2018/9/30

いわさきちひろ生誕100年記念 松本猛講演会  イベント

台風の迫る中、何とか無事に、いわさきちひろ生誕100年記念 松本猛さん講演会「母、いわさきちひろの生涯と丸木夫妻との交流」を開催。
集まった方は30人弱と当初の想定を大きく下回りましたが、皆さんとても熱心に聴いてくださり、猛さんのご著書『いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて』は仕入れた15冊がすべて完売しました。

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講演は、前半はできるだけ客観的な視点で「知らない画家を発掘する」ように書かれたという著書の内容に沿いつつ、後半は「ちひろが画家になるために重要であった」丸木夫妻との関係をメインにしたものでした。

ちひろは1946年5月に長野から単身上京した際、人民新聞社の編集長だった江森盛弥に連れられて丸木夫妻のアトリエを訪れ、その後、夫妻の主宰する早朝デッサン会に通って絵の勉強をすることになります(その様子は、今秋上演される前進座の舞台「ちひろ」でも演じられます)。
http://www.zenshinza.com/stage_guide4/chihiro/

「一本の線に責任を持ちなさい」「千枚描きをすれば絵は変わる」という俊の教えを受けた当時のちひろのデッサンは、陰影のつけ方などの特徴が、俊の絵によく似ている、と猛さんは指摘します。

師弟というより姉妹のようだったという二人は、いっしょに温泉に出かけたり、俊が挿絵の仕事をちひろに世話したりと親しく付き合い、ちひろが俊からケーテ・コルヴィッツを、俊がちひろから宮沢賢治を知るなど、互いに影響を与えあっていたようです。

しかし猛さんは、ちひろはむしろ位里の水墨画の影響を強く受けていた、と言います。
「丸木さんの絵はすごい、自由だ」
「丸木さんの梅のようには、なかなかいかない」
と、本人もたびたび話していたとのことで、具体的に作品を比較しながら、にじみやかすれ、たらし込みなどの偶然性を生かす技法に位里の影響があることを指摘していました。
こうした分析は、2006年の富山県水墨美術館「いわさきちひろ展」あたりから行われるようになったと記憶しています。

とはいえ、「ちひろは形にこだわるからデッサンを崩せない、だから位里の形がなくなるような絵に憧れたのでは」という猛さんの話を聞きながら、その感覚(と、自らを作りかえようとする資質)は、やはり俊に似ているのでは、とも思いました。俊もまた、初期の力強いデッサンから、位里の影響を受けて、後年は水墨のにじみを生かした柔らかな線に移行していくのです。

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丸木夫妻が中心となって1947年に創立し、ちひろも参加していた前衛美術会は、やがて方向性を巡って会員が離脱し、後には桂川寛や勅使河原宏、山下菊二らが小河内村の山村工作隊に参加していきますが、早々に退会した丸木夫妻に続いて、ちひろも退会し、紙芝居や絵本などの「童画」の世界に進みます。

東京ステーションギャラリー「いわさきちひろ展」図録で足立元さんは、そうした彼女の“転向”について論じていましたが、そもそも初期の前衛美術会の活動には(俊の主導により)「童画」も含まれていたのではないかということが、個人的には気になっています。

俊やちひろにとって、「童画」と「前衛」は必ずしも相反するものではなかったのではないか。
近く二人について書く機会があるので、このことについてはもう少し調べて、まとめておきたいと思います。
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2018/9/1

シンポジウム〈「戦争/暴力」と人間ー美術と音楽が伝えるもの〉  イベント

午後1時半からシンポジウム〈「戦争/暴力」と人間ー美術と音楽が伝えるもの〉。
あいにくの天候にもかかわらず、大勢の方にご来場いただきました。

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共催の音筆舎は、広島の原爆を扱った音楽を研究されている能登原由美さんの立ち上げた団体。能登原さんとはこれまで、日本平和学会や広島大学、米国の日本文学研究会などで一緒に発表する機会が多かったのですが、今回は「美術」と「音楽」の領域を横断しながら、「戦争/暴力」と表現の問題をさらに深めて考えることができないかという提案をいただき、シンポジウムが実現しました。

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はじめに映画『原爆の図』(1953年、今井正・青山通春監督、音楽を担当した大木正夫は、その後交響曲第5番「ヒロシマ」、第6番「ベトナム」を作曲)を上映。
「戦争画」をはじめ現代美術における戦争表現の紹介を続けている飯田高誉さんと、現在ベトナムで音楽研究を行っている加納遥香さんにも発表していただき、何より、全体を俯瞰しながら的確に議論を導く柿木伸之さんのコメントが、シンポジウムを引き締めてくださいました。

この企画は一回限りでなく継続して行っていく予定で、いずれ記録として残していくことも検討中です。
出演者の皆さま、そしてご来場くださった皆さま、どうもありがとうございました。
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2018/8/6

丸木美術館ひろしま忌  イベント

8月6日は丸木美術館ひろしま忌。
今年も暑いなか、大勢の方が来館してくださいました。

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NHK「ごごラジ」キャスター石垣真帆さんとは、さいたま局や名古屋局のラジオ番組で何度もお世話になり、もう10年ほどのおつきあいになるでしょうか。さすがに本職、安定感のあるトークと、絵本『おきなわ島のこえ』、『とうろうながし』の美しい朗読で、若者たちを中心に人気を集めていました。

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司修さんの講演「戦争と芸術」は、寺田政明や井上長三郎ら新人画会の画家たちの肉声を録音したインタビューを紹介しながら、戦争の時代を生きた画家たちの思いを語る内容でした。最後の質問で、藤田嗣治再評価のはらむ危険性について語ってくださったことも印象に残りました。

