2016/5/30

川越スカラ座『無音の叫び声』  川越スカラ座

久しぶりの川越スカラ座で、原村政樹監督の『無音の叫び声』を観ました。

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山形県上山市牧野の農民詩人・木村迪夫にスポットを当てたドキュメンタリ映画です。
1935年に生まれ、戦争で父や親戚を亡くした木村は、農民詩人の先達である真壁仁らと出会い、農業に従事しながら60年にわたって詩を書き続けました。

映画には登場しませんが、1951年4月に山形市美術ホールに丸木夫妻の《原爆の図》が巡回してきた際には、真壁が4月22日付『山形新聞』に「原爆の図三部作展について」という評論を寄稿しています。
もしかすると、木村さんも展覧会をご覧になっていたかもしれません。

戦争の記憶を忘れ、高度経済成長をひた走ってきた戦後の日本の、もうひとつの物語。
変わりゆく東北の農村で、畑を耕し、詩を書き、出稼ぎに出て、ゴミ屋を開業し、記録映画製作にも関わり、戦没者の遺骨を拾いに南洋の島を訪れ、地を這うような視線で時代の流れに抗し続けてきた一人の人間の生き方を、原村監督が丁寧に描写しています。

残念ながら私は仕事で都合がつきませんでしたが、週末の土曜日には田中泯さん、日曜日には澤地久枝さんが来館され、トークを行ったとのこと。豪華ゲストに会場も大盛況だったようです。
原村監督は川越在住で、毎日のように川越スカラ座にも来場され、私が観た月曜日の午前中の回でも、急きょアフタートークをして下さいました。

映画にあわせて、農文協より『無音の叫び声 農民詩人・木村迪夫は語る』を刊行されており、こちらもお勧めです。
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2014/10/20

川越スカラ座『消えた絵 クメール・ルージュの真実』  川越スカラ座

久しぶりに川越スカラ座へ行き、『消えた画 クメール・ルージュの真実』(リティ・パニュ監督、カンボジア・フランス、2013年)を観ました。

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1970年代のカンボジア、ポル・ポト率いる「クメール・ルージュ」による数百万人の市民の大虐殺の歴史を、生存者である監督自身の独白とともに、カンボジアの大地から作られた土人形によって状況を再現し、詩のような映像で伝えるという作品。
記録として残されなかった/抹消された出来事を、記憶をもとに民話のような語りで成立させるという手法に、心を揺さぶられました。



再現不可能の極限状況を、表現を介した想像力で伝えるという手法は、丸木夫妻の《原爆の図》や、水木しげるの『総員玉砕せよ!』などの漫画を思い起こしました。
時おり挿入されるポル・ポト政権下に撮影された当時の映像が、統治していた側にとって都合のよい「選ばれた」記録であったことと、素朴なつくりの土人形が織りなしていく「消された」記憶の対比が鮮やかで、歴史を語ることの意味を考えさせられます。
流れるような動きの、いわゆる「アニメーション」的な映像とは異なるリアリティと想像力の追及は、黒田征太郎さんによる『戦争童話集』の映像も連想させます。

記録に残されなくても、不条理な圧力によって人間性が破壊されても、名もなき民を主人公とする物語は強靭に語り継がれていく……という希望を感じることのできる、美しい映画でした。
川越スカラ座での上映は10月30日まで。火曜定休。
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2014/5/26

川越スカラ座『旅する映写機』  川越スカラ座

休館日。川越スカラ座で上映中のドキュメンタリ映画『旅する映写機』(2013年、森田惠子監督)を観てきました。

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森田惠子監督の映画は、2年半ほど前にも、『小さな町の小さな映画館』という素晴らしいドキュメンタリ作品を観て、非常に感銘を受けました。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1724.html
そのとき、実は森田監督が丸木美術館の友の会会員であるということを知って、親近感も沸きました。

今度の作品は、その『小さな町の小さな映画館』の舞台となった北海道浦河町の大黒座を出発点として、岩手県の善映館、みやこシネマリーン、福島県の本宮映画劇場、東京のシアターN渋谷、大島電機、国立ハンセン病資料館、岡山県のシネマ・クレール、広島県のシネマ尾道、愛媛県のシネマルナティック、マネキネマ、内子町の旭館、高知県の大心劇場、そして(われらが)川越スカラ座も含めて、映写機を訪ねてまわった1年間の旅を記録しているのです。

