2018/8/11

ギャラリーOGU MAG「吉國元展」  他館企画など

田端のギャラリーOGU MAGで開催中の吉國元展「アフリカ都市経験:1981年植民地期以降のジンバブウェ・ハラレの物語」を観ました。
https://www.motoyoshikuni.com/

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ジンバブウェ近代歴史研究者の吉國恒夫を父に持ち、1986年にジンバブウェ・ハラレで生まれた吉國元の初個展。
彼は10歳で日本に来ているのですが、今でも記憶の中のジンバブウェを描き続けています。
カンヴァスに油彩で描かれた作品だけでなく、段ボールやスケッチブックに色鉛筆などの素材も用いた大小さまざまな絵を組み合わせた展示構成が、「記憶の断片」としてのアフリカを立ち上げます。
イギリスの植民地支配からの独立を導いたムガベ大統領の独裁下という複雑な社会の中で、幼い彼と出会った人びとの肖像。そして日常生活のありふれた風景。

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作者が展覧会に寄せたテキストの一部を抜粋します。

私は子供の頃に始めた絵だけは続けていて、今でも描く事でアフリカで出会った人たちを記憶しようとしている。アフリカの光の中でほんの短い時間だったのだが、彼らの生と私の生が交差する瞬間があったのだ。この展覧会はひとつのドキュメントであり、私にとってのクロニクルなのかもしれない。

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例えば、アイロンをかける女性像の右上隅には、どこの家でも掲げているというムガベ大統領の肖像が、画面の外へはみ出すように切断されて描かれ、新しい世代への変化を象徴する少年の姿が赤い絵具で描写されています。

その絵の左隣の鳥打帽の男性像は、彼が10歳のときに描いた、つまり出品作唯一の、記憶の再現ではない「リアル」な肖像。男はムビラ(アフリカ伝統の親指ピアノ)の奏者で、彼に演奏を教えてくれていたそうです。

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絵は現実を論理的に説明するものではありませんが、しかし、彼の展示からは、一度も訪れたことのない、それどころかほとんど知識さえもないジンバブウェの人たちの輪郭が、少しずつ見えてきます。

彼の仕事は、まだ始まったばかりだという予感がしています。
ジンバブウェからの越境者という立ち位置から、どんな視界を構築していくのか、期待しながら見ていきたいです。
展覧会は8月12日まで。
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2018/7/2

武蔵野市立吉祥寺美術館「江上茂雄展」  他館企画など

昨夕に新幹線で京都へ移動し、朝から立命館大学国際平和ミュージアムで儀間比呂志の版画作品の集荷作業。
帰宅前に武蔵野市立吉祥寺美術館に立ち寄り、「江上茂雄 風景日記」展を観ました。
会期は7月8日まで。この貴重な機会を逃したくなかったのです。

江上茂雄という画家を知ったのは、2013年の炭坑展の集荷で筑豊を訪れたときでした。
そのときは残念ながら展示を観ることができませんでした。
2015年の広島市現代美術館「ライフ=ワーク」展で、戦時中に兵役につくことができず肩身の狭い思いをしていた自身を鎮める細密植物画のシリーズ「私の鎮魂花譜」を観ましたが、いつか彼の画業を俯瞰する展示を観たいと思っていたのです。

1912年生まれの江上は、家計を支えるために15歳で三井三池鉱業所の建築課に就職し、休日や勤務後のわずかな時間を使って、はじめは水彩画で静物を、のちにクレパス・クレヨンで風景画を描き続けたそうです。定年退職後は福岡・荒尾の自宅付近で約30年間「正月と台風の日を除く毎日」水彩で風景画を描き、2014年に2万点以上の絵を残して101歳で亡くなりました。
描くことが血肉化された人だったのだということが、残された作品から感じられます。

展覧会は、江上の制作の時代背景として、山本鼎の唱えた自由画教育や、中村善策著『クレパス画の描き方』(1939)が紹介されている丁寧な内容。狭い空間に(小品中心とはいえ)400点超の絵画がひしめく、見応えのあるものでした。

