2015/7/30

《アウシュビッツの図》搬出!  館外展・関連企画

丸木美術館1階の新館ホールに常設展示されている《アウシュビッツの図》。
高さ3.4m、幅16mのこの大作が、27年ぶりに館外に貸し出されることになりました。

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全部で8枚に分かれている壁画を、ひとつずつ外して梱包していきます。
午前中の比較的涼しい(はず)の時間の作業でしたが、輸送業者さんは汗びっしょり。
やはりたいへんな重労働です。

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ぽっかりと空いてしまった壁には、丸木夫妻の共同制作《火焔山》と、位里さんの《グランドキャニオン》という2点の屏風画を久しぶりに展示しました。
高さでは《アウシュビッツの図》の不在を補うことができませんが、《火焔山》は《アウシュビッツの図》を貸し出す神宮寺の襖絵と共通するテーマ、《グランドキャニオン》は《原爆の図》アメリカ巡回展を思い起こすということで、ぜひ、ふだん見ることのできない作品をご堪能ください。

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午後は、《アウシュビッツの図》を乗せたトラックとともに長野県松本市浅間温泉の神宮寺へ。
毎年この時期に《原爆の図》を展示して下さっているお寺なのですが、今年は8月1日から9日まで《アウシュビッツの図》が特別公開されます。

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夕方6時過ぎに無事に到着。明日は展示作業を行います。
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2015/6/2

原爆の図、いよいよアメリカへ  館外展・関連企画

いよいよ《原爆の図》6点の梱包・搬出作業日。
午前10時過ぎに日本通運の美術運送スタッフが来館し、作業がはじまりました。

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テレビ局や新聞記者が見守るなか、着々と梱包作業が進んでいきます。
ふだんなとても地味な作業なのですが、カメラのシャッター音が一斉に響く一番のハイライトは、屏風の画面のあいだに薄紙を差し込む瞬間でした。

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屏風を収めたボール箱には、作品がわかるように、ひとつひとつシールを貼っていきます。

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手際よく、たちまち6点の作品が梱包されていきました。

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アメリカへ渡る前には木箱に入れるのですが、美術館からの搬出はボール箱の状態でトラックに積み込みます。スタッフやメディアの皆さんが見送るなか、《原爆の図》はアメリカへ出発していきました。大勢の人たちと出会い、無事に帰ってくることを祈るばかりです。

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この日の搬出の様子は、午後6時からのNHK総合テレビ「首都圏ネットワーク」と、午後9時半からのテレビ埼玉「NEWS930」で放送されました。

   *   *   *

NHK首都圏ネットワーク「“原爆の図”アメリカへ」

(原爆の図第二部「火」の全体像、クローズアップの映像)
橋本菜穂子アナウンサー 凄惨な様子を描いた「原爆の図」が、アメリカで展示されることになりました。

(丸木美術館2階展示室の風景)
橋本アナウンサー 「原爆の図」は、画家の丸木位里、俊夫妻が原爆投下後の広島や長崎の姿を30年以上にわたって描き続けた連作で、埼玉県東松山市の美術館が14部を所蔵・展示しています。

(運送業者が原爆の図を梱包する作業の光景)
橋本アナウンサー 原爆投下から70年となる今年、アメリカに貸し出し、ワシントンなど3つの都市で展示されることになりました。

(原爆の図の前で、岡村インタビュー)
岡村 核に対する危機感は、実は身近にあるわけですよね。まっさらな気持ちで、原爆に向き合っていただけたらと思っています。

   *   *   *

テレビ埼玉NEWS930「丸木位里・俊夫妻が描いた 原爆の図 ワシントンへ」

(スタジオ、二階堂絵美キャスター)
二階堂キャスター 「原爆の図」で知られる故・丸木位里・俊夫妻。東松山市の夫妻ゆかりの丸木美術館に展示されている「原爆の図」のうち6点が、今月13日からアメリカ・ワシントンの美術館で展示されます。

(梱包作業中の美術館、報道部余野誠記者のレポート)
余野記者 70年前の8月、画家の故・丸木位里・俊夫妻が目のあたりにした地獄絵図。その絶望と破壊の有り様を伝えていこうと夫妻が心血を注いで完成させた「原爆の図」が海を渡ります。現在、作業員による梱包作業などが行われています。

(館内で作品を梱包していく作業員)
二階堂キャスター 今日は、午前10時過ぎから作業員が作品を運搬するため、丁寧に梱包作業を行いました。

(原爆の図第2部「火」クローズアップ、梱包作業)
二階堂キャスター 今回、アメリカの首都ワシントンのアメリカン大学美術館で展示されるのは、第1部「幽霊」、第2部「火」など6つの作品です。紅蓮の炎が人々を焼き尽くす様を描いた第2部「火」は、「原爆の図」の代表的な作品として知られています。

(原爆の図第13部「米兵捕虜の死」、第14部「からす」梱包作業)
二階堂キャスター 原爆で死亡したとされるアメリカ兵を描いた第13部「米兵捕虜の死」。韓国・朝鮮人被爆者を描いた第14部「からす」も海を渡ります。

(原爆の図の前でインタビュー)
岡村 21世紀の国境を軽々と越えていける時代のなかで、ひとりの人間としてまっさらな気持ちで絵に向き合ってほしい。きのこ雲の下の人間と心を通わせるように絵を見てほしいと思っています。

(トラックに作品を積み込む作業員、平和の鐘を鳴らしてトラックを見送る職員たち)
二階堂キャスター 展示の日程は、6月13日から8月16日で、その後もボストンやニューヨークでの展示が予定されています。明日から、丸木美術館では「原爆の図」の関連作品として夫妻が被爆直後の長崎を描いた「原爆長崎之図」の二部作、「三菱兵器工場」と「浦上天主堂」などの展示、「発掘!知られざる原爆の図」が始まります。

   *   *   *

静かになった館内では、夕方遅くまで「発掘!知られざる原爆の図」展の展示作業。
高野山成福院などの壁画は、展示室の壁いっぱいを使った迫力ある展示になりました。

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この夏、見逃せない必見の展示。
ぜひ、原爆の図6点が留守中の丸木美術館にも、足をお運びください。
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2015/3/30

Ring-Bong第5回公演『闇のうつつに我は我かは』  館外展・関連企画

小竹向原のサイスタジオコモネで開催中のRing-Bong第5回公演『闇のうつつに 我は我かは』(4月5日まで)。
上演後のアフタートークに参加してきました。

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文学座の俳優で劇作家の山谷典子さんが丸木美術館に初めて来たのは、かれこれ4年ほど前のことになります。そのとき、「丸木美術館をテーマにした戯曲を書きたい」という話もしたような、うっすらとした記憶もあります。