森田監督とともに旅をした映写技師の永吉洋介さんには、6年前にスカラ座が新しい回転盤を導入した際にご指導いただき、たいへんお世話になりました。

映画館のデジタル化にともない、フィルム映写機による映画上映が激減している現在だからこそ、輝いて見える名映写機が続々と登場します。
川越スカラ座の映写室に鎮座している「フジセントラルF-7」(平岡工業、1967年製)が、戦時中に零戦を作っていた中島飛行機株式会社の精密な技術を受け継いで作られていた(埼玉県飯能市の平岡工業は、中島飛行機時代からの下請け会社)互換性が高く耐久性に優れた歴史的な名機であることも、この映画を観てはじめて知りました。

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写真は6年前のメンテナンスの際に撮影した川越スカラ座の映写室内の様子。
右側の映写機が名機「フジセントラルF-7」です。

   *   *   *

森田監督の作品を観て感じたのは、街であれ、村であれ、人里離れた山奥であれ(実際、高知の大心劇場は山の中の一軒家)、ここから文化を発信しようという思いさえあれば、映写機とスクリーンというシンプルな設備で映画が生まれるという、当たり前のようで、今の時代に忘れられがちな大切なこと。
そしてそれは、映画館だけでなく、美術館もきっと同じであるということ。

丸木美術館という、人間の手から手へ守り伝えられてきた美術館で働く者の一人として、今日からまたがんばっていこうと励まされるような、心の温かくなる作品でした。

川越スカラ座での上映は6月6日(金)まで。
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2014/1/11

川越スカラ座『そして父になる』  川越スカラ座

午後8時頃から、川越スカラ座にて是枝裕和監督の『そして父になる』(2013年)のティーチインを聞きました。

『そして父になる』は、新生児の病院での取り違え事件を題材にした作品。
大手建設会社に勤務し、都心の高級マンションで暮らす福山雅治と尾野真千子の演じるエリート家庭と、群馬で冴えない自営業を営むが子煩悩のリリー・フランキーと真木よう子の演じる庶民的な家庭という対照的な二つの家庭を対比しながら、“血”のつながりを選ぶか、共に過ごした“時間”を選ぶかという、どちらも選べないけれども、選ばなくてはいけない不条理に葛藤する夫婦の姿を描き出します。

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題名の通り、この映画の主人公は福山雅治演じる父親。
子どもの取り違え事件を機に、それまで順風満帆に人生の階段を上って来た(と自分で思っていた)男が、思い通りにいかない問題を抱え、“父になる”とはどういうことかを見つめなおす物語です。

「時間だよ、子どもは時間」―― 映画中盤で、リリー・フランキー演じる子煩悩父が福山雅治演じるエリート父にさらりと語る一言が、重く響きます。

ティーチインでは、初期の『ワンダフルライフ』(1999年)や『DISTANCE』(2001年)などのドキュメンタリ風の作品(それを是枝監督は「撮影された演劇にならないような実験」と表現していました)から、自分で台詞を書きはじめた『歩いても歩いても』(2008年)以後の作品への心境の変化に触れていたのが印象的でした。
映画・演劇・台詞に対する自分の中での興味が変化している……とのことでしたが、それでも、脚本を全部作り上げて撮影に入るのではなく、役者の中から出てきたものをどう映画に生かすかということを考えている点では変わっていない、アプローチの仕方が変わってきただけかもしれない、というのです。

また、海外では「小津に似ている」と言われることが多い、という話も興味深く聞きました。
どこが似ているのか、と聞くと、「時間の流れが似ている。“めぐる”という感覚。一周めぐって出発点と違うところに着地するとことが似ている」と言われたそうです。
是枝監督が言うには、それは自作の特徴というより、日本人の時間の捉え方かもしれない、外国からの視線だからこそ生まれてきた指摘ではないか、とのことでしたが、しかし、確かに、是枝監督の、とりわけ近年の作品はそうした傾向があるように思います。
『そして父になる』のティーチインはもう間もなく終了し、すぐに新作の撮影がはじまるという是枝監督。これからも、新作を見続けていきたい映画監督です。

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私が『そして父になる』を観たのは6日(月)でしたが、上映後、ロビーではスカラ座スタッフやアルバイトの皆さん、それに見知らぬお客さんまで加わって、それぞれの視点から感想を語る時間が自然発生的に生まれていました。
その輪の中に加わりながら、良い映画の証しだ、と思いました。
川越スカラ座での上映は17日(金)まで。
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2013/12/2

