2007/8/17

日本一暑い美術館  その他

今日はときがわ町のS木(E)さんがお手伝いに来てくれました。
この夏の来館者のピークはやや過ぎたようですが、今日もたいへん暑い一日になりました。
昨日は隣接する熊谷市で日本最高気温40.9度を記録。丸木美術館近くの東武東上線(武蔵嵐山−小川町間)では暑さのあまり線路が曲がり、電車が停まったそうです。
たぶん、丸木美術館は今、日本で一番暑い美術館だと思います。ちなみに今日の来館者は55人。
毎日、着替えTシャツ3枚持参で出勤しています。
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2007/8/15

終戦記念日  その他

今日は坂戸のW本さんがお手伝いに来てくれました。
毎年、もっとも個人入館者数の多い一日は、閉館時間を過ぎてからも家族連れが訪れ、結局、229人の方が来館しました。
隣町の熊谷は39度を記録したという噂もお客さんから聞きました。
職員にとっては日常のことで、すでに処暑対策万全というか、汗腺が全開(全壊と変換された)状態なのですが、来館者の方々にとってはかなり暑い一日だったと思います。

正午ちょうどには、Y子さんが美術館入口の平和の鐘を高らかに鳴らしました。
夕方には高崎シティギャラリーから展覧会を終えた《原爆の図》4点が無事に到着。
明日早朝には、2階の展示室に《原爆の図》4点の展示作業を行います。
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2007/8/14

《原爆の図》のない美術館  その他

お盆休みで来館者の絶えない丸木美術館。今日は、197人の入館者がありました。
受付を手伝うために、ときがわ町のS木(E)さんがお手伝いに来てくれました。
(坂戸のW本さんは体調不良のため、来館後すぐに帰宅)

丸木美術館では、例年この時期になると《原爆の図》の貸出が多く、一年でもっとも来館者の多い時期にもかかわらず、すべての作品を見てもらうことができません。
その代わりに、デッサンや複製パネルを展示して、何とか《原爆の図》の雰囲気を感じてもらおうと努めているのですが……
今年は特に《原爆の図》の貸出が多いのです。
それは仕方のないことだとは思うのですが、2階にあがると、ふだん第8部まで展示してある作品のうち6点が貸し出し中で、展示室が、ガラ〜ンと、ほとんど空っぽのように見えてしまいます。
せめて後半の作品をバランスよく貸し出すように配慮するべきではなかったかと(第9部以降は6部中貸し出し1点のみ)、今さらながら、暑いなかを美術館に訪れて下さった来館者の方々に申し訳ない気持ちになります。

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作品を借りる側が、できるだけ初期の作品を借りたいと希望するのは、ある意味当然のこと。
美術館側がしっかり配慮すべき問題ですね。
来年以降の課題として、記録しておこうと思いました。
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2007/8/9

夕凪の街 桜の国  その他

午後は急きょ休みをとれたので、池袋に出て映画『夕凪の街 桜の国』を観ました。
原作のこうの史代の漫画は、ボランティアのJさんから借りてしばらく前に読んでいました。
広島の原爆をモチーフにした作品ですが、原爆投下直後ではなく、10数年後に原爆症を発症し死んでいく若い女性と、半世紀後に東京で暮らすその女性の姪が主人公となり、時間も場所も異なる二人の物語が「原爆」によって交錯するという物語。
タイトルは大田洋子の小説『夕凪の街と人と』、内容は井伏鱒二の小説『黒い雨』、井上ひさしの戯曲『父と暮せば』などを連想させます。切ない恋愛物語として描かれたことで、若い世代からも共感を受けているようです。
2004年公開の黒木和雄監督の映画『父と暮せば』では、原爆の回想シーンに丸木夫妻の《原爆の図》が使われていましたが、《夕凪の街》では、原爆の回想シーンに「市民が描いた原爆の絵」が数点使われていました。実写での再現はどうしても作り物っぽく感じてしまうので、絵画による回想はむしろ効果的なのかもしれません。
麻生久美子、田中麗奈という魅力的な女優の個性もよく引き出されていました。
原爆を題材にしながらも、大田洋子の小説や、中沢啓治の漫画『はだしのゲン』のように尖がった表現がない穏やかさが、(良くも悪くも)さまざまな人たちの支持につながっているような気がします。
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2007/7/16

理事会・理事評議員懇談会など  その他

15日は役員改選後初の理事会と理事評議員懇談会が開かれました。
あいにくの悪天候のなか、新評議員をはじめ多くの役員が参加して下さいました。
ぼくは数日前からの湿気のせいか、体調不良気味。懇談会終了後早々に帰宅し、翌16日もお休みを頂きました。
16日には小高文庫で執筆する詩人のスダッチ・スダールの読書会が開かれたのですが、残念ながら参加できませんでした。

