2013/10/12

佐野市立吉沢記念美術館「田中正造をめぐる美術」展  館外展・関連企画

本日より、佐野市立吉澤記念美術館にて、「田中正造翁没後百年顕彰事業 特別企画展 田中正造をめぐる美術」がはじまりました(会期は11月24日まで)。

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この展覧会には、丸木夫妻の「足尾鉱毒の図」(太田市蔵)から、第1部《足尾鉱毒》、第4部《女押し出し》が展示されるほか、木版画家・小口一郎の連作《野に叫ぶ人々》、塚原哲夫《谷中村の田中正造》など、正造を主題にした作品が展示されます。
また、正造の描いた《墨竹図》や、彼が師事したという小堀鞆音の《墨竹図》も展示されるとのこと。

会期中の10月26日(土)午後2時からは、特別講演会「丸木位里・俊が見た足尾鉱毒」が行われます(定員70名、参加無料、申込先着順、10月20日〆切)。
講師は田中正造大学事務局長の坂原辰男さんと岡村です。
坂原さんは、実際に足尾鉱毒の図のモデルも務めるなど、丸木夫妻の足尾の仕事を間近にご覧になっている方なので、私も勉強をさせて頂きます。
私の方は、人生の最晩年に手がけた「足尾鉱毒の図」に至るまでの丸木夫妻の共同制作の歩みをご紹介する予定です。
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2013/8/31

和泉舞独舞公演「原爆の図 第六部 原子野」  館外展・関連企画

夕方6時半から、町田市の勝楽寺にて、和泉舞さんの独舞「原爆の図 第六部 原子野」を鑑賞しました。

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和泉さんは、原爆の図全15部作の舞踏化をライフワークにされている舞踏家です。
一昨年、「3.11」を機に、6年ぶりに第4部「虹」の公演を行って以来、今回が3年連続の公演となります。

和泉さんの舞踏は、丸木夫妻の共同制作をベースにしながらも、多くの方の原爆体験に耳を傾け、資料を読み込み、それらのなかから浮かび上がる物語を抽象化して身体表現に結びつけています。光や音を効果的に使いながら、舞踏としては物語性を感じさせるつくりになっているのも特徴です。
しかし、今回の《原子野》は、原爆の図のなかでも、とりわけ物語化の難しい作品だったのではないかと思います。
何しろ描かれているのは、原爆によって破壊され、何もかもなくなってしまった「原子野」の虚無。黒い墨が何層にも重なって、深い闇を表現しているのです。

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第1幕 原子野
第2幕 差別・フラッシュバック
第3幕 祈り仰ぐ空に星光り

3幕で構成された舞踏は、琵琶と三味線・フルートの生演奏が効果的に使われていました。
全身を焼かれた女性が襤褸のような衣服をまとって彷徨い歩く様子を表現した和泉さんの舞踏も、いつもながら真に迫るものでした。

原爆投下から7年後の1952年に描かれた原爆の図第6部《原子野》は、「広島は、今でも人の骨が地の中から出ることがあるのです」という言葉が添えられているとおり、画面左側の白骨の描写によって、「原爆の図」シリーズのなかで初めて、現在(描かれた時代)と過去(原爆投下)、という二つの時間が表現された作品でもあります。
和泉さんは、そうした複数の時間の重なりをさらに広く拡大させ、「3.11」後の視点――広島・長崎から福島への連続性を今回の舞踏のなかに取り入れていました。

また、「原子野」という地上の闇からはじまり、最後に視線を引きあげて、夜空という闇に輝く星(宮澤賢治作詞作曲『星めぐりの歌』)で幕を閉じるという構成にも、工夫を感じました。

和泉さんご本人による報告は、WEBマガジン「地の木々舎」の、和泉さんと岡村の往復書簡の第105号(2013年9月上期編成分)に掲載されていますので、どうぞご覧下さい。
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2013-08-23-10
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2013/8/24

神奈川県立近代美術館葉山「戦争/美術」展小沢節子さん講演会  館外展・関連企画

神奈川県立近代美術館葉山で開催中の「戦争/美術 1940-1950 モダニズムの連鎖と変容」展。その関連企画として開催された近現代史研究者の小沢節子さんの講演会を聞きに、展覧会に足を運びました。

波の音が心地よい美しい海辺の美術館です。
海水浴客の声が、潮風に乗って聞こえてきます。

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展覧会は、基本的には1940年(実際には山口蓬春の《立夏》など、1935年頃)からはじまり、時間軸に添って1950年(こちらも実際には朝井閑右衛門の《電線風景》が描かれた1960年)までの作品が紹介されていくという構成。
戦争に翻弄されながら、美術家たちの表現はどのように展開されていったのか……といっても、戦時=抑圧、戦後=解放という従来考えられてきた分断の歴史ではなく、1940年代の表現の連続性を再考するという内容でした。
そして、そんな複雑かつ豊饒な可能性を秘めた時代の結実として位置づけられるのが、丸木夫妻の《原爆の図》というわけです。

もっとも、1940年代を象徴する作品を網羅的に回顧するというわけではなく、同館のコレクションの根幹を形成する松本竣介、朝井閑右衛門、麻生三郎、鳥海青児、山口蓬春などの作品を軸としているので、1951年に開館した神奈川県立近代美術館の文化的背景を見つめなおす、という意味が大きいのかも知れません(丸木夫妻も当時、葉山にほど近い藤沢市の片瀬で《原爆の図》を制作していました)。

