2016/10/15

ヒロシマ連続講座2016「原爆の図の旅」  講演・発表

東京・駒込駅近くの愛恵ビルの一室にて、元高校教師で八王子平和・原爆資料館の竹内良男さんが主宰される「ヒロシマ2016連続講座」の第13回として「原爆の図の旅」の話をしました。

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会場には、20名を超える方が来て下さって、ほぼ満席でした。
ご来場くださった皆さま、どうもありがとうございます。

内容のほとんどは、これまでにまとめてきた原爆の図巡回展や原爆を表現した芸術作品についての話でしたが、せっかくの機会だったので、近年広島の放送局が制作した「原爆の図とアメリカ―絵は何を伝えたか―」(2015年8月30日、広島テレビ)、「もうひとつの原爆の図」(2016年9月23日、NHK広島放送局)というふたつの映像を紹介しました。

竹内さんからは、1952年8月に開催された立川展の会場「南口公会堂」が、いったいどこの場所に当たるのか、という疑問が挙げられました。私も立川には縁があり、会場には立川在住の方も複数いらっしゃったのですが、決定的な答えはありません。
以前、立川の図書館に問い合わせたときには、旧柴崎図書館(公民館)ではないか、という回答だったのですが・・・もし、ご存知の方がいたら、ぜひ教えて頂きたいところです。

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また、新しくまとめた資料も配布したので、以下、学芸員日誌に公開します。
1970〜90年代の国内「原爆の図展」は、主に市民の立ち上げた「見る会」主催の展覧会です。
50年代のゲリラ的な展示とは異なり、実行委員会が周到な準備を経て開催し、立派な記録集がまとめてられいるのが、この時期の市民運動として行われた「原爆の図展」の特徴です。

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もちろん、主催者の中には、50年代の巡回展の記憶を残している人も多くいました。
《幽霊》《火》《水》の三部作や《少年少女》が中心なのは50年代と同じですが、それらの作品とともに、朝鮮人被爆者を描いた《からす》が主力作品に加わっています。
忘却されつつあった「加害の歴史」を呼び起こし、「ふたたび加害者にならないため」の展覧会であったことが伝わってきます。

これら70〜80年代の国内巡回展の記録は、まだ不完全な部分もありますし、今後時間をかけて報告集などの記録を読みこんでいく必要があります。
ともあれ、国際的に反核運動が盛んになった時代。修学旅行で広島・長崎を訪れ被爆者の証言を聞くという運動の広がりとともに、「原爆の図展」もこれだけ各地で開催されたことを示す情報として、見てください。

今回の講座の出席者の中にも、81年の我孫子展に関わった方がいらっしゃいました。
休憩時間に、「その前の仙台展で人があまり来なかったから、もう地方に原爆の図は出したくないんだ、という位里さんを説得して実現させたんです」という話を聞かせて下さいました。
実際、我孫子展以後、本格的に全国に実行委員会形式の展覧会が広がっていくのです。

86年の愛知展を担った主力グループは、その後、「戦争と平和の博物館ピースあいち」を立ち上げ、今春も「原爆の図展」を開催して下さいました。
そして88年の松本展に尽力した浅間温泉の神宮寺では、もう20年以上も毎年夏に「原爆の図展」を続けて下さっています。
その意味では、「原爆の図展」は、時代を超えて現在にもつながっているのです。

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【1970〜90年代の国内「原爆の図展」】

1972年9月2日〜17日 新潟県新潟市・新潟BSN美術館
 主催=新潟日報社 出品=幽霊、火、水、虹、少年少女、原子野、竹やぶ、救出、とうろう流し、米兵捕虜の死、からす、デッサン

1975年8月6日〜14日 広島県広島市・福屋百貨店
 出品=幽霊、火、水、虹、少年少女、原子野、竹やぶ、救出、焼津、署名、母子像、とうろう流し、米兵捕虜の死、からす、デッサン

1978年4月9日〜?日 石川県鳳至郡能登町・能登町公民館
 出品=火、虹

1978年8月15日〜27日 山形県酒田市・本間美術館
 出品=幽霊、火、竹やぶ、とうろう流し

1978年9月25日〜10月17日 沖縄県那覇市・リウボウホール、沖縄市・ワコーショッピングプラザ
 出品=幽霊、火、水、少年少女、救出

1979年4月?日〜5月3日 宮城県仙台市・藤崎デパート
 主催=仙台市・憲法を守る会 詳細不明

1981年7月11日〜19日 岩手県盛岡市・岩手県民会館
 主催=原爆の図展実行委員会、後援=岩手県・盛岡市・広島市・長崎市ほか 出品=幽霊、火、水、少年少女、竹やぶ、救出、とうろう流し、からす、デッサン、スケッチほか 観客=4,500人