なぜか妻子にも喘息のような症状が現れ、家族3人で眠れぬ夜が続いて消耗しています。
新潟の地震や柏崎の原発も気になりますが……
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2007/7/11

車椅子用昇降リフト設置  その他

丸木美術館の南側階段に新しい車椅子用昇降リフトが設置されました。
従来のように車椅子ごと布で包みこんで宙吊りにする(!)という方法ではなく、利用者がリフトに座って2階へあがることができるシステムです。
本当はエレベータが設置できると良いのですが、残念ながらそこまでの予算はありません。
それでも、一応は車椅子の方が安心して2階の展示を見ることができるようになったので良かったです。
ご利用の方は、お気軽に美術館受付までお申し出ください。

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このところ毎日のように雨が降り、そのせいか来館者もあまり多くない日が続いています。
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2007/6/29

原爆観音堂再建中  その他

丸木美術館前の原爆観音堂の再建工事が急ピッチで進んでいます。
8月6日ひろしま忌には完成した姿を見ることができると思います。以前に比べ、奥の流々庵へ向うアプローチが広くなり、より使いやすくなる予定です。

今日は朝から団体、グループが何組も来館し、一日じゅう美術館が賑わいました。
企画展「丸木俊展」は明日まで。このところ、企画展を目的に来館する方の姿が目立ちます。企画展ミニ図録もずい分売れています。
丸木美術館で「丸木俊展」を開催するのは久しぶりでした。今月の個人入館者数の多さは、企画展の影響が大きいのでしょう。

午後には燻蒸を終えた丸木スマ作品40点が無事に美術館に搬入されました。
また、ボランティアのOさん、Eさんが来館し、発注していた原爆の図の複製写真パネルを2組納品して下さいました。今年の夏も全国から写真パネル展の申し込みが殺到しているので、早速大活躍することになりそうです。
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2007/6/25

燻蒸作品搬出  その他

今日は休館日ですが、N事務局長と2人で午前中に出勤。燻蒸するスマ作品44点の搬出作業を行いました。

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ぼくは午後も美術館に残って、ニュースの編集作業。
休館日にも関わらず、美術館の電話は頻繁に鳴り、FAXもたくさん送られてきます。
問い合わせの電話を受けると、美術館の月曜休館って案外世間に浸透していないんだなあと実感します。
それでも作業は随分はかどって、何とか入稿予定日を守ることができそうです。
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2007/5/28

理事会・評議員会・合同会議・広報委員会  その他

午前中から理事会・評議員会・合同会議・広報委員会と会議続きの一日。
あまり体調が良くなかったので終わるころには朦朧となっていましたが、無事に2006年度決算及び事業報告が承認され、役員改選も行われました。観音堂再建についてもどうやら目途が立ったようなので良かったです。
会議に出席された皆さま、本当にお疲れさまでした。
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2007/3/25

理事会・評議員会  その他

今日は一日じゅう、理事会、評議員会、合同会議と続く会議の日。
主な議題は2006年度の補正予算と、2007年度の事業計画・収支予算・特別会計の承認。原爆観音堂の再建や役員改選に向けての意見交換も行いました。
大阪から来た評議員のY川さんに袋いっぱいの有機野菜を頂き、日本YWCAのS藤さんには息子Rの絵本2冊を頂きました。

2007年度の丸木美術館の主な事業計画は以下の通りです。
【企画展】
 「丸木俊展―女子美術時代から《原爆の図》まで」4/24−6/30
 「丸木スマ展」7/7−9/8
 「今日の反核・反戦展2007」9/15−10/30
 「JVJA写真展 世界の戦場から」11/10−12/15
 「柿の木プロジェクト展」12/22−3/29
【館外展】
 高浜市やきものの里かわら美術館「原爆の図 丸木位里・俊展」7/14−8/26 原爆の図《幽霊》《虹》《母子像》等
 神宮寺(長野県松本市)「命の伝承2007」8/1−8/8 原爆の図《焼津》《米兵捕虜の死》
 高崎シティギャラリー「丸木位里・俊『原爆の図』展」8/11−8/15 原爆の図《火》《少年少女》《原子野》《救出》等
 北海道立旭川美術館「丸木俊・スマの世界 いのちあるものたちへの賛歌」10/20−12/9
【催事】
 丸木美術館クラブ 毎月1回全12回(美術・工作教室)
 開館記念日 5月5日(土/祝)
 ひろしま原爆忌 8月6日
 東松山スリーデーマーチ 11月上旬
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2007/3/2