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図録は30ページで収録作品も多くはありませんが、表紙カバーを開くと、晩年の20年間に荒尾運動公園駐車場付近を描いた96点の水彩画が印刷されています。ほとんど同じ角度の風景ですが、少しずつ色彩が異なっていて、それがとても良いのです。
穏やかな狂気の、強い説得力を感じました。

日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイブに江上茂雄のインタビューが記録されているので、こちらもぜひご覧ください。
http://www.oralarthistory.org/archives/egami_shigeo/interview_01.php
http://www.oralarthistory.org/archives/egami_shigeo/interview_02.php
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2018/6/1

Ring Bong第8回公演「ふたたびの日は何色に咲く」  他館企画など

座・高円寺にて、山谷典子さんの主宰する演劇ユニットRing Bongの第8回公演「ふたたびの日は何色に咲く」。
市川房枝、平塚らいてう、原阿佐緒をモデルにした三人の「新しい女」のそれぞれの生き方を、大正デモクラシーから戦争に向かっていく時代の変化とともに描いた力作。

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彼女の脚本では珍しく現代の場面が登場しませんが、性差別や現政権の問題などを浮かび上がらせる今日的な作品になっていました。
第8回公演ということは、山谷さんとお会いして8年目になるということですが、彼女は最初から、自分が何を表現したいかという軸を持っていたんだなとあらためて思いました。

回を重ねるうちに、劇場が大きくなって、メディアにも取り上げられるようになって、大勢の観客が集まるようになってきたけれど、彼女自身も着実に表現力を積み上げていって、毎回、作品が良くなっていると感じます。それは決して簡単なことではなく、彼女の資質と努力と周囲の支えの賜物なのでしょう。
今年もまた舞台に引き込まれ、観終わった後、自分もしっかり仕事をしていこうと励まされたような気持ちになって、劇場を後にしました。
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2018/5/15

高畑勲お別れの会/山内若菜展  他館企画など

ジブリ美術館にて「高畑勲お別れの会」の式典に参列。
先月の「石牟礼道子さんを送る」会に続いて、大事な仕事を遺された方、そして無理をお願いしてしまった方とのお別れです。
早めに会場に到着して、宮崎駿監督、鈴木敏夫プロデューサーに目礼、式典開始時間を待ちながら高畑監督のご著書を読み返しました。

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宮崎監督の挨拶はもちろん、息子さんの挨拶、二階堂和美さんの振り絞るような「いのちの記憶」の歌声が心に沁みました。

高畑監督には昨秋の対談企画のために何度かお手紙を書き、メールのやりとりをして、いっしょに「原爆の図」を観る機会をいただきました。
わずかではありましたが、厳しさ、優しさ、繊細さを感じ、絶えず緊張していた時間でした。
丸木スマの絵をご覧になって、「これは、絵巻物の世界ですよ」と心から嬉しそうに笑ってくださったときだけ、緊張が解けたことを覚えています。
体調が良くないことは最初から知っていたから、申し訳ない思いがずっとあったのですが、周囲の方から「最後まで仕事の機会があったことを、本人はよろこんでいた」と言っていただき、少し救われる気もしました。

対談直前になって、突然「出演を辞退したい」というメールが届き、慌てたことを思い出します。
体調面の不安もあったのでしょうが、「このテーマを語るには時間が短すぎる」という言葉に、本気で「原爆の図」に向き合おうとして下さっているのだと感じて、懸命に説得しました。
当日、開場2時間前にメールをいただいて、ようやく安堵しました。

時間が許すのならば、もっと高畑監督のお話をうかがいたかった。
対談企画の後、帰りの車の中では、いつになく気持ちが高ぶって、ずっと語り続けておられたそうです。
「思うところを充分に話しきれなかった」という高畑監督に、「いつかまた、原爆の図について語ってくださることを願っています」とお返事したのが、結局、最後のメールになってしまいました。

   *   *   *

「高畑勲お別れの会」の後は、銀座の中和ギャラリーで山内若菜展を観ました。
3年前の丸木美術館での展示から、さらに拡張し続けてきた牧場の絵画が、360度の円環状の展示となって、観る者を包み込みます。