川越スカラ座『立候補』  川越スカラ座

このところ、岩波ブックレットの校正やその他の原稿の打ち合わせなどで慌ただしくしていましたが、久しぶりの一日休みに川越スカラ座で上映中の映画『立候補』(藤岡利充監督、2013年)を観てきました。

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羽柴誠三秀吉、外山恒一、マック赤坂など世間で言うところの「泡沫候補」の選挙活動や思いに迫るドキュメンタリ映画。
事前に、スカラ座スタッフの女の子から「泣きました」と言われ、マック赤坂で「泣く」のか……と半信半疑でしたが、映画の後半部分のひき込まれる展開には、正直なところ驚かされました。あらかじめ想定された物語を超えていく現実。これこそドキュメンタリという作品です。

映画を見終わったあと、受付で「すみません、泣きました」と自己申告。
詳しくは実際に映画を見ていただきたいのですが、この作品は、たんなるパフォーマンス主義の「泡沫候補」のドキュメントでは決してありません。
マック赤坂の選挙活動を通して、暴走する「多数派」のおぞましさを相対的に浮かび上がらせるという点で、まさに今の時代に生まれるべくして生まれた映画だと思いました。
自分の考えと異なる他者を抹殺することを微塵も躊躇しない「多数派」政権が、戦後の日本がまがりなりにも積み重ねてきた歴史を根底から破壊しようとしている今こそ、観る価値のある重要な作品です。

川越スカラ座での上映は、12月6日(金)まで。騙されたと思って、ぜひご覧下さい。
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2013/7/18

川越スカラ座『セデック・バレ』  川越スカラ座

久しぶりの川越スカラ座で、映画『セデック・バレ』(2部構成で4時間36分の超大作)を観ました。1930年10月27日、日本統治下の台湾で起きた「原住民族」セデック族による抗日暴動「霧社事件」を描いた作品です。

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そもそもの動機は、12月に参加を予定している日本近代文学会のパネルディスカッションで、台湾と縁の深い文学研究者のKさんがこの『セデック・バレ』と「霧社事件」を取り上げるというので、事前に観ておきたいと思ったからなのですが、スケールの大きさに圧倒されて、Kさんがどんなふうに読み解かれていくのか、俄然、楽しみになってきました。

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山岳地帯の深い森のなかを裸足で獰猛に駆け抜けるセデック族の卓越した身体能力が見事に表現され、アクション映画としても非常に完成度の高いものになっています。
もちろん、日本の植民地政策という歴史に深く関わる物語なので、どのような立ち位置で映画を観るのかは非常に難しいのですが、必ずしも硬直した二分法に寄りかかるのではなく、近代国家という巨大な怪物に否応なく組み込まれ、翻弄され、駆逐される人間の運命を丹念に描いた、普遍的な意味を持つ映画だったように思います。



台湾の山奥に虹を信仰する民族がいた。
ある時、海を隔てた北方から、太陽を崇める民族がやってきた。
2つの民族は出会い、互いの信ずるもののために戦った。
しかし彼らは気づいていなかった。
虹も太陽も、同じ空にあるのだと・・・。


これは、パンフレットの冒頭に記されていた文章。
その言葉を借りれば、“太陽”と“虹”という異なる背景を持つ者たちの、いわば誇りをかけた鎮圧と蜂起の物語ではあります。
しかし、両者のあいだに位置する人たち(たとえばセデック族を理解しようとする日本の軍人であったり、皇民教育を受けて日本兵となったセデック族の若者であったり、その妻たち)が、武力衝突によって、それぞれ身を引き裂かれるような悲劇に直面していくという描写が、非常に心に残りました。
むしろ、この映画の本当の主人公は、誇りを貫く者たちではなく、苦悩し引き裂かれる立場の彼らだったのかもしれません。

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写真は、「日本兵」となったセデック族の若者「花岡二郎」の妻役を演じたビビアン・スー。彼女もセデック族出身なのですが、日本名「高山初子」を名乗り、和服を着て、「霧社事件」の際には日本人の女性たちとともに逃げまどうことになるのです。

川越スカラ座では、8月10日から16日にかけて、連日『セデック・バレ』第1部・第2部連続上映+ドキュメンタリ映画『台湾アイデンティティ』も上映という“台湾まつり”が予定されています。
貴重な機会、ご興味のある方はぜひ、ご覧下さい。
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2013/3/21