市内循環バスが便利になります!  その他

4月2日(月)から、東松山市の市内循環バスのコースが変更され、丸木美術館へのアクセスが良くなります。
昨日発行された「広報ひがしまつやま」によると、新たに高坂駅西口からバスが発着し、「丸木美術館北」というバス停が新設されるのです。
従来通りの東松山駅東口からの循環コースも走るので、発車駅が東松山駅と高坂駅と2つになる点が少々紛らわしいのですが、うまく利用すれば随分便利になることと思います。

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【丸木美術館行きバスの時刻表】
@8時15分「東松山駅東口」→8時32分「浄空院入口」
A11時35分「東松山駅東口」→11時52分「浄空院入口」
B12時07分「高坂駅西口」→12時25分「丸木美術館北」
C14時15分「東松山駅東口」→14時32分「浄空院入口」
D15時07分「高坂駅西口」→15時25分「丸木美術館北」
【帰りのバスの時刻表】
@12時08分「丸木美術館北」→12時38分「高坂駅西口」
A12時40分「浄空院入口」→13時10分「東松山駅東口」
B14時48分「丸木美術館北」→15時18分「高坂駅西口」
C15時40分「浄空院入口」→16時10分「東松山駅東口」
D16時48分「丸木美術館北」→17時18分「高坂駅西口」
E18時01分「浄空院入口」→18時31分「東松山駅東口」
(日・祝日は運休)

この時刻表は、4月10日発行の丸木美術館ニュースでもお知らせします。
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2007/2/3

原爆観音堂のこと  その他

神戸から帰ってから数日間、原爆観音堂の取り壊しという現実に直面し、日誌を記入する気力が沸きませんでした。
1日(木)夜には来年度の企画委員会が開催されました。
2日(金)午後には原爆観音堂が完全に撤去されました。

先日の神戸の講演では、「丸木美術館とその周辺環境は、丸木夫妻が(《原爆の図》とともに)残したもうひとつの“代表作”」と紹介しました。
丸木夫妻の残した歴史ある建築物、そして多くの人の祈りの場があっけなく姿を消したことについては、今も心の整理がつきません。

原爆観音堂の再建計画についてはここ数日で二転三転し、正式に決定するのはしばらく先になりそうです。
ぼく自身の心の整理がつかないこと、そして丸木美術館としての公式な経過説明については慎重を期する必要があることから、この学芸員日誌には今後も原爆観音堂取り壊しの経緯については記さないことにします。
一個人としては、丸木夫妻や丸木美術館に関わる多くの方々のためにも、迅速かつ正確な経過報告が行われることを望んでいます。
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2007/1/31

原爆観音堂  その他

丸木美術館の前庭に建つ「原爆観音堂」が、急遽取り壊されることになりました。
丸木家の意向により、「流々庵(観音堂の奥に建つ茶室)を来館者に使ってもらうため」との理由です。

原爆観音堂は、1970年5月に丸木夫妻によって建立されました。
当時の丸木美術館ニュース第3号(1970年夏発行)には「爆心から三キロのところで被爆した家は畑の中でくずれおちて、たった一けんのこっていた家。それは父母と妹たちがすんでいた家でした。その家が今日までくずれたままでのこっていました。二十五年もたってようやくとりこわして新しい家をたてるというのでその材料(木と瓦)をトラック一台美術館まではこんできました。丸木につたわる観音像と、それにふずいする色々な物を持ってまいりました。これを原爆観音堂と名ずけることにしました」という、記名はないものの、おそらくは俊さんによる文章が掲載されています。
俊さんは自伝『女絵かきの誕生』(1977年朝日新聞社刊、1997年日本図書センターより再刊)のなかでも、「美術館のすぐ前が観音堂です。原爆でくずれた、ひろしまの丸木の家から古財をもってきて建てました。四角四面の屋根の上に、素焼きに油絵の具で絵つけした鳩が、西方浄土を向いています。「ピカは 人がおとさにゃ おちてこん」と言った、おばあちゃんの言葉を、位里が書いて、飾りました。千羽鶴と香の絶えることなく、八月六日には、ここで法要を行います」と記しています。
また、宇佐美承著『ルルの家の絵かきさん』(1978年8月偕成社刊、1985年に『原爆の図物語』として小峰書店より刊行)にも、「位里じいさんは、まもなく、広島から、やけのこったふるい材木と、かんのんさまをおくってもらって、美術館のまえに、かんのん堂をたてた。〈ピカは人がおとさにゃおちてこん〉とかいて、正面にかざった。これは、スマばあさんのことばだった。おぼうさんにお経をあげてもらって、みんなでお線香をあげた。子どもたちは、千羽ヅルをおって、川にながした」と紹介されています。

