2015/2/1

広島テレビニュース番組「テレビ派」で《原爆の図》特集放映  TV・ラジオ放送

2015年1月27日午後6時22分から8分間、広島テレビのニュース番組「テレビ派」の特集「つなぐヒロシマ〜被爆70年核廃絶への道〜」で、《原爆の図》が紹介されました。
ヨシダ・ヨシエさんのお元気な姿も映っていて、とてもよくまとめて下さったと思います。
担当の渡辺由恵さんが映像のDVDを送って下さったので、内容を書き起こしました。

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―スタジオ― 
【テロップ】つなぐヒロシマ 「原爆の図」が歩んだ歳月
森拓磨アナウンサー 原爆美術の最高峰と言われる、《原爆の図》の最初の作品が発表されたのは、原爆投下から5年後の1950年です。創作はその後も、30年以上続きました。
馬場のぶえアナウンサー その一部が、初めて、アメリカの首都ワシントンで展示されることになりました。作品には、広島がたどった歳月が重なってきます。

―丸木美術館遠景〜《原爆の図》展示室―
【テロップ】原爆の図丸木美術館 埼玉県東松山市
ナレーション 埼玉県東松山市の丸木美術館。訪れる人の少ないこの時期、室内はひっそりとしています。

―丸木美術館事務室にて― 
【テロップ】丸木美術館 学芸員 岡村幸宣さん
岡村 8月6日から15日にかけては100人以上は来ますね。多いときは200人を超えて。冬は2人とか3人だったりするので、そうですね、すごい違いますよね。

―丸木夫妻の写真― 
【テロップ】水墨画家 丸木 位里(1901-1995) 油彩画家 丸木 俊(1912-2000)
ナレーション 美術館を建てたのは、一組の夫婦。水墨画家・丸木位里と、妻で油彩画家の丸木俊。

―焼け跡の広島― 
【テロップ】原爆投下直後の広島 1945年
ナレーション 70年前、広島に投下された原爆が、二人の運命を変えました。

―破壊された原爆ドーム― 
【テロップ】広島出身の位里は8月10日未明に東京から広島入り
ナレーション 広島出身の位里は、新型爆弾投下の一報に、東京から駆けつけました。

―丸木夫妻の写真―
ナレーション 妻の俊も後を追い、二人はおよそ1か月、広島に身を置いたのです。

―原爆の図《幽霊》― 
【テロップ】原爆の図 幽霊―第一部 1950年
ナレーション 被爆の後遺症と貧困に苦しみながら、5年後完成させたのが、原爆の図《幽霊》です。8枚一組の絵には、もだえ苦しむ人々の姿が描かれました。

―《原爆の図》の前にて― 
【テロップ】丸木美術館 学芸員 岡村幸宣さん
岡村 原爆の図というタイトルがついているけれども、ここに描かれているのは、繰り返し繰り返し人間。きのこ雲の下にいた人間がどうなってしまったのか。頭の上に原爆を落とされた人の側に立って、そこから見えるものを描きたいというふうに思ったわけですね。

―原爆の図《火》― 
【テロップ】原爆の図 火―第二部 1950年
ナレーション 作品は縦180p、横720pもあります。丸木夫妻はあの日の記憶を絞り出すように、筆を落としました。

―原爆の図《水》― 
【テロップ】原爆の図 水―第三部 1950年
ナレーション 同じ年、後に原爆の図三部作といわれる《火》と《水》も完成しました。
【テロップ】占領軍統制下 原爆の惨状を訴える
ナレーション まだ占領軍統制下の時代でしたが、全国で原爆の惨状を訴えました。

―事務室、キャビネットからファイルを取り出す岡村―
ナレーション それを裏付ける貴重な資料が、7年前、丸木美術館で見つかりました。原爆の図巡回展の記録です。
岡村 具体的にどの町でどういうふうに展覧会が開かれていたのかっていうのは、ほとんど分かっていなかったんですね。それが、この「原爆の図三部作展覧会記録」というガリ版刷り資料が出てきたことで、これはかなりたどれるんじゃないかと。

―ガリ版刷り「原爆の図三部作展覧会記録」―
ナレーション 初めて公開されたのは東京。当時は作品名を《八月六日》と変えて出品しました。占領軍の検閲から逃れるためです。
【テロップ】初公開のとき 作品名は「八月六日」
ナレーション 東京の6か所で開いた後、広島から全国巡回展がはじまりました。それは、ふたりの希望でした。
【テロップ】広島から全国巡回展

―丸木夫妻のインタビュー録画― 
【テロップ】1983年撮影 丸木位里 丸木俊
位里 これは三部作できたときに、あちこちで展覧会をやってくれと要求があるものだから、まず広島から始めようというので。
ナレーション 巡回展が二人の背中を押しました。

―『われらの詩』第10号掲載「壷井・丸木・赤松を囲む座談会」記事― 
【テロップ】「われらの詩」1950年12月
ナレーション 座談会では「広島に来て、もう何作か描かずには納まらなくなった」と思いを語っています。

―丸木美術館に向かう車の中― 
【テロップ】美術評論家 ヨシダ・ヨシエさん
ヨシダ もうすぐだ。
ナレーション 当時を知る美術評論家ヨシダ・ヨシエさんです。
―丸木美術館に到着、車椅子で入館するヨシダさん―
岡村 よくおいでくださいました。

―展示室で《原爆の図》を見てまわるヨシダさん―
ナレーション ヨシダさんは《原爆の図》を携え、全国をまわった一人です。この日は、3年ぶりの対面です。
ヨシダ 九州は小倉・直方・佐賀・佐世保・久留米・大分・別府・長崎……。自分で回ってますから、記憶に叩き込まれてる。

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―映画『原爆の図』より、展覧会場―
【テロップ】記録映画「原爆の図」今井正・青山通春監督1953年
ナレーション 巡回展は評判を呼び、記録映画にもなりました。
映画ナレーション(赤木蘭子) 全国いたるところで、この絵を見た人々に激励され、教えられ、五部まで完成した私たちは、この絵を大衆が描かせた絵画、《原爆の図》と名づけました。

―《原爆の図》の前にて―
ヨシダ 全部この絵、担いで歩きましたから。日本国中、150か所。
―映画『原爆の図』より、絵を携えて全国を歩く場面―
ヨシダ しらみつぶしに《原爆の図》を担いで、ここら辺でやるかって。手描きでビラ書いて、夜中に貼って回りました。何度も手錠をはめられました。
―《原爆の図》の前にて―
ヨシダ 《原爆の図》で初めて、日本人が、原爆の被害を知ったのではないですか。
―映画『原爆の図』より、絵の説明をするヨシダさん、観客の反応、第6部を描く丸木夫妻―
ナレーション ゲリラ的な展示でも、多くの人が見てきました。食い入るように見つめる人、嗚咽する人。反響は大きかったといいます。

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―原爆の図《焼津》―
【テロップ】原爆の図 焼津―第九部 1955年
ナレーション 原爆を通じ、二人の画家の目は、核をとりまく社会を見つめるようになりました。
【テロップ】32年間で15作に
ナレーション 足かけ32年をかけた《原爆の図》は、全部で15作の大作になりました。

―流々庵にて― 
【テロップ】丸木夫妻の姪で養女 丸木ひさ子さん
ひさ子 人や子どもが大好きだしね。人が人らしく生きていくってことに対してすごく大切だって思っている2人でしたから、だまっちゃいられないみたいなことだからね。
―晩年の丸木夫妻共同制作の写真― 
【テロップ】撮影:本橋成一
ひさ子 それをやっぱり、画家として表さなきゃいけないって思ったんだと思いますね。

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―アメリカン大学美術館遠景― 
【テロップ】岡村幸宣さん撮影 アメリカン大学 美術館 現地時間今月15日 ワシントンD.C.
ナレーション 《原爆の図》は今年、海を渡ることになりました。
―展示室に入っていくピーター・カズニック教授― 
【テロップ】アメリカ展示は20年ぶり
ナレーション 20年ぶりのアメリカ展示です。会場は首都ワシントンのアメリカン大学美術館。岡村さんも現地を確認しました。
―展示室で打ち合わせをするジョン・ラスムッセン館長―

―原爆の図《米兵捕虜の死》― 
【テロップ】アメリカで展示される原爆の図 米軍捕虜の死―第十三部 1971年
ナレーション 会期は6月中旬から、およそ2か月間。丸木夫妻が半生をかけて挑んだ作品の中で、6点が訴えます。
【テロップ】アメリカ展示 15点中6点を出展

―《原爆の図》の前にて―
【テロップ】丸木美術館 学芸員 岡村幸宣さん
岡村 丸木夫妻が時間をかけて考え続けていった、戦争の不条理とか、国対国だけで考えられない人類共通の問題として、暴力……戦争や核というものを捉えていくことができるんじゃないか。そういう期待はありますね。