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西日本ツアー中にもかかわらず大移動で出演してくれた太鼓集団響の演奏も素晴らしかったです。彼らの母校である浦和商業高校定時制の記録映画『月あかりの下で』を撮影した太田直子監督も駆けつけて、「ひろしま忌の集い」でご挨拶をしてくださいました。

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そして、昨年は夕立のため中止になったとうろう流しは、今年も雷雨の予報で危ぶまれましたが、何とか無事に行うことができました。幅広い世代の方々が、手作りのとうろうを都幾川の流れに浮かべ、平和への祈りを捧げました。

ご来場された方々、ボランティアの皆さま、どうもありがとうございました。
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2018/8/5

ひろしま忌準備  イベント

明日は丸木美術館ひろしま忌
午後に雷雨の予報も出ていますが、ボランティア部隊はとうろう流しの準備を整えました。
どうか好天に恵まれますように。

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【スケジュール】
●午前中〜 とうろう作り
●13:00〜 丸木美術館クラブ・工作教室
 案内人:万年山えつ子(画家)&石塚悦子(画家)
● 14:30〜15:00 石垣真帆さん 絵本朗読
 NHKラジオ第1放送の番組「ごごラジ!」でパーソナリティをつとめている石垣真帆さんが、沖縄と広島を舞台にした戦争絵本の朗読を行います。
●15:15〜16:30 司修さん(画家・小説家) 講演「戦争と芸術」
 『戦争と美術』(岩波新書)などの著書によって、芸術家と戦争の問題を深く考察し続けてきた司修さんに、お話を伺います。
※講演を予定していた窪島誠一郎さん(無言館館主・作家)が体調不良で入院されたため予定変更となりました。
●16:45〜17:15 太鼓集団 響 公演
 2008年に廃校になった埼玉県立浦和商業高校定時制の太鼓部を前身に、現在、本庄市を拠点に国内外で活動を続ける太鼓集団響の公演です。
●17:30〜17:45 ひろしま忌の集い
●17:45〜 とうろう流し

・入館料800円 高校生以下無料
・朗読・講演(14:30〜16:30)は丸木美術館1階新館ホールにて。
・参加費1000円(入館料別途)となります。
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2018/7/21

丸木ひさ子絵本原画展作家トーク  イベント

丸木ひさ子さんの絵本原画展『てっちゃんのたんじょうび』の作家トーク。
ひさ子さんの故郷であり、丸木俊の故郷でもある北海道・秩父別を舞台にした心あたたまる物語について、1時間ほどお話をお聞きしました。

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『てっちゃんのたんじょうび』は春の田植えの季節。
そして続編の『てっちゃんのゆきすべり』は冬の豪雪の季節。
どちらも、自然とともに生きる人びとの暮らしを絵で伝える、民俗資料のような絵本です。
馬の蹄鉄屋さんや畳屋さん、映画館などが並ぶ町なみの描写にも目を惹きつけられます。
それは、作者の育った1960年代の秩父別であり、家族たちから話を聞いた少し昔の光景も取り入れているのだそうです。

観客からは、ぜひ他の季節の絵本も描いてほしい!というリクエストの声もあがっていました。
続編、実現するのでしょうか。
期待しながら、じっくり待ちたいと思います。
 
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2018/6/23

1950年代幻灯上映会「平和特集」  イベント

毎年恒例の丸木美術館1950年代幻灯上映会。
今年は「平和特集」ということで、生誕100年を迎えた鈴木賢二が手がけた幻灯2本を含めた3本立てのプログラムでした。
企画・作品解説は、おなじみ気鋭の映像研究者・鷲谷花さん。
いつも興味深い企画をありがとうございます。

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以下、鷲谷さんによる概説と作品解説です。

【概説】

1952年4月のサンフランシスコ講和条約発効後に本格的に高揚した反戦・平和運動において、映画よりも携帯性が高く操作の簡単なうえに、スクリーンに鮮明な映像を大きく映し出せる幻灯(スライド)は、使い勝手の良い映像メディアとして広く活用されました。イラストレーション、写真、人形劇、影絵など、さまざまな手法を駆使した反戦・平和幻灯が作られていますが、今回は北関東造型版画運動の中心となった版画家・彫刻家の鈴木賢二が作画した影絵幻灯2点と、ベルトルト・ブレヒトの写真詩集『戦争案内』の幻灯版を、岡崎弥保さんの朗読により、オリジナルフィルムと幻灯機を用いて上映します。

【上映作品解説】

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『インディラ物語 象トンキーの死』(1952年)
製作:日本幻灯文化株式会社
作:スズキケンジ(鈴木賢二)
フィルム提供:神戸映画資料館
1943年に上野動物園で殺処分された象の実話に基づく影絵幻灯。同じ実話を基にした創作としては、1951年初出の土家由岐雄の童話『かわいそうなぞう』が名高いが、実際の上野動物園の象の殺処分は、連合軍による日本本土空襲が本格化するより以前の出来事だったにもかかわらず、空襲下の出来事であるかのように物語られる時系列のずれは、『かわいそうなぞう』と本作とに共通している。一方、戦時中の殺処分以来、象が不在だった上野動物園に、1949年9月にインドから贈られた象インディラが、殺されたトンキーの物語を、当時を知る飼育係のおじさんから聞かされるという枠物語は本作のオリジナルであり、上野動物園へのインディラの贈呈が、戦争の犠牲となった象たちの記憶が掘り起こされるきっかけとなったことを伺わせる。

