2018/8/25

福島ギャラリー・オフグリッド「山内若菜展」トーク  講演・発表

福島市のギャラリー・オフグリッドにて、山内若菜展トークイベント。
3.11後、被曝した牛や馬を殺処分にせず育て続ける「牧場」の絵画に包みこまれるように、参加者みんなで車座になって座り、画家の話を聞きました。

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福島のことを知りたいという思いに突き動かされて現地に通い、さまざまな人の話を聞き、絵を見た岡山の中学生の率直な感想にも耳を傾け・・・彼女の語る制作動機を、しかし目の前の絵画は、どこか軽々と飛び越えていくような印象を受けます。
考えを整理するより先に、描きたいという欲求が彼女の手を動かし、絵筆の先から濃厚で強靭なイメージがあふれ出てくるのです。

その作品世界を、来場者にどのように伝えられるのか。
福島の核被害をテーマにしていることもあって、事前の不安は決して小さくなかったのですが、真摯に語るべき言葉を探し続ける画家の姿に、周囲の人たちが次第に引き寄せられていく気配を感じて、安心しました。

きっとこの空間は、福島ではマイノリティに属するのだろうと思いますし、私たちは「境界」の外側から来た越境者に過ぎないのですが、しかし、この日会場に流れていた空気感は、決して悪くなかったと思います。

地元福島の方がたはもちろん、東京から駆けつけてくださった方が何人もいて、本当に心強い限りでした。忘れがたい夜になりました。
ご来場くださった皆さま、どうもありがとうございました。
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2018/8/20

東京藝術大学 芸術と憲法を考える連続講座クロストーク  講演・発表

東京藝術大学にて、芸術と憲法を考える連続講座(主催:音楽学部楽理科、共催:自由と平和のための東京藝術大学有志の会、後援:日本ペンクラブ)の第9回「イメージする。表現する。行動する。−核兵器のない世界へ−」。
核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員でピースボート共同代表の川崎哲さんとクロストークを行いました。

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川崎さんには、昨年12月16日、オスロでのノーベル平和賞授賞式から帰国した翌日に丸木美術館で講演をして頂きました。
今回は、そのとき以来の再会。川崎さんはあれから全国で90回以上の講演をされてこられたそうです。

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川崎さんのお話で印象に残ったのは、核兵器禁止条約の締結のためにもっとも努力したのがメキシコ、オーストリア、コスタリカの3国だったということ。
いずれも核被害の直接的な“当事国”でないにもかかわらず、自分たちの文脈にひきよせて、その非人道性/不条理を考えていたという話を聞いて、世代を超えて核被害の記憶を継承するためのヒントを得たような気がしました。

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丸木夫妻をはじめ、私の発表で紹介した「空想非核芸術美術館」の美術家の多くも、直接的な“当事者”ではありません。
忘れたくても忘れることのできない“当事者”の〈記憶〉だけでなく、“非当事者”のもたらす〈想像力〉が、これからの世界を変えていくための重要な鍵となっていくのでしょう。

川崎さんには、「原爆の図保存基金」への応援メッセージもいただきました。

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川崎哲
核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員、ピースボート共同代表

核兵器の非人道性に対して世界の国々が明確な認識をもったことが、2017年7月の核兵器禁止条約成立を導きました。同年末、ノーベル委員会は、核兵器の非人道性に注目を集め核兵器の禁止に貢献した市民の運動に対してノーベル平和賞を授与しました。この法規範に真の実効性を与えていくのは、私たち市民の力です。《原爆の図》を今こそ世界に広げ、一人でも多くの世界の人たちに見てもらいましょう。

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川崎さん、力強いメッセージをありがとうございます。
そして、ご来場くださった大勢の方々、お世話になった有志の会の皆さま、本当にありがとうございました。
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2018/8/4

沖縄県立博物館・美術館「儀間比呂志の世界」展ギャラリートーク  講演・発表

沖縄県立博物館・美術館にて「儀間比呂志の世界」展ギャラリートーク。
佐喜眞美術館の「本橋成一展」のトークと完全に日程が重なってしまって、「どちらに行こうか迷った・・・」と何人かのお客さんに言われ、申し訳ない限りでした。それでもご来場下さった皆さま、本当にありがとうございました。

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学芸員の豊見山さんにお会いしたのも、沖縄県立博物館・美術館を訪れたのも、2008年の「美術家たちの「南洋群島」」展がきっかけでした。
それから10年の歳月が流れ、その間、何度沖縄を訪れたか覚えてはいませんが、私はもっぱら豊見山さんの眼を通じて、沖縄の美術を近しく感じ、学んできました。
今回、儀間比呂志について、豊見山さんとクロストークをさせていただいたことは、ひとつの節目のような気がしています。
「南洋群島展」の調査で行われた儀間さんの貴重なインタビュー映像(2007年撮影)を見たことも、その思いを強くさせました。