1981年11月5日〜8日 千葉県我孫子市・我孫子市民会館
 主催=原爆の図展実行委員会、後援=我孫子市・我孫子市教委ほか 出品=火、少年少女、母子像、デッサン 観客=5,000人

1981年12月10日〜15日 大阪府大阪市・大阪駅前第2ビル アートプラザ
 主催=原爆の図展実行委員会、後援=大阪府・大阪市・府教委・市教委ほか 出品=幽霊、火、水、少年少女、救出、デッサンほか 観客=13,000人

1982年6月16日〜21日 兵庫県神戸市・兵庫県教育会館
 主催=原爆の図神戸展をすすめる会、後援=兵庫県・神戸市・県教委・市教委・明石市・芦屋市・県教委ほか 出品=幽霊、火、少年少女、救出、からす、デッサンほか 観客=30,305人

1982年6月25日〜30日 大阪府枚方市・枚方市民ギャラリー
 主催=枚方市・枚方市教育委員 出品=幽霊、少年少女、救出、からす、デッサンほか 観客=18,000人

1982年7月20日〜25日 北海道札幌市・札幌市民ギャラリー
 主催=原爆の図展開催実行委員会、後援=札幌市教委・NHKほか放送新聞各社 出品=幽霊、火、少年少女、救出、とうろう流し、からす、、絵本原画「ひろしまのピカ」、デッサンほか 観客=17,218人

1982年7月28日〜8月1日 北海道函館市・遺愛女子高校ホール
 主催=原爆の図展実行委員会、後援=函館市・函館市教委ほか10団体 出品=幽霊、火、少年少女、とうろう流し、からす、デッサンほか 観客=8,217人

1982年11月24日〜28日 福島県福島市・福島消費者組合ホール
 主催=福島YWCA他3団体 出品=火、少年少女、救出、からす 観客=3,200人

1984年7月12日〜22日 京都府京都市・京都市美術館
 主催=原爆の図を見る会、後援=京都府・京都市・府教委・市教委・新聞各社 出品=幽霊、火、水、少年少女、救出、母子像、とうろう流し、からす、長崎、デッサン65点、周思聡「坑夫の図」ほか 観客=30,038人

1984年7月30日〜8月5日 熊本県熊本市・熊本市民会館
 主催=「原爆の図」くまもと展実行委員会、後援=熊本県・熊本市・県教委・市教委・新聞社ほか 出品=幽霊、火、水、少年少女、からす、長崎、デッサン、絵本原画ほか 観客=14,140人

1984年8月8日〜12日 長崎県長崎市・長崎市民会館
 主催=ながさき「原爆の図」を見る会、後援=長崎県・長崎市・県教委・市教委・原水禁長崎県民会議・新聞報道各社 出品=幽霊、火、水、少年少女、からす、長崎、デッサン 観客=8,000人

1985年8月24日〜28日 岡山県岡山市・天満屋葦川会館
 主催=おかやま「原爆の図」を見る会、後援=岡山市・市教委・倉敷市・広島市・新聞各社ほか 出品=火、水、少年少女、救出、とうろう流し、からす、デッサン、絵本原画ほか 観客=9,211人

1985年9月3日〜8日 三重県三重市・三重県立美術館
 主催=原爆の図をみる会、後援=三重県・県教委・津市・市教委・新聞報道各社ほか 出品=火、水、少年少女、救出、とうろう流し、からす、デッサンほか 観客=7,550人

1986年2月28日〜3月8日 愛知県名古屋市・愛知県美術館
 主催=原爆の図を見る会、後援=愛知県・県教委・名古屋市・市教委・新聞報道各社ほか 出品=幽霊、火、水、少年少女、救出、母子像、とうろう流し、からす、おきなわの図8連作、絵本原画「ひろしまのピカ」「おきなわ島のこえ」、デッサン、スケッチ 観客=21,405人

1986年9月19日〜27日 福井県福井市・福井フェニックスプラザ
 主催=ふくい原爆の図をみる会、後援=福井市・市教委・新聞報道各社ほか 出品=幽霊、火、竹やぶ、母子像、とうとう流し、からす、デッサンほか 観客=7,800人

1987年3月25日〜29日 福島県福島市・福島県民文化会館
 主催=原爆の図展をみる会、後援=福島市・広島市・長崎市・市教委・新聞報道各社ほか 出品=火、水、少年少女、救出、母子像、からす、絵本原画「ひろしまのピカ」、デッサン 観客=4,477人