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『ヒロシマの子供たち』(1952年?)
製作:日本教職員組合
絵・文:スズキケンジ
フィルム提供:神戸映画資料館
幼時に被爆した少年の原爆症による死を物語りつつ、反戦を訴える影絵幻灯。一般には火傷の瘢痕を指す「ケロイド」の語が、独自の解釈で用いられていることなど、正確な事実に即しているとは言いがたい描写も含まれる。『原爆の図』や絵本『ピカドン』の影響が伺われる構図が散見されるほか、ラストシーンは清水宏監督『蜂の巣の子供たち』(1948年)に類似しており、同時代の原爆に関するさまざまな情報・表現の再利用から成り立つ作品ともいえる。

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『戦争案内』
原作:ベルトルト・ブレヒト
編集:関西幻灯センター 古志峻・田窪清秀・高原宏平
製作:日本幻灯文化株式会社
版権所有:ドイツ民主共和国ベルリン オイレン・シュピーゲル社
フィルム提供:神戸映画資料館
ベルトルト・ブレヒトによる、第二次世界大戦時の新聞・雑誌報道写真の切り抜きを集め、それぞれに短詩を付した写真詩集『戦争案内 KRIEGFIBEL』(1955)の幻灯版。翻訳・編集は関西国民文化会議「ドイツ・グループ」のメンバーが担当した。『戦争案内』の日本語による紹介としては、本作が最初の試みであるといえるが、オリジナルの写真詩集から、約半数にあたる38コマを抜粋して再構成したダイジェスト版となっている。

※本プログラムはJSPS科研費18K02022「近現代日本の社会運動組織による「スクリーンのメディア」活用の歴史・地域的展開」(研究代表者:鷲谷花)の助成による
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2018/20180623magic_lantern_leafret.pdf

今回の朗読は、絵本『ひろしまのピカ』などの朗読でおなじみ、俳優・語り手の岡崎弥保さんにお願いしました。
安定感のある澄んだ朗読は、幻灯上映の魅力をいっそう引き出していました。
ご来場くださった皆様に、心より御礼申し上げます。

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2018/5/5

丸木美術館51周年開館記念日 寺尾紗穂ライブ(ゲスト原田郁子)  イベント

快晴に恵まれた丸木美術館51周年開館記念日。
今年も大勢の方が東松山まで足を運んでくださいました。
ボランティアの皆さんといっしょに準備した旗や鯉のぼりが、風に吹かれてはためきます。

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美術館の庭では、地元の新鮮な食材などを使った出店がならび、賑わっていました。

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八怪堂では、画家の万年山えつ子さんが、どんぐりを使って小さなマラカスを作るワークショップ。大人も子どもも楽しそうに参加していました。

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午後1時からは、新館ホールで開館記念日の集い。司会は俳優・語り手の岡崎弥保さん。
小寺理事長の挨拶、岡村の「原爆の図保存基金」中間報告のあと、今年2月に亡くなられた石牟礼道子さんが丸木美術館について記された文章「妣たちの国のこと」を朗読してくださいました。

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今年の催しは、シンガーソングライターの寺尾紗穂さんのライブです。
熱心な若いファンが、開場前から列をつくって待機していました。
前半は単独ライブで、伸びやかな歌声と美しいピアノの音色が美術館じゅうに響いていきました。時おり、その歌声に、窓の外から聞こえてくる鳥の声が溶け合っていました。
寺尾さんと森の鳥たちの共演です。

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音に誘われて、ライブを知らずに美術館に来ていた人たちも、続々と入場してきました。
気がつけば、150席ほど用意した会場は満席となっていました。

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休憩をはさんで後半。クラムボンのボーカリストとして若者の人気を集める原田郁子さんがゲストで登場です。
おふたりの対談では、それぞれの丸木夫妻作品との出会いや思いを語ってくださいました。

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続いて、寺尾さんによる絵本『ひろしまのピカ』朗読。
原田さんのピアノ演奏とのコラボレーションは絶妙でした。
感情をやや抑え気味にして、たんたんと読み続ける寺尾さんの声に、観客は次第にひきこまれていきます。
その声が、ふっと途絶えたのは、主人公のみいちゃんが原爆を生き延び、死者を悼む灯ろうに「おとうさん」と書く場面でした。
涙をこらえきれない寺尾さんを、原田さんのピアノの音がやさしく支えていました。

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寺尾さんは、今回、「原爆の図保存基金」にも応援のメッセージを送って下さいました。

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 忘れられている歌ですが、丸木美術館のある東松山には美しい蛍の歌があります。東松山に限らず日本中あちこちで美しい歌が忘れられています。価値あるものをいかに残していくのかということが、その時代の人間に問われているのだと思います。戦渦を伝える報道にも不感症が広まっていると聞きますが、感じることを切実に求められる時間、戦争を知らない人々が「原爆の図」と対峙する時間が、未来にも残っていってほしいと思います。

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その知られざる東松山の蛍の歌を、寺尾さんが歌って下さいました。
原田さんは、丸木俊の愛用した和太鼓を歌にあわせてたたき、会場の皆さんをリードしながら「ほ、ほ、ほたる来い」と声をそろえて歌います。

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ふたりの共演「青い闇をまっさかさまに落ちていく流れ星を知っている」は圧巻でした。
天窓から差しこむ自然光が舞台をやわらかく照らし、歌声がどこまでも、ずっと空高くのぼっていくようでした。

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ピアノの譜面台の上には、原田さんが本橋成一写真集『ふたりの画家』を置いていました。
今日はふたりもここにいらっしゃいます、とはじめに言って、丸木夫妻の写真を表側にして、ずっとピアノを弾いて下さっていました。

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丸木美術館に初めて来たという若い世代の方たちから、寺尾さん、原田さんを初めて知るシニア世代まで、幅広い層の方々がライブを楽しんでいた様子が伝わってきて、それが何よりも、嬉しかったです。