丸木夫妻の評伝劇ではなく、自分はフィクションしか書けないから創作劇として書きたい、という彼女の言葉を聞いて、うまく成立するのかな、と期待半分、不安半分だったことは、よく覚えています。

その後、山谷さんの主宰する演劇ユニットRing-Bongの公演を見せて頂いて、すっかり心を揺さぶられてしまったのですが、「丸木美術館をテーマにした戯曲」の話は特に出ないまま、毎年公演を楽しみにしてきました。

ラジオドラマ用の脚本に丸木美術館を取り上げたい、という話を山谷さんから聞いたのは、一昨年のことです。脚本を書くために、図録や書籍などの関連資料をお貸しして、美術館で働くなかでの実体験についてもいろいろ取材を受けました。
結局、その企画は朗読劇となり、昨年は実際に公演も行いました。

創作劇なので、「丸木美術館」そのものの話ではないのですが、戦後に《とうろう流し》の絵を描いた女性画家と、その絵を展示する美術館の物語。
役者さんの言葉によって命を吹き込まれた戯曲は、深みも迫力も増して、朗読劇を聞く人たちの心を揺さぶり、さまざまな心配も一気に吹き飛びました。

そしてその頃、今年のRing-Bong公演で、舞台用に戯曲を書き直したいという話も聞きました。
昨年8月6日のひろしま忌には、役者さんたちもとうろう流しに参加して下さいました。
山谷さんから頂いた舞台用の脚本は、朗読劇をベースにしながら、さらにテーマを掘り下げた内容になっていました。

山谷さんが、丸木夫妻の残した原爆の図のなかでも《とうろう流し》の絵に惹かれた理由は、わかるような気がしました。
原爆投下から20年以上の歳月が経って描かれたその絵画は、過去と現在が交錯し、時間が行きつ戻りつするという、彼女の書く戯曲そのもののような作品だったからです。

それは、私たちが「歴史」をどのように受け止めるか、という姿勢にもつながります。
過ぎ去った時代の物語ではなく、今につながる私たちと地続きの現実。
時は未来という一方向のみに開かれたものではなく、過去の記憶にも開かれて、私たちは時間を行きつ戻りつしながら、よろこびやかなしみを抱えて生き続けるのです。

『闇のうつつに 我は我かは』は、戦時中のアトリエ村(舞台は「池袋モンパルナス」と呼ばれた東京・豊島区のアトリエ村がモデル)と、現在の郊外にある小さな美術館の時間が、深く交錯しながら進んでいきます。

Ring-Bongの舞台は、いずれも複数の時間の転換が見どころになっています。
第3回公演までは、ベテランの俳優さんが「過去」の時代で突然「子役」を演じるという意外性に惹きつけられました。
昨年の第4回公演『しろたへの春 契りきな』では、逆に若い俳優さんが「現代」の場面で年老いた役を演じていました。

今回の公演では、「過去」と「現在」において“遠藤孝之”という同一人物を、年齢の離れたふたりの役者さんが演じています。ごくオーソドクスな配役といえるのでしょう。
それでも、場面転換のときに「過去」と「現在」の二人の遠藤が互いをじっと見つめ合う場面や、同じセリフをそれぞれが交錯するように語る場面などからは、現実の世界ではあり得ない、演劇ならではの夢と現実の境界を行くような「リアリティ」が生まれます。
もちろん、この演劇ユニットの強みである音楽(歌と生演奏)も、いつものように大きな効果を発揮しています。

今回は稽古場にも足を運んで、舞台がどのように作られていくのか、演出の小笠原響さんが役者さんたちにどんな指示を出しているのかというところも見せて頂きました。
次第に戯曲が舞台として立体的に浮かび上がっていく過程は、とても興味深いものでした。

戦時中のアトリエ村の住人たちは、架空の人物であるにもかかわらず、何度も見ているうちに、まるで本当に存在している人物のように思えてきました。
三輪学さんが演じたシュルレアリスムの画家“恩田薫”は、丸木位里、それから三岸好太郎のイメージも少し入っているように思いましたが、自由を奪われつつある当時の画家たちの苛立ちを体現しているような存在です。
山谷さんの演じる“恩田さき”は、丸木俊をモデルにしていますが、それだけでなく、戦時中の女流画家を象徴する人物として描かれていて、見ているうちにとても切なくなります。
さきの兄である“河野豊”を演じた高野絹也さんは、演奏と歌が本当に素晴らしいです。Ring-Bongの舞台では、毎年、高野さんが何を演奏するか楽しみにしていますが、今回はオルガンを弾いています。
若井なおみ演じるさきの妹の“河野ひさ”は、郵便配達で国に貢献する女学生。時代の空気に沿って健気に生きる悲しみを背負った存在として描かれています。
村松えりさん演じるモデルの“吉岡杏夢”はまるで「モンパルナスのキキ」のような存在感。
蓮池龍三さん演じる演劇人“和田市郎”の過剰なテンションも、本当にアトリエ村にはこういう変わった住人がいそうだなあと楽しくなります。
画家志望の若者“遠藤”は、芸術とは何かと悩み続ける真摯な青年。中国への出征を経て変化していく彼の内面を、田中宏樹さんが好演しています。

一方、現代の「つつじヶ丘美術館」を訪れた謎の来館者“遠藤”を演じた小笠原良知さんは、舞台の端でじっと立っているだけで、歳月の流れの重みや、複数の時間の存在を感じさせます。
美術館館長の“福田陽子”を演じた大崎由利子さんが、とうろう流しで川の向こうを見上げる場面は、ぼくのとても好きな場面です。脚本を読んだとき、最後のセリフが難しいのではないかと懸念したのですが、とても自然に、胸を打つつぶやきになっているように思いました。
出産を間近に控えた美術館職員の“高橋翔子”を演じた大月ひろ美さんの、明るく、さりげなくコミカルな演技も、いつも楽しみに見ていました。
そして美術館唯一の学芸員(!)“松野洋介”を演じた辻輝猛さんとは、顔を合わせるたびに何やら気恥ずかしい思いもしましたが、楽しそうに演じて下さって(いや、しかし、本当に学芸員らしい場面はほとんどなかったような……)感謝の気持ちでいっぱいです。

何より、「表現の自由」という、非常にタイムリーな社会的主題を扱いながら、その主題に引きずられることも、寄りかかることもなく、血の通った“生きている物語”として練り上げていった山谷さんの力量には、本当に感心します。