―丸木位里の写真(本橋成一撮影)― 
【テロップ】報告 渡辺由恵
ナレーション 夫婦のきずなで結ばれた画家が、心血を注いだ《原爆の図》。
―原爆の図《とうろう流し》―
ナレーション 怒りと悲しみを乗り越え、歳月のなかで役割を変えながら、訴え続けます。

―スタジオ―
馬場アナウンサー あらためて、この《原爆の図》をじっくり見てみたいなというふうに思いましたね。人生をかけてこの絵を描いた丸木位里さん・俊さん夫妻はもちろんですけれども、この絵を全国の人に見てもらいたいと奔走した人びとすべての方が今の私たちにとって本当になくてはならない財産という感じがしますね。

―映画『原爆の図』より映像抜粋、その後丸木美術館の展示風景―
森アナウンサー いわゆるゲリラ的展示だったというけれども、たしかに今、三部作を続けてみても、克明に表現されていますから、美術的価値はもちろん、記録だと思うんですよね。32年をかけて、全部で15作の大作、これは本当に記録としてこれからも受け継がれ、そしてじっくり見ていくものなんでしょうね。
馬場アナウンサー そうですね。

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渡辺さんはじめ、スタッフの皆さまに御礼申し上げます。
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2015/1/27

NHK FMラジオ「日刊!さいたま〜ず」にて「南洋群島展」紹介  TV・ラジオ放送

1月28日(水)午後6時より、NHKさいたま放送局のFMラジオ番組「日刊!さいたま〜ず」に出演します。
30分ほどのスタジオ生放送で、現在開催中の企画展「赤松俊子と南洋群島」についてご紹介いたします。
先ほど、野田亜耶奈キャスターとの電話打ち合わせが終わりました。

リクエスト曲は、「酋長の娘」(1925年、作詞・作曲:石田一松)と「南洋小唄」(沖縄民謡)をお願いしています。どちらも、日本統治下の「南洋群島」の雰囲気を伝える曲ですが、「酋長の娘」は、ザ・ドリフターズが替え歌「ドリフのラバさん」にしているので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
埼玉県内のみの放送(さいたま85.1MHz、秩父83.5MHz)となりますが、どうぞお聴き下さい。

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2014/12/13

NHKニュース「おはよう日本」にアーサー・ビナード紙芝居紹介  TV・ラジオ放送

2014年12月13日午前7時台のNHK総合テレビのニュース番組「おはよう日本」で、《原爆の図》をもとにした紙芝居を制作中のアーサー・ビナードさんが紹介されました。

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写真は、11月2日に丸木美術館で紙芝居公演を行ったアーサー・ビナードさん。

以下に、放映された内容を書き起こします。

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―原爆の図 第8部《救出》クローズアップ―

近田雄一アナウンサー こちらは、原爆の悲惨さを描いた絵、《原爆の図》。ご覧になった方もいらっしゃると思います。今、この絵を使って、紙芝居を作っているアメリカ人の男性がいます。

―スタジオ― テロップ“原爆の悲惨さ アメリカで伝えたい”

和久田麻由子アナウンサー 原爆投下から70年となる来年、アメリカで原爆の悲惨さを伝えようとしています。その制作の現場を訪ねました。

―丸木美術館内の階段をのぼり、《原爆の図》の前へ向かうアーサーさん―

ナレーション(藤原和樹記者) アメリカ人の詩人、アーサー・ビナードさん。日本語で詩を書き、中原中也賞など、数々の賞を受賞してきました。

―《原爆の図》を撮影する岡倉禎志さんとアーサーさん―

ナレーション この日、紙芝居で使う絵を撮影するため、美術館を訪れました。

―原爆の図 第2部《火》― テロップ“「原爆の図」作 故丸木位里・丸木俊”

ナレーション 被爆の惨状が描かれた大作、《原爆の図》。被爆直後の広島で救護活動を行った、丸木位里、俊夫妻によって描かれました。巨大な15枚の絵で、原爆の悲惨さや、その後の人びとの姿を伝えています。

―展示室全景―

ナレーション 知り合いに連れられ、偶然この絵を見たアーサーさんは、ひと目で惹きつけられました。

―原爆の図 第1部《幽霊》、第8部《救出》などの部分映像―

ナレーション この絵に物語をつければ、アメリカ人にも伝わると考えたのです。

―出版社の一室で紙芝居の構想を練るアーサーさん―

アーサー 衝撃は終わらない。100回見ているけど、毎回毎回新しい発見がある。「原爆の図」がアメリカの人びとを巻き込んで、アメリカの人びとをこの体験に引き込むことは間違いない。

―10歳のころのアーサーさんの写真―

ナレーション 被爆の実態を伝えたいというアーサーさん。アメリカの学校では、原爆がたくさんの兵士を救ったと教えられました。

―初めて日本を訪れたときのアーサーさんの写真―

ナレーション 転機となったのは、大学卒業後、日本語に関心を持つようになって訪れた広島。そこではじめて、原爆をあらわす「ピカ」という言葉と出会いました。

アーサー あの言葉には広島の体験者の立ち位置が組み込まれているんですね。ピカって言った瞬間に、上から見るんじゃなくて、下から上空を見るんだね。どこから見るかによって、見方も感じ方も考え方も変わるっていうことを、そのときに実感して……

―原爆の図丸木美術館の外観―

ナレーション 制作をはじめて3年。美術館の一室で、原爆の図をよく知る人に試作品を見てもらうことにしました。

―紙芝居の一場面(撮影岡倉禎志)―

ナレーション 紙芝居を演じるアーサー あの日、私たちはみんな広島にいた。新しい一日がはじまったそのとき、いきなり、空が光った。ピカッという光。私たちの肌は、じゅうっと焼かれた。

―大勢の観客の前で、紙芝居を演じるアーサーさん―

ナレーション アーサーさんは専門用語をちりばめながら、その恐ろしさをつたえようとしました。

アーサー アメリカの軍隊が広島で使ったウランは、新しい殺し方だった。割れた原子のかけらには、名前がついている。セシウムとか、ストロンチウムとか……

ナレーション 会場からは、思いもよらぬ意見が出されました。

観客の声 よく分からないんです。何枚もあったんですよ。よくわからないのが。

ナレーション 原爆がどのように人の体をむしばんでいったのか、リアリティが感じられないというのです。

―広島中区 先月下旬―

ナレーション 先月、アーサーさんは広島に向かいました。被爆の本当の苦しみとは何だったのか。被爆者に直接訪ねることにしたのです。

―食料品店を訪ねるアーサーさん―

ナレーション 食料品店で働く、松本暁子さんです。1歳10か月のとき、母と一緒に被爆しました。

―松本さんに紙芝居を見せるアーサーさん―

ナレーション 放射能がどのように体をむしばんでいったのか。アーサーさんの問いに、松本さんは、母親から聞いた話を語りはじめました。

松本 私がまだお乳を飲んでいたから、一番に症状が出るわけ。母が出るわけ。血便が出る、歯茎から血が出て、頭の髪の毛が抜けたって、今でこそ原爆症と分かるんだけど、あのころは分からないから。

―松本さんと語り合うアーサーさん―

ナレーション 今も定期的に血液に異常がないか検査しているという松本さん。被爆から69年がたっても、放射能の不安が消えない現実に気づかされました。

―出版社の一室で紙芝居を見つめるアーサーさん―

ナレーション 松本さんと会ってから1週間後。目に見えない放射能を伝える言葉を、探し続けていました。そして、ひとつの文章にたどり着きました。

アーサー 細胞をずたずたに切られたら、花だって生きられない。

―今月 広島市西区―

ナレーション 果たして被爆者の視点から見た物語になっているのか。できた紙芝居を手に、広島市内の保育園を訪れました。

―保育園を訪れ、子どもたちの前で紙芝居を開くアーサーさん―

ナレーション 原爆をほとんど知らない子どもたちの前で、思いが伝わるか見極めたいと考えたのです。

アーサー はだがめくれる。はだがはがれる。私たちは、手を前にだらりと出すしかない。

ナレーション 松本さんの話を聞いて、修正した場面。放射能が、時を越えて体をむしばんでいく様子を伝えました。

アーサー おっかない放射能が、じわりじわり入ってくるんだ。体は、新しい細胞が、もう作れなくなって、ワンワンと吠える力も見つからない。細胞をずたずたに切られたら、花だって生きられない。

―アーサーさんを囲み、第1部《幽霊》の場面を指さす子どもたち―

子どもたち 怖かった。これが一番怖かった。

ナレーション 子どもたちの反応に、手ごたえを感じたアーサーさん。制作を通して、被爆者と向き合ったことの成果でした。

アーサー ピカを教えてくれた人たちと一緒に立って、語り部としてぼくの役割を果たさなきゃいけないなと……

ナレーション 今後も、被爆の実態を伝えるために、表現に工夫を重ねて、来年、アメリカで披露することにしています。

―再びスタジオ―

近田アナウンサー アーサーさんは、アメリカだけではなく、日本語版の紙芝居を来年春までに完成させて、日本国内、全国各地で披露していきたいと言っています。

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2014/8/14

RCCラジオ「日々感謝、ヒビカン。」8月6日放送  TV・ラジオ放送

今年の8月6日は、広島のRCCラジオの番組「日々感謝、ヒビカン。」に、詩人のアーサー・ビナードさんがゲスト出演して「被爆69年のヒロシマから」という特集が放送されました。