1987年10月16日〜25日 大分県大分市・コンパルホール
 主催=原爆の図をみる会、後援=大分県・県教委・大分市・市教委・新聞報道各社ほか 出品=火、水、少年少女、救出、母子像、からす、絵本原画「ひろしまのピカ」、デッサン

1988年4月23日〜5月22日 兵庫県西宮市・大谷記念美術館
 出品=火、少年少女、救出、デッサン、丸木スマ作品77点 観客=7,359人

1988年6月2日〜7日 広島県広島市・広島県立美術館
 主催=「原爆の図」ヒロシマ展を見る会、後援=広島県・広島市・県教委・市教委・新聞報道各社ほか 出品=幽霊、火、水、少年少女、竹やぶ、救出、からす、南京大虐殺の図、おきなわの図8連作、デッサン、丸木スマ作品、絵本原画「ひろしまのピカ」、デッサン 観客=11,241人

1988年10月5日〜11日 長野県松本市・勤労者福祉センター
 主催=原爆の図展松本実行委員会、後援=松本市・市教委・長野県教委・長崎市・新聞各社 出品=幽霊、火、水、少年少女、救出、竹やぶ、とうろう流し、からす、南京大虐殺の図、おきなわの図8連作、デッサン、丸木スマ作品 観客=7,000人

1991年10月2日〜13日 福岡県福岡市・福岡市美術館
主催=原爆の図をみる会福岡、後援=福岡県・県教委・福岡市・市教委・広島市・長崎市・新聞報道各社ほか 水、少年少女、救出、とうろう流し、からす、南京大虐殺の図、沖縄戦の図、おきなわの図6連作、チビチリガマ、デッサン、絵本原画「おきなわ島のこえ」、位里小品21点・俊小品28点・スマ作品 観客=16,893人

1992年11月17日〜24日 石川県鳳至郡柳田村・植物公園内ふれあいハウス
主催=「原爆の図」を能登で見る会、後援=石川県・県教委・柳田村・村教委・金沢市教委・輪島市教委・長崎市・広島市・新聞報道各社ほか 出品=水、少年少女、救出、とうろう流し、からす、デッサン、位里小品8点・俊小品12点 観客=3,811人

1995年7月23日〜31日 北海道小樽市・市立小樽美術館
 出品=少年少女、竹やぶ

1996年3月29日〜31日 和歌山県和歌山市・和歌山市市民会館
 主催=「原爆の図」を見る会 出品=少年少女、救出 観客=入場者2,200人

1997年8月21日〜26日 埼玉県本庄市・本庄市民プラザ
 出品=救出、署名

1997年8月27日〜10月20日 沖縄県宜野湾市・佐喜眞美術館
 出品=原爆の図3点

1998年8月26日〜30日 千葉県佐倉市・佐倉市立美術館
 主催=「原爆図」を見る会 出品=とうろう流し、からす

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追記(10月18日『中国新聞』に竹内さんの活動が紹介されています。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=65591
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2016/10/7

青山学院女子短大講義  講演・発表

今日は青山学院女子短大にて「女性・環境・平和」の授業で「核と芸術」についての講義。

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幼児教育を中心とする子ども学科の授業ということで、《原爆の図》からはじまる原爆表現の簡単な流れとともに、アーサー・ビナードさんが制作中の紙芝居についても少し紹介しました。

青山といえば岡本太郎の地元ですが、渋谷駅構内の《明日の神話》の存在を知る学生がほとんどいなかったのは少々意外でした。
『ここが家だ』や『ひろしまのピカ』などの絵本も紹介しましたが、もっと思いきって、紙芝居や絵本に焦点を当てても良かったのかもしれません。

感想メモに目を通していくと、「原爆の体験談などを聞いたことがあるけれども、美術で描き残していた作品があるということを初めて知った」という声が多いようです。
「保育園の子どもたちは、絵を見てどんな感想を持つのか?」という子ども学科ならではの質問もありました。
「今まで戦争の話を聞く機会が何度かあったが、今日の《原爆の図》の話が一番心に響いた」という感想や、「丸木夫妻はどんな気持ちでこの絵を描いたのか。ぜひ一度実物を見てみたい」という感想も、とても嬉しいものでした。

意外なところでは、Chim↑Pomの作品について「心に響く」と回答した学生が多かったこと。
やはり若者世代には彼らの表現の受けは良いようです。
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2016/10/1

トークセッション「ヒロシマ・2016連続講座」のお知らせ  講演・発表

トークセッション「ヒロシマ・2016連続講座」のお知らせです。
広島の原爆について、丹念に調査し、精力的に現地を歩いて回られている竹内良男さんの企画で、《原爆の図》についてお話をさせていただきます。