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小沢節子さんの講演内容については、10月発行予定の『丸木美術館ニュース』第115号にて抄録を掲載する予定ですが、印象に残ったのは、副題で「モダニズムの連鎖と変容」と記されたこの展覧会の本質を、「表現の連続性と思想の非連続性」という言葉で論じられていたことでした。
1945年8月の敗戦をきっかけにして、作者の意識は当然のように断絶/変容していくのですが、意識下の表現の世界では連続している。それはもちろん、《原爆の図》を描いた丸木夫妻にも言えることです。作者の言葉を読むことは大切だけれども、それだけに引きずられるのではなく、言葉によらない/作者の意図を超えた無意識の表現こそが、絵画の面白さである、という指摘は、この時代を考える上では、とりわけ重要な問題であるように思いました。

また、小沢さんが挙げられていた今展の問題点に「ジェンダー&ポストコロニアルな視点の欠落」があったことも記憶しておきたいところです。
前後期の展示替えをあわせて198点の出品作品のなかで、女性作家は丸木俊(赤松俊子)ただひとり。その丸木俊も、神奈川県立近代美術館所蔵の作品は1点もありません。
これは同館の意識の問題というよりは、従来形成されてきた美術史がいかに男性中心的な視点であったかの表れなのだと思います。
そして1940年代という時代が、植民地主義/帝国主義に深く関わる時代でありながら、今展に「支配される側」の視点からの作品がほとんどなかったということも、やはり従来の美術史がいかに中央主義的な視点であったかを、考えさせられました。
小沢さんはその今展の欠落を辛うじて埋める存在として丸木俊の仕事――とりわけ、当時の「南洋群島」パラオで現地の人々と心を通わせながら制作した一連の作品を評価されていましたが、そうした評価は今後もさらに重要度を増してくるのではないかと思われます。

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同様の意味で、今展の出品作のなかでは、鳥居昇という画家の描いたチマ・チョゴリをまとった《老婆像》が新鮮な発見でした。鳥居の経歴については私はほとんど何も知らず、ただ1943年という時代にとても温かい視線で朝鮮人女性をモデルに油彩画を描いた画家がいたということに驚きを感じたのですが、会場の展示解説や図録に、そうした周辺情報が紹介されていると、よりありがたいとは思いました(水沢館長が図録の論考で触れられていた、靉光と丸木夫妻の表現の連続性も展示を見るだけでは簡単には感じとれないし、版画家の上野誠が1952年に原爆の図新潟巡回展を組織した際に制作したポスター《戦争はもういやです》が原爆の図とならんで公開されるのはおそらく初めてのことではないかと思うのですが、そうした説明も一切ありません)。
年譜のなかにもぐりこんでしまったかのように、ほとんど最低限の年号表記しかないシンプルな会場構成は、それはそれで斬新だとは感じたのですが……。

展覧会は、8月27日(火)から10月14日(月/祝)まで後期展示が行われます。
原爆の図は、前期に展示されていた第1部《幽霊》、第3部《水》が27日に丸木美術館に返却され、修復を終えてこの日に葉山へ直接搬入された第2部《火》、第4部《虹》が後期展示として公開されます。
私も後期展示を観に、もう一度足を運んでおきたいと思っています。
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2013/7/30

ポレポレ坐「炭鉱から」萩原義弘×本橋成一写真展  館外展・関連企画

今回の「坑夫・山本作兵衛の生きた時代〜戦前・戦時の炭坑をめぐる視覚表現」展において、たいへんお世話になった写真家の本橋成一と萩原義弘さんの写真展「炭鉱から」が、東中野のポレポレ坐ではじまりました(8月10日まで)。

お二人とも炭鉱写真で写真家としてデビューしたというつながりがあり(本橋さんは筑豊、萩原さんは夕張)、萩原さんのお話によれば、まだ学生だった萩原さんが夕張の炭鉱写真の展覧会を開催した際、当時の著名な写真家に片端から案内状を送ったところ、唯一会場に足を運んでくれたのが本橋さんだったというのです。
本橋さんのお人柄をあらわす逸話ですが、そんな出会いから30年ほどの歳月がたち、お二人が時を超えてお互いのデビュー作をならべて展示するというのも、また、心の温まる企画ですね。

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初日のこの日は、午後7時からオープニングイベントとして、本橋さん、萩原さんに正木基さんを交えて、トークが開催されました。
私は丸木美術館の仕事を終えてから駆けつけたので、トークは終わりの方しか聞くことができなかったのですが、その後に行われたオープニングパーティでは、久しぶりに古い野球チーム仲間の歌手(上々颱風)・白崎映美さんに再会し、イラストレーターの山福朱実さんにも初めてお会いできて、とても楽しい時間を過ごすことができました。
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2013/7/8

「戦争/美術 1940-1950」展図録  館外展・関連企画

神奈川県立近代美術館 葉山で7月6日から開幕した「戦争/美術1940-1950 モダニズムの連鎖と変容」展の図録が、昨日、手もとに届きました。

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図録の表紙を飾っているのは、なんと、「原爆の図」第1部の《幽霊》です。
そして、この《幽霊》の画像部分、実は表紙を包む帯になっているのです。

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帯を全部開くと、こんな感じ。
部分画像かと思われた《幽霊》が、実は全体画像として使われていたのです。
そして「原爆の図」の下には、松本竣介の《立てる像》や朝井閑右衛門《丘の上》などの画像がひそんでいました。
この計らいからは、いかにこの展覧会が「原爆の図」に敬意を払って下さっているのかが伝わってきて、とても嬉しく思いました。

本文中の《幽霊》の画像も、観音開きの見開きで大きく全体像が見えるように配慮して下さっています。

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総動員体制のもと自由が圧殺され戦争に突入し、敗戦をきっかけにしがらみから解放されると言う極端な振れ幅の時代のなかで、優れた才能はどのような創造の営みを続けていたのか、あるいは、中断や挫折を余儀なくされたのか。しなやかに、したたかに、ときに強情に生き抜いた画家たちの足跡を辿る。