この舞台については『週刊金曜日』2015年3月27日号の特集“そして、ここに「演劇」あり”に詳しく取り上げられ、山谷さんは3月29日付『毎日新聞』夕刊“人模様”でも紹介されました。
どちらも、モデルとなった丸木美術館についても言及されていますので、ぜひご覧になって下さい(↓『毎日新聞』の記事はこちらから。無料会員登録が必要です)。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150330dde007070062000c.html

もちろん、ぜひ多くの方に、生で見て頂きたい舞台です。
チケット予約など、詳しい情報はこちらから。
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=46939
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2015/3/23

Ring-Bong第5回公演『闇のうつつに我は我かは』公演のお知らせ  館外展・関連企画

休館日。東京・東伏見で、Ring-Bong第5回公演『闇のうつつに 我は我かは』の通し稽古を見せてもらいました。

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Ring-Bongは、文学座の俳優で劇作家でもある山谷典子さん(写真右)が立ち上げた劇団で、毎回、戦争の時代を舞台にしながら、鋭い問題提起をちりばめた作品を見せてくれます。
私も、いつも楽しみに拝見しているのですが、今回の作品は、なんと丸木美術館をモデルにしているのです。

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といっても、基本的には山谷さんの作り出した創作物語。
丸木美術館はつつじヶ丘美術館に、原爆は東京大空襲に、丸木夫妻は恩田薫・さき夫妻に置き換えられています。
しかし、物語の重要な軸となる恩田さきが描いた絵画《とうろう流し》は、丸木夫妻の原爆の図第12部《とうろう流し》を思い起こさせます。
なぜ山谷さんが《とうろう流し》の絵を選んだのか。それは、丸木美術館が毎年8月6日に行っているとうろう流しの行事を劇中に取り入れたからでもあるのでしょうが、この絵画が、過去と現在を交錯させ、ふたつの時間を行きつ戻りつするような、つまり、山谷さんがこれまでに試み続けてきた作品と同じような構造を持っているからなのだろうと思います。

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今回の舞台では、東京大空襲の慰霊のため8月15日にとうろう流しを行う、という設定に変わっています。その準備のための草刈りの苦労や、冷房がない展示室でお客さんが保冷剤で涼をとる場面、学校団体の来館が減少傾向にある問題などは、妙に丸木美術館の現状を取材した成果が反映されていて、当事者としては苦笑してしまう場面もあります。

念のために断わっておくと、恩田夫妻の人生や性格は、実際の丸木夫妻を参考にしつつ、異なるものになっています。また、つつじヶ丘美術館には男性学芸員も登場しますが、モデルがいるかどうかは、あまり気にせずご覧になってよいかと思います。

二人の画家が戦時中に暮らしたアトリエ村の雰囲気は、なかなか興味深く描写されています。詩人の小熊秀雄によって「池袋モンパルナス」と名づけられたアトリエ村のイメージは、次第に「自由を愛する画家たちの青春物語」として美しく回顧されることが多くなっていました。芸術の本場・パリになぞらえた「モンパルナス」という浪漫を掻き立てる響きが、少々独り歩きしているようにも感じます。
しかし、山谷さんはそれを、時代への葛藤を抱えた表現者――画家だけでなく、演劇、音楽も含めた若者たち――の、リアリティをともなう痛みや苦しみの物語に引き戻しています。
大きな時代の波に翻弄されながら、表現という問題にどう向き合っていくのか。それはまさしく、現代を生きる私たちの切実な問題でもあるのです。

この作品はもともとラジオドラマ用の脚本として作られ、朗読劇としても何度か演じられているのですが、今回、舞台用に大幅に書き直され、さらに小笠原響さんの演出と多彩な役者さんたちの熱演によって、一層作品としての成熟度が増しているように思いました。

公演は、3月28日から4月5日まで行われます。
30日(月)には、岡村もアフタートークに出演します。
チケット予約など、詳しい情報はこちらから。
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=46939

皆さま、ぜひ舞台を実際にご覧ください。「山谷ワールド」、やっぱり面白いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
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2015/1/31

【東北出張2日目】宮城県美術館「針生一郎と戦後美術」展  館外展・関連企画

針生一郎前館長のご家族や縁の深かった美術関係者の方々とともに、午前9時から宮城県美術館「わが愛憎の画家たち 針生一郎と戦後美術」のオープニング・セレモニーに参加しました。

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仙台の街は昨夜の大雪が残り、宮城県美術館の周辺も真っ白です。

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佐藤忠良の屋外彫刻も、雪をかぶってちょっと重そうでした。

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オープニング・セレモニーでは、主催者挨拶に続いて、針生さんの娘のCさん、息子のTさんがお話をされました。
時おり笑いの混じる、とても楽しく心に沁みる挨拶でした。
続いてテープカットが行われ、その後はじっくりと展覧会を拝見しました。

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展示は、針生さんの寝室本棚に並んでいた保田與重郎の著書や、『ひむがし』に投稿した短歌、東北大卒論の島崎藤村論の草稿といった戦時中の資料からはじまります。
そして戦後美術との出会いを出発点に、「夜の会」への参加、ルポルタージュ絵画、アンフォルメル、アンデパンダン展、反戦・反核・平和運動、新しい日本画の研究、国際展における「国際的同時代性」の提唱、反博、環境問題、第三世界との連帯と抵抗……と続き、大浦信行監督の映画『日本心中』にいたるまで、美術評論家・針生一郎の人生の歩みと、彼が見つめ続けてきた日本の戦後美術の奔流の、深く複雑な交錯を追体験するような展覧会でした。

原爆の図第一部《幽霊》も、鶴岡政男《人間気化》などの作品とともに「反戦・反核・平和運動と美術」の章に、屏風状ではなく壁面に平らな状態で展示されていていました。

作品・資料を合わせて300点を超える膨大な展示に加えて、それぞれの美術家と針生さんとの関わりについての解説や文献引用のキャプションも充実していて、針生さんの生前から構想を練っていたという学芸員・関係者の方々の労が伺えました。

この壮大な枠組みの展覧会がよく実現したという感銘を受けた一方で、ヨーゼフ・ボイスやラインハルト・サビエを例外として出品作家を日本の作家に絞ったことや、「美術評論の“御三家”と呼ばれてアート・シーンに存在感を示した」50〜70年代の活動をメインに設定したことの意味については、いろいろと考えさせられました。

晩年に針生さんが関わり続けた、JAALA(日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ美術家会議)の活動や大浦信行《遠近を抱えて》をめぐる裁判、2000年の光州ビエンナーレ特別展示「芸術と人権」ディレクターなどの(丸木美術館学芸員として、比較的馴染みの深い)仕事は、チラシやパンフレットなどの資料で簡単に紹介されていますが、展示作品はほぼありません。