川越スカラ座『ニッポンの、みせものやさん』  川越スカラ座

川越スカラ座で上映中の『ニッポンの、みせものやさん』(奥谷洋一郎、2012年)を観ました。

いまも活動を続けている唯一の見世物小屋「大寅興行」の活動を中心に、見世物小屋の歴史をたどるドキュメンタリー映画です。



私には見世物小屋を観た記憶はありませんが、川越まつりでもつい数年前まで蓮馨寺に見世物小屋が出ていたそうです。
見世物小屋は、かつて福祉制度が整備されていなかった時代に、障碍のある人たちが生計を立てる手段になっていたとのこと。そういえば以前、幼少時に両手足を切断し、見世物小屋で「だるま女」として働いていたことのある中村久子の生涯を紹介するTV番組を観た記憶があります。

貧しい家に生まれた子が口減らしのために働いていたのはもちろん、「昔は裕福な家に“奇形”の子が生まれると世間体が悪いんで大金包まれて見世物小屋にもらわれてきたんだよ」という映画のなかのインタビューの言葉が胸に刺さります。
それでも、倫理観だけではとらえきれない得体の知れないエネルギーに圧倒されます。
そして、肩を寄せ合うように生きる見世物業界の人びとは、他人に対してとても優しい。
この優しさは、いったい何なのだろう。
「異界へようこそ」という呼び込み看板の文字が、頭から離れません。

最近、仕事でごいっしょすることの多い写真家の萩原義弘さんが、見世物小屋の撮影をされていて、HPに見事なヘビ女の写真がありました。

http://ysnowy.exblog.jp/tags/%E8%A6%8B%E4%B8%96%E7%89%A9%E5%B0%8F%E5%B1%8B/

川越スカラ座での上映は3月29日まで。
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2013/3/4

川越スカラ座『レ・ミゼラブル』  川越スカラ座

休館日。午前中に妻と二人で久しぶりに川越スカラ座へ。
このところ、慌ただしくしていて、なかなか足を運ぶことができなかったのですが、川越スカラ座では現在、話題のミュージカル映画『レ・ミゼラブル』を上映中(3月8日まで)。

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平日の午前中にもかかわらず、客席には大勢のお客さんの姿が。
映画界全体がフィルムからデジタル配信に移行していくこともあり、川越スカラ座のような小さな映画館にとっては厳しい時代を迎えているのですが、ちょっと安堵しました。

20代の頃、ロンドンのパレス・シアターでミュージカルを鑑賞し、石畳の道を歩きながら「民衆の歌」を口ずさんで宿まで帰ったことを、久しぶりに思い出しました。
屋外ロケにふさわしい壮大なスケールの作品なので、映画化の意味がある作品だったのではないかと思います。

先日、小学生のときに読んだ『ああ無情』が、講談社から1986年に刊行された少年少女世界文学館(たしか第1回配本だった記憶がある)のシリーズだったことを調べているうちに、最初にこの小説の全体が日本に紹介されたのは、幸徳秋水や堺利彦もいた黒岩涙香の『萬朝報』(1902年10月8日から1903年8月22日まで連載)であったことを、初めて知りました。
黒岩涙香の翻訳による『噫無情』、ジャン・バルジャンは戎瓦戎、ジャヴェール警部は蛇兵太、コゼットはなぜか小雪という日本名に変換され、バリケードの市街戦に参加した青年たちは、一揆で討ち死にを覚悟した47人になっているそうです。ちょっと面白い。

ちなみに川越スカラ座では、歌いながらチケットを注文すると鑑賞料金が1000円になる「ミュージカル割」を実施中。残りの上映日数はわずかですが、まだご覧になっていない方は、ぜひ挑戦してみて下さい。
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2012/6/2

川越スカラ座「誰も知らない基地のこと」トーク  川越スカラ座

午後6時から、川越スカラ座で上映されている『誰も知らない基地のこと』(エンリコ・パレンティ、トーマス・ファツィ監督、2010年、イタリア)のトークイベントとして、ゲストに牛島貞満さんをお迎えして、沖縄の基地問題について語って頂きました。
牛島さんは、沖縄戦の司令官であった陸軍大将・牛島満の孫にあたる方です。東京都で小学校の先生を務めながら、沖縄の基地問題にも関わり、1959年6月30日の宮森小米軍ジェット機墜落事件を語り継ぐ活動をされています。