表紙に記された水沢勉館長の「あいさつ」から抜粋された一文も、胸に迫ります。

水沢館長による「空虚と充満―1940年代美術への一視座として」、戦争画研究で知られる河田明久氏による「作戦記録画をめぐる思惑のあれこれ」と題された論考も素晴しく、岡村も「ふたつの芳名録と「原爆の図」」と題する短い文章を寄せています。
とりわけ、水沢館長の論考の以下のくだりは、《原爆の図》に日頃から関わるものとしては、本当に嬉しく、励まされる内容でした。

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 翼賛体制は、これも奇妙な成りゆきであるが、「日本画」「洋画」といった従来のジャンルを相対化させるようにも結果的に働いたのではなかろうか。
 当時、日本文化のアイデンティティがさまざまな角度から再検討されていたことは、思想史的には、1942年に雑誌『文学界』の9月号、10月号に連続して特集された「近代の超克」にも明確に読み取れるとおりであり、一部の画家たちもまたジャンルという枠組みを、特権的な作戦記録画の画家たちとは別に、在野にあって意識的に壊そうとしていた。靉光(1907-1946)の試みた「日本画」(cat.nos.92,93)は、特異な孤立した現象のように一見思われるが、画家の身近にいたもう一人の「日本画家」丸木位里(1901-1995)が、「洋画家」丸木俊(1912-2000)との共同制作によって(詳しくは本カタログ岡村幸宣論文参照)、ジャンルを問うことがそれ自体無意味であるもうひとつの「戦争画」として、非対称的に戦中の「戦争画」を補完する《原爆の図》連作(cat.nos.177〜181)にたどり着く。その過程は、1940年代後半のもっとも感動的であり、かつ、重要な創造の水脈であると同時に、靉光の「日本画」を例外の孤島から救い出す、広がりの連鎖を秘めた作品であることも、いわゆる「戦争画」とともに本展で初めて並んで展示され明らかになるにちがいない。また、展示・受容史の文脈で、両者を精密に比較することも、今後重要な課題となるであろう。
 また、日本画とは無縁と思われる松本竣介(1912-1948)も、羅漢の油彩スケッチを残しているように、東洋画に無関心ではなかった。竣介の技法そのものはあくまでも洋画の圏域に留まったが、ちょうど羅漢を研究していたころに、丸木位里が発表した《不動》(1941年、広島県立美術館蔵、cat.no.99)は、主題としては典型的な「戦争画」であり、その翌年に描かれることになる竣介の代表作《立てる像》(神奈川県立近代美術館蔵、cat.no.124)にも、かすかにであるが、共通のモチーフの影が感じられる(とくに神奈川県立近代美術館蔵の顔の部分のみの鉛筆素描のまなざしの表現など)。あるいは、新潟の新発田で中央画壇からは距離をおいて独特の油彩表現を、同地の農民生活や風景を中心的なモチーフに描いていた佐藤哲三(1910-1954)もまた、1944年の《切られし桜》(個人蔵、神奈川県立近代美術館寄託、cat.no.149)に見られるように、前景から遠景へと突然飛躍してしまう、西欧の遠近法とはまったく別種の空間表現を作りだしている。
 1940年代には、近代の枠組みを超える努力がさまざまに試みられていたのである。


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戦争と美術の関わりを再考する、この夏のもっとも興味深い展覧会。
ぜひ、多くの方にご覧頂きたいと思っています。
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2013/7/2

広島県立美術館「ピース・ミーツ・アート」作品搬出  館外展・関連企画

午前中、広島県立美術館のY学芸員が来館され、7月20日から開催される広島市内の3つの美術館の共催企画「アート・アーチ・ひろしま・2013」の一環となる企画展「ピース・ミーツ・アート」展のため、「原爆の図」第7部《竹やぶ》と第12部《とうろう流し》の作品搬出を行いました。

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この展覧会は、「再生=原爆や震災からの復興と再生」、「対話=自然や人々との交流、東西文化の対話・融合」、そして「平和」をテーマに生きるということの強さと美しさを表現した作品に注目し、岡本太郎、パブロ・ピカソ、土田麦僊、平山郁夫、イサム・ノグチ、内藤礼など、様々な時代やジャンルを横断する表現を紹介するそうです。
「原爆の図」は、前期展示では第7部《竹やぶ》、後期展示では第12部《とうろう流し》が出品される予定です。
また、展覧会図録には、岡村が「いま、深い亀裂の向こう側に、思いをめぐらせる」と題する、「3.11後」の視点で原爆の図を見つめるエッセイを執筆させて頂きました。

3館共催という試みであるだけに、いろいろとたいへんなこともあったようですが、楽しみな企画。10月14日までと会期も長いので、広島まで伺うことができれば……と思っています。
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2013/6/28

神奈川県立近代美術館葉山「戦争/美術」展作品搬出  館外展・関連企画

このところ、諸事情により、なかなか日誌を更新していませんが、美術館ではいま、公益財団法人移行後の最初の決算報告に向けて、事務局のYさんを中心に連日たいへんな事務作業が続いています。

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この日は、午後から神奈川県立近代美術館のN学芸員が来館され、7月6日から神奈川県立近代美術館葉山館で開催される「戦争/美術 1940-1950 モダニズムの連鎖と変容」展の作品搬出が行われました。

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丸木美術館からは、原爆の図第1部《幽霊》から第4部《虹》まで4点を貸出し、前後期2点ずつが展示されます(当初は第1部《幽霊》、第2部《火》が前期、第3部《水》、第4部《虹》が後期の予定でしたが、作品のコンディションの問題で第1部と第3部が前期、第2部と第4部が後期に変更となります)。