アーサーさんや青山高治アナウンサーら一行が丸木美術館を訪れたのは8月2日のこと。
そのときの印象も含めて、番組内ではたっぷり丸木夫妻の《原爆の図》が語られました。

3時間におよぶ番組であるにもかかわらず、Iディレクターが録音CDをお送りくださったので、以下、《原爆の図》に関連する主要な個所を文字に起こしておきます。
さすがはラジオ、と思うほど濃密な情報量で、素晴らしい内容です。

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青山高治(メインパーソナリティ) 戦争について原爆について後世に伝えるものはたくさんありますが、今日は原爆投下直後の広島を描いた《原爆の図》を取り上げてみたいと思います。
 あらためて簡単に紹介しますと、広島出身の水墨画家・丸木位里と、奥さんの油彩画家・丸木俊の共同制作で、1950年に発表された第1部《幽霊》をはじめとして、1982年の《長崎》まで全15部の連作となっています。
 日本はもちろん、世界中を巡回しておりまして、ちょうど今朝の『中国新聞』社会面に載っておりましたけど、来年、アメリカの首都ワシントンで展示されるのが決まったという会見が、昨日あったんですよね。

アーサー・ビナード(詩人) そうですね。ぼくも記者会見でしゃべったり、アメリカン大学のピーター・カズニック先生も来てて、通訳もやらせてもらったんですけど、本当に、アメリカの首都で70年のときに、一番、広島の本質をつかんでる絵の展覧会ができる意味は大きいと思うんですよね。カズニックさんが言ってたのは、70年たって、広島では多くの人が振り返って歴史を考える。アメリカでは来年がどういう一年になるか、わかりますよね。

田口麻衣(アシスタント) 戦争に、勝った、という言い方になるんでしょうか。

アーサー 戦争は、素晴らしかった……

青山 簡単に言うと祝賀ムードに包まれる。

アーサー 戦争は素晴らしかった、輝かしかった、正しかった。戦争はアメリカの正義の勝利だった。ナチスを負かしたのはアメリカだ。それだけでなくて、戦争を終わらせたのは原爆だという、根拠の全くない薄っぺらい歴史のペテン伝説が、また大々的に宣伝される一年になるわけです。
 原爆で戦争が終わったというのはフィクションですよ。ポツダム宣言が受諾になったのは、ソ連の満州侵攻ですよね、8月9日の。それは歴史的事実としてわかってるんだけど、戦争を早く終わらせたのは原爆だというまったく逆のことが来年唱えられる。その中心にあるのは、戦争はやっていいことだ、いいことがいっぱいあるということですよね。ガザを見て、アフガンを見て、イラクを見て、本質と全然違うということがわかるはずなのに、PRの力、70周年のお祝いムードが強く出てくる。
 そのなかで、戦争は子どもを焼いて殺して、みんなを焼いて殺して、生活を破壊していくものだという本質を伝える丸木位里さん、俊さんの絵をワシントンで展示するというのは意味が大きい。カズニックさんもそう言っていて、ぼくもまったくその通りだと思いました。

青山 この《原爆の図》、長崎の原爆資料館にある第15部《長崎》を除く14の作品が、現在、埼玉県東松山市にある原爆の図丸木美術館に所蔵されています。
 実は先日、本物の《原爆の図》を観るために丸木美術館へ行ってきまして、すごくのどかなところにあるんです。埼玉のなかでものどかなところで、向こうに行って、アーサーさんと会った時に、アーサーさんがいきなり、「ほらそこに、カブトムシがいるよ!」っていうくらい。

田口 そんなに!

アーサー 美術館のすぐ裏に川が流れていて、でも川は結構下の方で、その美術館のまわりに大きい木があって、立派なクヌギが、あれはなかなかないよね、クヌギの木の樹液を一番好むのは、カブトムシと、クワガタと、カナブンと、まあゴキブリも吸いにくるんですけど。

青山 正確に言えば、「ほら、カブトムシが交尾しているよ!」って言ってたんですけど。

アーサー いちゃいちゃしてたんですよ。青山さん、捕りたそうにしてたんですけど、まあ、交尾してたからちょっと遠慮した。

田口 それは遠慮してください。

青山 それくらい、自然に恵まれてて、都幾川という川が流れてるんですけど、広島の太田川にちょっと似ているというので、丸木位里さんの故郷に近いということで、その場所を選ばれたそうなんですね。

アーサー 位里さんは三滝の方が実家なので、ちょうど見下ろすような感じも似ている。

青山 そこに1967年に開館しまして、《原爆の図》はもちろん、お母さんのスマさん、素晴らしい絵を描かれるんですけど、妹のあやさんの作品も展示しているんですね。
 丸木美術館で学芸員を務める岡村幸宣さんに、《原爆の図》がどうして生まれたのか、聞いてきました。

岡村(録音)丸木夫妻は原爆投下の知らせを聞いて、位里のふるさとである広島にすぐに駆けつけたんですけど、そのときにはまだ原爆を描こうとは思っていなかったんですね。一カ月くらい夢中で広島で過ごして、東京に引き上げてきてから放射能の影響でずっと体の具合が思わしくなかった。そして、自分たちの命がどれだけ続くかわからない、生きているうちに、見たこと、体験したことを絵に描き残しておく、そういう責任があると考えはじめたわけですよね。
 それだけじゃなくて、当時はアメリカ軍の占領下にあったので、原爆の被害についての情報が新聞や雑誌などで公開されなかった。このままでいくと、忘れ去られてしまうかもしれない、その痛みを伝え残さなければいけないという思いもあったと思います。

青山 《原爆の図》のきっかけとなった丸木夫妻の思いを岡村さんに語っていただきましたけど、その思いが、かたまりとなって表れているような絵なんですよ。絵からものすごいパワーというかメッセージというか、描いた丸木夫妻の強い思いが感じられる作品なんですよね。

田口 結構大きな絵なんですよね。

アーサー 大きいですよ。包みこまれるような絵ですね。

青山 この惨状を後世に伝えるため、はじめは一作のつもりだったのが、30年以上という長い時間をかけて15部の連作となったという作品なんですが、ぼくは今回はじめて本物の《原爆の図》を拝見しました。

   *   *   *

青山 実はですね、この《原爆の図》を題材に、絵はこの《原爆の図》からとって、ストーリーはオリジナルというアーサーさんが考えた紙芝居が今回あるんですよね。

アーサー あるっていうか、作りつつあるっていうか。今日、発表しますけど。

青山 今日はこの後、高校生の皆さんの前で紙芝居を見て頂きたいと思いますが。

アーサー すみません、後で紙芝居のおじさんになります。紙芝居は、いろんなかたちがあって、昔自転車で走り回ってた人たちも自分でいろいろ工夫してたんですけど、今回、絵は位里さんと俊さんで、《原爆の図》ってものすごくスケールが大きいんですよね。とても把握できないような絵なので、それを小さい、B4くらいの絵にして見せても、迫力は伝わらないですよね。だって、屏風絵で、8枚……

田口 もともと、縦が1.8mで、横が7.2mの絵なんですよね。

アーサー それがいっぱいあると、絵を見てるっていう感覚じゃないでしょう。描かれている人物は、ほとんどこっちと同じ大きさだし、猫がいたり、犬がいたり、牛がいたり、いろんな動植物出てくるんだけど、結構本物なんだよね。そういう絵に囲まれてると、ルーブル美術館でセザンヌの絵と向き合うって感じじゃなくて、自分が当事者。

田口 その絵の中にいるような。

アーサー 自分が、幽霊たちといっしょに火の中を逃げ惑う、自分が核分裂の連鎖反応の放射線を受ける、自分が黒い雨に降られる、そういう体験をさせてくれる絵なんですよね。
 そのことを、ある時、童心社っていう紙芝居をたくさん作っている絵本の出版社の会長に話したんだよね。その会長はピカソの《ゲルニカ》が好きで、ちょうど見てきたというので、「ぼくは《ゲルニカ》もいいなあと思うんだけど、《原爆の図》の方が凄い」って言ったら、「そうですか?」と言うから、「そうだよ!」って語ったわけ。「《原爆の図》はただの絵じゃないんだよ。大作っていうのでもない。《原爆の図》は巨大な紙芝居なんだ」って言ったんですね。うっかり。そしたら、「紙芝居を作りなさい」って言われて。