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『誰も知らない基地のこと』は、“米軍基地”といえば沖縄を思い起こす私たちに、米軍が世界の国々に700以上の軍事基地を持ち、多くの問題を巻き起こしている実態を教えてくれる、非常に興味深いドキュメンタリ映画です。

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軍産複合体となった米軍の世界戦略に視野を拡げながら、しかし、それでも現時点で私たちが最優先で考えなければならない沖縄の基地問題を、どのようにとらえていくべきか。
牛島さんは、2004年8月13日に起きた沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故と、1959年の宮森小の米軍ジェット機事故を取り上げて、東京と沖縄のメディアの温度差の違いを貴重な映像で比較しながら、基地の実態を知ることの重要性をわかりやすく解説して下さいました。
約80人ほどの参加者で埋まった客席は、最後まで熱心に耳をかたむける若い学生たちの姿も目につきました。

“復帰”から40年という節目の年を迎えた沖縄。
しかし、かつて軍隊が存在しなかった美しい島は、今も本当の意味では“復帰”には程遠く、美しい自然と隣り合わせで、血なまぐさい危険が存在しているのだということを、あらためて考えさせられました。

お忙しいなか、貴重なお話を聴かせて下さった牛島さんに、心から御礼を申し上げます。
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2012/5/15

川越スカラ座『誰も知らない基地のこと』上映のお知らせ  川越スカラ座

今日は沖縄復帰から40年という節目の日。
昨日のNHK国際放送局の佐喜眞美術館からの中継をはじめ、いまだ変わらぬ米軍基地の状況にフォーカスするさまざまな企画が行われています。

さて、今回は私がボランティアで関わっているNPO映画館・川越スカラ座のお知らせ。
今週末の5月19日から6月8日まで、『誰も知らない基地のこと』(エンリコ・パレンティ、トーマス・ファツィ監督、2010年、イタリア)の上映が行われます。

   *   *   *



世界の国々に700以上の軍事基地を持つアメリカ軍が基地周辺で起こすさまざまなトラブル、アメリカ軍の衝撃の事実を取材した社会派ドキュメンタリー。コソボのアメリカ軍基地内部での撮影、さらにはアメリカ軍に対して住民が声を上げているイタリア・ビチェンツァとディエゴ・ガルシア、沖縄県の普天間を取り上げる。取材には住民たちのほかに、アメリカの思想家ノーム・チョムスキーなど識者もインタビュー映像で出演。世界の各地域の事情を背景に、またさまざまな角度から、住民に及ぼすアメリカ軍の問題や軍産複合体の裏側をつまびらかにしていく。

   *   *   *

6月2日(土)16時45分からの上映終了後には、ゲストに沖縄戦を指揮した牛島満司令官の孫にあたり、沖縄の米軍基地問題に取り組んでいる牛島貞満さんをお迎えして、トークイベントを行います。
牛島さんは、1959年に起きた宮森小学校への米軍機墜落事故(児童ら17人死亡)を語り継ぐ活動に精力的に取り組まれている方で、「軍隊は住民を守らない」という視点から、沖縄の基地の現状を語って下さいます。

ぜひ、多くの方にご来場頂きたい企画です。
お問い合わせは川越スカラ座(電話049-223-0733)まで。
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2012/3/27

川越スカラ座「月あかりの下で」  川越スカラ座

午後から、川越スカラ座で特別上映された『月あかりの下で ある定時制高校の記憶』を観ました。
埼玉県立浦和商業高校定時制(2008年に残念ながら廃校となりました)の生徒たちの学校生活を丹念に撮影したドキュメンタリ映画です。



年齢の割に重過ぎる人生を背負い、悩みや傷を抱えて入学してくる生徒たち。
授業より先に、学校が〈居場所〉であることを示すところからはじめる教師たち。
ほとんど学校崩壊のような状態から、彼らが何をきっかけに、どのように変わっていくのかを、カメラはひとりひとりに寄り添うように記録しています。
事件が起きては、生々しい人間の感情がぶつかり合う。
そこから信頼関係が生まれ、あるいは壊れ、少しずつ彼らは変化していく。
学校の原点、というより、人間と人間の“絆”の原点がどのように作られていくのかを考えさせられる、素晴らしい作品でした。