以下は、展覧会概要からの文章の抜粋。

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 1940年代の日本は、戦争という美術家たちにとって非常に困難な時代でありながらも、モダニズムの成熟と転換という豊かな可能性を秘めた時代でもありました。本展は、戦前から戦後の時代を1940年代という時間の経過で捉え、これまで分断されてきた戦前、戦後の日本の美術史を新たな文脈でとらえ直そうという展覧会です。当館のコレクションの根幹を形成する松本竣介、朝井閑右衛門、麻生三郎、鳥海青児、山口蓬春などの戦前戦後をつなぐ作品や資料に新たな照明を当てるとともに、丸木位里、俊夫妻の《原爆の図》に結実するまでの画業など、同時代の広がりも、絵画を中心に紹介します。
 総動員体制のもと自由が圧殺され戦争に突入し、敗戦をきっかけにしがらみから解放されるという極端な振れ幅の時代のなかで、優れた才能はどのような創造の営みを続けていたのか、あるいは、中断や挫折を余儀なくされたのか。しなやかに、したたかに、ときに強情に生き抜いた画家たち。彼らの残した作品は1951年に開館した神奈川県立近代美術館の歴史的、文化的背景にほかなりません。葉山館開館10周年を記念して開催する本展は、私たちの美術館活動の出発点の確認作業という性格も備えています。


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丸木夫妻の《原爆の図》がとても重要な位置を占める展覧会になるようです。
岡村も、展覧会図録に“二つの芳名録と「原爆の図」”と題する文章を執筆させて頂きました。

会期中には、ギャラリートークや連続講座、座談会などさまざまな企画も行われます。
丸木夫妻関連では、8月24日に近現代史研究者の小沢節子さんが講演をされます。
ぜひ、多くの方にご覧頂きたい注目の企画展です。
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2013/6/15

立命館大学国際平和ミュージアム「ミリキタニ+スマ展」  館外展・関連企画

現在、立命館大学国際平和ミュージアムで開催中(7月20日まで)の「ジミー・ツトム・ミリキタニ回顧展」と同時開催の「丸木スマ展」を見るため、日帰りで京都へ行ってきました。

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奇しくもこの日は、(企画担当のK学芸員によれば、まったくの偶然だったそうですが)昨年10月に逝去したジミー・ツトム・ミリキタニの誕生日。
ドキュメンタリ映画『ミリキタニの猫』(2006年、リンダ・ハッテンドーフ監督)の上映会とカフェ企画が開催されたのです。

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ジミー・ツトム・ミリキタニ(日本名:三力谷勤)は、1920年に米国カリフォルニア州サクラメントに生まれ、生後すぐに日本に戻り、広島県佐伯郡五日市町(現広島市佐伯区)で育ちました。
ジミーが徴兵の年齢に達する頃に日中戦争が近づき、父は兵学校への進学を勧めますが、幼い頃から絵が好きで「日本画」を学んでいた彼は、1938年、(映画のなかの彼の言葉によれば)「東洋と西洋を融合する新しい絵画」を確立するために、市民権を持つ米国に渡ります。
広島で「日本画」を学び、30年代後半に「東洋と西洋の融合」を志す、というと、丸木位里や船田玉樹らと何らかの接点があったのではないかと想像してしまうのですが、彼がどのように絵を学んでいたのかはわかっていません。
後年の彼の絵には、「東京上野芸大卒」「山水川合玉堂 仏画木村武山門下」と記されているのですが、今回の企画展のための調査では、東京芸大に在籍の記録はなく、玉堂門下であるという事実は判明されなかったそうです(広島出身の玉堂門下といえば、児玉希望を連想しますが、やはり関係性は不明)。
ただし、彼が日系人強制収容所時代に描いたキャッスルロックを描いた「日本画」(「尊厳と芸術」展出品作)に記された雅号「三力谷萬信」は、木村武山による命名だという情報はweb上に見られます。
http://www.avantipress.jp/2012/11/20121114_1.html

英語の不得手な「帰米二世」としてオークランドやシアトルの親戚を頼り、洗濯屋などで働いていた彼の運命は、1941年12月の日米開戦のために一変します。
西海岸一帯の日本人と日系米国人に出された強制立ち退き命令(行政命令9066号)によってカリフォルニア州のツール・レイク収容所に送られたのです。
そこでは米国への忠誠と従軍の意志を問う「忠誠登録」を求められましたが、ジミーはこれを拒否。市民権放棄にも応じました。そのため、戦後も別の収容所に送られ、拘留されました。
1948年にようやく自由を得た彼は、ニューヨークのレストランで働きながら絵を描き、ジャクソン・ポロックや国吉康雄とも接点があったそうです。しかし、当時の作品は現存せず、どのような制作活動をしていたのかはわかりません。
晩年に彼が絵に記し続けた「雪山」という雅号は、この時期に、コロンビア大学で日本学を教えていた(ドナルド・キーンの師でもある)角田柳作によって命名されたそうです。K学芸員によれば、この情報は信憑性があるのではないか、とのこと。

その後、裕福な老人宅で長年住み込みで働きますが、彼の死で仕事と住居を失い、80年代末頃からニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジのワシントン・スクエア・パークの店先や路上で寝起きし、クレヨンやボールペンで描いた猫や花の絵を売る生活をはじめました。
そして映画監督のリンダ・ハッテンドーフと知り合い、2011年9月11日の「同時多発テロ」後の混乱のなか、彼女の家に同居することを勧められ、ドキュメンタリ映画『ミリキタニの猫』が製作されたというわけです。