批評の立脚点であった「前衛」という理念がなし崩し的に崩壊し、美術評論の社会的な影響力も変化していくなかで、おそらく晩年の針生さんは、深い苦悩を背負い続けていたのではないでしょうか。

最近の「イスラム国」をめぐる緊迫したニュースを見るにつけ、欧米中心の「国際社会」から取り残されたアジアや南米、中東の抵抗の連帯を提唱し続けていた針生さんを思い出します。
傍目からは無謀な戦いのように見えなくもなかった仕事、けれども死の直前までたんたんと前に向かって歩き続けていた、あの後ろ姿の意味を位置づけることは、簡単ではなさそうです。
残された私たちが、自身の心の内で問いなおし続けるべきことなのかもしれませんが。

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写真は、2009年12月に針生さんのご自宅を訪れたときに書斎で撮影したもの。
この半年後、針生さんは玄関で一人静かに亡くなられました。
上着を着て、靴を履いたまま、うずくまるように座っていたそうです。

図録には、三上満良宮城県美術館副館長の「針生一郎―美術運動家としての足跡」、韓国美術文化研究者の古川美佳さんの「アジアのリアリズムを求めつづけて―光州ビエンナーレ2000「芸術と人権」展を中心に」というふたつの論考が掲載されています。

針生さん自身の筆による文献も、「「共通の言語」を」(1953年)、「芸術の変貌とその意味」(1967年)、「人間と自然―第10回現代日本美術展のテーマについて」(1971年)、「アスコーナ・コロニー再評価 対抗文化をめざす人々の一大滞在地―展開できなかった思想の源泉を見る」(1988年)、「〈芸術と人権〉展 企画と実情、反論1つ」(2001年)という5つの論考が採録されています。

また、自筆年譜をもとにした年譜・執筆歴「針生一郎の足跡 1925-2010(2015)」は、55ページに及ぶたいへん充実した力作です。
年譜の最終項、2011年12月には、針生さんが丸木美術館に最後に提案していた置き土産、「Chim↑Pom展」の実現も記録されていました。

会期は3月22日(日)まで。
宮城県美術館のみで巡回の予定はありませんが、見ておくべき重要な展覧会だと思います。

針生さんの目ざしたものを「イデオロギーでなく、民衆の血から湧き上がる個を礎とした「公」の概念を芸術表現によってイメージさせ、浸透させていくこと」と記された図録の古川さんの文章が、展覧会の後味とともに、ずっと心に残っています。
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2015/1/21

宮城県美術館「針生一郎展」原爆の図《幽霊》搬出  館外展・関連企画

本日、宮城県美術館「わが愛憎の画家たち 針生一郎と戦後美術」(1月31日〜3月22日)のため、原爆の図第1部《幽霊》の搬出作業を行いました。

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丸木美術館前館長である美術評論家の故・針生一郎(1925-2010)は宮城県仙台市の出身。
5年越しの故郷での追悼展という意味を込めた企画です。

芸術の自律性とは、芸術の領域を境界線でくぎって、それ以外のあらゆる要素を排除するのではなく、社会と人間のあらゆる問題にかかわりながら、それらを想像力でつらぬくことによってのみ実現される、とわたしは信じている。
     ――針生一郎『わが愛憎の画家たち』あとがき

「現実を見据え、そこに前衛としての芸術家の在り方と創作の意義を問い続けてきた針生の思想と活動は、敗戦から今日に至る日本の美術史に、ひとつの地下水脈を形成してきたといえましょう」とチラシにありますが、針生さんの眼を通して戦後美術史を読みなおす機会になることを期待します。

出品作家は、岡本太郎、香月泰男、鶴岡政男、山下菊二、河原温、勅使河原宏、池田龍雄、中村宏、小山田二郎、斎藤義重、桂ゆき、今井俊満、菅井汲、山口勝弘、篠原有司男、赤瀬川原平、高松次郎、立石紘一、岡本信治郎、菊畑茂久馬、宮城輝夫、丸木位里・俊、横山操、中村正義、片岡球子、朝倉摂、粟津潔、磯崎新など。
個人的には、ノルウェーの芸術家・ラインハルト・サビエによる《壁の痕跡すら読みとる人間の知恵――死の国の馬たちに囲まれた針生一郎氏像》を見ることを楽しみにしています。

オープニングの1月31日には、私も針生さんのご遺族の皆さんといっしょに、展覧会に伺う予定です。当日に上映される大浦信行監督の映画『日本心中 針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男』など、会期中に行われる企画や講座も盛りだくさんです。
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2014/10/12

第五福竜丸展示館「黒田征太郎展」オープニングイベント  館外展・関連企画

丸木美術館の休みを頂き、午後1時から、都立第五福竜丸展示館ではじまった黒田征太郎「フクリュウマル展」(12月10日まで)の、オープニングイベントに家族で参加しました。

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黒田さんが描いた第五福竜丸とキノコ雲の絵の大きなバナーが天井から吊り下げられ、第五福竜丸の船体のすぐ下には、黒田さんの絵がたくさんならんでいます。
現在、丸木美術館で開催中の「第五福竜丸/ゴジラ 1954→2014」展に展示されている、《原爆の図》に触発された黒田さんの絵画の複製も紹介されていました。

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75歳という年齢を感じさせない若々しい黒田さん。
ベン・シャーンの「STOP H BOMB TESTS」のポスターのとなりで、さっそく嬉しそうに、ベン・シャーンに触発されて絵を描かれていました。
描くことが生きることそのものだ、という気持ちが伝わってきます。

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絵は利き手だけでなく、もう一方の手で描くこともできる。
目を瞑って描くこともできれば、開いて描くこともできる。
私たちのもっている体の可能性を、できるだけ生かして描くことができれば面白い。

私たちの命は、奇跡のように生まれてきた。
その命が、私たちの思いに反して、理不尽に断ち切られることもある。
だから今日は、私たちがここにいる「今」をテーマに描こう。

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そんな黒田さんの話を聞いた後、画用紙に黒田さんが描いた「かたち」をベースにしながら、参加者はクレヨンなどを使って、それぞれ自由に絵を描き足していきました。

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できあがってきた作品を、デザイン事務所K2のスタッフの皆さんが、ひとつの壁画のようにならべて、貼り付けていきます。