本当に竹内さんには教えて頂くことばかりなのですが、日頃お世話になっている御礼も込めて、《原爆の図》全国巡回展を中心に、私が調べてきたことを少しでも還元できればと思っています。
どうぞ皆さま、ご来場ください。

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ヒロシマ・2016連続講座 第13回
2016年10月15日(土) 13:00〜16:00 「原爆の図」の旅


場所;愛恵ビル 3F(公益財団法人 愛恵福祉支援財団) 東京都北区中里 2-6-1 →JR山手線駒込駅(東口)から徒歩 2 分・または地下鉄南北線駒込駅から徒歩 7 分
★参加費;1,000 円 (当日会場で集めます)
★会場と資料準備の関係で、事前に申し込み をお願いします。
★申込先;竹内 良男 電話=090-2166-8611 アドレス=qq2g2vdd@vanilla.ocn.ne.jp

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2016/7/25

広島大学平和科目にて講義  講演・発表

午後から広島大学で非常勤講師の授業。
平和科目「原爆体験と表象/文学」の一コマとして、「原爆はいかに「絵画」化されてきたのか」という授業を行いました。

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続いて、ヒロシマの音楽研究をされている能登原由美さんも「原爆はいかに「音楽」化されてきたのか」という授業を行ったので、芸術・音楽の視点から「原爆」を見るという、広島大学の学生にとっても珍しい機会になったのではないかと思います。

夜は講師に呼んで下さった川口隆行さんと、能登原さんと一緒に西条駅前の店で打ち上げ。
日本酒飲みながら、小鰯のてんぷら、刺身盛合せ、かつおのたたきなどなど。

川口さんは、ついでに広島で調査などができるように、との配慮で呼んで下さったのですが、うまくタイミングがあわずに、今回はほぼ講義のみで東京にとんぼ返り。
とはいえ、学生に話す機会があると、自分の考えを整理できるので、とてもありがたいです。
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2016/7/15

東松山南中学校で出張授業  講演・発表

雨の中、今日も地元の東松山市立南中学校へ出張授業に行きました。
ノーベル物理学賞を受賞した梶田さんの母校なので、校舎に垂れ幕がかかっています。

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「丸木美術館に来たことある人!」と聞くと、さすがに地元(中学校の学区内)だけあって、ほとんどの生徒が勢いよく手を挙げてくれました。
驚いたことに、先生まで手を挙げてくれる方がいました。地元出身の先生が、結構戻ってきて母校に勤務されているようです。

三日連続の出張授業で、体は疲れていましたが、中学1年生は本当に一所懸命に聞いてくれるので、こちらも元気を振り絞って話をしました。
大きくなっても、自分たちの故郷に丸木美術館があることを忘れないで欲しいですね。
そして、いつか《原爆の図》を見に戻ってきてほしいです。

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帰りに、中学校の構内で、古いセメント彫刻を見つけました。
文字はほとんど削れてしまって制作年はわかりませんでしたが、どうやら卒業記念のモニュメントのようです。
本を抱えた男の子と女の子、ちょっと西洋人風に見えるのが微笑ましいですね。
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2016/7/14

松山高校にて出張授業  講演・発表

今日も午後から、地元の埼玉県立松山高校にて出張授業。
広島へ修学旅行に行く2年生に話をしました。

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今日の体育館はとても蒸し暑く、正直に言うと、集中して話すのがちょっと難しかったです……話を聞く生徒の方も大変だったでしょうが。

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松山高校は県内に5校ある旧制中学時代から続く男子校で、構内には大正時代建築の立派な木造旧校舎が保存されています。

数年前から新聞部の先生が部員を連れて、ひろしま忌にボランティアに来られたり、取材して下さったりしている関係で、今回の出張授業の依頼を頂きました。

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ちなみに、今月発行の『松山高校新聞』は、「ふたつの原爆の図」など《原爆の図》関連特集。
高校新聞とは思えない充実した内容です。

夏休みには宿題で、学年全員がそれぞれ丸木美術館見学をすることになっているので、まずは実際に絵の前に立って、《原爆の図》の世界をじっくりと「体験」して頂きたいところです。