映画上映会の後、会場にならぶ30点の絵画を観ました。
「平和ミュージアム」らしく、ジミーの絵画作品だけではなく、在米日本人・日系米国人強制収容所の展示コーナーも非常に充実していて、日本人の血を引く住民はすべて出頭するよう求めるポスター(!)や、収容所生活についての一問一答形式の手引書、収容所の生活空間の再現展示など、当時の状況がとてもよくわかる構成になっていました。
収容所を描いたジミーの4点の絵画は、いずれもキャッスル・ロックなどを中心とする風景画で、(墓地が描かれた絵もありましたが)「忠誠登録」を拒否した心情や怒りがストレートに反映されているというものではありません。

個人的に興味を惹かれたのは、原爆や「同時多発テロ」を主題にした作品群でした。
黒煙と炎に包まれた旧産業奨励館を描いた《原爆ドーム》という絵画。その構図と黒煙、炎の描写は、《ワールド・トレード・センター》と題された3点の絵画と酷似しています。
原爆というより、「9.11」の光景を原爆ドームに置き替えたような内容です(ただし、《原爆ドーム》には仏画がコラージュされているものの、《ワールド・トレード・センター》にはそれがなく、3点のうち1点にはビン・ラディンの写真がコラージュされていました)。
映画のなかでも、「9.11」の後、米国内でのアラブ人への取り締まりが強化される報道をテレビで観たジミーが「Same story!」と吐き捨てる場面がありましたが、彼にとって「9.11」後の米国社会の反応は、かつて自らが体験した日米戦争/強制収容の記憶と重なるものだったのでしょう。

彼の作品は、絵画だけではなくコラージュが非常に面白いのですが(もっとも、売り絵である猫や花の絵にはコラージュは見られず、自身の過去や戦争を主題にした作品に頻繁にフォト・コラージュが登場するようです)、中でも《ヒロシマ》と題するコラージュ作品は、自らが描いた原爆ドームの絵の写真を中心に、興味深い構成となっています。
左上部には広島の焼野原の航空写真、右上部に旭日旗と日章旗、右下部にミッドウェイ海戦を伝える記事の切り抜き、左下部に鯉の絵(鯉は広島の象徴で、ジミーは映画のなかで「原爆で全滅した広島の街で巨大な鯉だけが生きていた」と語っています)が配置され、そして左中央部には、イラク戦争当時の日米の首脳、小泉純一郎とジョージ・W・ブッシュが笑顔でならぶ写真も見られます。
そこには、日米戦争と「9.11」というふたつの歴史的事件を米国社会で体験したマイノリティとしての、複雑でシニカルな視線が潜んでいるようにも思えます。

今回展示されている作品は、すべて、ジミーと親交のあった日系人画家ロジャー・シモムラの企画によってウィング・ルーク博物館(シアトル)で開催された2006年の「ジミー・ツトム・ミリキタニ」展の出品作。
現在、相続人のいないジミーの遺品はニューヨーク市が管理しており、ジミーの作品をまとめてみることができるのは、このコレクションしかないようです。
晩年の路上生活時代に制作された作品のみなので、「尊厳と芸術」展出品作や、若い頃の写真に写された仏画(たしかに、木村武山の「慈母観音」を思わせる)からの表現の連続性(というより、ほとんど別人の絵のように見えるので、断絶というべきか)を知ることはできません。
会場には、はつかいち美術ギャラリー学芸員のYさん、Uさんの姿も見られ、たいへん興味を持たれていたので、広島でもほとんど知られていないという彼の画業や生い立ちについて、今後、調査研究が期待されるところです。
まずは数年越しの粘り強い企画で貴重な作品鑑賞の機会をつくってくれたK学芸員はじめ、立命館大学国際平和ミュージアムの皆さんに深く感謝。

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また、2階の1室では特別企画展示として「丸木スマ展」も開催中。
当初のK学芸員の構想では、「ミリキタニとスマ」の表現を比較する企画だったそうです。
たしかに、「アウトサイダー・アート」的な猫の表現や、原爆という主題を描いている点(今回のスマ展では、《ピカのとき》をはじめ3点の原爆を描いた作品を展示)、そしてスマの夫の金助も広島から出稼ぎ移民として1890年代末にハワイで働いた経験があるなど、いくつかの共通項があるので、そのあたりをもう少し近づけて提示できればよかったのですが……
ともあれ、関西方面で丸木スマの絵を観ることができるのは貴重な機会。
ミリキタニ作品とともに、ぜひ、スマの絵画もご覧下さい。
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2013/5/14

KEN壷井明トークのお知らせ  館外展・関連企画

7月からはじまる次回企画展のため、山本作兵衛をはじめとする炭鉱画の借用と調査に15日から17日まで福岡県に出張へ行ってきます。

18日には三軒茶屋のKENにて「福島原発事故を描く - 壷井明、《無主物》を語る」と題しトークイベントを行います。
午後5時からです。ぜひお運び下さい。

福島原発事故を描く - 壷井明、《無主物》を語る
2013年5月18日(土)
OPEN 16:30 START 17:00

http://www.kenawazu.com/events/#okamura2

福島原発事故から2年が過ぎました。可視化することのできない放射能被害、そして地域のなかに生じる信頼関係の亀裂......壷井明は、そんな福島の人びとの苦悩を聞きながら、絵物語として油彩画《無主物》に描き込み、首相官邸前デモなどの"路上"で発表し続けています。その一連の姿勢は、はからずも丸木夫妻の《原爆の図》や1950年代のルポルタージュ絵画などの歴史的な系譜を連想させます。今回の企画では、《無主物》を前にして、この絵画がどのようにして生まれてきたのか、どのような思いを込めて、何を描いてきたのかを、対話形式で作者自身に語っていただきます。

企画 / 聞き手:原爆の図丸木美術館 岡村幸宣

参加費 : 1000円
※予約不要  (定員40名 先着順)
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2013/4/12