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最後の写真は、公演後、控室の小高文庫でくつろぐ原田さんと寺尾さん。
本当にありがとうございました。
そして、Kさんはじめ素晴らしい音響チームと、この企画を提案してくださった富山のY子さんにも、心から御礼を申し上げます。
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2018/4/11

5月5日丸木美術館開館記念日のお知らせ  イベント

5月5日開館記念日のお知らせです。
今年はミュージシャンの寺尾紗穂さんと原田郁子さんが出演します。

寺尾さんは『あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々』などの著作があり、昨年末から今年はじめにかけて朝日新聞紙上で、福島県立博物館の赤坂憲雄館長と往復書簡をされました。原田さんは沖縄戦を描いた舞台「cocoon」の音楽制作を担当されています。どうぞご期待下さい。

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【当日のスケジュール】
〇12:00〜 丸木美術館クラブ・工作教室
 あっと驚くものを使って、楽しい工作をするよ
 案内人:万年山えつ子

〇13:00〜13:30 開館記念日の集い
 司会・朗読:岡崎弥保(俳優・語り手)

〇13:30〜16:00 寺尾紗穂ライブ(ゲスト・原田郁子)
 音楽活動と並行して、戦争体験者や原発労働者など、聞き書きによる執筆も続けるシンガーソングライター、寺尾紗穂が弾き語りライブを行う。今回は、新進の演出家、劇団マームとジプシーの藤田貴大が沖縄戦を描いた舞台「cocoon」の音楽制作を担当した原田郁子をゲストに迎えて、丸木美術館のピアノを鳴らす。戦前の南洋パラオを調べる中で丸木俊に出会った寺尾と、幼少期に丸木夫妻の絵本に触れていた原田によるトークも予定している。

〇16:30〜17:30 交流パーティ
 どなたでも参加いただける交流パーティです(参加費500円)

※13時〜16時のイベントは参加費1000円となります(入館料別途、高校生以下入館無料)。
www.aya.or.jp/~marukimsn/top/0505.html

【当日の交通案内】
〇美術館送迎車
 東武東上線森林公園駅南口発→丸木美術館 11:00 12:00 13:00
 丸木美術館発→東武東上線森林公園駅 10:45 11:45 12:45 16:00 パーティ終了後
 ※乗車定員を超える場合、しばらくお待ちいただきます。

〇その他の交通
 つきのわ駅南口より徒歩30分(駅窓口で地図がもらえます)
 森林公園駅南口よりタクシー(約10分)

〇お車でのご来館は
 関越自動車道・東松山インターより小川方面へ約10分

【出演者プロフィール】
寺尾 紗穂(てらお・さほ)
 1981年11月7 日東京生まれ。 2007年ピアノ弾き語りによるアルバム「御身」が各方面で話題にな り,坂本龍一や大貫妙子らから賛辞が寄せられる。大林宣彦監督作品 「転校生 さよな らあなた」、安藤桃子監督作品「0.5ミ リ」などに主題歌を提供。2015年アルバム「楕円の夢」を発表し、路上生活経験者による舞踏グループ、ソケリッサとの全国13箇所をまわる「楕円の夢ツアー」を行った。また、2010年より毎年青山梅窓院にてビッグイシューを応援する音楽イベント「りんりんふぇす」を主催、のべ1600人の来場者にビッグイシューを配布した。アルバム「私の好きなわらべうた」では、日本各地で消えつつあるわらべうたに独自のアレンジを試みて、「ミュージックマガジン」誌の「ニッポンの新しいローカル・ミュージック」に選出される。
 活動はCM音楽制作(ドコモ、無印良品、森永など多数)やナレーション、書評、エッセイやルポなど多岐にわたり、連載も多い。著書に『評伝 川島芳子』(文春新書)、『原発労働者』(講談社現代新書)、『南洋と私』 (リトルモア)、最新刊に『あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々』(集英社)がある。  昨年6月に最新アルバム「たよりないもののために」を発表。8月に伊賀航、あだち麗三郎と結成したバンド「冬にわかれて」の7インチ「耳をすまして」もリリース、 坂口恭平バンドへの参加など活動の幅を広げている。

原田 郁子(はらだ・いくこ)
 福岡生まれ。1995年にスリーピースバンド『クラムボン』を結成。歌と鍵盤を担当。バンド活動と並行して、さまざまなミュージシャンと共演、共作、ソロ活動も精力的に行っており、2004年に「ピアノ」、2008年に「気配と余韻」「ケモノと魔法」「銀河」の4枚のソロアルバムを発表。2010年、吉祥寺のイベントスペース&カフェ『キチム』の立ち上げに携わる。2013年&2015年、劇団『マームとジプシー』の公演「cocoon」の音楽を担当。
 クラムボンとしては、2015年、結成20周年を機にメジャーレーベルから独立、自身のレーベル「トロピカル」よりミニアルバム「モメントe.p.」を発表し、流通を通さずライブ会場限定CDにサインをして一人一人に手渡ししていくという”直売ツアー”を行う。更に活動に賛同してくれる店舗への販売を募集し、ジャンルを問 わず200店舗以上で取り扱いを行うという新しい広がりを見せている。2017年、クラウドファンディングにて「映画監督・岩井俊二氏による日比谷野外音楽堂ライブの映像化」を呼びかけ、200%の達成率で実現した。2017年6月、「モメントe.p2」を発表、ツアーを開催。2018年6月より、「モメントe.p.3」の発表、3度めの直売「モメントツアー」を予定している。引き続き、販売店も募集中。
http://www.clammbon.com/
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2017/12/16