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その上から、さらに黒田さんが、絵と絵をつなぐように、丸を描いたり線を引いたり、黒いクレヨンでぐいぐいと描き足していきました。
画面中央、画用紙が少しぐちゃぐちゃになっているのは、生後5か月のわが家の末っ子も参加して、「描く」だけでは飽き足らずに、紙を「握る」という表現も発揮してしまったからです。
黒田さんは、その皺だらけの作品も、ちゃんと線でつなげてくださいました。

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こうしてつながった絵の上から、またみんなで描き足してみよう、と黒田さん。
絵はうまいとかへたじゃない。気持ちを描くことが一番大事。
いろんな人が参加して、今日、ここでしかできない作品ができあがったら、それをまたバラバラにして、みんなで家に持ち帰ろう、と話してくださいました。

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絵の上に乗っかって、みんなで思い思いに描き足していきます。
最初は「何を描けばいいのかな?」と考え込んでいた参加者も、だんだん自由になって、何も考えずに、勢いで手を動かしていくようになりました。

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大きな第五福竜丸のすぐ下で、みんなで絵を描く光景。
なんだかとても面白い、嬉しい気持ちになりました。

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できあがった作品を前に、黒田さんも嬉しそうです。
この絵の前で、みんなで写真を撮ろう!と言いました。

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とても楽しいイベントが終わった後は、屋外でパーティがはじまりました。
第五福竜丸展示館のI学芸員が用意して下さった美味しいおでんや、稲荷寿司、肉団子、エビフライなどなど、美味しい料理と飲み物を楽しみながら、いろいろな方と話をしました。
子どもたちに声をかけてくれたり、遊んだりしてくれた皆様に感謝です。

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台風が接近中とのことでしたが、天気が良くてとても気持ちの良い一日でした。
明日13日は、午後2時から丸木美術館で黒田さんのトークペインティングを行います。
何とか台風の直撃は免れそうですが、雨はちょっと心配です。
せっかくの機会なので、大勢のお客さんが来て下さることを、心から祈っています。
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2014/8/13

愛知県美「これからの写真」/名古屋市美「挑戦する日本画」/「痕跡」  館外展・関連企画

8月最初の休日は、名古屋へ。
午前中に愛知県美術館で開催中の「これからの写真」を観に行きました。

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新井卓、加納俊輔、川内倫子、木村友紀、鈴木崇、鷹野隆大、田代一倫、田村友一郎、畠山直哉という9名の芸術家、写真家の多様な作品を展示して、「写真」という枠組みが揺らぐ時代における可能性を探る展覧会です。

新井卓さんは、2012年夏に丸木美術館で個展を開催している銀板写真(ダゲレオタイプ)の写真家。
今回の展覧会では、丸木美術館でも展示した「3.11後」の福島のシリーズをはじめ、米国の核実験場トリニティ・サイトや第五福竜丸、広島、長崎という核の歴史を主題にした写真が展示されていました。

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ダゲレオタイプは写真の最初期の技法ということで、ただでさえ手間と時間のかかる撮影手法なのですが、さらにひとつの被写体をいくつもの画面に区切って撮影してならべるという、想像もつかないほどの労力から生み出されるのが「多焦点モニュメント」の作品です。

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この複雑に存在する焦点によって、歴史的モニュメントが無数の個人の記憶へと解体されていくような、新井さんらしい作品です。

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会場には第五福竜丸展示館に保存されているビキニ事件の際の放射性降下物「死の灰」も展示されていました。

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瓶の奥に設置されている放射線測定器によって、大気中の放射線量が一定に達すると、展示室中央の水銀灯が、核の閃光を連想させるほどの強い光を発するという仕掛けも興味深く思いました。
その光が発せられたときだけ、トリニティサイトのモニュメントの写真や長崎の爆心地をとらえた銀板写真が見えるようになるという仕掛けです。

   *   *   *

このほかにも、鉱山をダイナマイトで発破する瞬間を撮影した畠山直哉さんや、震災後の東北をまわりながらその日常のなかで生きる人びとの姿をポートレートとして撮影し続けてきた田代一倫さんなど、興味深い展示を見て回っていたのですが……実はこの日の朝、鷹野隆大さんの作品シリーズ「おれと」をめぐって愛知県警が猥褻物陳列罪に抵触する可能性があるとして撤去を求め、展示作品の一部が隠されたというニュースが流れていたのでした。

http://www.asahi.com/articles/ASG8D65H8G8DOIPE034.html

そうとは知らない私は、鷹野さんの展示室に入り、裸体の上で冷房の風にヒラヒラと揺れている半透明の薄紙を目にして、どうしてこんな(ある意味で、むしろ作品を猥褻にするような)ものがついているのかと思わずめくってしまい、監視の方の注意を受けてしまいました。

後で新井さんを通じてさまざまな状況がわかってくるのですが、明治期の黒田清輝の裸体画をめぐる「腰巻事件」のパロディのような対処によって、ある意味では作品の問題意識を増幅させ、公権力の介入さえも物語に取り込んでしまう作者の対応の鮮やかさが見事でした。

http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/301249/

新井さんは、愛知県警に対し、鷹野隆大さんの展示への不当介入の撤回を求める署名も集めています。私も行きがかりで賛同人に名を連ねましたが、以下のWEBサイトから署名ができますので、どうぞよろしくお願いいたします。
http://www.change.org/ja/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%B3/%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E8%AD%A6%E5%AF%9F-%E6%9C%A8%E5%B2%A1%E4%BF%9D%E9%9B%85-%E6%AE%BF-%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E7%BE%8E-%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%86%99%E7%9C%9F-%E5%B1%95-%E9%B7%B9%E9%87%8E%E9%9A%86%E5%A4%A7%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E5%B1%95%E7%A4%BA%E3%81%B8%E3%81%AE%E4%B8%8D%E5%BD%93%E4%BB%8B%E5%85%A5%E3%81%AE%E6%92%A4%E5%9B%9E

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午後は名古屋市美術館で開催中の「挑戦する日本画」展へ。

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この展覧会には、原爆の図 第6部《原子野》と丸木位里の水墨画《牡丹》が出品されています。
「日本画滅亡論を超えて」という副題がありますが、戦後の新しい日本社会の現実に対応できない「日本画」への批判を超えて、「日本画」の革新を目ざした画家たちの作品を見つめなおす内容です。

2010年から11年にかけて、戦前の日本画の革新に焦点を当てた「『日本画』の前衛」展が京都、東京、広島で開催されましたが、今回の名古屋市美術館の企画は、その戦後版といったところ。
そして、その両方の展覧会に、丸木位里という名が連なっていることの意味を、あらためて考えさせられました。
もちろん、岩橋英遠や三上誠、星野眞吾、山崎隆ら二つの展覧会に名を連ねている画家は他にもいるのですが、位里の場合、シュルレアリスムを「日本画」に取り入れようとした戦前の革新と、雄大な水墨の大画面に挑んだ戦後の革新の意味は異なります。
戦前、戦後の二度の革新の流れに、それぞれ違う表現で関わっていたという彼の実験精神は、もっと注目されて良いのかも知れません。