インタビューの中で、儀間さんは、戦後、郷里の沖縄に帰ることができず、大阪で油彩画を学んだ後、東京の上野誠の家を訪ねて影響を受け、木版画に取り組んでいったと語っています。
やがて儀間さんは木版画一本に絞っていくのですが、「高価な油彩画より安価で複数刷れる木版画の方が多くの人に見てもらえる」という彼の言葉は、中国の木刻運動の影響を受けた戦後の版画運動の発想に重なります(「原爆の図」を描く前の赤松俊子=丸木俊も前衛美術会で木版画に取り組んだ時期がありました)。
また、初期油彩画の力強い線描や造形的な特徴は、メキシコの壁画運動の影響も感じさせます。豊見山さんの解説によれば、1955年に「メキシコ美術展」が大阪を巡回しており、儀間さんも見ていたかもしれません。
1950年代は儀間さんにとって画家としての自己形成期。民族の歴史と誇り、抑圧する者への抵抗の精神を、自身のルーツである沖縄に重ねながら、強固な表現に練り上げていったと思われます。

しかし、1956年に初めて沖縄で開催した個展は、必ずしも郷里の美術界に受け入れられなかったようです。
当時の沖縄美術の主流は、「ニシムイ美術村」の美術家たち。つまり、戦前に東京美術学校で学び、アカデミックな表現やシュルレアリスムの影響を受けたエリート層が中心となって、戦後の沖縄画壇を形成していたのです。
戦争の破壊とその後の過酷な米軍統治は沖縄を孤立させ、儀間さんが影響を受けた1950年代の文化運動も、沖縄には生まれていなかったようです。
その意味では、儀間さんは「沖縄の画家」ではなかった。1950年代における沖縄の「外側」の方法論によって、沖縄の抱えている問題を立ち上げ、日本の人びとに、そして沖縄に対しても突きつけていったのではないか。
そして、そんな儀間さんの作品に、当時の沖縄の先鋭派である『琉大文学』の新川明さんが共鳴し、歓迎したというのも、また興味深いところです。
儀間比呂志、もう少し続けて考えたい作家です。
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2018/7/29

ピースあいち「高校生が描くヒロシマと丸木位里・俊「原爆の図」」  講演・発表

台風とすれ違うように、神戸から名古屋へ移動。
戦争と平和の資料館ピースあいちでは、現在、「高校生が描くヒロシマと丸木位里・俊「原爆の図」」展が開催中です。

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午後1時より、展示中の原爆の図第11部《母子像》の前でギャラリートークを行いました。

《母子像》については資料が少なく、なかなか語ることが難しいのですが、今回、ピースあいちボランティアの丸山泰子さんが、メールマガジンで絵本『ひろしまのピカ』とつなげて書いて下さったのを読み、第10部《署名》までの〈群像〉の力学から、〈個人〉の物語へと転換していく作品として《母子像》を語ることにしました。

丸山さんのメールマガジンはこちら。
http://www.peace-aichi.com/piace_aichi/201806/vol_103-10.html

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(写真はピースあいちtwitterより)

午後2時からは、基町高校の生徒やOB、担当の先生たちと登壇し、高校生が被爆者の体験を油彩画に描く活動についての公開トークに参加。
基町高校には創造表現コースがありますが、この「原爆の絵」の活動は、授業でも、部活でもなく、土日を使ったボランティア活動なのだそうです。

H先生の話からは、生徒の自主性を生かしながらも、温かく活動を見守り、問題が生じないよう配慮している様子がうかがえました。

また、OBや現役高校生の話からは、他者の記憶を絵画で再現することの難しさに戸惑いながらも、それが高校生にとって非常に大きな「体験」であり、思いのほか表現に独自の工夫を凝らしていることも伝わってきました。

トークを聞きながら、この取り組みは、「被爆体験の継承」というだけでなく、消失する過去を再現できるのか、という絵画の本質的な意味を考える試みになっていると感じました。
絵画に対立するメディアとして、しばしば写真が挙げられますが、写真は圧倒的な現実のごく一部のトリミングに過ぎないという点で、決して「現実をそのまま伝える」メディアではありません。それに、そのときその現場にいなければ記録できないという、大きな制約もあります。