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洞窟の岩肌を思わせる和紙の大画面。海のようにも草地のようにも見える青緑色の水平線。希望の象徴のペガサスに加えて、ヤンバルクイナや第五福竜丸の船影も描きこまれ、時間軸が多層化していました。
福島であり、沖縄であり、チェルノブイリであり、マーシャル諸島でもありながら、現実から飛翔していく彼女の心象風景なのでしょう。

「迷いのない絵ですね」と来訪者に声をかけられて、そんなことない、常に迷っている、と彼女が答えていたのが印象的でした。
描ききれないほど複雑なテーマに引き裂かれながら悶えて、それでも描かずにはいられない、青い炎のような強靭な小宇宙。
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2018/2/28

武田美通さんの造形作品と市民アーカイブ多摩を訪ねる旅  他館企画など

久しぶりに竹内良男さんの企画に参加して「武田美通さんの造形作品と市民アーカイブ多摩を訪ねる旅」へ。

2010年に丸木美術館の企画展で紹介した鉄の造形作家・武田美通さんの作品を観に恵泉女学園大学を訪れました。
武田作品は今年8月に沖縄県立博物館・美術館の県民ギャラリーで展示予定とのこと。作品保存などの課題はあるのですが、「広める会」の皆さんががんばって活動を続けています。

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その後は、多摩都市モノレールで玉川上水駅に移動して、東大和市の旧日立航空機変電所跡を見学。
外壁に米軍空襲の弾痕の残る貴重な戦争遺跡です。

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さらに、歩いて10分ほどの場所にある市民アーカイブ多摩へ。
もとは都立多摩社会教育会館が行っていた(石原都政で切り捨てられた)市民運動のミニコミ紙などの保存収集活動を引き継いでいる小さな施設です。

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『丸木美術館ニュース』もしっかり保存して下さっていて、その地道かつ重要な活動には本当に頭が下がる。やはり紙媒体のニュース発行を続けていかねば・・・とあらためて思いました。

竹内さんのツアーはこれで終わりですが、夕方はちひろ美術館・東京の大巻伸嗣展「まなざしのゆくえ」展レセプションへ。ちひろ生誕100年「LIFE展」連続企画の第1弾。

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去年の高畑勲さんキュレーション企画あたりから、この美術館が従来のイメージから脱却して新しい時代を迎えようとしていることは感じていましたが、今回はついに現代美術家によるインスタレーション。
大巻さんの新作「Echoes Crystallization」は、白いアクリル板の上に修正液と水晶の粉で花の絵を描いた美しい大作で、作者によれば、丸木夫妻の《原爆の図》などを参照した原爆の暗喩とのこと。作品はもちろん、照明や床を作り込んだ展示が、3つの部屋それぞれ異なるかたちで展開されています。最初の作家がここまで思い切った挑戦をしたら、この後に続く作家たちも、かなりの刺激を受けるのではないでしょうか。

松本猛さんにお話を聞いたところ、役員も若返り、既成概念にとらわれない新しい試みをどんどんやっていく方針とのこと。生誕100年の特別企画とはいえ、ちひろ美術館の本気を感じました。
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2017/12/17

シンポジウム「ノーモアヒロシマズ、だが、ヒロシマはいたるところに」  他館企画など

先日の日曜日は、東大駒場キャンパスで開催されたシンポジウム「ノーモアヒロシマズ、だが、ヒロシマはいたるところに」を聞きました。

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登壇者は東琢磨さん、仙波希望さん、笹岡啓子さん。
それぞれ語り口も、「ヒロシマ」を掘り下げる手法も大きく異なりながら、正しさ、わかりやすさに集約されていく「ヒロシマ」に抵抗し、見失われがちなリアリティをすくい取ろうと試みる姿勢は通底していたように思います。

東さんの言葉で言えば「ヒロシマから/をチューニングする」。
仙波さんの言葉で言えば「同心円の想像力をずらして思考する」。
笹岡さんの言葉で言えば「いくつものヒロシマを呼び起こす」。