ノーベル平和賞受賞記念川崎哲さん講演会「核兵器禁止条約で変わる世界」  イベント

ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)国際運営委員の川崎哲(あきら)さんをお迎えして、ノーベル平和賞受賞記念講演会「核兵器禁止条約で変わる世界〜日本はどうする〜」を開催しました。

ノーベル平和賞授賞式から前日に帰国したばかりという川崎さん。
講演を依頼したのはノーベル平和賞発表前の9月だったので、その後激変した状況の中で、本当に来られるのかという不安もあったのですが、約束通り、帰国後最初の講演に駆けつけて下さいました。

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会場には大勢の方が集まり、盛大な拍手で川崎さんを迎えました。

川崎さんは、ノルウェー・オスロでのノーベル平和賞授賞式の様子を詳しく報告した後、核兵器禁止条約の意義とICANの果たした役割について、論理的かつ明快に話して下さいました。

以下に、核兵器禁止条約の話を中心にした川崎さんの講演の抄録をまとめます。

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ノーベル平和賞受賞は、広島・長崎の記憶を伝えてきた市民の取り組みが受賞の土台になった。受賞最初の講演をこの場所でできることは光栄だ。

ICANは、国家間の情報収集や交渉の調整・提案を行い、核兵器禁止条約の締結を実現させた。
7月に締結された条約には、国連加盟190ヵ国の2/3に近い122ヵ国が賛成した。
世界では、圧倒的多数の国が核兵器は未来永劫不要だと思っている。
核保有国は9ヵ国、米国と同盟関係にあるのが約30ヵ国、合わせても約40ヵ国。
日本政府の立場は少数派だ。

オランダは唯一の反対投票をしたが、参加した点は評価できる。
オランダはICANの活動が活発で、議会を動かした。
最終的にNATOとの関係から反対票を投じたが、日本政府は参加すらしない。

条約成立のとき、サーロー節子さんは「これは核兵器の終わりのはじまりである」と述べた。
前文には、核実験被害者、先住民族、女性の存在を踏まえ、「いかなる核兵器の使用も国際人道法違反である」と明言されている。自衛などの例外はない。

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条約は、核兵器の製造、保有、持ち込みを禁じている。日本政府が非核三原則を守るなら障害はない。使わない、威嚇しないという条項もクリアできる。
問題は、援助・奨励・勧誘しないという条項だろう。米国の核の傘の下に守られているというのは、核使用作戦に参画しているということ。

「核保有国」という言い方をするが、使うために保有しているのだから「核武装国」だ。
世界には9つの核武装国があり、30の核武装協力国がある。
日本は北朝鮮の核武装には反対だが、米国の核武装に賛成という立場でいいのか。
米国の核武装に協力しないと言いきれるかどうかが問題だ。

条約は、核保有国が核を廃棄し、条約に入るまでの道も示している。
南アフリカは、かつて核兵器を保有していたが、90年代に廃棄し、国際機関の検証を受けて、その後は核廃絶を推進している。
私は北朝鮮がそうなれないかと考えている。北朝鮮の核問題があるから条約は意味がないと言う人もいるが、北朝鮮を核兵器廃棄の条約に参加させることこそ重要だ。

締約国は被害について医療的・社会的・経済的援助を行い、実験等によって汚染された環境を回復する義務もある。
日本には広島長崎の被爆者援護、福島の除染活動の歴史があるから、役割を果たすべき。

条約は50ヵ国が批准して発効する。
今は56ヵ国が署名し、3ヵ国が批准、4ヵ国目も国内承認まで進んでいる。
ICANの目標は、なるべく早く50ヵ国の批准を達成すること。
日本は核武装協力という基本姿勢が妨げになっているが、政府は直截に言わず、核保有国と非保有国の対立を助長するからダメだと言っている。
私は日本政府が核武装側に立って対立を助長させていると考える。
市民運動では、ヒバクシャ国際署名が515万ほど集まっている。

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今後は条約を周知させていくことが必要だ。
ノーベル平和賞の報道で注目されている今はチャンス。国会でも議論してほしい。
北朝鮮の加入を進めるためにも、専門家の知見を借りながら、条約の検証制度を強めていきたい。
金融機関・企業への働きかけも必要。核兵器製造に協力している企業や銀行は社会的な倫理違反であると呼びかけていく。かつてノーベル財団は核兵器製造企業に出資していたが、倫理規定を作って解消した。こういう動きが増えれば核兵器の資金調達が難しくなる。

北朝鮮が核兵器を持てば、日本にも核兵器は必要なのか。
それで北朝鮮は抑えられるのか。
「核には核」をという議論では、世界が核だらけになる。
それが安全だという考え方は、どうかしている。

米国は個人の権利として銃の保持を認めている。日本は銃を全面禁止している。
どちらが安全な社会か。米国が銃規制できないのは利権があるから。核兵器も同じ。

核兵器の物語には終わりがある。どのような物語かは私たち次第。
ICANのベアトリクス・フィン事務局長は「核兵器の終わりか、私たちの終わりか」と述べた。
サーロー節子さんは、広島で被爆し、奇跡的に助かった体験をもとに、「光が見えるだろう、そこに向かって這っていけ」と語った。
私たち自らが行動しなければ、状況を変えられない。

ノーベル平和センターでは、授賞式の翌日から、ICANの展示「Ban the Bomb(核兵器を禁止せよ)」がはじまった。
オスロの街にはその垂れ幕があふれている。
ノルウェー政府は条約に反対だが、ノーベル委員会は忖度しない。
ノルウェーでは条約に参加した場合どうなるかの論点整理を議会で行うことになったが、日本ではまともな議論の動きがない。その異常さをメディアも指摘して欲しい。