   *   *   *

映画の重要な登場人物のひとりである女子生徒は、3年生最後の日に、クラスのみんなに妊娠を報告します。そして、彼女が産休に入る前の最後のクラス遠足で向かった先が、実は、丸木美術館だったのです。
2006年6月のことです。その頃はまだ映画にするという話はなくて、テレビのために定時制高校のドキュメンタリ番組を撮影する、という説明を受けていたと記憶しています。
カメラは、原爆の図第2部《火》の、炎に包まれた幼子の絵の前でたたずむ妊娠7ヵ月の女子生徒を映していました。
「こわいね……」とつぶやく彼女。
作品を鑑賞した後、小高文庫に上り、クレヨンでカードに「平和がいちばん」と感想を書き込んだ彼女は、生まれてくる子と《原爆の図》を重ねていたのでしょうか。

ここ数年、美術館に団体で来館する学校が減り続け、特に公立学校が激減していくなかで、それでも来て下さる学校は私立の成績上位校が中心になっています。
きちんと事前学習をして、事後にも要点をとらえた立派な感想を送ってくれる彼らに絵を見せることの意義はとても大きいと思います。
しかし、数年前までときどきやってきた、“骨のある”生徒たちのいる学校も懐かしい。
ぼくは彼らに、ずいぶん“語りの力”を鍛えられた気がします。
先生が連れて来なければ、丸木美術館には生涯足を運ぶことがなかったかもしれない彼らにこそ、本当は《原爆の図》を観て、何でもいいから心に感じてもらいたいと、映画を観ながらあらためて思ったのでした。

こうした経緯があったので、2010年に映画が完成したときには、浦和で開かれた試写会にも呼んで頂いたのですが、残念ながら都合が悪くて参加できず、そのことをずっと気にしていたので、今日は映画を観ることができて本当によかったです。

上映後には太田直子監督のトークもあり、その後で監督に挨拶をしました。
実は太田監督は、ぼくの出身校である東京都立立川高校の先輩なのです。
そんな御縁もあって、これからも何らかのかたちでつながっていくことができそうな気がしました。

   *   *   *

夜は、文学座アトリエの会の江守徹演出による『父帰る』(菊池寛作)と『おふくろ』(田中千禾夫作)を鑑賞。
丸木美術館のボランティア新聞編集長のK田(N)さんが演出助手を務めている舞台です。
『父帰る』は、若い頃に広島で演劇をしていた丸木位里も出演したと回想している戯曲。
当時位里さんはまだ20代なかばでしたが、50歳を過ぎた「父」役を演じていたとか……。
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2011/12/12

川越スカラ座『グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独』  川越スカラ座

休館日。「Chim↑Pom展」に没頭する1週間だったので、午前中に妻子と気分転換に川越スカラ座へ行き、『グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独』 (2009年、カナダ、監督:ミシェル・オゼ、ピーター・レイモント)を観ました。

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バッハの『ゴールドベルク変奏曲』の斬新な解釈と並外れた演奏技術で知られるピアニスト、グレン・グールド(1932-1982)の実像を、未公開の映像や写真、音声、日記と彼を愛した女性たちの証言によってたどりなおすドキュメンタリ映画です。

真夏でも手袋とマフラーを手放さない、異様に低い椅子に座って歌いながら演奏する、1964年以降コンサートから引退してレコードだけを発表する……といった奇行のイメージや、ニューヨークフィルとの演奏会において指揮者のレナード・バーンスタインが演奏前に「私はこの(グールドの)解釈に賛成しているわけではない」とスピーチしたという話題が先行するグールドですが、楽曲を解体して斬新な発想で再構築してしまう独創性にはやはり圧倒されます。

芸術における“異端”とは何か……と考えつつ、どうしても思考は丸木夫妻とChim↑Pomという方向に向かってしまい、気分転換になったのか、ならなかったのか。
ともあれ、グールド好きにはお勧めの映画です。
川越スカラ座では12月26日まで上映中。
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2011/11/28

川越スカラ座『未来を生きる君たちへ』  川越スカラ座

休館日。川越スカラ座で上映中の『未来を生きる君たちへ』(In a Better World、2010年、スサンネ・ビア監督、デンマーク・スウェーデン合作)を観ました。