個人的な関心で言えば、それらは丸木美術館と「原爆の図」が抱えている問題にそのまま重なってくることでもありました。その意味で、とても刺激的なシンポジウムだと感じました。

求められる「正しさ」に応えなければならない部分はあるとしても、常にそこから逸脱し、裏切り、拒絶する感覚は持ち続けたい。その複雑な回路の中で「原爆の図」を考え続けることが、自分にとっての大きな課題です。
開館50周年の年の瀬に、あらためてそんなことを思う良い機会になりました。
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2017/11/25

木下直之さん講演「震災・敗戦からの復興と近代建築」  他館企画など

鎌倉商工会議所会館へ、木下直之さんの講演「震災・敗戦からの復興と近代建築」を聞きに行きました。

鎌倉国宝館、神奈川県立近代美術館などの建築物を、建築様式ではなく、「震災」や「敗戦」からの「復興」における意味という文脈で、鎌倉時代まで時間の枠を広げながら考える興味深い内容。
木下さんは、以前に著作の中で「原爆の図」の裸体表現についてもユニークな考察をされているので、講演の後に少しだけご挨拶をさせていただきました。

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写真は、鎌倉市役所から見た商工会議所会館。手前の銀杏の木は、1949年5月3日に「全国に先駆けて開かれた」鎌倉平和集会を記念して、仏文学者の小牧近江らが鎌倉駅前に植えた「平和の木」。
フランス革命の「自由の木」にちなみ、二度と戦争を繰り返さないという誓いをこめて命名されたそうです(1971年に現在の場所に移植)。
若き日のヨシダ・ヨシエさんが小牧近江に紹介されて、片瀬に住んでいた丸木夫妻のもとを訪れたのも、その年の暮れのことでした。

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帰りに、木下さんが講演の際に触れていた、鎌倉駅前にあるラングドン・ウォーナー博士の記念碑も見てきました。
ウォーナーは日本文化の研究者で、「文化は戦争に優先する」との言葉を残し、大平洋戦争の際には「三古都」(京都・奈良・鎌倉)に戦禍が及ばぬよう訴えた、という逸話も残っています。実際には文化財保護のためのリストを制作したものの、その有効性について諸説あるそうですが、空爆を受けなかった鎌倉では、とても大切にされている様子が感じられました。
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2017/11/18

白崎映美&東北6県ろ〜るショー  他館企画など

「丸木スマ展」「富丘太美子展」の最終日で盛況の美術館を夕方に抜け出して、新宿全労済ホール スペース・ゼロの「白崎映美&東北6県ろ〜るショー」に駆けつけました。

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8月6日の丸木美術館には小編成でご出演頂きましたが、今回は本格編成のスペクタクル版。獅子舞、鬼剣舞、盆踊、達磨娘、チンドン屋、上々颱風の元メンバーも登場して、2時間たっぷり楽しませて頂きました。
あらためて、50周年のひろしま忌で歌っていただいたことを、嬉しく、ありがたく思い出しました。

まっすぐな思いと力強い歌声に打たれて、もう一年の締めくくりの歌合戦を聞いてしまったような気分です。
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2017/11/6

「裸形の北風U」展/第五福竜丸展示館レセプション  他館企画など

休館日。午後から池袋のGALLATELIER MURA ERYへ。白濱雅也さんが企画された「裸形の北風U」展を観ました。
小さな明るい地下空間に、十勝の4人の作家による木を素材にした作品が展示されていました。ぎゅっと凝縮された、「北」の空気。

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鈴木隆さんの彫刻は、削ぎ落された極小の空間に土俗的な物語を感じさせる風景が見えます。
林瑰好さんは大工仕事をしながら欄間彫刻の職人に師事したという方で、不思議な形態のトーテンポールのような立体が林のように屹立していました。
吉野隆幸さんは建築家で、多数のリンゴの木箱を塔のように積み上げたインスタレーションを制作。
白濱さん自身も、アイヌの土産物の木彫りの熊像を「再生」させるリノベーション彫刻を出品しています。
白濱さんは昨年3月に丸木美術館で「Post3.11 光明の種」展を企画した芸術家で、北海道の帯広に居を移し、ArtLabo北舟というアートスペースを運営していますが、なかなか帯広まで伺う機会がないので、東京での展示はありがたかったです。