田口 それがきっかけなんですか。

アーサー それが6年前。『さがしています』っていう絵本を作りはじめたときにそういう話をして。

田口 実際に絵のなかに入ったような気持ちにアーサーさんがなって、そこから聞こえてきた会話もあったんじゃないですか。

アーサー ぼくがはじめて広島に来たころに、位里さんと俊さんの絵にも出会って、ずっと広島を少しずつ体験した方々の話を聞きながら知っていく歩みと、《原爆の図》に包まれながらいろんな声を聞く歩みとは、ぼくのなかではいっしょなんですよね。だから絵は東松山、埼玉にあって、たくさんの人にたくさんのことを教わったのは広島なんですけど、ぼくのなかではまったく同じなんですよね。広島の本質が一番わかるのはあの15点の連作じゃないかっていう気がするんですね。

青山 ぼくは今まで画集などで見たことはあったんですけど、初めて今回、生で見る。見る前にアーサーが、「あのね、包まれるよ! 巻き込まれるよ!」って教えてくれるんです。どんな感覚なのかなって思って、しかも自分はアナウンサーなので、初めて絵を見るレポートもしているんですけど、没になったんです。アナウンサーなので、見る前にいくつか頭のなかでスイッチを入れて準備をしているんですよね。言葉の準備とか、こんなふうにしゃべろうとか、何となく準備をしているんですけど、その状態で《原爆の図》の前に立ったときに、何にもしゃべれませんでした。

田口 珍しいですね。

青山 固まって。

アーサー この人、何にもしゃべれなかった。ぼくはこっそり聞いていたんですけど。

青山 ずっとしばらくは、ごくっ、ごくっって唾をのむ音が入っている。

田口 えー。そんな感覚になったことは、今まで……

青山 なかったですね。そこで初めて、アーサーさんの言っていた、「包まれるんだよ」「巻き込まれるんだよ」っていう感覚が、わかりましたね。絵の前に自分が立ったっていう主導権を奪われるような。

アーサー そうだね。

青山 等身大の、人間と同じ大きさの赤ん坊、同じ大きさの猫が描かれていて、なおかつ、ちょっと目があうんですよね。そこに描かれている人たちと。

アーサー 俊さんと位里さんは本当に、才能も、二人の画家としての技術も対照的で、実は激しいぶつかり合いをしながら描いているんですけど。

青山 水墨画と西洋画のぶつかりあい。

アーサー 俊さんはとにかく人体がそのまま、本物の人間の体が描けちゃう人。そこに描かれている人たちが本当にいるんだよね。

田口 見たままの。

アーサー 見たままというか、すごく美術作品として工夫しているんだけど、手は本物の手だし、顔は本物の顔だし、生きた人間の存在感がそこにあるわけ。で、位里さんは、ぼかす達人なんですよね。原爆がもたらした空気の淀みとか、埃っぽさとか、火傷の皮膚感覚とか、そういうのを墨で。生きた人間がこういう状況のなかで、どういうふうになるかっていうことが、理屈じゃなくて迫ってくる。

青山 人間が描いてあるんです。動物が描いてある。《原爆の図》なんだけど、きのこ雲とかは描いてないんですよ。

アーサー そう。

青山 アーサーさん、これ、発表されてから、賛否両論が凄かったんですよね。

アーサー だろうね。

青山 発表された時に、原爆を体験していない人が、「これはあまりにも酷すぎる、大げさに描き過ぎじゃないか」という意見もあれば、原爆を体験した人たちが「これは美しく描き過ぎている、こんなものじゃなかった」という。

アーサー そうそう。でも、体験していないって言うんだけど、直後に入ってるんだよ、位里さんは。自分のふるさとなんだよ。それで、俊さんもすぐ後に入って、被ばくして、二人とも内部被ばくに苦しむわけだよね。だから、体験の線引きをどこでやりたいのか、ぼくにはよくわからないんだけれど、二人とも立派に体験してるし、いろんな人の面倒も見てるし、二人とも芸術家として持ってる才能のすべてを注ぎ込んで、ぶつかりあって作った。
 そういう作品が賛否両論を、議論を巻き起こすのは当然。だって、無関心ではいられない。原爆の図の凄さは、10人が見たら10人が受け取るものがあって、100人が見たら100人が受け取るものがあって、このあいだ青山さんと話したのは、ぼくは何度見てるかわからない。100回以上見てるんだよ。たぶん。岡村さんに「多過ぎる」って言われるかもしれないけどね。でも、画集は嫌というほど見てるし、紙芝居を作るために、数年間、ずっと睨めっこしてるわけ。毎回、違うんですよ。今回行って、ぼくもちょっと言葉を失ってた。というのは《幽霊》という1作目くまなく見ているはずなのに、今回行ったときに、違う人に見返されて、全然、違う景色になってた。

田口 先ほど、目が合うっていう表現をされましたけど。

青山 向かって右側に、横たわっている女性がいるんですけど、その女性とアーサーは向かい合うような感じで動けなくなっていて……。

田口 見る人によったら、違う方と対峙するような。

アーサー あるいは、人でなくて犬とつながる。そういうことを絵で体験させてくれるものは、ぼくは他にないような気がする。

青山 それは学芸員の岡村さんもいっしょで、「見るたびに新しい発見がある」って言ってるんですよね。
 再び、《原爆の図》を通して丸木夫妻が残したメッセージとは何だったのかを、丸木美術館学芸員の岡村さんに聞いています。

岡村(録音) もう、丸木夫妻が《原爆の図》を描いた時点――1950年という最初の《原爆の図》が発表された年は、朝鮮戦争がはじまった年でもあるんです――その時点で、過去の原爆の記憶だけじゃなくて、これから生まれてくる未来の被害についての想像力も働いていたはずなんですね。過去と未来、両方に想像力を広げていく。2014年の今を生きている私たちにも共通している問題意識なんじゃないかと思います。
 芸術作品なので、基本的には絵を見ることから受け止めるものは一人一人違っていいと思うんですね。ただ、考えるための場所であって欲しい。今まで自分たちが見ている世界と、何かが違って見えるような、新しい発見が丸木夫妻の絵の中に潜んでいると思うんです。時代を超えて、いつの時代にも共通するような問題ですね。
 それは戦争だけに限らないかもしれない。いつの時代にもわれわれには悩みや葛藤があり、身近なところで起きている暴力のなかで生きているわけで、そういうときに絵を見ることで、ふと自分ではないどこかの誰かの痛みを感じてもらえるんじゃないか。その痛みを感じることで、世界が違って見える、これから先の未来が違って見えてくるようなことがあるんじゃないか。そういう力を丸木夫妻の作品は持ってるんじゃないかと、信じてるんですね。

青山 原爆の図第8部《救出》という作品がありまして、その左側に、原爆投下後に広島に入って救出活動を続けて二次被ばくをした人が描かれているんですね。この作品は、1954年の第五福竜丸事件の後に描かれて、放射能の問題を意識して描いたのではないかと推測されるんですけど、岡村さんは、最近見ると3.11以後の今につながる意味をすごく感じると言われてて、見るたびに新しいものが見えてくるとおっしゃってますね。

アーサー そうですね。丸木位里さんと俊さんは、そういう見渡す力のある人だったんですよね。だから、見て「わかった」「この絵わかった」とこっちが思っちゃうと、後で、全然わかってなかったということがわかるんです。見通す力が本当に凄くて、それが二人の言葉にも現われてるんですね。画集を読むと、いろんなところに、絵について書かれたものも、二人がちょうどそのとき考えていたようなものもあって、ぼくが画集をこないだ読みなおしてて、位里さんと俊さんがずっと前に書いた文章なんだけど、こういうふうに書いてるんですね。
 「戦争のとき、広島、長崎の原子爆弾で殺されました。平和になったとき、原子爆弾は原子力発電所に化けて出ました。エネルギー平和利用の名のもとで放射能がばらまかれているんです。原子力発電所が動いているとプルトニウムが蓄積されていくということです。ある日、日本は巨大な原爆保有国に早変わりするのではないでしょうか。」
 まさに今、起きている、起きようとしていることが、淡々と普通に会話するように書いてるんですね。《原爆の図》も凄く美術作品として工夫されてるんだけど、凄く自然体で人間を描いてるんだよね。赤ん坊が横たわっていて、凄まじい状況のなかで存在しているんだけど、その赤ん坊だけを見ると、何かこう、赤ん坊なんだよね。普通に、ぼくらのまわりにいる天使のような赤ん坊がそこにいるんだっていうそういうふうに感じさせてくれるんだよね。

   *   *   *

青山 丸木美術館なんですが、毎年、8月6日に、目の前を流れる都幾川で、平和を願っての灯ろう流しを行っているそうです。

田口 へええ、そうなんですね。

青山 それも、みんな笑顔で楽しく、自分の手作りの灯ろうを流したりするそうなんですけど、あそこへ行って思ったのは、関東にこういう場所が、《原爆の図》が置いてあるのは、凄く意味があることだなと思いましたね。
 学芸員の岡村さんが「広島にあった方がいいのかもしれませんけど」と仰っていましたけど、関東にああいった広島に触れることができる場所があるというのも、凄く大切なことだなと思いましたよ。