ICANは核兵器禁止条約という重要なツールを作り出した。日本は、被爆者や市民団体が運動をしてきた長い歴史があるが、自国の政府さえ動かせない。

奴隷制度も、女性の参政権も、最初から当たり前だったわけではない。
これは許されないと少数の人が言いはじめて、社会を変えた。
核兵器があれば、いつか使われる。使われれば人類が終わる。それが分かっていながら、仕方ないで片付けられる。
それはおかしいと声をあげて、行動しなければいけない。


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講演の後には、花束の贈呈も行われました。

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また、川崎さんのご著書である岩波ブックレット『核兵器を禁止する』の販売とサイン会も開催され、大勢の方が川崎さんにお祝いの言葉を伝えていました。

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お疲れの中、丸木美術館においで下さった川崎さんには、心から御礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。
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2017/10/28

丸木美術館 開館50周年の集い@埼玉会館  イベント

午後4時から埼玉会館小ホールにて、「丸木美術館 開館50周年の集い」を行いました。
ご来場いただいた皆さま、本当にありがとうございました。

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おかげさまで、台風の迫るあいにくの天候にもかかわらず、500席の会場は有料入場者458人、ボランティアスタッフや出演関係者、メディアのカメラ席を含めるとほぼ満席という大盛況でした。心より御礼を申し上げます。

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開演とともに、丸木夫妻の姿がスクリーンに映し出され、司会の岡崎弥保さんが丸木夫妻の言葉を朗読。
その後、幕間にも3回「原爆の図」の映像を投影し、岡崎さんが「絵解き」の一部を朗読しました。
ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」のプロムナードのイメージで、とお願いしたのですが、これはなかなかうまくはまりました。

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挨拶は小寺隆幸理事長。50周年の御礼を述べるとともに、谷本清平和賞受賞を報告しました。

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スペシャルトークは、おしどりのマコさんケンさん。福島の取材から駆けつけ、参加してくださいました。
吉本興業所属の漫才師らしく、軽妙なトークで会場を笑わせながらも、福島原発事故後の東京電力の記者会見に最多参加を続けるジャーナリストでもあるお二人は、知ること、知らせることへの強い意志を感じさせます。

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平和を歌う!コンサートはこんにゃく座歌役者の岡原真弓さんとピアニストの湯田亜希さん。
林光さん作曲の「新しい歌」や萩京子さん作曲の「きょうだいをころしに」などを力強く歌ってくださいました。

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客席から舞台に上がり、コンサートに参加して下さったこんにゃく座歌役者の太田まりさん。高畑勲さんの大ファンだそうです。

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プログラムの最後は、映画監督の高畑勲さんと、詩人のアーサー・ビナードさんの対談。進行役は岡村がつとめました。
アーサーさんは「原爆の図」の紙芝居に取り組み、これまでにも「原爆の図」についての重要な発言を何度もされていますが、高畑さんが公式の場で「原爆の図」を語るのは今回が初めてでしょう。ジャック・カロからゴヤ、ピカソ、藤田嗣治などの戦争画の系譜をふまえつつ、「原爆の図」について熱く語られていました。

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「原爆の図」のメッセージを正面から受け止めるアーサーさんと、絵画としての「野心」に懐疑的な高畑さん。おふたりのスタンスははっきりと違います。表現者として互いを尊重しあいながらも、意見をたたかわせる刺激的な対談となりました。

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何度も「破綻」しながら「原爆の図」の紙芝居に挑み続けるアーサーさんに、「私ならやらない」と間髪入れずに断言した高畑さん。しかし、破綻の先にこそ、新しいものが生まれてくるのかもしれません。

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閉会時間の超過が心配でしたが、最後は司会の岡崎さんがしっかりと締めて下さいました。
夜9時直前、最後の対談が少し長引いたものの、まあ許容範囲でしょう。

舞台裏はとにかく最初から最後まで必死でしたが、素晴らしい出演者の皆さんに助けられて、無事にイベントを終えることができました。
これからも、さまざまな試みを続けながら、丸木美術館の可能性を拓いていきたいと思いますので、引き続きご支援ください。
皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。
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2017/10/6

ICANノーベル平和賞受賞記念・川崎哲講演会「核兵器禁止条約で変わる世界」  イベント

ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞受賞のニュースに驚き、そして、とても嬉しく思いました。

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12月16日(土)午後2時から、丸木美術館で川崎哲さん(ICAN国際運営委員・ピースボート共同代表)の講演会「核兵器禁止条約で変わる世界〜日本はどうする〜」を開催いたします。

参加費1000円(入館料別途)。
お忙しくされている川崎さんが、無事に講演会に来てくださるのか、少し心配になってきましたが、どんなお話が聞けるか、楽しみです。
大勢の方の御来館を、心よりお待ちしています。
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2017/10/4

「丸木美術館開館50周年の集い」のお知らせ  イベント

10月28日(土)、浦和の埼玉会館で丸木美術館開館50周年の集いを開催します。

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丸木美術館 開館50周年の集い

対談「戦争と表現をめぐって」高畑勲(アニメーション映画監督)×アーサー・ビナード(詩人)
平和を歌う!コンサート 岡原真弓(こんにゃく座歌役者)・太田まり(こんにゃく座歌役者)・湯田亜希(ピアノスト)
スペシャルトーク おしどり マコ&ケン(漫才師・記者)


日時:2017年10月28日(土)午後6時開場 午後6時半開演
場所:埼玉会館小ホール(JR浦和駅西口徒歩6分)
前売:一般2500円 18歳未満1500円(10/17まで)
当日:一般3000円 18歳未満2000円
予約受付中 郵便振替口座00150-3-84303 原爆の図丸木美術館