神奈川県立近代美術館「戦争/美術 1940-1950」展打ち合わせ  館外展・関連企画

午後、神奈川県立近代美術館のM館長とN学芸員が来館され、今年の7月6日から10月14日まで神奈川県立近代美術館・葉山で開催予定の「戦争/美術 1940-1950 ─モダニズムの連鎖と変容─」展(7/6-10/14)についての打ち合わせを行いました。
神奈川県立近代美術館の年間スケジュールは次のサイトでご覧いただけます。
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/pdf/schedule_2013_in.pdf

以下、企画展についての説明文です。

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 1940年代の日本は、戦争という美術家たちにとって非常に困難な時代でありながらも、モダニズムの成熟と転換という豊かな可能性を秘めた時代でもありました。本展は、1940年の横山大観《日本心神(富士山)》から丸木位里、俊夫妻による《原爆の図》(第1部から第4部を前後期に分けて展示)までを、朝井閑右衛門、藤田嗣治、松本竣介、山口蓬春、土門拳、山下菊二など戦前から戦後にかけて活躍した画家たちによる作品や豊富な資料とともに紹介し、これまで戦前、戦中、戦後と分断されてきた日本の美術の歴史を「1940年代の美術」という文脈で捉えなおします。

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丸木美術館からは、原爆の図第1部《幽霊》、第2部《火》(以上前期展示予定)、第3部《水》、第4部《虹》(以上後期展示予定)を貸し出します。
また、丸木夫妻の原爆の図制作にいたるまでの芸術の流れを紹介するため、1940年代の二人の個人制作の作品も数点展示されることになりそうです。

戦争で分断されたと捉えられがちの日本の美術史を、「1940年代」という視点で、その連続性と変容を見つめなおすという非常に楽しみな企画展。
同時代の作家・作品のなかで、《原爆の図》を中心とする丸木夫妻の作品がどのように位置づけられるか、興味深いところです。
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2013/3/20

「ジミー・ツトム・ミリキタニ回顧展/丸木スマ展」のお知らせ  館外展・関連企画

立命館大学国際平和ミュージアムより、5月14日から7月20日まで開催される春季特別展「ジミー・ツトム・ミリキタニ回顧展」及び特別企画展示「丸木スマ展」のポスター、チラシが届きました。

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企画担当のK学芸員からは、数年前からこの展覧会の構想を聞いていたのですが、ようやく実現にこぎつけることができたようで嬉しく思います。

ジミー・ツトム・ミリキタニ(1920-2012)は、アメリカで生まれ、幼い頃を広島で過ごしました。やがて再び渡米しますが、第二次世界大戦中にツール・レイク収容所へ送られ、強制収容を体験。晩年にはニューヨークでホームレスとなりながらもアーティストとして生き、その活動は映画『ミリキタニの猫』(リンダ・ハッテンドーフ監督、2006年)でも知られています。

K学芸員は、そのミリキタニの絵画と、同じように戦争を体験した後でユーモラスに生命のよろこびを描いた丸木スマの絵画をいっしょに見せる展覧会を考え続けていたのです。
丸木美術館からも、《母猫》や《ピカのとき》などのスマ作品を貸出します。

6月15日には、映画『ミリキタニの猫』の上映会も計画されているようです。
なかなか見応えのある企画になりそうで、今からとても楽しみです。
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2013/2/6

KEN「沖縄女性アーティストの現在地」のお知らせ  館外展・関連企画

2008年の「美術家たちの南洋群島展」以来、とてもお世話になっている沖縄県立博物館・美術館の豊見山愛さんをKENにお迎えして、「沖縄女性アーティストの現在地」と題するトークイベントを企画しました。
沖縄という複雑かつ重要な地における女性たちの視点。
その豊饒な表現活動の熱い報告です!
たいへん貴重な機会ですので、ぜひ多くの方にお聴き頂きたいと思います。

http://www.kenawazu.com/events/#okamura1

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沖縄女性アーティストの現在地
2013年2月22日(金)OPEN 18:30 START 19:00

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日本列島から見れば周縁の地であり、一方では東アジアの要衝に位置する沖縄。
政治的にも文化的にも、常に複雑な潮流が交錯するこの場所で、女性たちはどのように世界を見つめ、表現してきたのか。
現在、栃木県立美術館で開催中のアジアの女性アーティストを大々的に紹介する国内初の企画展「アジアをつなぐ―境界を生きる女たち 1984-2012」の企画にも関わり、展覧会に対する沖縄からの応答として、沖縄会場における同時開催展「ART IS MY LIFE 沖縄の女性アーティスト」を立ち上げた沖縄県立博物館・美術館の豊見山愛学芸員に、沖縄女性アーティストの表現の歴史と現状について、学芸員の視点からスライドを交えて貴重な報告をしていただきます。(企画:原爆の図丸木美術館 岡村幸宣)

豊見山 愛 TOMIYAMA Megumi
(沖縄県立博物館・美術館 主任学芸員)
キュレーターとして「美術家たちの『南洋 群島』」(2008年)、「名渡山愛順が愛した沖縄」展(2009 年)、「アジアを つなぐ-境界を生きる女たち1984-2012」(2012年)などに携わる。

KEN
〒154-0004 東京都世田谷区太子堂4-8-3 B102
Tel & Fax 03-3795-1776
[田園都市線]三軒茶屋駅(三茶パティオ口)から徒歩6分
[世田谷線]西太子堂駅から徒歩2分 
※ペットショップ「コジマ」右手から地下へ

参加費 : 1000円(1ドリンク付)
※予約不要

問い合わせ先:info-ken@kenawazu.com
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2012/11/29

一宮市三岸節子記念美術館「生誕100年丸木俊展」報告  館外展・関連企画

昨日、一宮市三岸節子記念美術館で開催されていた「生誕100年丸木俊展」の作品が無事に返却されました。
会期中に掲載された新聞記事のコピーを頂いたので、以下に紹介いたします。