アーサー そうですね。広島は広島の問題じゃない。広島は世界の問題であって、もちろん、関東で一番考えなきゃいけない問題だから。ぼくも最初は、「え、埼玉にあるの」って思ったんだけど、今は埼玉にあって良かったなって思うんだよね。

青山 実際、修学旅行で来たりとか、学校の道徳の時間で来たりとか、見学も多いそうなんですね。

   *   *   *

青山 ここで皆さんからたくさんメール、FAXなどが届いているので、ご紹介しましょう。

田口 「今日8月6日は、広島にとって祈りの日ですね。あの日から69年、私の父は7歳のときに西区の己斐で被爆し、いまだに左足の甲に破片が入っていて、原爆のことはあまり語らなかったのに、やはり自分が生きているうちに語らないといけないと、最近になって被爆当日のことを詳細に語ってくれ、その惨たらしい地獄絵図のような光景だったことを聞き、あらためて原爆の恐ろしさを教えてもらいました。被爆者の高齢化が進み、このままでは語り継ぐ者がいなくなることに、私の父は危惧しており、これからも時間があれば父の話をしっかりと聞き、これからの先の将来、私よりも次の世代の方へと語り継いでいきたいと思う祈りの日でした。」

アーサー 本当ですね。今まで語れなかった方がたが語るというのは、とても重要なことで、50年前にやっと語り出した人もいれば、40年前にやっと語り出した人もいる、30年前にやっと語り出した人もいて、昨日やっと語り出した人もいるんですよね。
 そこにどういう意味が潜んでるかというと、広島で起きたこと、広島で使われたウラン弾がもたらしたことは、ぼくらにとっては未発見なんですよね。まだわかんないんです。だってまだ聞いてない話がゴマンとあるんですよ。今日になってもまだ語れない人がたくさんいる。まだ聞けてない話も、語れない人がいるだけじゃなくて、語れずに亡くなった人たちの話だってある。それを私たちがどうやって掘り起こして、どうやってモノ言えぬモノから聞き出したり、いろんな歴史の事実を掘り下げて聞き出したりするかっていう、それが今問われている問題ですよね。
 今のメッセージのなかでも、誰が語り継ぐかってお父さまが危機感があるんですけど、語るっていうことは、発見していくこと。それをやる必要は70年たっても80年たっても180年たっても同じだと思うんですよね。それをやっていく流れがとても重要だし、それを背負っているのは実はぼくらなんですよね。
 丸木位里さんと俊さんが8月6日の朝広島にいなかった。そこが大きな問題かっていうと、ぼくはそんなに大きな問題じゃないと思うんだよね。彼らがどうやって体験を引き受けたか。ぼくらも同じことが問われているんですよね。引き受けるか、引き受けられるか、どうやって掘り下げるか。こういう風に語り出した人の話を聞くと、力が沸いてきますよね。

青山 本当に、語れなかったわけですもんね。語るのがつらかった、語るのに時間がかかった。語れなかった人たちが、今、いろんなことに気づいて、語り出しているという人もいらっしゃるわけですよね。

アーサー ぼく考えるんですよね。たくさんの人がたくさんの話をぼくにして下さっていて、それで自分が少し書いたりしているんですけど、自分がもし体験していたら、語れたんだろうかって思うんですよね。語れなかったかもしれない。ぼくがもし、8月6日の朝、69年前の今日、広島にいて、ピカにあってたら、書けなかったかもしれないんだよね。そう思うと、いかに大きなものをみんな背負ってるか、そういうことも実感できるんですよね。

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番組ではこの後、広島や福島の高校生とアーサーさんとの語らいがあり、アーサーさんが高校生の前で紙芝居『やわらかい はだ』の現時点での原稿案を演じるという風に続いていくのですが、文字起こしはここまでにしておきます。

紙芝居『やわらかい はだ』は、最後までアーサーさんが推敲を重ねた後に、童心社から出版される予定です(刊行時期は未定)。《原爆の図》を大胆にトリミングし、物語も完全なオリジナルに近いかたちに再構成されていますので、はじめて《原爆の図》に触れる方も、「何度も見た」という方も、新しい作品として多くの発見があるのではないでしょうか。

8月6日という大事な日に、素晴らしい番組を制作して下さったRCCラジオの皆さまに、心から御礼を申し上げます。
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2014/6/23

NHK総合テレビ「情報まるごと」宮良瑛子さん紹介  TV・ラジオ放送

沖縄戦の「慰霊の日」にあたるこの日、午後2時5分からのNHK総合テレビの番組「情報まるごと」内で、宮良瑛子さんの作品が5分ほど紹介されました。
実は1週間前の18日に沖縄県内ではすでに放送された内容なのですが、時間を数分縮小して(残念ながら丸木美術館での個展の様子を撮影した映像はカットされてしまいました)全国放送されることになったのです。

以下、放送の内容を、紹介された宮良さんの作品とともに、覚書として記しておきます。

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[スタジオ]

小澤康喬アナウンサー:沖縄では、戦争の記憶を継承していくさまざまな取り組みが続けられてきました。

實石あづさキャスター:那覇市の画家・宮良瑛子さんは、40年以上にわたり女性の視点から戦争の痛みや平和を訴える作品を描き続けています。

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《哭》 1981年

ナレーション(岡本直史記者):子どもを抱きしめる沖縄の女性。宮良瑛子さんの代表作のひとつです。宮良さんは女性の姿を通して沖縄戦の痛みを描いてきました。

[沖縄・那覇にある宮良瑛子アトリエの外観]

[アトリエのなかで絵を描く宮良さん]

ナレーション:宮良瑛子さん、79歳です。沖縄出身の夫と結婚し移住。以来、40年以上にわたって沖縄を描き続けています。宮良さんが女性を描いたきっかけ、それは初めて沖縄を訪れたときに描いたスケッチにありました。

[スケッチブックをめくる宮良さん]

宮良:こういう本当に走り書きだから、見せるようなスケッチじゃないんですけどね。でも、これが原点ですね。

ナレーション:沖縄の市場で目にしたたくましい女性たち、その姿に衝撃を受けたといいます。

宮良:大らかというか、たくましいというか、あっけらかんというか、人間そのものというのが見えたんですね。これはもうなぜ描いたか、絵にしたかというより、描かずにおれなかった。

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《水》 1971年

ナレーション:1971年に発表した《水》という作品です。太い足と腕、そしてがっちりとした身体。宮良さんが市場で出会った女性たちがモデルになっています。

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《市の女たち》 1973年

ナレーション:宮良さんは沖縄の女性たちと話し合う中で、あることに気づきます。女性たちはたくましさの影に、沖縄戦で負った深い悲しみを抱えていたのです。

宮良:ちょっとした会話の中に、おばさんやお姉さんたちの、決して沖縄戦で無傷ではなかった、家族の中の誰かが亡くなった、何らかのかたちで戦争の犠牲を背負っている人たちだったんで……

[夫・宮良作さんと宮良瑛子さんの写真]

ナレーション:宮良さんは女性の中に感じた沖縄戦の影を絵の中に投影していきました。新たに生まれた「シリーズ焼土」です。

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《シリーズ焼土 ―彷徨―》 1982年

ナレーション:子どもを抱えて逃げ惑う母親や、茫然と座り込んでしまう人、沖縄戦の中で追いつめられる女性たちの姿が描かれています。しかし、大きな課題にもぶつかります。沖縄戦を体験していないということに悩むようになるのです。

[アトリエの奥の棚から作品をひっぱり出す宮良さん]

ナレーション:アトリエの倉庫に、まるめられた作品がありました。

宮良:これですね。あの、焼土シリーズというか、それの一番最初の、走りの絵で、あんまり良くないんですけどね。もう痛んでますけど。

ナレーション:自分のイメージと沖縄戦とのあいだには隔たりがあるのではないか。この作品も、一度は発表したものの、満足できず、倉庫の奥にしまい込みました。

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《シリーズ焼土 ―地底―》 1981年

ナレーション:それでも宮良さんは、沖縄戦を題材に作品を描き続けます。

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《哭》 1981年

ナレーション:直接戦争を描くのではなく、女性のしぐさや表情で表現しようと、試行錯誤しました。

宮良:こんなの絵じゃないとか、あんたは沖縄戦知らないから描けるんだとかって言われたりして。それは私も自分が十分描けてるとは思いません。思わなかったけども、それを描いた自分は精一杯描いたんですよね。

ナレーション:沖縄の近代美術の専門家は、経験していない沖縄戦にも向き合い続けた宮良さんだからこそ生み出された境地があると考えています。

[沖縄県立芸術大学・小林純子教授の研究室]