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デンマーク郊外の学校で執拗なイジメに遭っていた少年エリアスの父親のアントンは、医師としてアフリカの難民キャンプに赴任していました。
ある日、エリアスのクラスに転校生のクリスチャンがやって来ます。クリスチャンの“復讐”によってイジメから救われたエリアスは、急速に彼との友情を深めていきます。
一方、アフリカの紛争地帯では、アントンが自身の離婚問題や毎日のように搬送される瀕死の重傷患者に苦悩していました。そんなとき、“ビッグマン”と呼ばれる虐殺者が大けがを追ってキャンプにあらわれます。彼は子どもや妊婦を容赦なく切り裂くモンスターでした。アントンは、彼を治療すべきか否かという難しい決断を迫られます。
そしてエリアスとクリスチャンも、ある無謀な復讐を計画するのですが……



デンマークとアフリカというまったく異なる二つの世界に共通する“暴力”という問題、そして“赦し”と“復讐”という対極の解決策をめぐって物語は進行します。
同じ子を持つ親として、そして“平和のための博物館”に関わる者として、子どもに徹底した「非暴力」を唱えるアントンの姿には強く共感しました。
しかし、映画には“赦し”だけでは通用しない厳しい現実も描き出されます。
アントンもまた、難民たちの“ビッグマン”へのリンチに間接的に加担してしまうのです。

“復讐”の連鎖を断ち切るには、誰かが“赦し”の姿勢を示さなければならないでしょう。
しかし悲しいことに、“赦し”だけでは止められない暴力もあるのです。
決して簡単には答えが出ないこの世界を、私たちはどのように生きていくべきなのか。
映画は答えを導き出すわけではありませんが、深く考えさせられる興味深い作品でした。
川越スカラ座での上映は12月9日まで(火曜定休)。

   *   *   *

ちなみに川越スカラ座で先週まで上映されていた、精神障碍者の協同組合の自立を描いた映画『人生、ここにあり!』(SI PUO FARE、2008年、ジュリオ・マンフレドニア監督、イタリア)も、とても良い作品でした。

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2011/10/3

川越スカラ座『小さな町の小さな映画館』  川越スカラ座

丸木美術館の休館日。
川越スカラ座で『小さな町の小さな映画館』(森田惠子監督、2011年)を鑑賞しました。

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川越スカラ座は、川越市中心部の観光名所「時の鐘」近くの路地裏にあり、1905年に寄席として創業し、1940年に映画館になった歴史ある映画館です。数年前に長年経営されてきた館主が引退され、現在はNPO団体が運営しております。
私も3年ほど前から、ボランティアとして街頭ポスター貼りやイベントの司会進行などを手伝ってきました。

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『小さな町の小さな映画館』は、北海道にある人口1万4,000人の小さな港町浦河にある創業93年の映画館「大黒座」を取材したドキュメンタリ映画。
過疎の町で映画館を続ける一家と、その活動を支える人びとの思いを丹念に追いかけた内容は、私たちにとっても重なりあうところが多く、川越スカラ座で上映するには本当にぴったりの作品でした。
川越市民にとっては必見の映画……だと個人的には思うのですが、スタッフのIさんの話では客の入りはあまり良くないとのこと。少し残念です(10月6日まで)。

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Iさんによれば、数年後にはフィルム映画の製作が完全に終了し、デジタル映画もDVカムやブルーレイという媒体から、高額な長期契約をした映画館への一斉配給制に移行する時代が目の前に迫っているそうです。
そうなると、もはや、シネマコンプレックス以外の運営は成り立たなくなってしまうので、小さな映画館を取り巻く状況は今後さらに厳しく、先の見えないものになるでしょう。

個人的には、こんな時代だからこそ、手作りの温かさが残る小さな映画館を大切にしたいのですが、運営の厳しさを知るにつけ、安易に「続けて欲しい」と言えない状況に胸が痛くなります。

映画に紹介される大黒座の現状も興味深い(街頭ポスターの貼り方はどこもいっしょだとか、入館者ゼロの寂しさに共感したりとか)のですが、この作品の奥行きを深くしているのは、かつて映画の全盛期だった時代までさかのぼり、地域の歴史を掘り起こして取材しているところです。

それは私が現在調査を進めている《原爆の図》全国巡回展の時代とも重なります。
地方に活気があった時代、町の文化の拠点は映画館でした。
演芸場としてはじまった川越スカラ座に、現在もスクリーンの前に舞台があるように、大黒座にも舞台があり、かつては映画上映のほかに講談や浪曲などが上演されていたそうです。
1950年代の《原爆の図》巡回展でも、映画館で展覧会が開かれた例がいくつかあります。

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たとえば福井の佐佳枝劇場で開催された原爆の図展(1952年5月21日付『福井新聞』より)。