ここ数年、近隣の学校から出張授業の依頼が増えてきています。
地元高校に赴任してきたことが縁で友の会に入ったり、ボランティアに参加したりした先生が、異動先で話を広げてくれることもあります。
学芸員実習に来た大学生が旅行代理店に入社して、修学旅行前の事前学習として「出前」や美術館見学を推薦してくれることもあります。
出張授業だけでなく、個人入館者数や学校をはじめとする団体入館者数も、6月、7月の盛況で、気がつけば被爆70年だった昨年を上回るペースで増えています。
その盛況には、いろいろな理由が複合しているのでしょうが、結局は人と人とのつながりで、丸木美術館がそのプラットフォームになっているということが一番重要なのでしょうね。

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今度の日曜日は、昨日訪れた川越工業高校と今日の松山高校が、高校野球埼玉県大会で対戦します。
県立強豪校同士の好カードで、どちらを応援するべきか、とても悩ましい。というか、どっちもがんばって良い試合をしてほしい……と、授業の後に校長室で話が盛り上がりました。
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2016/7/13

川越工業高校にて再び出張授業  講演・発表

今日は地元の埼玉県立川越工業高校にて出張授業。

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昨年秋には、2年生の沖縄修学旅行の事前学習で呼んで頂いたのですが、今度は全校生徒に話して欲しいとの依頼。
昨年も話を聞いている学年もいるため違う話をして欲しいということだったので、アメリカ展を取材した広島テレビの特別番組の力も借りることにしました。

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授業は、3年生になった生徒たちが積み重ねてきた平和学習の成果発表との二本立て。
その発表が聞けたのはとても良かったです。
70年前の戦争にどう向き合うのか、高校生も彼らなりにちゃんと考えることができるのですね。

授業の後、校長室で話を聞くと、今年は生徒・先生・保護者たちが協力して、参院選前に「模擬選挙」の授業も行い、たいへん好評だったそうです。
学校全体が落ち着いて、しっかり学びの体制を作っていなければ、なかなかできないことでしょう。

ちなみに、今日から川越の老舗デパート・丸広百貨店で、「埼玉県立川越工業高等学校「歴史」と「現在」」展がはじまっているので、お近くの方はぜひご覧下さい(18日まで)。
100年を超える川越工業高校の伝統と、現在の活躍ぶりがよくわかる内容のようです。
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2016/7/8

狭山経済高校で出張授業  講演・発表

午前中、狭山経済高校にて出張授業。
秋に広島への修学旅行を計画しているとのことで、2学年全員が体育館に集合し、スライドや動画をまじえて話をしました。

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学校のすぐ隣りは航空自衛隊基地。
授業の途中にも飛行機の音が聞こえてきました。

過去を知ることは、現在と未来を考えること。
そして自分たちだけではなく、視点を変えて、他者の痛みも想像してみること。
広島で多くのことを見て、体験して、自分なりに考えを深めて欲しいと思います。
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2016/5/28

「キセイノセイキ」展/高木仁三郎市民科学基金成果発表会  講演・発表

午前中、東京都現代美術館の企画展「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」展を観ました。

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表現と規制の問題を扱った点は意欲的な展覧会でしたが、「現代美術」という文脈の範囲内で行っている限界も感じてしまう内容でした。

その中で、1999年に計画が凍結された東京都平和祈念館の膨大な死蔵資料の存在を引き出そうと試みた藤井光の「爆撃の記録」には興味を惹かれました。

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とはいえ、展示品が存在しない空白にキャプションのみがつけられた異様な空間からは、「忘却に抗する」想像力が、モノを頼りにしないといかに心細いものになるかを再認識させられるばかりで、展示として有効な手段であるかどうかは、にわかには判断ができません。

東京都によって閉じ込められた問題を引きずり出して「可視化」した点は良かったですが、一方で、そうした問題の先に隠されているモノの存在そのものを可視化しようと試みる「野蛮な」アプローチはなかっただろうか、とも考えてしまいました。
理不尽な「規制」に対峙する文化的な「暴力」の必要性を思うと、少々洗練され過ぎてしまったのかもしれません。

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午後1時からは、東京・中央区の日本橋社会教育会館ホールで行われた高木仁三郎市民科学基金「市民科学 研究成果発表会 2016(その1・東京)」に参加しました。
2015年度の助成金を頂いたおかげで、新宿書房『《原爆の図》全国巡回』の刊行をはじめ充実した研究活動ができたので、その成果を報告しました。

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この日の発表は以下の7名でした。

◆深草亜悠美さん
『29年の歴史と記憶:ベラルーシの社会におけるチェルノブイリ事故の受容』

◆岡村幸宣さん
『米軍占領下の原爆の図全国巡回展―被爆体験の国民的共有を目ざした最初の試みの実態調査研究―』
 
◆モザンビーク開発を考える市民グループ 渡辺直子さん
『アグリビジネスによる土地収奪に関するアフリカ小農主体の国際共同調査研究 −モザンビーク北部を中心事例として−』