小林純子教授:作家さん自身も、多分描いているのがつらいと思うんだけれども、それでもなお描き続ける。ストレートに宮良先生の心の動揺や悲しみがストレートに伝わってくる作品なんですね。

[再び、絵を描き続ける宮良さん]

ナレーション:描いても描き切れないという沖縄の戦争。宮良さんは今もキャンバスに向かい、模索を続けています。

宮良:見る人が、何か感じてもらったらいいなと、平和の大事さとかね、何でこんな戦争するんだろう、何で力で、相手を抑えつけてしまうんだろうとか、いろんな疑問や共感をもってもらったらいいなと思うのね。

[スタジオ]

實石キャスター:わからないからわかりたい、寄り添いたいっていう宮良さんの思いが、描くたびに深まっているのかなと感じましたね。

小澤アナウンサー:そうですね。いつかは、戦争を知らない世代が語り継いでいかなければならないときが来るわけですから、宮良さんの試行錯誤というのは、まさに先駆けであるというふうに感じますよね。

實石キャスター:はい。

小澤アナウンサー:埼玉県の東松山市の丸木美術館では、いま、宮良さんの作品を集めた企画展が開かれています。展示は、来月12日までです。

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番組内でも紹介されていた通り、丸木美術館の「宮良瑛子展」は7月12日(土)まで。
他に巡回予定もないので、沖縄県外で宮良さんの個展を観ることのできる機会は、当分ないのではないかと思います。ぜひこの機会を見逃さないよう、丸木美術館へお運びください。

6月28日(土)、29日(日)には、宮良瑛子さんも来館される予定です。
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2014/6/18

NHK FMラジオ「日刊!さいたま〜ず」宮良瑛子展紹介  TV・ラジオ放送

午後6時から、NHKさいたま放送局のスタジオで、埼玉県内向けのFMラジオ番組「日刊!さいたま〜ず」に出演しました。

現在開催中の企画展「宮良瑛子展」の紹介です。お相手下さったのは、内藤裕子アナウンサー。以前の放送でもごいっしょできる機会があったのですが、前夜に発生した地震の影響で流れてしまったため、今回が初めての対話になりました。

事前にとても丁寧に準備をして下さって、そのおかげで、本番ではリラックスして気持ちよく話をすることができました。
6月23日の沖縄戦の「慰霊の日」の直前というタイミングでスタジオに呼んで下さったご配慮も嬉しく思いました。
今回のリクエスト曲は、ネーネーズ(作詞・作曲=桑田佳祐)の「平和の琉歌」と、実は沖縄戦を歌っていたというTHE BOOMの「島唄」の2曲をお願いしました。

「平和」という言葉が本来の意味とは正反対の方向に言い換えられて使われてしまう時代の状況のなかで、「♪この国が平和だと誰が決めたの/人の涙も渇かぬうちに/アメリカの傘の下/夢も見ました/民を見捨てた戦争の果てに♪」という「平和の琉歌」の歌詞は、どのようにリスナーの皆さまに届いたでしょうか。

内藤アナウンサーはじめ、お世話になったNHKさいたま局のスタッフの皆さまには、心から御礼を申し上げます。
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2014/6/17

NHKさいたま局 FMラジオ「日刊!さいたま〜ず」出演のお知らせ  TV・ラジオ放送

2014年6月18日(水)午後6時からのNHKさいたま放送局のFMラジオ番組「日刊!さいたま〜ず」に出演します。30分ほどのスタジオ生放送で、現在開催中の企画展「宮良瑛子展 沖縄―愛と平和と―」についてご紹介いたします。お相手下さるのは、内藤裕子アナウンサー。
リクエスト曲は、今回、いろいろと迷ったのですが、ネーネーズ(作詞・作曲=桑田佳祐)の「平和の琉歌」をお願いしてみました。
埼玉県内向けの放送(さいたま85.1MHz、秩父83.5MHz)ですが、どうぞお聴き下さい。
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2014/5/22

NHK総合テレビにてピーター・カズニック来館のニュース放送  TV・ラジオ放送

今日は午前中、アメリカン大学の歴史学者ピーター・カズニック教授夫妻らが来館、《原爆の図》などの展示を、丁寧に時間をかけて鑑賞されました。

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ひとつひとつの作品の前で、描かれた時代背景や米軍占領下の巡回展などについて解説を行ったのですが、非常に熱心に話を聞いて下さり、たくさんの質問をされるなど、丸木夫妻の仕事に大いに関心を示された様子でした。

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NHK社会部の撮影スタッフが取材に訪れ、カズニックさんへのインタビューも収録されました。
その様子は、午後6時10分からの総合テレビ「首都圏ネットワーク」のなかで、1分23秒という短い時間でしたが放送されました。

こちらのWEBサイトから動画を視聴できます(おそらく数日間限定公開)。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140522/k10014645251000.html

以下に、放送の内容を書き出します。

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〈スタジオ〉

テロップ:埼玉 東松山 米の歴史学者「原爆の図」美術館訪れる

田中洋行アナウンサー:原爆投下に疑問を投げかける映画を、オリバー・ストーン監督とともに制作したアメリカの歴史学者が、原爆被害の絵が展示されている埼玉の美術館を訪れ、過ちを繰り返さないために私たちは歴史から学ばなければならないと訴えました。

〈丸木美術館の外観映像〉

田中アナ:埼玉県東松山市にある原爆の図丸木美術館を訪れたのは、アメリカ人で歴史学者のピーター・カズニックさんです。

〈《原爆の図》を鑑賞するカズニックさんの映像〉

田中アナ:この美術館には、画家の丸木位里と俊夫妻が、原爆投下後の広島の惨状を描いた作品《原爆の図》が展示され、カズニックさんは当時の状況などについて、学芸員に質問したり、作品を写真に収めたりしていました。

テロップ:ピータ・カズニックさん おととし共同で原爆投下に疑問投げかける映画「もうひとつのアメリカ史」を制作

田中アナ:カズニックさんは、一昨年、オリバー・ストーン監督と共同でアメリカによる原爆投下に疑問を投げかける映画『もうひとつのアメリカ史』を制作し、大きな話題になりました。

〈カズニックさんへのインタビュー映像〉

テロップ:広島と長崎で何が起きたのか 多くの国の若者たちの記憶の風化が進んでいるが
過ちを繰り返さないためにも 歴史から学ばなくてはならない
実際に起きたことを力強く表現した 丸木夫妻の作品を見ることが大切


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もちろん、放送された内容はごく一部で、実際には安倍政権に対する厳しい批判などもカメラの前で語られていたのですが、ともあれ、現在の難しい社会状況のなかで、こうした話題を取材して下さった政治部のスタッフの方々に心から敬意を表します。

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2014/3/11

NHK FMラジオ「日刊!さいたま〜ず」出演のお知らせ  TV・ラジオ放送

3月12日(水)午後6時から、NHKさいたま局の埼玉県内向けFMラジオ番組「日刊!さいたま〜ず」(さいたま85.1MHz/秩父83.5MHz)に出演し、3月15日まで行われている「清野光男展 福島から/福島へ」と、18日からはじまる「増田常徳展 明暗の旅から ―闇の羅針盤―」というふたつの展覧会について紹介させていただきます。

今回お相手下さるキャスターは岡弘子さんです。
「3.11」から3年の歳月が過ぎ、東日本大震災・福島原発事故の記憶に、私たちはどのように向き合っていったらよいのか。展覧会の紹介を通して考える機会にできればと思っています。

埼玉県内向けの放送ですが、電波が届く範囲でお時間のある方は、ぜひ、FMラジオをお聞きください。
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2013/11/29

NHKさいたま局佐々さん来館/「日刊!さいたま〜ず」出演のお知らせ  TV・ラジオ放送

お昼に、NHKさいたま放送局の佐々久世キャスターが来館。
現在開催中の企画展「木下晋展 生命の旅路」を観てくださいました。

というのも、12月4日(水)午後6時から、NHKさいたま局の埼玉県内向けFMラジオ番組「日刊!さいたま〜ず」(さいたま85.1MHz/秩父83.5MHz)に出演し、「木下晋展 生命の旅路」について紹介させていただくのです。

今回お願いしたリクエスト曲は、先日丸木美術館にも来てくださった、秩父前衛派のギタリスト笹久保伸さんとペルー出身のケチュア語の歌手イルマ・オスノの新作CD「アヤクーチョの雨」。
現在、音楽業界で絶賛されている注目の二人の、前衛とも民族音楽ともつかない音楽世界をお届けします。
ちょうど、佐々さんは、以前に笹久保さんが「日刊!さいたま〜ず」に出演されたときに担当されていたそうなので、打ち合わせも話が早く進みました。

埼玉県内にいらっしゃって、お時間のある方は、ぜひ、FMラジオをお聞きください。
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2013/10/16