この展覧会の図録の冒頭には、何と日本国憲法の前文の一部が掲げられています。

日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ


展覧会を企画した山田諭学芸員の論文には、戦後の日本の急速な復興を支えた根幹には日本国憲法の三大原則「国民主権(民主主義)」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」があり、「日本画」の変革に向かった美術家たちの批判精神も、これらの理念に基づいていたという指摘がありました。

彼らの目ざした「日本画」の変革とは「世界」に挑戦する絵画の創造だったのだ、という思いをかみしめる内容の濃い展覧会でした。

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夕方の新幹線に乗って東京へ戻り、午後7時半からは、来年1月に閉館が予定されている青山円形劇場で、劇団KAKUTA公演「痕跡」を観ました。
出演女優の斉藤とも子さんからお誘い頂いた舞台です。

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嵐の夜に発生した子どものひき逃げ事件。事件の被害者、加害者、目撃者、そして偶然通りかかった一人の男。はじめは交わりの見えなかった群像劇が、次第につながって、事件の真相に近づいていく……。

希望と絶望がないまぜになった社会の荒波のなかで、日本戸籍を得るために偽装結婚をする韓国や中国出身の若い女性、失踪者として名前を変えて生きていく男性など、人生の重みを背負った個性的な登場人物たちの懸命に生きているリアリティが、ときに滑稽に、もの悲しく、舞台上で展開されます。
斉藤とも子さんは、息子を事故で失いながらも、最後まで生存をあきらめずに捜索を続ける余命半年の母親の役を、切なく清楚に、しかし熱く、演じられていました。

http://news.walkerplus.com/article/49443/

終演後、斉藤さんにご挨拶をして、帰宅。
8月の丸木美術館は慌ただしく、なかなか休みが取れないのですが、貴重な休日に充実した時間を過ごすことができました。
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2014/8/1

南米現代美術アートの対話“アルファ崩壊からベータ崩壊へ”  館外展・関連企画

午後6時半より、都内のTKPガーデンシティー永田町コンフェレンスルーム1Bにて(メキシコ大使館から急きょ会場変更となりました)、「竹田信平 ベータ崩壊展」の関連企画として、「南米現代美術アートの対話“アルファ崩壊からベータ崩壊へ”」と題するトークイベントが開催されました。

本来は、メキシコ人キュレーターのマルセラ・キロズを交えて行われるはずのイベントでしたが、諸事情のため来日がかなわず、出演は竹田信平(現代美術家)をはじめ、ホセマー・リザラガ(メキシコ人アーティスト)、新井卓(写真家)、岡村幸宣(丸木美術館学芸員)の4名となりました。
平日夜の開催にもかかわらず、会場に訪れて下さった方は40人以上という盛況でした。

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はじめに、メキシコ最北端の国境に位置する街ティファナを拠点に活動する20代の若手アーティスト・ホセマーが、自身の活動を報告しました。
ティファナは、中南米から米国を目ざしてやってきた数多くの移民たちが、最後の壁を超えられずに定住を余儀なくされる、混沌と暴力の街としても知られます。
ホセマーの兄は、数年前に麻薬組織の抗争に巻き込まれ、銃殺されました。その事件以来、彼は今まで考えなかったことを考えるようになり、誰もが見ないふりをして生きている街のなかで、見えなくなっている暴力を明確に浮かび上がらせる表現活動を行うようになったそうです。

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続いて、一昨年の夏に丸木美術館で個展を開催した写真家の新井卓さんが、ダゲレオタイプで撮影し続けている福島や第五福竜丸、そして近作のトリニティや広島・長崎の作品を紹介しました。
福島を撮影していたときには問われなかったが、原爆を撮りはじめてから急に「なぜ体験していないのに撮るのか」という問いを周囲から突きつけられるようになった、という途惑いについても語り、「非体験者は表現する資格があるのか」という、竹田作品やホセマーの表現にも通じる根源的な問題を提起して下さいました。

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最後に報告した竹田さんは、被爆者の記憶を身体を通して“共有”するために、証言の声紋を転写するという「アルファ崩壊」のシリーズが生まれてきた過程を詳しく紹介しました。
声紋をなぞり書きする行為を実際に目にして、まるで写経のようだ、と思ったのですが、実際、初期の頃は、証言の言葉そのものを床に写し書きしている作品もあったりして、たいへん興味深く見ることができました。
また、集団ではない個別の記憶の重要性を自覚しつつ、大きな“モニュメント”を築き上げることの誘惑に抗えないという率直な思いを語っていたことも、考えさせられました。

三人の発表と竹田さんの新刊紹介の後は、私も参加して「体験/非体験」の問題などをテーマにしたトークセッションが行われました。
圧倒的な暴力を前にしたとき、「体験」の中心に位置する人びとは、そもそも死者であるために記憶を表現することはできません。そして、「体験者」と言えども、個人的体験以上の全体像を把握することは決して簡単ではなく、その意味では、「体験/非体験」の境界は、視点の設定によっても揺れ動く、曖昧な存在なのだと思います。

そのとき重要となるのは、「体験」よりも「当事者」としての意識ではないか。
ホセマーは兄の死によって、竹田さんは被爆者の証言をたどる旅で、新井さんは「3.11」後に福島や第五福竜丸を撮り続ける過程で、それぞれ、みずからの日常とつながる「当事者」としての意識を獲得していったのではないか。
そして、そうした「当事者」としての意識は、時間や距離を超えて誰もが持つことができる、普遍的な「記憶」につながるのではないか。
トークをしながら、ずっとそんなことを考えていました。

竹田さんの作品をより深く知るばかりでなく、久しぶりに新井さんの作品の報告を聞き、ホセマーの表現活動を知ることもできた貴重な機会に、心から感謝いたします。
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2014/5/23

ブックギャラリーポポタムにて「丸木俊の絵本の世界」展  館外展・関連企画

西池袋のブックギャラリーポポタムにて、「丸木俊の絵本の世界」展がはじまりました。

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池袋は、かつて丸木夫妻が暮らしたアトリエ村「池袋モンパルナス」のあった縁の深い地域です。
ポポタムさんは、とてもかわいらしいブックギャラリーで、品ぞろえもとても良いです。
今回の展示では、丸木俊の絵本や童話の挿絵、子どもを描いた作品、戦後の池袋モンパルナス時代のスケッチなどが紹介され、小品、版画、絵本の販売も行われています。
ぜひ、皆さま、覗いてみてください。