◆もっかい事故調 田中三彦さん
『福島第一原子力発電所の事故原因と推移過程に関する、運転データと客観的事実にもとづく詳細検討(その2)』

◆原子力資料情報室  澤井正子さん
『高レベル放射性廃棄物処分場選定手続きにおける社会的合意形成手法と安全性確認に関する研究』

◆原子力規制を監視する市民の会  阪上 武さん
『市民による原子力規制行政の監視活動』
   
◆福島老朽原発を考える会(フクロウの会) 青木一政さん
『福島原発事故に伴う生活環境の放射能汚染実態調査と住民の被ばく最小限化』

こうして見ると、私の研究は明らかに異質なのですが、その点について参加者の一人Sさんが、以下の感想を書かれていたので、関連個所のみ抜粋して紹介させて頂きます。

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高木基金のなかでは、異色ともいえる研究であるが、わたしは大変意味のある研究と感じた。

わたしたちの世代を含む多くの日本人が、丸木位里・俊夫妻が制作した「原爆の図」を知っている。原爆によって焼かれた人間の肉体が生々しく描かれたその絵は、被爆体験のないわたしたちに、原爆の恐ろしさを伝える。

今回の研究では、まだ日本が連合国軍の占領下にあった1950年に原爆の図が誕生し、全国で巡回展が開催された背景について、映像や証言、資料の調査から考察している。

研究を行った岡村幸宣さんは、占領下の原爆報道への圧力に抵抗し、核の脅威をいち早く知らせたいと願った人びとの動きが明確に浮かび上がる一方で、原爆の図を巡って、丸木夫妻や他の芸術家も含め日本国民や社会に「ゆらぎ」や「葛藤」が見られたという。

「ゆらぎ」や「葛藤」はとても大切なことのように思う。オバマ大統領が広島を訪問すると聞いたとき、わたしはなんとも言い難いものを感じていた。メディアを通じてさまざまな意見に接したが、どれもわたしの中に落ちるものはなかった。むしろ、わたし自身のなかにはっきりと「矛盾」したものが存在することを自覚した。オバマのスピーチを聞いたとき、オバマ自身が「ゆらぎ」「葛藤」「矛盾」を自覚し、優秀なスタッフからの助言もあったであろうが、それでもなお、オバマが自分の言葉として表現しこだわったように感じた。オバマ自身の言葉では無いところもたくさんあっただろう。その分析は専門家に委ね、参考としたい。わたしはオバマのスピーチを聞き、わたしは、日本人は、何にゆらぎ、何に葛藤し、どんな矛盾を抱えているのかを自覚的であらねばなならいと感じた。そして、丸木夫妻や全国巡回展を企画した市民のように、何を問題とし、どう表現するか、どう行動するかを自ら決定することがとても大切なことだと感じた。

今回の研究の成果は、『《原爆の図》全国巡回 占領下、100万人が見た!』(2015年11月、新宿書房)にまとめられている。一人でも多くのひとの目に触れてほしいと思う。


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そのように感じて頂けたことを、本当に嬉しく思います。

私にとっては、福島原発事故の科学的な調査分析をはじめ、ふだんなかなか聞く機会のないベラルーシの原発事故後の状況や、モザンビーク開発の問題などの報告もたいへん興味深く、大いに学びの種を得た一日でした。

発表会後の打ち上げ飲み会にも参加し、これで助成金に関する責務をすべて無事に果たすことができたので、ひと安心です。
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2016/4/30

【沖縄旅行初日】沖縄県立博物館・美術館「宮良瑛子展」シンポジウム  講演・発表

沖縄県立博物館・美術館にて開催中のニューコレクション・シリーズ1「宮良瑛子展―いのち」の関連シンポジウムに参加しました。

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第1部「宮良瑛子をめぐる二つの場所から」では、はじめに宮良さんと、「最初に絵を認めてくれた」という画廊沖縄の上原誠勇さんが対談。
続いて、岡村が2014年に丸木美術館で開催した「宮良瑛子展 沖縄―愛と平和と―」についての報告を行いました。

第2部のパネルディスカッションでは、「宮良瑛子と沖縄」と題して、宮良さん、上原さん、岡村とともに、沖縄女流美術家協会の後輩画家である山川さやかさんが加わり、担当学芸員の豊見山愛さんがコーディネーターを務めて下さいました。

「沖縄の男性美術家たちが中央の美術団体に流れ込み、モダニズム一辺倒だった時代に、宮良さんはまわりの動きに惑わされずに女性としての自分の目で社会の動きの全体像をとらえていた」と語る上原さん。沖縄美術界の現場に長年立ち会い続けてこられた上原さんの言葉には重みがあります。