台風/FMラジオ「日刊!さいたま〜ず」  TV・ラジオ放送

前夜からの台風は午前中まで強風が続き、丸木美術館に通勤する途中にも、橋を渡る際の強風制限と倒木の影響で、東武東上線が2度も停車してしまいました。
ようやく美術館に到着すると、都幾川の水も大増水。
このあたりは昔から氾濫が多く、丸木美術館の上下流の橋は欄干のない、いわゆる「沈下橋」になっています。
また、この地域を舞台にした打木村治の児童文学『天の園』にも、大正期の大洪水の場面が描かれています。

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幸いなことに美術館周辺では大きな被害はありませんでした。
そして、台風や大雪のときには必ずお客さんが来られるというジンクス通り、この日も午前中のうちから来館して下さった方がいらっしゃいました。

   *   *   *

夕方からは、浦和へ移動してNHKさいたま放送局の埼玉県内向けFMラジオ放送「日刊!さいたま〜ず」に出演。残念なことに、せっかく丸木美術館に事前取材に来てくださった内藤裕子アナウンサーは、台風のために前夜スタジオに残っていたとのことで、ラジオ放送はキャンセル。
急きょ代役を務めて下さった岡弘子キャスターとともに、現在開催中の企画展「平野正樹展」と特別展示の「コシチェルニャック展」について、20分ほどお話しました。
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2013/10/10

NHKさいたま内藤アナウンサー来館  TV・ラジオ放送

午後、NHKさいたま放送局の内藤裕子アナウンサーが来館されました。
昨年夏にさいたま局に赴任され、丸木美術館には初めて来館されたという内藤さん。
もっとも、東京の私立女子高時代に、学校で丸木美術館を訪れる機会があったそうで、そのときは残念ながら内藤さんご自身は美術館に来られなかったそうですが、「念願」の丸木美術館訪問に、とても喜んで館内を観てくださいました。

10月16日(水)には、午後6時からのFMラジオ番組「日刊!さいたま〜ず」(周波数さいたま85.1MHz、秩父83.5MHz)に出演させて頂きます。

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今回、お相手を務めて下さるのが内藤アナウンサーということで、その打ち合わせも兼ねての来館というわけでした。
番組では、現在開催中の「コシチェルニャック展」と「平野正樹展」について、前後半10分ずつお話させて頂きます。

リクエスト曲は、アウシュビッツ収容所を描いた「コシチェルニャック展」にあわせて、オリヴィエ・メシアン作曲の「世の終わりのための四重奏曲」をお願いしました。
この曲は、ナチス・ドイツによってゲルリッツの収容所に入れられたメシアンが、収容所のなかで「ヨハネの黙示録」第10章をもとに作曲し、1941年1月15日に、捕虜たちを前にしてピアノ、チェロ、クラリネット、ヴァイオリンによって初演されたと言われています。
極寒の収容所のなかで、チェロやピアノの弦も切れていたそうですが、メシアンは後に「私の作品がこれほどの集中と理解をもって聴かれたことはなかった」と語っています。

電波の届く環境にある方は、ぜひ、「日刊!さいたま〜ず」をお聴きください。
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2013/8/18

広島テレビニュース番組Chim↑Pom特集「若さで挑む原爆アート」  TV・ラジオ放送

2013年7月30日に、広島テレビの夕方のニュース番組「テレビ派」にて、Chim↑Pomの広島における展覧会をめぐる特集が8分ほど放映されました。

私も少しばかりインタビューを受けたのですが、先日、取材して下さった渡辺記者からDVDを頂いたので、その内容を書き起こしておきます。
今夏の広島におけるChim↑Pomの評価「見直し」の動きの、ひとつの記録です。

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画像は2011年12月に丸木美術館で開催されたChim↑Pom展「広島!!!!」の会場風景。

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【スタジオから】
テロップ「若さで挑む原爆アート」
森拓磨アナウンサー シリーズでお伝えする「68年目のヒロシマ」です。こちらの作品(註:「ヒロシマの空をピカッとさせる」)は、5年前に制作された作品なんですが、その作品はですね、被爆者たちの琴線にも触れて、大いに物議を醸しました。
馬場のぶえアナウンサー 作品を世に問うたのは、若い芸術家たちでしたが、彼らの作品がこの夏初めて広島で発表の機会を持つことになりました。今なぜ見直されたのか、取材しました。

【Chim↑Pom「広島!!!!!」展 準備展 ギャラリーG(広島市中区)展示風景】
――壁一面を飾るモノトーンの作品。あるものは焼け焦げ、またあるものは煤で、パネルに表現されたかたちを、印象的に伝えています。

【ヲルガン座 廃墟ギャラリー(広島市中区)展示風景】
――個展は今月中旬、広島市のギャラリーGをはじめ、市内11のギャラリーで同時に開かれました。展示された作品はおよそ300点。描くものは違っても、テーマはひとつ、原爆です。

【キヲクの空箱(広島市安佐南区)展示風景】
――あの日、突然奪われた日常が、パネルに写し込まれています。
男性来場者の感想 表現の仕方が面白いなあ、と。
女性来場者の感想 作品としてすてきだと思いました。

【Chim↑Pom集合写真(撮影:松蔭浩之)】
――作品を作ったのは、東京で活動する6人の若手芸術家グループ、Chim↑Pom。

【Chim↑Pom「サンキューセレブプロジェクト アイムボカン」(2007年)ビデオ映像】
――2005年にグループを結成。代表作の「アイムボカン」は、カンボジアの地雷撤去を題材にしたものです。地雷を爆破させて作った作品は、オークションにかけ、売り上げ金はすべて現地に寄付しました。“さあ、Chim↑Pom、いまこそボランティア精神を発揮しよう”

【「ぼくからきみへ –ちかくてとおいたび-」(東京都現代美術館)展示風景】
――フットワークの軽さと社会性が奇妙に同居する彼らは、現代美術での世界でも、目立った存在となっています。

【Chim↑Pom「ヒロシマの空をピカッとさせる」(2009年)作品画像】
――そんなChim↑Pomと広島のつながりは、今から5年前。原爆ドームの上空でピカッという文字を飛行機雲で書いたのです。

【謝罪会見の映像(2009年)】
テロップ「広島での個展は中止に」
――すぐさま波紋が広がり、謝罪会見を開くはめになりました。そして予定されていた個展は、自粛へと追い込まれました。

林靖高(Chim↑Pomメンバー) だから、まあ、そう、単純に言えない作品ではあるし、でも、なんか、そういうものを作るべきだったし……
卯城竜太(Chim↑Pomリーダー) 自分もよくわからないところはたくさんあるんだけど、でもなんか自分にとってすごく関係がある大事な作品だなっていうふうに思えるのは、やっぱり、いいなって思ってますね。

【再び、謝罪会見の映像】
テロップ「1ヵ月広島に滞在し対話を重ねる」
――広島から拒絶されたChim↑Pom。それでもメンバーは、被爆地に向き合いたいと努力を続けました。広島に残り、さまざまな人と対話を重ねたのです。被爆者団体もそのひとつ。

坪井直(被団協理事長) 君らと同じ道は歩めない、ダメだと。しかし、君が言う平和に一所懸命になっていることは、そりゃ私は応援しますよ、と言ったですよ。

【Chim↑Pom「広島!」展会場風景】
――広島で発表の場を失った若者たちは、東京で「広島!」展を開きました。坪井さんも加わり、被爆体験を語りました。ビックリマーク「!」は広島を目指し、各地で開く展示会のたびに重ねていこうという決意のあらわれです。

【原爆の図 丸木美術館(埼玉県東松山市)風景映像】
――若者たちが目指す芸術への理解は、被爆者以外にも広がっています。4回目の「広島!!!!」展が開かれた埼玉県の丸木美術館。

【「原爆の図」展示など館内外風景映像】
――原爆の悲惨さを訴えようと、丸木位里・俊夫妻が描いた、名高い「原爆の図」を展示する美術館です。面白い作家だからやるべきだ。いや、絶対にここでやってはいけない。展示をめぐって、理事会は紛糾したといいます。

岡村幸宣(原爆の図丸木美術館学芸員) 一番、彼らのことを見直したのは、「原爆の図」に対する尊敬の念を非常に強く感じたということですね。その上で、でも自分たちは違うことをして、原爆や平和に関わって、そういうことを作品に取りこんでいくんだということがはっきりしていたんですね。

【Chim↑Pom「Never Give Up」(2011年)作品画像】
テロップ「被爆者坪井直さんの直筆を被災した額に収めた作品」
――その年に起きた東日本大震災。Chim↑Pomは作品を発信し続けていました。
【Chim↑Pom「Red Card」(2011年)作品画像】
テロップ「福島第一原発の作業員として従事したメンバーが制作」

【Chim↑Pom「ヒロシマの空をピカッとさせる」(2009年)作品画像】
――広島で物議を醸した作品の見方も変わったといいます。
岡村 3.11という大きな体験を経た後で、あの作品を見ると、当事者意識が希薄だったのは彼らではなくて、それを批判している、もしかしたら私たちかもしれない、という気もするんですね。