昭和初期に、大日本帝国の「辺境」から芸術家志望の若者たちが集まってきた東京の「辺境」――長崎アトリエ村のあった地域での企画というのも、歴史の連続性を感じさせます。赤松俊子(丸木俊)、小熊秀雄、小川原脩といった名前を、何となく思い起こしました。

   *   *   *   *   *

その後は第五福竜丸展示館へ行き、特別展「この船を描こう 森の福竜丸 男鹿和雄と子どもたちの絵」のオープニングセレモニーに参加。

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男鹿和雄さん、大石又七さん、吉永小百合さんの挨拶の後、第五福竜丸の絵を描いた子どもたちもいっしょに記念撮影。続いて記念演奏会として、吹奏楽曲「ラッキードラゴン 第五福竜丸の記憶」を作曲された福島弘和さんがオーボエを、鈴木英史さんがピアノを演奏し、和やかで温かい雰囲気の会となりました。

セレモニーの後には、大石さんに久しぶりにお会いして、ご挨拶することができました。
吉永さんにも原爆の図保存基金への御礼を申し上げようとしたら、ずいぶん長い時間メディアに囲まれて取材を受けていたので不思議に思っていたのですが、どうやら翌朝の新聞を読むと、トランプ来日についてコメントを求められていたようです。

「ジブリの絵職人」男鹿さんの描く第五福竜丸は、広々とした太平洋を航海し、そして森の緑に囲まれて静かに眠っています。
ジブリ映画の曲から3曲を選んで演奏した福島さんが、第五福竜丸の船体を「腐海に沈む巨神兵」になぞらえてナウシカを選曲した、と言っていたのが印象に残りました。
汚染された船が、浄化の源になる。巨大な木造漁船を見ながら、そんなことを連想します。
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2017/10/30

「明日がある、かな」  他館企画など

休館日。午後から新宿の紀伊國屋ホールへ、斉藤とも子さんの出演するトム・プロジェクトプロデュースの「明日がある、かな」を観に行きました。
アレルギーと自動車の排ガス問題をテーマにした舞台。トム・プロジェクトのとも子さん出演の作品を観たのは、「かもめ来るころ」、「静かな海へ MINAMATA」に続いて3度目になります。

「50周年の集い」の後で少し疲れていたのですが、終演後のロビーで、とも子さんが笑顔で駆け寄ってきてくれたので、やはり行って良かったと思いました。
公演最終日で、とも子さんもお疲れだったでしょうが、あの笑顔、見習わなくては。

はじめに観た「かもめ来るころ」は、大分県の中津を舞台にした松下竜一さんの物語でした。
松下さんは、初期の『丸木美術館ニュース』に、短い文章を寄せて下さっています。
今週は、大分出張。松下さんの愛した大分の海を見るのが楽しみです。
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2017/10/19

ベルナール・ビュフェ美術館  他館企画など

10月は団体の季節。昨日は午前中に2件の館内説明を終えて新幹線に飛び乗り、三島駅からベルナール・ビュフェ美術館へ。
以前から気になっていましたが、初めて伺うことができました。

特定の画家の作品のために作られた空間で、継続的に作家研究を続けていること。近年は企画展で他作家の展示も行い、美術館の幅を広げていること。子どもたちが訪れるような工夫も多く、鑑賞教育に力を入れていること。それからアクセスの問題も含めて、丸木美術館との類似点は案外多く(もちろん、美術館の予算規模はまったく違いますが)、とても興味深く拝見しました。

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ビュフェというと薄塗りの引っ掻くような筆致の油彩画のイメージが強いですが、後期に厚塗りの表現を試みていたことや、サブカルチャー好きであったことなど、学芸員の方々にいろいろ教えて頂きました。
企画展の「森―いのちのかたち」展も、小さな子どもが楽しめるように工夫が凝らされ、とても見応えがありました。