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この頃、劇場では『千一夜物語』を上映中でした(1952年5月15日付『福井新聞』広告より)。

映画館で絵の展覧会?と不可解な思いを抱いていたのですが、地方に公民館や美術館などの公共の展示施設がなかった時代、映画館がその代わりの役割を果たすことは、決して突飛な発想ではなかったのでしょう。

映画で紹介された美唄の映画館の、炭鉱全盛期に館外にあふれるほどの人が並んでいた様子を映している写真は、まるで原爆の図美唄展の写真を見るようでした。
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2011/8/7

川越スカラ座にて映画『祝の島』纐纈監督との対談  川越スカラ座

午後5時から、川越市内の映画館「川越スカラ座」にて、映画『祝の島』上映記念イベントとして、纐纈(はなぶさ)あや監督と岡村の対談が行われました。

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纐纈さんとはじめてお会いしたのは、2002年のこと。
彼女は当時、本橋成一監督がチェルノブリ原発事故で汚染された地域の人々の暮らしを撮影した『アレクセイと泉』の上映スタッフとして働いていて、東松山市内での上映前に丸木美術館を訪れて下さったのです。
私もまだ、丸木美術館の学芸員として本格的に働きはじめたばかりの頃でした。
それから、約10年。まさか川越スカラ座で、纐纈監督をお迎えして対談を行うことになるとは……なかなか感慨深いものがあります。

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対談では、『アレクセイと泉』の上映のために祝島を初めて訪れたときの回想からはじまり、当時「原発に反対する島民」と紹介されることの多かった祝島の人々の生き生きと暮らす姿に衝撃を受けたこと、島の人々の本当の姿を知って欲しいと撮影を決意したことなど、映画制作の原点について深く語って頂きました。

川越スカラ座スタッフのIさんが、その様子をイベント・レポートにまとめて下さっています。

http://event.k-scalaza.com/?eid=1264283

『祝の島』は、纐纈監督はじめ撮影スタッフと、島の人々の濃密な信頼関係が感じられる映画です。島の人々の視線に寄り添い、暮らしのなかに溶け込むようにして、丹念に作られたのだということが、とてもよく伝わってきます。
山と海の自然に向き合って、世代を越えていのちをつないでいく。
祝島の人々の暮らしと文化は、近代科学の最先端である原発とは対極のように映ります。
長い歳月をかけて、身体的な体験を通して培ってきた人間のしたたかな「知恵」が、そこかしこにあふれている、そんな印象も抱きます。

「知識」だけでは、人は道を誤ることがある。
何より「知識」は、はじめから決まっている結論に人を導くために用いられることがある。
けれども、世代を越えて培ってきた体験に基づく「知恵」は、その「知識」のもたらす矛盾を鋭く突き、本質を見極める力を持っている。
1986年のチェルノブイリ原発事故よりも前から祝島の人たちが原発建設に反対し続けていたのは、「知恵」を拠りどころにして生きていたからではないかと、対談を通して考えさせられました。

冒頭の町議会への抗議活動のシーンに代表されるように、映画を見ていると、島の人たちが一丸となって原発に反対しているように思えます。実際、原発に賛成している人の姿は最後まで登場しません。それだけに、インタビューのなかで語られる「友だちを引き裂いて、親戚を引き裂いた。人間同士の争いごとが一番口惜しい」という言葉が心に突き刺さり、描かれていない島の苦しみを想像させられます。
そのあたりの問題は、纐纈監督も一番悩んだところだそうですが、自分が撮りたいものを追い続けていくなかで、自然に原発賛成派の人と出会えれば撮影するかも知れないと思いながら、結局、撮影する機会がなかったのだとおっしゃっていました。
しかし、とても魅力的に写る島の人々のユーモアや笑顔が、30年にわたって原発に反対し続けた悩みや苦しみ、心の痛みを根底に抱え、だからこそ輝いて見えるのだということを、この映画は“描かずに描いた”という点で、成功しているのではないかと思います。

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対談終了後には、纐纈監督とポレポレタイムス社のNさん、川越スカラ座のスタッフやボランティアの方々といっしょに打ち上げを行いました。

明るく笑い、熱く語り、よく飲み、よく食べる。
纐纈監督の元気いっぱいの姿に、祝島の漁師の皆さんが心を開き、「誰が何を言っても俺たちは監督を応援する!」と後援会を作ってくれたという理由を垣間見る思いがしました。
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