【Chim↑Pom「LEVEL7 feat.「明日の神話」」(2011年)ビデオ映像】
――Chim↑Pomが表現した危機感を、もっともよくあらわした作品がこれです。2011年、岡本太郎さんが第五福竜丸の被ばくをモチーフにした巨大壁画「明日の神話」に、原発事故の絵を加えたものです。

【岡本太郎美術館(東京都港区)風景映像】
――岡本太郎記念館では今、Chim↑Pomの個展が開かれています。岡本太郎のアトリエを再現した部屋に、作品が置かれています。若者なりに作品に込めた訴えは、記念館を動かしました。
【岡本太郎記念館「Chim↑Pom展」展示風景】
テロップ「今は無き芸術家と正面から格闘しようとした/若い想像力の軌跡を見てほしい/刺激的な作品には賛否もあるだろう/彼らと等しく館も責任を引き受けるつもりだ 平野暁臣館長」

【Chim↑Pom展 LEVEL7 feat.「広島!!!!」会場展示風景画像】
――丸木美術館の「広島!!!!」展にもこれまで訪れなかった若者が詰めかけました。

【Chim↑Pom「平和の日」(2013年)ビデオ映像】
――ピカの騒動から5年、Chim↑Pomが再び、広島に帰ってきました。タイトルは「平和の日」。原爆の残り火として、福岡県星野村に伝わる平和の火を使って仕上げた作品です。

【「広島!!!!!」展 準備展トーク会場映像】
テロップ「広島市中区 今月9日」
――5年ぶりの広島。「広島!!!!!」展実現に向けて、積極的に発言をしました。
卯城(トークにて) たとえば広島の問題とかを、当事者しか表現できなくなってしまったら、当事者が許せることしか表現できなくなってしまったら、本当にほとんどの人が表現できなくなってしまうと思うんですよ。で、そういうことが続いてきてしまった果てに何があるのか、ということが結構問題で……

女性参加者の感想1 やろうとしていることを100%理解できているかどうかはわからないんですけど、発信されたものを自分で噛み砕いて、何か違うもの、違う考えとか、考える火種をもらった感じ。
女性参加者の感想2 自分が当事者じゃない問題に対してどう関わっていくかっていう姿勢を教えてもらったっていうか……

【「広島!!!!!」展 準備展会場風景映像】
テロップ「広島!!!!!展 準備展 市内11か所のギャラリーで展示」
――とうとう実現した広島での展示会。中央公園で作った300枚の作品は、「広島!!!!!」展に向けた準備展として、市内11か所のギャラリーが展示を申し出ました。作品は販売し、被爆建物の旧日銀広島支店での「広島!!!!!」展実現の費用に充てられます。

卯城 Chim↑Pomにとっての広島は、いつも、だから、持っているもの、カバンの中に入っているものみたいな感じで続けてずっときたつもりではいるんだけども、手をつないでいる相手というか、そういう温度を感じる相手に、ちょっと変わってきた。
――被爆から68年。被爆体験の伝承が、新たな世代に託されようとしている中、芸術の世界でも模索がはじまっています。5年前、広島の空に一石を投じた若者たちの活動が、続きます。
テロップ「報告 渡辺由恵」

【再びスタジオから】
馬場 正直、私は彼らの表現すべてが好きだとは思わないんですけれども、でも、やっぱり、あの無関心なところからは何も生まれないという意味では、関心があるっていうのはすごく伝わってきますし、広島を表現することをやめない姿勢に本気度を感じます。
 そうですね。冒頭で紹介するはずだったのが、その「ピカ」という物議を醸したこの作品なんですけれども、もちろんね、この作品は今でも認めるわけにはいかないという方いらっしゃるとは思うんですけど、確かに無関心な人までも巻き込んでいく力は彼らにはあると思うんですよね。どのように広島を受け継いでいくかというのは、永遠のテーマではあると思うんですけど、そこにひとつヒントがあるような気がします。

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2013/6/19

NHK FMラジオ「日刊!さいたま〜ず」安藤栄作展紹介  TV・ラジオ放送

午後6時から、NHKさいたま放送局の埼玉県内向けFMラジオ番組「日刊!さいたま〜ず」(さいたま:85.1Mz、秩父83.5Mz)のカルチャーコーナーに生出演させて頂きました。

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お相手下さったのは、山崎薫子キャスター。
昨年12月の「本橋成一写真展 屠場」以来、山崎さんとは2度目になります。
今回は、現在開催中の企画展「安藤栄作展 光のさなぎたち」のご紹介。
「安藤さんは、どんな方ですか?」という質問からはじまり(家でラジオを聴いていた息子Rはラジオに向かって「えっと、眼鏡をかけてて……」と答えていたとのこと。もちろん容姿の話ではなく、これまでどんなことを考え、作品を作ってこられた方か、とお答えしましたが)、福島で被災して関西に避難されたという経緯や、今回の作品「光のさなぎたち」に込めた思い、そして絵本『あくしゅだ』について……と話しているうちに、あっというまに30分間が過ぎていきました。
山崎さんのにこやかな笑顔に引きこまれるように、楽しくお話をすることができました。

リクエスト曲「空より高く」も、発行元のクレヨンハウスからCD絵本を送って頂いたので、「売り上げの一部が福島の被災地支援に当てられる」ということも、しっかり宣伝することができました。

「日刊!さいたま〜ず」への出演は、今回が延べ11回目。
台風でスタジオにたどりつけなかったり、高校野球の放送が延長になってスタジオ入りしていながら番組が中止になったり、さまざまな“事件”もありましたが、いつも気持ちよく出演させて頂き、何より、キャスターの皆さんが(その日の担当者だけでなく、廊下ですれ違ったりするときにも)とても温かく迎えて下さることに、心から感謝です。

いつも放送後に通用口まで見送ってくれて、ときどき食事もごいっしょした“幼馴染”の石垣真帆さんが、4月から名古屋局に異動となったのは少々寂しいですが、新天地でもがんばっているようです。
http://www.oricon.co.jp/news/movie/2022418/full/
http://www.nhk.or.jp/nagoya-ana-blog/250/

最初に丸木美術館に取材に来て下さった増田佳奈さんから数えると、かれこれ10年近く。
キャスターの方々は代替わりしても、変わらずおつきあい下さるNHKさいたま放送局。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
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2013/6/13

東松山CATV取材/NHK-FMラジオ「日刊!さいたま〜ず」のお知らせ  TV・ラジオ放送

午前中に、東松山CATVのT記者が来館。
7月放送分の丸木美術館紹介映像を撮影されました。
2ヵ月に1本、丸木美術館の情報を放映して下さる15分番組で、今回は、7月13日(土)からはじまる「坑夫・山本作兵衛の生きた時代〜戦前・戦中の炭坑をめぐる視覚表現」展を中心とする紹介です。
山本作兵衛や井上為二郎の炭坑画を急きょ展示室の一部に飾って、炭坑の作業や文化がどのように描かれているのか、作兵衛さんが何を思って炭坑画を描きはじめたのか、というような内容をカメラの前で語りました。
また、「今月の一枚」では、「原爆の図 第14部《からす》」を紹介。
これは、なぜ丸木美術館で炭坑の絵を紹介するのか、という問題にも関わってくるのですが、戦時中のエネルギーを支えた石炭の採掘のために、多くの朝鮮人が徴用されていたこと、そしてそうした人たちもまた、原爆によって命を奪われていることを忘れてはならない、という話をしました。
いつものように、手際良く撮影を進めて下さるT記者。
今回もまた、素敵な番組に仕上げてくれることでしょう。放映は7月の1ヵ月間。東松山CATVで毎日繰り返し流れる予定です。

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そして午後は、NHKさいたま放送局の山崎薫子キャスターと、電話でラジオ出演の打ち合わせ。
7月18日午後6時からの埼玉県内向けFMラジオ番組「日刊!さいたま〜ず」(さいたま:85.1Mz、秩父83.5Mz)のカルチャーコーナーに出演して、現在開催中の企画展「安藤栄作展 光のさなぎたち」の紹介をさせて頂くのです。
県内の博物館・美術館の学芸員が展覧会の見どころを語るこのコーナーも、立ち上げから4年ほどが経過し、その間に10回ほど出演させて頂きました。いつも温かく迎えて下さるキャスターの皆さんのおかげで、本当に、毎回、楽しく話をさせて頂いています。
今回も、前回の出演に引き続き、山崎キャスターの笑顔に引き込まれながら、「安藤栄作展」の魅力をたっぷりとお伝えしたいと思っています。
リクエスト曲は、作家の落合恵子さんが主宰する出版社(NHKなので、企業名は放送できないそうです)が福島復興支援のために出版したCD絵本の曲『空より高く』をお願いすることにしました。心に沁みる、とても素晴らしい曲です。
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