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まずは2012年10月5日付『朝日新聞』尾張・知多版の紹介記事。
杉山章子学芸員が「三岸節子と丸木俊は女子美術専門学校(女子美術大)の同窓で、ともに女性洋画家の先駆者でした。創造性にあふれた多彩な作品を残した俊のたくましい歩みを知っていただく絶好の機会です」とのコメントを寄せています。

2012年10月12日付『朝日新聞』愛知県版の広告特集では、俳優の天野鎮雄さん、山田昌さん夫妻による「画家 丸木俊の魅力を語る」という対談が掲載されました。
以下は、その一部抜粋。
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 ……「あの大作を前にすると、立ちすくんでしまう。ぼう然とするような迫力がありました」と第一印象を語る天野さん。「初めて見た時、ただの裸婦のようにも思えましたが、爆風で身に付けていた服も吹き飛んでしまったのでしょうね。戦場のうめきやにおいさえ漂ってくるような。本物ってすごいですね」と山田さんが言葉を添えた。筆舌に尽くしがたいほどの惨状を、どのように描けば見る人の心に伝わるのか。原爆の図に描かれた傷のない少女の美しい裸体には、夫妻の苦悩の跡がにじんでいるのであろう。いずれの作品も二人で構想を練り、俊が細部を描きこむと、位里は上から墨を流し、さらに俊が描いて位里が消して……と、二人の画家は創作をめぐって格闘を続けた。丸木俊の自伝『女絵かきの誕生』には、当時の模様が俊の言葉で淡々とつづられている。

 展覧会での朗読を機に本書を一晩で読み上げたという山田さんは、丸木夫妻の創作活動をこう語る。「位里が墨を流した後、俊さんの『あーあ』という言葉が一番印象に残りました。私たち夫婦だったら、取っ組み合いのけんかになるところですが、そうじゃない。俊さんは位里さんを信頼していたのでしょうね。結果的にできあがった作品は、後世にその名を残す傑作となりました」。
 俊の洋画家としての優れたデッサン力による群像表現と位里の伝統的な日本画の手法が融合したからこそ、絵画の世界に新分野を作りだすことができたのであろう。生前の丸木夫妻と交流のあった天野さんは、「僕がお会いしたのは20年前のことでしたが、あの激しい作品からは想像もつかないほど、穏やかなご夫婦でした」と振り返る。

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天野さんと山田さんは、会期中に朗読会「丸木俊 女絵かきの誕生」を開催され、大盛況だったと聞いています。

2012年10月26日付『信濃毎日新聞』東海版展覧会欄にも紹介記事が出ています。
「……波乱に富んだ人生の時代ごとに作品を六つに分けて展示。モスクワ滞在中は毎日1枚のスケッチを自分に課していたといい、鉛筆や水彩で描いた人物や劇場風景が多い。「女ゴーギャンになる」と渡ったパラオでの作品は、鮮やかな色彩と伸びやかなタッチが印象的だ。
 原爆の図は俊が主に人物を、位里が彩色や背景を担当。全15作品のうち、第2部「火」を展示している。戦後の作品では「解放されゆく人間性」と題した力強い裸婦像と口に手を当て背景を黒く塗った自画像が目を引く。


同じ2012年10月26日付『岐阜新聞』イベント欄にも記事が出ています。
「……パラオから帰国後に南の島の女性たちの踊る様子を描いた「踊り場」は約70年ぶりの公開。ペンの細かい線で丹念に描かれた墨絵のびょうぶ仕立ての作品は不思議な躍動感をみせる。
 一方で優れた描写力を生かして手掛けた絵本は150冊に及ぶ。今回は南洋をテーマにした色鮮やかな「ヤシノ木ノ下」や原爆を描いた「ピカドン」など代表作45冊を紹介している。
 そして原爆の図は、1950年に位里と制作した「第2部・火」のほか俊自身が描いた「横たわる母子像」など数点を展示。「第2部・火」は、見る者を立ちすくませるすご味と迫力を見せる。……自然と人を愛し、豊かな創造性にあふれた作品を描き続けながら、原爆の悲惨さを訴え、人間の業を見つめてきた女流画家の波乱に富んだ生涯をたどる展覧会でもある。


そして2012年11月1日『日本経済新聞』愛知県版夕刊には、美術評論家の天野一夫さんが展評を書いて下さいました。
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……特に南洋の現地の人とともに暮らした濃密な4ヵ月で、俊は女たちの「休み場」や、銅山の「アンガウル島へ向かう」船などで、通常の主題の裏面に着目し、南方の強い光線の裏の対比的な深い闇のカオティックな情念を集合的に描こうとしている。
 1944年の闇の中で耐えた意志を示す自画像を経て、47年の「裸婦―解放されゆく人間性」では、正しく始原的な森から立ち上がる、原始的なエナジーを感じさせる象徴的な絵画で、それも作者が女であることを考えればその立ち姿は、近代からのそれも含め何重かの自立を示しているだろう。同年の手で筆を掲げ持ち、社会に宣言するような自画像とともに基点となったであろう作品だ。
 その翌年から取りかかった「原爆の図」は、その後、手持ちで全国巡業して原爆の悲惨さを伝える貴重なメディアとなったのだが、戦後の中、画家が、そして絵画が一旦裸形のままに世界に対すことで、我々はこれまでに無い絵画を持つことになったのだ。

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生誕100年という節目にふさわしく、丸木俊の再評価につながる展覧会になったことと思います。

また、展覧会の終了にともない、三岸節子記念美術館で販売されていた「生誕100年 丸木俊展」図録を、丸木美術館でも扱うことになりました。

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販売価格は1800円。
意外にも、俊にとって初めての個展図録。小沢節子さんの論考や、俊の南洋・モスクワノートの書き起こしなどの資料が収録された貴重な一冊です。
一宮の展覧会を見逃してしまったという方は、ぜひ丸木美術館でお求めください。
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2012/11/12