一方で絵画は、後から生まれてきても、〈想像力〉によって、いつ、どこにでも飛んでいくことができます。
もちろんそれは写真のように(写真以上に)現実そのものではないけれども、「どうやらこういうものであるらしい」という仮定の現実を積み重ねながら、それぞれの「ヒロシマ」を立ち上げることはできるのです。
それが「記憶」するということで、本当は「記憶」とは、当事者より他者にとって大切な行為なのではないか。その行為を繰り返しながら別の他者に受け渡していくことが、「継承」というものなのではないか。
高校生たちの言葉を受け止めながら、そんなことを考えていました。

お世話になったピースあいちの皆さま、いつも本当にありがとうございます。
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2018/7/28

第56回原爆文学研究会  講演・発表

台風が迫る中、神戸センタープラザにて第56回原爆文学研究会へ。
午前中の世話人会では、原爆文学研究会史上初めて、台風により2日目の中止が決定されました。
ちなみに2日目の研究発表は、中尾麻伊香さんによる「被ばくと奇形――原爆映画におけるその表現と科学」。そして「原爆文学」再読として、吉本隆明の『「反核」異論』について坂口博さん、村上克尚さん、加島正浩さんが発表する予定になっていたので、残念でした。

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というわけで、1日のみの開催となってしまった原爆文学研究会。
最初の研究発表は新会員の池田清さんによる「広島市の戦災復興都市建設と「植民地都市計画」―近代(核)文明と日本国憲法―」。
池田さんは都市計画を専門とされており、広島市の戦災復興都市計画が、戦前の「植民地都市計画」を引き継ぎ、被爆者を置き去りにして道路・建物・公園を優先するものであったことを指摘しました。「人間復興」とはかけ離れた、近代的な科学技術による「平和と繁栄」を求める復興計画は、現在の福島原発事故にも連続していくというのです。

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続いて、ワークショップ「炭鉱と原爆の記憶 ―文化運動・被爆朝鮮人・遺構から考える―」。
司会は楠田剛士さん。報告は次の3名でした。

1950年代「原爆の図展」と炭鉱文化運動  岡村幸宣
炭鉱と原爆をつなぐ ―雑誌『辺境』を視座に  奥村華子
遺構を通して考える〈炭鉱〉と〈原爆〉  木村至聖

岡村の発表は、1950年代の「原爆の図展」が炭鉱文化活動と深くかかわっていたことを、当時の資料などを参考にしながら明らかにするものでした。とはいえ、当時の観客や関係者が、「炭鉱」と「原爆」の〈共通点〉にどれほど自覚的だったかは、資料からはあまり読み取れません。エネルギー問題や差別の構造などの問題が社会的に浮上してくるのは、もう少し後の時代だったのでしょう。その予兆を1950年代の文化運動からどのよう読み解いていくのかは、もう少し考え続けていきたいところです。

奥村さんの発表は、井上光晴編集の雑誌『辺境』に掲載された平岡敬や朴壽南らの文章をもとに、在日朝鮮人被爆者を通して「炭鉱」と「原爆」を併置するものでした。
これまでにも繰り返し取り上げられてきた、原爆文学研究会らしいテーマ設定と言えるでしょう。

一方、「軍艦島」などの遺構を研究している木村さんは、遺構を通して歴史を語り、記憶を継承することの可能性と困難を伝える発表でした。「原爆」と「炭鉱」を短絡的に結びつけることはできないが、一見異なる遺構から喚起される「想像力」を、さらに「想像力」で架橋していくことは可能なのではないか、という発言は興味深く聞きました。

その後の質疑応答もなかなか刺激的でしたが、結果的には「炭鉱」と「原爆」がいかにつながらないか、あるいはつながりを〈不可視化〉されているかが浮かび上がったという感じです。

閉会後は、三ノ宮の地下街の店で打ち上げ。皆さま本当にお疲れさまでした。
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2018/2/12

美学校「超・日本画ゼミ」公開講座のお知らせ  講演・発表

原稿仕事などに追われ、長い冬眠状態が続いていますが、今月の講座の告知です。

美学校「超・日本画ゼミ」公開講座:岡村幸宣「《原爆の図》という絵画実験」

2018年2月24日(土)午後6時30分〜午後8時(入場無料)
ゲスト 岡村幸宣(原爆の図丸木美術館学芸員)
会場 美学校(東京都千代田区神田神保町2-20 第二富士ビル3F)
申込み:不要(※公開講座はどなたでもご参加可能です。お気軽にご参加ください。)

丸木位里・俊夫妻の《原爆の図》は原爆投下後の広島の惨状を描いた作品群で、公開当時、全国に衝撃を与えました。原爆の図丸木美術館学芸員の岡村幸宣氏をお招きし、絵画史上きわめて稀な二人の画家の共同制作についてお話しいただきます。ぜひこの機会に、奮ってご参加ください。