埼玉新聞や朝日新聞埼玉版にも、イベント情報が掲載されました。

「火垂るの墓」の高畑勲監督ら対談 「原爆の図 丸木美術館」開館50周年、28日にさいたまで記念の集い
 ―2017年10月4日『埼玉新聞』
http://www.saitama-np.co.jp/news/2017/10/04/10_.html

丸木美術館の外へ出て、《原爆の図》を考えよう、そして知ってもらおうという試みです。
どうぞ皆さま、お誘いあわせの上、ご来場ください。
お待ちしています!!
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2017/10/1

キャラバン・ラ・バルラッカ公演「沖縄・日本・アメリカ」  イベント

このところ、毎秋恒例のイベントとなりつつあるキャラバン・ラ・バルラッカの公演。
今年は「沖縄・日本・アメリカ」がテーマでした。

いつもの通り、バラエティに富んだ出演者たちのパフォーマンスは見応えがあります。

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実力派、ギター弾き語りの斉藤ひろさんの重厚な歌声。

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劇団もっきりやの杉浦久幸さんと門岡瞳さんは、山之口獏や小熊秀雄の詩を中心に力強い朗読。丸木夫妻の作品と響き合います。

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今回、初登場のジャン・ユンカーマン監督は、映画『日本国憲法』の一部を上映しながら、沖縄が強いられている矛盾について語りました。

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そして、ゲルブ・アル・リシャット・アンサンブル(砂漠の音楽隊)。ヴォーカルの祥子さんのよく伸びる歌声を聴くのは、いつも楽しみです。

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二瓶さんのギター、田中さんのジャンベと歌声が溶け合い、哀しく切ない気持ちになります。

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そして最後は、ナチュラルライフを提唱する米国の作家でミュージシャンでもあるアリシア・ベイ=ローレルの弾き語り。

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♪昨日の夜 奇妙な夢を見た
 世界が戦争を止める夢
 大きな部屋で大勢が
 2度と戦わないとサインした
 何億のサインがコピーされ
 手をつなぎ頭をさげ祈り捧げた
 通りの人々は踊り出し
 銃と剣と軍服は捨てられた

とてもなめらかな日本語の歌声が、心に沁み込みました。

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アリシアさんは、最後に、この美術館に来て絵を観れば、人は誰も、それまでと同じ人ではいられなくなる、と感想を語って下さいました。

素晴らしい企画を作って下さった二瓶さんに感謝。
来年もまた、企画をしてくださる予定とのことですので、ぜひ、多くの方においでいただきたいですね。どうもありがとうございました。
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2017/9/23

西岡洋さんトーク「わたしの原爆体験と原爆の図展」  イベント

長崎で被爆を体験された西岡洋さんをお迎えして、「わたしの被爆体験と原爆の図展」と題するトークを行いました。

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西岡さんは1945年、長崎中学の2年生で原爆を体験されました。
以下は、その日に西岡さんが話された被爆体験の要約です。

8月9日は爆心地から約3kmの中学校の教室にいて、急に飛行機の上昇音が聞こえたために窓に駆け寄ろうとした途端、桃色か橙色の光の海に埋まったような感覚がしたそうです。
とっさに爆弾が落ちたと思い、目と耳を押さえて口を開け、床に伏せましたが、何の音もしないまま数秒が経過。級友に臆病者と笑われるのではないかと覚悟して起き上がった瞬間に、爆風で棚や窓硝子が吹っ飛んできました。級友たちが覆いかぶさってきたため、西岡さんは無傷でしたが、級友たちは血だらけになりました。
腰に下げた手ぬぐいで傷を手当てし、扉のなくなった教室から逃げ出して、外へ出ましたが、興奮のせいか熱はあまり感じなかったそうです。
不思議に感じたのは、出会う人たちが皆、自分の近くに爆弾が落ちたと語っていたこと。
遠くを見ると、爆心地には大きな火柱が上がっていました。原子爆弾を知らない当時の少年にとって、わからないことだらけの状況でした。

血だらけの赤ちゃんを抱いて歩いてくる母親、顔が半分なくなっているような人、火傷した腕をだらんと垂らして歩いてくる人、川のように傷ついた人たちが道を歩く中、山の手の方へ遠回りをして家に帰ったそうです。空はキノコ雲に覆われて薄暗く、太陽を指して「爆弾だ、逃げろ!」と半狂乱になって叫ぶ人もいたとか。
そんな状況でも西岡さんは、翌日、学校に登校しました。当時、大きな名誉であった無欠席を通したかったのだそうです。「学校が出席をとらなかったことが、何より残念だった」という少年の思いと現実とのギャップに、妙なリアリティを感じました。

先生や生徒を助けるためにスコップを持って爆心地へ行くよう指令を受けましたが、実際に行ってみると、救助なんてできるわけがないほどの壊滅的な状況。それでも報道管制で情報がなかったから、みんな口をつぐんでいたそうです。
新聞に「長崎に新型爆弾投下、損害軽微」と載ったことにも驚いたそうです。これが「軽微」なら、これまで新聞に載っていた各地の空襲の被害も、たいへんなものだったのではないかと、ようやく気がついたとのこと。
たいへんな数の死傷者を見続けていると感覚は鈍るが、ただひとつ、三菱球場の金網のバックネットがくしゃくしゃにゆがんで縮まっているのを見て、「これで戦争に勝つのか」と絶望的な気分になった、とおっしゃっていました。