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(写真は昨年8月6日ひろしま忌=正面に見えるのが原爆観音堂)

わが家の息子Rは、この観音堂がお気に入りで、美術館に来るたびに必ず鐘を鳴らして「なむなむ」と小さな手を合わせていました。
これまでも、数えきれないほど多くの大人たち、子どもたちがこの観音堂に千羽鶴を供え、手を合わせて祈りを捧げたことでしょう。
丸木夫妻の残した貴重な痕跡が失われてしまうことは、本当に残念です。

原爆観音堂は駐車場奥の宋銭堂の隣に移り、新築されることになります。
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2007/1/7

たいせつな風景  その他

昨日、理事のTさんから神奈川県立近代美術館で発行している美術館たより『たいせつな風景』をお借りしました。
Tさんは、(自身のHP「今日、考えたこと」でも書いていますが)丸木美術館ニュースを『たいせつな風景』のような「おしゃれで読み応えのある」ものにしたいとのこと。
その意見自体には多少の異論はあるけれども(Tさんも、“丸木を大切にしたいという思いを持つたくさんの人の声”を中心に据える編集方針について「やはり現状のスタイルでいいのではないかと思い始めている」と書いてくれて安堵したのですが)、参考にできる部分は取り入れたいと思って、昨日から電車に乗りながら『たいせつな風景』を読んでいます。

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心に残る文章はいろいろありますが、ここではぼくの好きなドイツ文学者の池内紀さんが神奈川県立近代美術館葉山について書いた以下の文章を紹介します。

この上は入館者の数をかぞえ、グラフをとったりしないでもらいたい。美術館は市場ではない。人を呼びこみ、売り上げを競うところではないのである。(中略)ひとりふたりがその前に立ちどまるとき、作品がささやき、語りかけてくる。

ここ数年、「存続の危機」という言葉に振り回されて、毎日入館者数を数えることに躍起になっているぼくには耳の痛い言葉でした。
丸木美術館を訪れて下さる方の中には、「こんなにお客さんが少ないのはもったいない。もっと宣伝をするべきでは? 都心に引っ越すべきでは?」と勢い込んで提案して下さる方も少なくありません。
その一方で、近年にない入館者数を記録した昨年8月は「人が多すぎて作品をゆっくり見ることができなかった」という(ぼくが丸木美術館に勤めてから初めて聞く)声もありました。

人によってものの見方、考え方はさまざまだから、丸木美術館の現状に対する評価も人によって異なります。
しかし、しんと静まりかえった美術館のなかで、《原爆の図》の前で静かに向き合う人の後ろ姿は、ぼくにとって、まさに“たいせつな風景”のひとつではなかったか。
たった一人で立ち尽くし、作品の語りかける声に耳をすませることで得られる感動を、決して忘れてはいけないのではないかと、あらためて思いました。

今日は県内のJ学園高校の先生が日本人と韓国人の学生団体を率いて来館。ぼくとN事務局長は二手に分かれてそれぞれ館内の説明を行いました(ぼくは韓国人学生を担当)。
午後には大田区のYくんが友だちを連れて来てくれて、企画展をずいぶん熱心に見てくれました。その後に事務室で話をしたのですが、企画展を本当に深く見てくれたことを感じられる内容の質問をしてくれて、なんだかとても嬉しかったです。
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2007/1/4

仕事はじめ  その他

あけましておめでとうございます。
今年は40周年を迎える丸木美術館。無事に新年のスタートを切りました。
新年はじめのお客さまは、川越のSさん夫妻(事務局のY子さんのご両親)に連れられた都立Y高校卒業生の女の子3人でした。
午前中は年賀状や郵送物に目を通し、午後には年始の挨拶に来て下さった地元ボランティアのKさん、川越の作家のNくんとお話をして、新年らしいあれこれの用事を済ませているうちに一日が終わりました。

1月は、今週末に美術館ニュースの発送があり、来週末からは企画展の展示替え、「藤沢市30日美術館」展示、美術館クラブ工作教室、企画展(廃品芸術展)オープニング、アートスペース谷口幹郎展オープニング、藤沢展オープニングと立て続けに行事があり、月末には神戸で講演があります。
また、休みの間に雑誌『日本書法』の編集者から連絡があり、春季号の特集が丸木位里に決まったため、原稿執筆を依頼したいとのこと。
気がつけば予定がいっぱいで、新年早々なんだか追い詰められた気分になっています。
とはいえ、忙しいのはありがたいこと。まずは目の前の仕事からこなしていくことにしましょう。
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