実は来春、ビュフェ美術館にお世話になる企画が進行中なので、今回は打ち合わせを兼ねての訪問でした。展示を夢中になって見ていたら閉館時間になってしまい、結局、ほとんど打ち合わせができず・・・同じクレマチスの丘の中にある、IZU PHOTO MUSEUMの「澤田教一展」やヴァンジ彫刻庭園美術館の「生命の樹」展も見られなかったのが本当に残念でした。
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2017/9/15

井原市田中美術館「安藤榮作展」  他館企画など

明日の原爆文学研究会に備えて、広島に前泊。
途中、岡山でディーゼル機関車単線1両編成の井原鉄道に乗り、井原市立田中美術館へ。
安藤榮作さんの平櫛田中賞受賞記念展のオープニングに駆けつけました。

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《Being》や《光のさなぎ》、《鳳凰》、《ヒトガタ》、そして「狛ちゃんシリーズ」などのユーモラスな近作まで。これまで見続けてきて、それでも場所が変わるとまったく違うように見える作品群が、震災後の安藤さんの歩みをしっかりと伝えるように展示されていました。

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津波で作品が流されてしまったために、現存する震災前の作品は少ないのですが、それでも今回の展覧会には、福島県立美術館から1点、個人コレクションから4点ほど90年代の作品が出品されています。その個人コレクションの所蔵者が、大学時代の恩師である岡村多佳夫先生というのも不思議な縁です。

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オープニングトークには、たくさんの人たちが安藤さんの話を聞きに集まっていました。
なぜ斧を使うのか、という観客からの質問に対し、鑿よりも斧の方が不自由で自分に合っていた、それに斧は人間が最初に手にした道具で、スマホが発達した現代になっても使われ続けているのが好きだ、という安藤さんの答えが、とても良かったです。

会場には奥田元宋・小由女美術館のN学芸員も来ていました。
そのNさんにご紹介いただいた田中美術館のA学芸員からは、平櫛田中が丸木スマの彫刻を作る構想もあったという驚きの事実を教えて頂きました。田中もスマも同じ院展に出品していたので、もしかすると、スマがもう少し長く生きていたら、実現していたのかもしれません。
安藤さんと初めて出会ったのが埼玉県立近代美術館での「丸木スマ展」だったことを思うと、これもまた、不思議な縁のひとつでしょうか。

彫り跡の生々しい安藤さんの木彫と、その対極のように滑らかに形作られた平櫛田中の彫刻コレクションを続けて見た後は、井原駅で第五福竜丸展示館のI学芸員と地元名物という「ごんぼうバーガー」をほおばりました。
台風が近づいているので、無事に帰れるかどうか、ちょっと心配です。
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2017/9/4

長沢秀之展「未来の幽霊」オープニング  他館企画など

3年前に「ゴジラ展」でお世話になった長沢秀之さんの退官記念展のため武蔵野美術大学へ。
「未来の幽霊」というタイトルは謎めいていて良いですね。
http://mauml.musabi.ac.jp/museum/archives/11125

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長沢さんは視覚と絵画の関係を根源的に探究されるストイックな画家、というイメージがあったのですが、「ゴジラ展」でお世話になって印象が変わりました。
今回の展示でも、奄美で出会った老人たちの聞き取りをして、提供された写真をもとに制作したドローイングとともにその言葉を展示する「私が生まれたとき」というシリーズが良かったです。

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オープニングトークで、「最近は、絵画の“自立性”を疑っている」と語られていた長沢さん。境界を超えて他者と交わりながら世界をとらえ直すことの重要性を、あらためて考えさせられるトークでした。
広島の原爆にも関心を寄せる長沢さんは、この秋に武蔵野美術大学で青原さとしさんの映像作品『 土徳−焼跡地に生かされて』の上映も計画されているとのこと。こちらも予定が合えば参加したいです。
展覧会は10月1日まで。
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2017/8/19

