、
実は、49作目をもって、終了するつもりでした。

そして、基本となるストーリはもう完成していたのです。

以下次号。(すべて実話。)クリックすると元のサイズで表示します
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2004/6/5

男はつらいよ 幻となった49作目のストーリー Vol.1  hiro

私は、男はつらいよの渥美清氏が非常に好きで、
小学生のときなどは、カセットテープにとった彼のセリフを
何度も聞きながら、ニヤニヤしていたものでした。
「それをいっちゃぁ、お終いよ」とかね。オヤジも良く言っていました。そんな家庭。

もう8年も前の話になります。
大学3年の夏。バイトから帰ると、渥美氏が実は数日前に
亡くなっていたというニュースが流れていました。
私生活は一切公開していないということで、
山田洋次監督も、身内だけの葬儀後に
初めて訃報を聞いたそうです。

その2週間後の新聞で、ある講演会のゲストの欄に、
「山田洋次監督」というのをみつけ
私は、バイトを終えると、会場へ向かいました。
大ホールの最前列に座りました。
もともと、シンポジウムの内容は差別問題についてだったので
学校の先生などの参加者が多く、
私自身、社会学を専攻していたので、非常に興味深いものでした。
おそらく、20代の参加者は私だけだった気がします。

山田監督が現れ、お話が始まりました。
最前列から監督をみますと、憔悴しきったようすでした。
「本日は、お話しする内容については、テーマとは関係ないものになるかもしれません。
今日は、渥美清さんについてお話したく思います。・・・・」

監督がゆっくりと話し始めました。
すでに出来上がっていたという、次回作の台本の話を。
私は、息を呑みました。

続く。(すべて実話)クリックすると元のサイズで表示します
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2004/6/3

悩みなんて・・  hiro

一人暮らしをしておりますと、TVを見て、
大声で声を出して笑うということは
よっぽどなことであるわけで・・。

先日の日テレのスーパーテレビは、
雅子様の特集でした。
「帯状疱疹かぁ・・・大変だな・・。ストレスだよなぁ・・」
なんて思っておったのですが。
ナレーションで、
「雅子様の悩みは、どうしたら晴れるのでしょうか」なんていっている中、CMへ。
ビンゴのタイミングで、大杉漣のお酒のCMが流れました。

「悩みなんてものはなあ、他人に話した時点で半分は片付いているもんだ。
あとは、これ!」

とドンと差し出す、辛口の酒。

目を疑う、タイミングの良さ(悪さ?)

そっか。そうなのね。
やっぱり、飲めば解決。
飲もうよ!雅子様。
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