丸木俊の絵本の世界
12〜19時 金曜〜20時 ※最終日は17時終了
水曜・木曜休み 入場無料
ブックギャラリーポポタム
豊島区西池袋2-15-17
03-5952-0114
popotame.m78.com/shop
目白駅から徒歩7分、池袋駅から徒歩9分
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2014/4/11

沖縄県立博物館・美術館「木下晋展 生命の旅路」  館外展・関連企画

朝の開館と同時に沖縄県立博物館・美術館を訪れて、「木下晋展 生命の旅路」を観ました。

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展覧会の基本構成やほとんどの作品は丸木美術館で開催したときのものと変わらず、木下さんの作品を通して彼自身の生きてきた軌跡を振り返る内容なのですが、広くゆとりのある空間に、木下さんの言葉や映像、資料なども加えられて、丸木美術館の展示とはまた異なる充実した展示になっていました。
とりわけ、展覧会を紹介する文章のなかに、沖縄戦の痛みに触れて木下さんの作品と重ねるくだりが追加されていたことが、深く心に残りました。

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丸木美術館の企画は、予算規模などの問題もあり、今まですべて単館のみの企画だったので、こうして他の空間で展示された企画を見るのは、とても新鮮で嬉しいものです。
大いに刺激を受けますし、新たな視点の発見もあります。
「木下晋展」を開催したいと提案して下さった沖縄県立博物館・美術館のKさんには、本当に感謝しています。

そのKさんや同僚のMさん、宮良瑛子展でお世話になっているT学芸員に連れられて、A館長や、美術館指定管理社のT代表にもご挨拶をさせて頂きました。
海を渡らなければならないという点で、どうしても経済的な壁が立ちはだかるのですが、沖縄との連携は、これからも継続的に考えていきたいと強く思いました。

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慌ただしく沖縄県立博物館・美術館を後にすると、昼の便で那覇空港から神戸空港に飛びました。
明日、4月12日(土)より兵庫県芦屋市のギャラリーあしやシューレで開幕する「安藤栄作展 シャンバラ」のオープニング・トークに参加させて頂くのです。
ホテルに荷物を置いた後、ギャラリーあしやシューレに顔を出して、展示作業をしている安藤さんご夫婦とオーナーのTさんにご挨拶をしました。

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Tさんによれば、このギャラリーは2年前にはじめたばかりのまだ新しいスペースとのこと。
とても落ち着いた空間で、高さがたっぷりあるので、「光のさなぎたち」も伸びやかに立っているように見えました。
爽やかな木の香りが会場に満ちているのも心地よいです。

丸木美術館、いわきに続いて3回目、関西方面では初めての「光のさなぎ」の展示。
「3.11」後の津波でアトリエを失い、原発事故の影響もあって奈良に移住した安藤さんが、福島への強い思いを注いで制作した彫刻群を、ぜひ、多くの方にご覧頂きたいと思っています。
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2014/4/8

ギャラリーあしやシューレ「安藤栄作展」のお知らせ  館外展・関連企画

兵庫県芦屋市のギャラリーあしやシューレで、安藤栄作さんの個展「Shambhala(シャンバラ)」が4月12日(土)から5月6日(祝/火)まで開催されます(休廊日:4月14日、15日、21日、22日、28日、29日)。

昨春に丸木美術館で開催した企画展「光のさなぎたち」の関西初展示となります。
移住先の奈良から福島を見つめ続ける安藤さんの思いが込められた巨大な彫刻。
関西にも「光」を下ろし、希望で満たすことができるのではないかと思います。

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4月12日(土)の午後3時からは、安藤さんと岡村がトークイベントを行う予定です。
この日は、トークイベントに引き続き、レセプションも行います。
ぜひお近くの皆さま、ご来場をお待ちしています。
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2014/3/21

沖縄県立博物館・美術館「木下晋展 生命の旅路」のお知らせ  館外展・関連企画

この2日間、沖縄県立博物館・美術館のK学芸員と画家の木下晋さんが来館し、2月8日まで丸木美術館に展示されていた「木下晋展 生命の旅路」の作品の状態確認・梱包作業が行われました。

丸木美術館にとって初めての出来事なのですが、丸木美術館で開催した企画が、沖縄県立博物館・美術館に巡回するのです(4月4日〜5月6日)。

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チラシも、丸木美術館のときと同じデザインを使ってくださいました。
丸木美術館では、1月22日に『東京新聞』首都圏版で紹介されて以来、たいへん大きな反響のあった展覧会でしたが、沖縄の方々には、どのように見ていただけるのでしょうか。

展覧会の構成は、丸木美術館展と同様、木下さんの原体験である絵本原画『はじめての旅』からはじまり、16歳で自由美術展に入選した記念碑的作品《起つ》などの初期のクレヨン画・油彩画を経て、代表作として評価の高い鉛筆画へと続いていく内容です。
人間の「生」の根源へと向かっていく木下さんの作品世界と、木下さん自身の苦難の人生のつながりを提示する試みです。
木下さんご自身によるギャラリートークや記念対談、鉛筆画ワークショップなど、関連企画も盛りだくさん。

私もぜひ、実際に沖縄で展覧会の様子を見ておきたいと思っています。
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2013/11/24

Ring-Bongリーディング「闇のうつつに 我か我かは」in KEN  館外展・関連企画

午後4時から、三軒茶屋のKENにて、演劇集団Ring-Bongのリーディング公演「闇のうつつに 我か我かは」が行われました。

この作品は、Ring-Bongを主宰する文学座女優・劇作家の山谷典子さんがラジオドラマのために執筆した朗読劇です。
丸木美術館のロケーションや原爆の図第12部《とうろう流し》をモデルにしつつ、原爆を東京大空襲に置き換え、登場人物もすべて架空の人物として、丸木夫妻の作品とはまったく別の物語に仕上げています。
もともとジャーナリスト志望だったという山谷さんは、台本執筆の前に綿密な資料調査をすることでも定評があり、今回は私も池袋モンパルナスや戦争画に関する資料をいくつか彼女にお貸ししていました。

出演は《とうろう流し》を描いた女流画家・恩田さき役を演じた山谷さんをはじめ、小笠原良知さん(美術館を訪れる謎の老人役)、辻輝猛さん(美術館の学芸員役)、福田絵里さん(美術館のボランティア役)の4名。演出は丸木美術館の近くにご実家があり、以前からたびたび丸木美術館を訪れていたという小笠原響さんが手がけてくださいました。