そうした状況のなかで、東京から来た宮良さんが、沖縄発の美術のプラットホームを整備しようと苦闘してきたというのも不思議なようですが、「越境者」だからこそ見えたものもあるのでしょう。
外からの目で沖縄を見つめながら、沖縄に根を下ろして外の世界を見つめる視線も育んだ宮良さん。
めまぐるしく変化する20世紀の美術の動向のなかで、「自分はこうするより仕方がない」とみずから選びとった主題と表現を粘り強く深めてこられた仕事が、こうしてまとまって公立の美術館に収蔵され、県民の財産として残されていくことは、激動の時代の記録という点でも、沖縄にとって重要な意味を持つことでしょう。
豊見山さんをはじめ、尽力された美術館の方々の見識に敬意を表します。

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新収蔵品をふくむ約30点の作品と年譜で宮良さんの画業の軌跡をふりかえる展示は、とても見応えのある素晴らしいものです。
宮良さんは「会場が立派過ぎて私の絵が落ち着かない。丸木美術館の展示の方がよく見えた」と何度もおっしゃっていましたが・・・これには苦笑するしかありませんでした。
展覧会は10月16日まで。
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2016/4/27

一橋大学「平和と文化」講義  講演・発表

午前中に国立市の一橋大学へ。

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鵜飼哲先生の授業「平和と文化」で、1950年代の《原爆の図》巡回展についての講義をしました。
去年のアメリカ展の報告も最後に少しばかり。
この授業は、350人ほどの受講生のいる人気授業らしく、今日は、もちろん全員が出席していないにもかかわらず、椅子に座りきれずに立ち見が出るほど。授業の後に感想カードをひと通り読ませてもらいましたが「教室変えて欲しい」と書いている学生がいて、それはそうだなと、ちょっと笑ってしまいました。

少し意外だったのは、「原爆については知っているつもりだったが、絵があるというのは知らなかった」という感想が案外多かったこと。
講義の前に「原爆の図を知っていますか?」と質問したところ、挙手したのはわずか数人でした。
昨年のアメリカ展などで、あれほどメディアに取り上げてもらったのに、若い世代には、その情報がほとんど届いていなかったという事実に、軽い衝撃を受けました。
それは、私たちの呼びかけが、いかに本来《原爆の図》に理解のある世代などに偏っていたかを示しているのかもしれません。

学生たちは講義や映像には強い関心を寄せてくれたようで、「丸木美術館に行ってみたい」という感想もかなりありました。
国立からはそんなに遠くないので、みなさん、本当に絵を見に来て下さいね。
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2016/4/21

ギャラリー古藤「風しもの村原画展」トーク  講演・発表

午後7時から、ギャラリー古藤の「貝原浩 風しもの村原画展」でギャラリートークを行いました。

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前日のトークが講談師の神田香織さん、翌日が詩人のアーサー・ビナードさんという豪華ゲストだったので、あまり人も来ないだろうと思っていたのですが……雨の中、わざわざご来場下さった大勢の皆さまに、心から感謝です。

トークでは、3.11後に緊急企画として最初に行った展覧会が「風しもの村」で、5月の個人月間入場者数が、21世紀ではいまだにそのときが最多である、ということから話しはじめました。
その体験が、やがて「非核芸術案内」をまとめる契機になったこと。
絵と言葉の絶妙な構成による異時同図の絵巻の、風合いのある紙と丹念な写実描写が、最先端の科学技術の破綻と対局をなしていること。
そして、「抵抗の芸術」の系譜と核被害を民譚として記憶することの意味。
だいたい、そんな感じのことを話しました。

トークの前に、「丸木美術館に来たことがありますか?」と会場の皆さんに質問をしたことろ、ほぼ全員の方が手を上げて下さいました。そういう場所はなかなかないので、嬉しく思いました。
持参した『非核芸術案内』も完売に近い売り上げでした。

トークの後は、近くの中華料理店で打ち上げ。楽しい時間を過ごしました。
トーク後半に聞き手をつとめて下さった平井玄さんはじめ、お世話になったスタッフの皆様に、御礼を申し上げます。
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2016/4/14

沖縄「宮良瑛子展―いのち」とシンポジウムのお知らせ  講演・発表

4月26日より10月16日まで沖縄県立博物館・美術館の美術館コレクションギャラリーにて、ニューコレクション・シリーズ「宮良瑛子展―いのち」が開催されます。

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沖縄の女性美術家の先達である久場とよ、山元文子、戦争をはじめとする社会的主題を描いた儀間比呂志の作品もあわせて紹介されるそうです。