アーサー・ビナードさん講演「絵の根っこ」  館外展・関連企画

2日間で3回のトークを無事に終えて、ぽっかりと空いた時間ができたので、(たまっている原稿を旅先で片付けようかとも思ったのですが……)気分転換にふらりと室生寺に立ち寄りました。

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国宝の五重塔で知られる室生寺は、現在、金堂の特別拝観中。
釈迦如来像や十一面観音像などを観ることができました。
旅先でゆっくりと仏像を鑑賞するなんて、学生のとき以来でしょうか。
ずいぶん久しぶりで、懐かしい気もします。

その後、京都駅に出て、伊勢丹7階の美術館「えき」KYOTOで開催中の「平等院養林庵書院 襖絵奉納記念 山口 晃展」を鑑賞。

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午後6時からは、京都のギャラリー・ヒルゲートで13日からはじまる「生誕100年 丸木俊展」の関連企画として行われたアーサー・ビナードさんの講演会「絵の根っこ イキモノを育てた三人の画家」を聴きました。

原爆はなぜ京都を回避して広島・長崎(第1目標は小倉)に落とされたのか。
その理由を文化財保護のためという従来の説ではなく、より深く核戦略と重ねて考えると、現在の福島とつながって見えてくる……という話題からはじまった刺激的な講演会。

話題は、次第に、絡み合う丸木家の三人の画家の世界に移っていきました。

スマさんの絵の凄さの前では、モネの絵さえどうでもよくなってしまう。
人間の枠の中で画家をやるのでなく、生きものとして、対象と自分が同じ仲間になって描いているから、これ以上の説得力はない……と丸木スマの絵を絶賛するアーサーさん。

俊さんは人間の生きた肌の曲線を愛撫するように描いた画家。
位里さんは、墨の気持ちがよくわかり、化学反応を起こして自然現象のような絵を描く画家。
それぞれの絵を観ると、よくこれだけまったく合わない二人が共同制作をしたと、一見思ってしまうんだけど、実は《原爆の図》はそこがミソ。原爆という化学の連鎖反応が墨のように肉体に浸食し、人間は生きようともがく。そのせめぎあいが、位里さん・俊さんの力学に似ている……と、興味深い指摘もされていました。

第五福竜丸の被爆を描いたベン・シャーンや、丸木夫妻のような画家を「社会派画家」という檻に入れてしまうのでなく、社会と向き合うのは画家として当然だと、もっと多くの人に知ってもらいたい、というアーサーさんの言葉の余韻をかみしめながら、終電の時間が近づいていたので、講演会が終わるとすぐに京都駅に駆け込み、東京行きの新幹線に飛び乗って帰宅しました。

実りの多い関西出張でしたが、風邪気味だったせいか、やや疲れがたまっています。
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2012/11/8

ギャラリーヒルゲート「丸木俊生誕100年展」  館外展・関連企画

今日は午前中に全労済、高退教の2つの団体の館内説明。
午後も労働大学Aさん、幸徳秋水研究で知られる日仏会館研究員Lさん、日大芸術学部研究員Yさんが来館されたので、じっくり館内の説明を行いました。
秋は館内説明の多い季節です。

11月13日より、京都のギャラリー・ヒルゲートで「丸木俊生誕100年展」が開催されます。
位里、俊、スマの3人の絵画が紹介されます。
以下は、ギャラリー・ヒルゲートからのご案内。お近くの方はぜひぜひ!ご覧下さい。

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丸木俊 生誕100年展 丸木位里・俊・スマ 三人の絵画
2012年11月13日(火)〜11月18日(日) 12:00〜19:00(最終日は17:00迄)

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今年は丸木俊先生の生誕100年に当たります。当画廊では、1989年以来21回目(池袋モンパルナス展3回を含む)の丸木夫妻に関わる展示です。
今年は関連企画としてアーサー・ビナードさんの講演と豊田勇造さんのライブを開けることとなりました。まだ若く現役で御活躍中のお二人が各々の出会いの中から三人の丸木さんの作品と生き方に心を寄せて下さっていたのです。
丸木さんの作品とその生き方は時空を超えて存在しつづけ、各々に違った人々や濃密な活動を惹きつけ出会わせる磁場のような力をもっているのだと実感いたします。
最後に、夫妻の没後も展覧会を開かせて下さり、暖かい御協力をくださっている御遺族、丸木ひさ子さん丈二さんと丸木美術館の皆様に心よりの感謝を申し上げます。

ギャラリーヒルゲート

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関連企画

《アーサー・ビナード(詩人)講演「絵の根っこ」イキモノを育てた三人の画家》
11月12日(月)18:00〜20:00頃
ウィングス京都2Fセミナー室A・B
(中京区東洞院通六角下る御射山町262 TEL:075-212-7470 HP:http://wings-kyoto.jp)
定員110名 参加費2,000円(ヒルゲート倶楽部会員の方は5%OFF)
事前にTEL・FAX・メール等でギャラリーヒルゲートまでお申し込み下さい。

※当日は展覧会開催前日ですが、講演終了〜22:00まで特別に開場致します。

《豊田勇造 オープニングライブ―二人の絵描きさん―》
11月13日(火)18:30(開演)〜20:30頃 ギャラリー1F
定員40名 参加費1,500円(ワンドリンク付)
事前にTEL・FAX・メール等でギャラリーヒルゲートまでお申し込み下さい。
企画 山河全(京都造形芸術大学 教授)

*当日はコンサートの為、1F会場は18:00以降ご覧いただけません。
申し訳ありませんが、ご了承下さいませ。
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