戦争の時代と現代を行きつ戻りつしながら、《とうろう流し》の絵の謎を解き、それぞれの登場人物の抱えている悩みや葛藤を重ね合わせていく濃密な50分間。
リーディング公演終了後の会場からは、「朗読劇で涙を流すとは思わなかった」「一度きりの公演ではもったいないから、ぜひ再演をやって欲しい」という声も聞こえてきました。

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休憩をはさんで第2部では、私が聞き手をつとめながら、山谷さんをはじめ出演者の皆さまとのアフタートークを行いました。
トークのはじめには、これまでにRing-Bongが行ってきた公演―2010年の『櫻の木の上 櫻の木の下』、2011年の『名も知らぬ遠き島より』、2012年の『あとに先立つうたかたの』という3本の作品のダイジェスト映像も紹介しました。

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いずれも山谷さんが執筆を手がけた作品で、いずれも過去(戦時中または戦後すぐ)と現在を行き来するという共通点があります。

「私の中で、ひとつの問題を考えるときに、そのことだけ考えても答えが見つからないという思いがあるんですね。社会という大きな問題を考える上では親子や家族から見ていった方が答えが見つかるのではないか。現代は過去から照射したらどうなるのか。逆のものを眺めたいっていう思いがありますね」と語る山谷さん。

そうした思いが、困難なテーマに向き合いながら、人間の普遍性に迫る瑞々しい感覚の作品につながっていくのだということを、あらためて考えさせられました。

ご来場くださった皆さまをはじめ、会場提供・運営にご協力くださったKENのスタッフには、本当に御礼を申し上げます。
そして、最後に会場から感動的な挨拶をしてくれた、劇中人物のモデルにもなった丸木美術館ボランティア/文学座演出助手の神田成美さんにも、心から拍手を送ります。彼女が山谷さんを引き合わせてくれたことで、今回の素晴らしい作品が生まれてきました。
きっと彼女にとっては、深く思い出に残る作品になったのではないかと思います。

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次回のRing-Bong公演『しろたへの春 契りきな』は2014年1月18日から26日まで、小竹向原のサイスタジオコモネAスタジオにて。
ソウルにある西大門刑務所の受刑者の記録写真を撮影する写真技師の家族を主人公に、1940年代の日本統治下の京城、1970年代のソウル、現代の東京を舞台にした物語です。
日本と韓国のあいだに困難な問題が横たわる今の時代だからこそ、ともに考え続けていきたい、見逃せない内容の作品になるのではないかと期待しています。
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2013/11/12

Ring-Bongリーディング「闇のうつつに 我か我かは」予告  館外展・関連企画

いよいよ「木下晋展 生命の旅路」がはじまりました。
初日の今日は、県内の私立女子高校などの団体が来館し、館内説明を4回行うなどあわただしい一日になりました。
展示作業の仕上げや片付けなども残っていたのですが、事務局のYさんやボランティアのHさんが一日がかりで手伝って下さり、たいへん助かりました。

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夜は都内の稽古場で、演劇集団Ring-Bongのリーディング公演「闇のうつつに 我か我かは」の稽古を見学しました。
この作品は、Ring-Bongを主宰する文学座女優・劇作家の山谷典子さんがラジオドラマのために作られた朗読劇で、丸木美術館と原爆の図第12部《とうろう流し》をモデルにしています。
といっても、ドラマの設定の際に原爆を東京大空襲に置き換え、登場人物もすべて架空の人物ですので、丸木夫妻の作品とはまったく別の物語に仕上げられています。

山谷さんの得意とする、過去と現在を重ね合わせて、異なる歴史軸のなかから現代の問題をあぶり出す力作。登場人物の誰もが自らの状況に葛藤を抱えていながら、しかし、美しく昇華されていく物語の構成が見事です。
公演は、11月24日(日)午後4時に、三軒茶屋のKENで行われます。

現代社会を見つめる芸術表現を紹介する岡村企画の第3弾。
第2部では、アフタートークとして、山谷さんの作品への思いをお聞きします。
2014年1月に公演予定の次回作「しろたへの春 ちぎりきな」では、日韓の植民地支配の歴史を主題にするそうです。その見どころも、お聞きできればと思っています。
会場のKENは収容人数に限りがあるので、ご来場下さる方には、事前予約をお勧めします。

http://www.kenawazu.com/2013/10/post-29.html

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「闇のうつつに 我か我かは」 Ring-Bong リーディングの夕べ

日時:11月24日(日)15時半開場/16時開演

第1部 リーディング公演「闇のうつつに 我か我かは」
第2部 アフタートーク 岡村幸宣(丸木美術館学芸員)×山谷典子(演劇集団Ring-Bong主宰)

第1部
出演:小笠原良知 辻 輝猛 福田絵里 山谷典子
作:山谷典子
演出:小笠原 響
企画:岡村幸宣
制作:Ring-Bong

奥武蔵の川を見下ろす丘の上に建つ小さな美術館。
そこに一人の老人が訪れる。
かつて彼は東京大空襲で家族を失い、
同じく空襲で家族を失った一人の女性画家と、この地で出会ったのだった。
「闇のうつつの出来事は、私には夢のようにも思えます・・・」
現代と昭和二十年。
二つの時代を、物語は交錯していく。
生きること、信じること、家族とは、国とは・・・

チケット
2,000円(前売・当日とも)
10/10(木)より予約開始

ご予約・お問い合わせ
 070-6977-0271 ※11/24当日のみ 03-3795-1778(KEN直通)

歴史は繰り返す。
そう言われることは多いけど、本当の意味で繰り返された歴史は一度もないはずだ。
歴史は決して繰り返さない。
とはいえ、異なる時代に似たような状況を見出すことはできる。
過去は未来を照らし出す鑑(かがみ)でもある。
歴史を学ぶということは、生きるための道標を学ぶということだ。
演劇集団Ring-Bong の舞台を、これまでに3度観た。
主宰者である 山谷典子の紡ぎ出す物語は、先の戦争と今の時代を行きつ戻りつしながら、
重く複雑な主題を私たちの日常と重ね合わせていく。
人は生まれてくる時代を選ぶことはできない。
けれども、いつの時代にあっても、人はそれぞれの運命に流されながら、
歌い、笑い、憤り、泣き、奔り、過ちを犯し、そして赦し、赦され、
ただごとでない生を、精一杯に生き切っていく。
悲しみや苦しみにあふれた歴史を知り、明日を生きる糧とすること。
若い演劇人たちの繊細かつ骨太な試みを、これからも見届けていきたい。

原爆の図丸木美術館学芸員 岡村幸宣


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