ヨコハマトリエンナーレ2017/瀬尾夏美トーク  他館企画など

仕事柄、8月は休みが少ないので、夏の展覧会は見逃すことが多いのですが、駆け足でヨコハマトリエンナーレ2017―島と星座とガラパゴスを見てきました。

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紛争や難民・移民の問題、英国のEU離脱、ポピュリズムの台頭などにより大きく揺れ動く世界の状況を、「接続」と「孤立」をテーマにして考えるという国際芸術展。

丸木美術館で個展をされた木下晋さんや、来年の展示を予定している風間サチコさんも参加し、Chim↑Pomの企画「Don't Follow The Wind」の展示もあったので、ちょっと親近感がありました。

その中で、今回、特に注目して観たのは、3.11後に陸前高田に移り住んだアーティスト・瀬尾夏美さんの展示でした。

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このところ、「路地と人」の小森はるかさんとの二人展や、鞆の津ミュージアム「原子の現場」展など、彼女の作品を観る機会が多くなっています。

それには理由があって、惨禍の記憶を現地で聞きとり、視覚的なイメージで伝達するという表現手法が、私にとっては、丸木夫妻の仕事を想起させるところがあるからです。

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もちろん、1950年代と2010年代では時代背景も大きく違うので、表現手法は異なります。
隠された原爆の惨禍を多くの人びとに等身大の群像図で伝えた《原爆の図》に対し、瀬尾さんの作品はひとりひとりの鑑賞者に向き合うように、ささやかな声で記憶を伝えます。小さな画面に描かれた世界に、鑑賞者がそっと耳をすませるような展示です。

しかし、絵と(詩のような)言葉で、互いの特性を補完しあいながら、観る側の想像力を刺激する、という点は似ています。また、語りの際の人称の問題も興味深く、丸木夫妻も瀬尾さんも、聴き取りでありながら半一人称(瀬尾さんの言葉によれば「宙ぶらりん」)のような手法をとっています。他者の記憶を器のように受け入れながら、自己表現に落とし込む、という立ち位置であることが、そうさせているのかもしれません。

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今回、瀬尾さんは横浜美術館と横浜赤レンガ倉庫1号館の2会場で展示をしているのですが、横浜美術館では震災・津波における生者と死者、記憶と忘却の対比を、なかば物語化された世界で表現していました。

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一方、赤レンガ倉庫1号館では、陸前高田での震災前の聴き取りを出発点にして聴いた遠い戦争の記憶や、「語れないもの」を求めて広島に取材した、さまざまな言葉の断片を展示していました。
絵が添えられている作品もあれば、言葉だけが展示されている作品もあります。
2階の廊下の閉ざされた窓の前には、「語れない記憶」の言葉だけが並んでいました。語られた記憶のかたわらに、常に語られなかった記憶が存在することを提示するインスタレーションです。

若い世代のアーティストが、「被災地」の現場に身を投じて身近に生きる人たちの話を聞くうちに、戦争の記憶に関心を向け、やがて広島にたどり着いたというプロセスは、私にはとても興味深く思われました。

その後は、新宿のphotographers’ galleryへ、こちらも3.11後の活動に注目している写真家の笹岡啓子さんの個展「PARK CITY」を拝見して(広島の平和公園や原爆ドーム、原爆資料館における不可視の気配を可視化した素晴らしいシリーズ)さらに浅草橋に移動して、Gallery Tで開催中の中村亮一・平川恒太「匿名の肖像」展のオープンセッションへ。

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中村亮一くんは戦時中に強制収容された日系人をテーマにした不鮮明な肖像の展示。平川恒太くんは福島第一原発事故の現場で働く作業員の肖像を、黒地に塗った時計の上に黒い絵具で描き出しています。人間の尊厳を剥ぎ取られた「匿名の肖像」。
平川くんの作品に近づくと、108体の肖像のひとつひとつから、秒針の動く音が響いてきます。一斉に時を刻むのではなく、みんな微妙にタイミングが異なるため、音は不思議に響きあい、絵を観る人は、絵の前で耳を澄ませるという不思議な感覚を味わいます。それは命の鼓動のようでもあり、被ばくのために残された時間のカウントダウンのようでもありました(展示は8月26日まで)。