関連企画として、4月30日(土)午後2時から、同館講堂にてシンポジウムが行われます。
宮良さんご本人が登壇されるほか、宮良さんの絵画活動を支えてこられた画廊経営者の上原誠勇さん、沖縄女流美術家協会の後輩である山川さやかさんとともに、岡村も2014年に丸木美術館で開催した「宮良瑛子展 沖縄―愛と平和と―」の報告を行います。定員200名、参加無料。

写真は、お送り頂いた展覧会カタログの表紙より。
本日、宮良瑛子さんからお電話いただき、たいへんお元気そうな様子で嬉しく思いました。
またお会いできるのが楽しみです。
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2016/3/20

ピースあいち「原爆の図展」ギャラリートーク  講演・発表

日曜日は日帰りで名古屋へ行き、ピースあいち「原爆の図展」ギャラリートーク。
展示中の第4部《虹》、第8部《救出》の作品解説と、去年のアメリカ展報告を合わせて1時間半ほど。

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(写真提供:ピースあいち)

ピースあいちは、10年前に名古屋の市民有志の力で開館した民設の平和博物館で、大勢のボランティアが関わりながら、充実した活動を続けています。

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野間美喜子館長や宮原大輔事務局長ら主力スタッフは、1986年に愛知県美術館で「原爆の図展」を開催した方々。
当時は新たな反核運動が世界的に隆盛し、市民による実行委員会形式で、全国各地で「原爆の図展」が開かれていたのです。

名古屋では、京都で「原爆の図展」開催した経験を持つ方が転居して来られたことをきっかけに、そのノウハウを生かして企画が立ち上がったそうです。
最大の難関は、愛知県美術館を借りることだったとか。素人の怖いもの知らずで、あの手この手の人脈を駆使して、何とか10日間借りることができたというのですが・・・現在の美術館の仕組みでは難しいかもしれないと思いながらも、楽しく思い出話を聞きました。
そうした歴史のひとつひとつの積み重ねが、今の《原爆の図》を支えているのですね。

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「なぜ3月に原爆の図展をやるのですか?」というメディアの問いに、野間館長は「3.11の後、私は真っ先に原爆の図を思い浮かべた。この絵を今の時代につなげるには、3月こそ相応しい」と答えたそうです。
そうした思いが生かされるのもまた、民設ならでは。
運営には苦労が絶えないようですが、「その代わりに自由がある!」との言葉に、こちらも励まされる思いがしました。

お世話になった丸山さんご夫妻、司会の乳井さんはじめ、スタッフの皆様に心から御礼を申し上げます。

追記:ピースあいちのメールマガジンに、丸山さんがレポートを書いて下さいました。
http://www.peace-aichi.com/piace_aichi/201603/vol_76-14.html
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2015/12/15

青年劇場スタジオ結企画第6回公演「あの夏の絵」アフタートーク  講演・発表

秋田雨雀・土方与志記念青年劇場スタジオ結第6回公演『あの夏の絵』。

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被爆者の証言をもとに高校生が再現絵画を描くという、実際に行われているプロジェクトをもとにした舞台。午後7時からの公演のアフタートークに登壇しました。
ご来場下さった皆様、どうもありがとうございました。

作・演出の福山啓子さんとのトークでは、アメリカ展の報告を中心にしつつ、《原爆の図》の成り立ちが、実は直接体験者の話を聞いて想像して描くという意味で高校生の取り組みと似ていることや、過去の痛みを知ることは、私たちの世界をより豊かにして、未来をどう作っていくのかの道標になる、というような話をしました。

絵を描く、そして被爆証言を聞くという、どちらも非常にドラマになりにくい内容を、うまく物語としてまとめているのは、作家・スタッフ・役者たち劇団の力があるのだと思います。
若い役者さんたちの熱演を見ながら、他者の体験をみずからの身体を通して追体験する、という行為は、文学、絵画、演劇など、さまざまな芸術表現で行われているのではないか、と考えていました。
体験していないから表現できない、のではなく、体験していないことを追体験する試みこそ、芸術表現のひとつの醍醐味なのかもしれません。

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トークの後は、劇団の方たちに誘われて、とても久しぶりに(何年ぶりかも記憶にありません)終電の時間まで居酒屋で飲みました。
かつては新宿で働いていたので、そんなことも普通にあったのですが、気がつけば夜の更ける時間の感覚が埼玉とは全然違って、ああ、ここは「眠らない街」だったのだと、あらためて実感した次第です。
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