そして、水を求める人びとの手を払いのけて歩き続けたことは、今も忘れられず、後悔とともに思い出すそうです。
春になると、「草木も生えない」と言われた長崎に、緑が芽吹いてきて嬉しかった。無傷や軽傷の人がどんどん死んでいくのが怖かった。自分は歯ぐきから出血はあったが、原爆症かどうかはよくわからなかった。体に斑点ができる人、髪の毛が抜ける人、いくつか生死の分岐点があり、回復に向かう人もいれば、そのまま死んでいく人もいた……。

それでも西岡さんは生き残り、東京都立大学へと進学します。
そこで「原爆の図展」と出会って、首都圏を中心に展覧会に帯同しながら、みずからの被爆体験を語っていくことになるのです。

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西岡さんの「原爆の図展」についての回想は、2010年10月26日に聞き取りをしているので、そのときの日誌をご覧ください。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1494.html

被爆から10年もたたないうちに体験を語ることには、勇気がいったのではないか、ためらいはなかったのでしょうか、とお聞きしたところ、それはなかった、と力強く応えた西岡さん。
後にアメリカで被爆体験を語られるなどの精力的な活動をされた源には、その気丈さがあったのでしょう。
幸い、家族に深刻な被害がなかったことも、体験を語りやすかった理由ではないか、というのは、会場にご一緒してくださった西岡さんのお連れ合いからの補足でした。

貴重なお話を聞かせて下さって、どうもありがとうございます。
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2017/8/12

人工知能美学芸術研究会「人工知能と軍事」  イベント

人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)第8回研究会「人工知能と軍事」を開催。
AI美芸研を主宰する中ザワヒデキさんの「8月15日付近に丸木美術館で人工知能と軍事について考えたい」という持ち込み企画で、午後2時から6時半までホールで一般公開の研究会を行い、その後午後9時まで美術館に隣接する古民家・野木庵で懇親会を行いました。

懇親会では、先方の希望もあって、丸木美術館のイベントなどでお店を出して下さるチャンドラ・バザールさんに、地場産の野菜などを使った料理を用意して頂きました。

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丸木美術館で企画するイベントは、どうしても傾向が似てしまうので、たまに異なる趣旨のイベントをするのは悪くない、と個人的には思いまあす。
まったく違う発想からこの場所や作品の意味を再考することができるからです。
ただし、やっぱり疲れるし、摩擦も起きるから、「たまに」の範囲にとどめたいところ。

3時間を超える研究会の内容は、AI美芸研が動画で記録していたから、興味のある方は見ることができます。

1/3 http://www.ustream.tv/recorded/106806833
2/3 http://www.ustream.tv/recorded/106809176
3/3 http://www.ustream.tv/recorded/106811472

ふだんの丸木美術館における、ある種の蓄積や「共通認識」がない研究会は、聞いていてハラハラすることもありました。

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「せっかく丸木夫妻の絵に囲まれて話をしているのだから、絵の話を聞いてみたい」と発言したのは、脳科学者の茂木健一郎さんでした。
椅子に座って他人の話を聞くのではなく、自由に立ち歩き、せわしなく体を動かし、何度も丸木夫妻の絵を見上げる茂木さんの姿は、ちょっとユーモラスでした。

後で聞いたのですが、20年ほど前の理化学研究所時代に、何度か丸木美術館を訪れているのだそうです。丸木スマの絵が好きらしいということは以前から知っていましたが、丸木夫妻の絵にも関心があるとは、初めて知りました。

全体の討論が終わり、最後の挨拶の中で、茂木さんのリクエストに応えるように、丸木夫妻の絵について少し話しました。

   *   *   *

この会場にある絵には、(今回の研究会の発言を借りれば)「不要」と見なされた人たち、つまり殺してもいいと誰かに思われた人たちの姿ばかりが描かれている。
丸木夫妻は命をかけて、その人たちの側に身を置き、表現活動を行なった。
今日の討論と会場の雰囲気にズレがあったとしたら、それは丸木夫妻の絵の力だと思う。

人間が人間を殺すのとAIが人間を殺すのはどちらが良いかと問われると、それはわからない。
けれども兵器の進化は、人間が人間を殺すことの痛みをいかに遠ざけ、効率良く大量の殺戮を行えるかという発想のもとに続いてきた。
刀より爆弾、核兵器……その延長線上にAIの軍事利用があるならば、答えはすでに絵の中にある。

死を想え。
殺されていく側の死を想え。

20年前に初めてこの美術館に来たときには、心のどこかで、時代に取り残された絵だと感じていた。けれども今は、丸木夫妻の絵を古いとは思わない。
むしろ、私たちは二人の想像力の射程の中に生きている。今日の議論を聞いて、あらためてそう思った。これから先も、古びることはない。
歴史に残る芸術とは、そういうものだと思う。

   *   *   *

こんな感じで、穏やかに話したつもりですが、文字に起こすと、やっぱり少し心がざわついていたのかもしれません。

せっかく初めて丸木美術館に来る、そして初めて《原爆の図》を観る人たちが多かったから、AIと芸術の文脈だけでなく、丸木夫妻がこの土地に根を下ろして何を表現しようとしてきたか、そしてこの美術館が50年かけて何を積み重ねてきたのかに関心を向けてほしいと思いました。
その思いがどれだけの人に通じたのかはよくわかりませんが、研究会の後で声をかけてくれる人たちはいました。

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茂木さんとは、《原爆の図》の前でしばらく話し込みました。
あまり茂木さんのことは知らなかったので、丸木美術館に強い親近感を示してくることが、少し意外で、驚きました。

企画して下さった中ザワさん、草刈ミカさんには、心から感謝。
この日の経験は、時間をかけて自分の中でも消化していきたいです。
貴重な機会を、どうもありがとうございました。
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