この日はオープンセッションとして、ゲストに瀬尾夏美さんと岡村が招かれました。
広島からは、現代美術に精通し、被爆者の聞き取りの仕事を行っているOさんが駆けつけて、記憶と忘却のはざまで正確な事実をすくいあげていく困難さについて発言して下さいました。

印象に残ったのは、瀬尾さんが作品に言葉を取り入れたのは3.11の後からであり、「言葉は早いメディアなので、急速な状況の変化に対応するために必要だった。絵は追いかけるようにだんだんできていった」と話していたことです。
瀬尾さんもまた、こうするより仕方がなかった、という表現の必然の中で方法論を見出していったことが、よく伝わってきました。
「現在の風景の時間軸をずらすことで過去の記憶を宿す」という彼女の作品が、これからどのような歴史を可視化させていくのか、注目していきたいと思います。
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2017/8/8

Chim↑Pom展/広島原爆魂の撮影メモ/安藤栄作展  他館企画など

今日は高円寺のキタコレビルで開催中のChim↑Pom「道は拓ける」展へ。

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昨年、新宿の歌舞伎町商店街振興組合ビルで開催された「また明日も観てくれるかな?」展の後半戦。テーマは「スクラップ&ビルド」ということで、Chim↑Pomの象徴であるスーパーラットよろしく、都市の片隅のほとんど廃墟に近いビルを拠点に作り変えてしまう彼らのDIY精神の賜物のような展覧会でした。
ただし、階段などはかなり狭くて急傾斜(というより垂直)なので、動きやすい服装で訪れることをお勧めします。

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パルコの看板や国立競技場の椅子など、都市の廃材を利用して「バラック」を作るという発想、そして歌舞伎町のビルごと解体された自作品の再展示というコンセプトは、個人的には広島の原爆による破壊と再生を想起させました。

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2013年のChim↑Pomの旧日本銀行広島支店「広島!!!!!」展も、丹下健三の平和の軸線の継承ではなく、むしろ相生通りのバラック街の歴史につながっていけば、より彼ららしいものになっていたのかも知れない、と思ったりもしました。

   *   *   *

続いて、お茶の水のアートギャラリー884「広島原爆 魂の撮影メモ」展へ。
原爆被災記録映画『広島・長崎における原子爆弾の影響』の広島での生物班の撮影に携わったカメラマン鈴木喜代治が記録した撮影メモを中心とする資料展示と、孫の能瀬広氏が広島での撮影地をめぐって撮影した28分の記録映画『魂の撮影メモ』の上映。

資料によれば、鈴木喜代治は当時勤務していた日本映画社の一員として学術調査班に同行し、1945年9月に広島へ入りました。途中、枕崎台風の影響で糸崎に足止めされ、予定より遅れて到着したというから、丸木夫妻とほぼすれ違いでの広島入りだったことになります。

10月に撮影班は長崎へ移動したが、彼は体調不良で広島の日赤病院に入院し、長崎での撮影は担当できませんでした。
会場には、1945年10月24日の日付が入った色鉛筆のスケッチが展示されていました。

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(写真は許可を得て撮影。ガラス越しなので少し反射しています)

年表には、若い頃に黒田清輝の画塾・赤坂葵橋洋画研究所で洋画を学んだと記されていました。その他にも彼が描いた水彩画の写真が資料としてファイリングされていましたが、黒田派というより三宅克己や吉田博のような丹念に描いた水彩の風景画であることに、興味を惹かれました。

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最後は明日8月9日から開かれる日本橋タカシマヤ画廊の平櫛田中賞受賞記念 安藤榮作展を覗き見。まだ展示作業中だったので、部分画像のみ紹介します。

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嬉しい、嬉しいばかり言っていますが、やはり安藤さんのような彫刻家が大きな賞を受賞されるのは嬉しいです。

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震災の後、2011年5月のギャルリー志門での再起の個展も、奈良の明日香村へ訪ねて行ったことも、丸木美術館での展覧会が実現したことも、ついこの間のように思い出されます。

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展覧会は8月15日まで。
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