【講義内容】
シュルレアリスムに傾倒した水墨画家・丸木位里(1901-1995)と、写実描写を得意とする油彩画家・赤松俊子(丸木俊、1912-2000)。異なる個性を持つ二人の画家が、紙と墨によって絵画史上稀な共同制作を試みた。テーマは「原爆」。敗戦後、占領軍によって報道規制が敷かれていた時代。二人の画家は、領域を横断する絵画の実験を試みながら、隠されていた人間の痛みを人びとに伝えるため、全国各地で展覧会を開いて歩く。共同制作とは何か?絵画に社会性は持ち込めるのか?圧倒的な破壊や大量死に直面したとき、芸術に何ができるのか?国内外で再び評価が高まり、今なお鋭い問題意識を発し続ける《原爆の図》という絵画実験について考える。

https://bigakko.jp/event/2018/nihonga_genbaku
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2017/12/3

狭山市立中央図書館平和祈念講演会  講演・発表

午後から、狭山市立中央図書館にて平和祈念講演会「伝え続ける−丸木夫妻が残したもの」に登壇。
狭山市主催の企画で、朗読グループ「あ・うん」によるアーサー・ビナードさんの写真絵本『さがしています』の朗読も行われました。

地元・埼玉県内での一般向けの講演依頼は珍しいのですが、会場には大勢の方が来て下さいました。
「丸木美術館に来たことのある方は・・・」と聞いてみると、ほとんどの方が手を挙げて下さって、ひと安心。「いやあ、これが都内の大学だと、誰も手を挙げないこともあるので・・・」と苦笑すると、会場の皆さん笑っていましたが。

政策企画課の職員も聴講して下さって、市内の公立小中学校の児童・生徒を対象に出張授業などで連携していきたいというお話も頂きました。今後につながればありがたいです。

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写真は、しばらく下車しないうちに様変わりした狭山市駅前の広場から見た中央図書館。
手前のミニオンは「奥富かかし祭り」の出品作とのことです。
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2017/11/24

青山学院女子短大「女性・環境・平和」特別講義  講演・発表

午前中、青山学院女子短大にて「女性・環境・平和」の特別講義。

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「原爆の図」と絵本『ひろしまのピカ』を比較し、丸木スマの存在にも触れながら、記憶を伝える絵について話しました。子ども学科の学生が多いことを意識して、『ひろしまのピカ』は土本典昭監督のビデオ絵本(25分)も上映しました。

「多数の記憶の集合体」と「母娘の物語」の構造の対比や、「占領下・朝鮮戦争下の抵抗」と「次世代への継承」といった動機の違いを軸にしつつ、では今の時代を生きる私たちはこれらの絵から何を受けとるか、という問題につながるように話してみましたが、さて、若い学生たちの反応はどうでしょうか。いまどきは手書きよりスマホで送信してもらった方が、生徒が感想を詳しく書くそうで、後日感想をまとめて送ってもらうことになっています。

毎年楽しみにしているこの講義も、残念ながら青短そのものの学生募集停止が決まったため、今年で最後になるかもしれません。キャンパスは黄葉がきれいでした。
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2017/11/17

立川市柴崎学習館連続講座第3回「丸木夫妻の絵画表現と原爆の図」  講演・発表

午後2時から立川市柴崎学習館の連続講座「原爆の図 丸木位里・俊」第3回。
「丸木夫妻の絵画表現と原爆の図」というテーマで、お話ししました。
ちょうどR大学の学生が学芸員実習中だったので、講座を見学してもらいました。
過去2回よりも受講者が多いと思ったら、新聞の告知を見て新たに参加された方が何人かいたようです。

残るは12月15日(金)の「今日における原爆の図」の講座のみ。平日の昼間に映像など見ながらゆるゆるとやっている講座ですが、興味のある方は最終回のみの受講も可能とのこと。
お問い合わせは柴崎学習館(042-524-2773)まで。
http://tachikawa.mypl.net/event/00000267050/
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2017/10/20

立川市柴崎学習館連続講座第2回「1950年代の原爆の図全国巡回展」  講演・発表

立川市柴崎学習館の連続講座第2回「1950年代の原爆の図全国巡回展」。
前回取り上げた1952年8月の立川原爆の図展から、1950年代の占領下/朝鮮戦争下の全国巡回展の全体像へと視界を広げる内容でした。
「原爆の図」がふたつあったという話や、北海道巡回展(第2次)調査の逸話など、この間、私が取り組んできた研究の報告でもあります。

この講座は、平日の午後2時からという時間帯のせいもあって、聞き手はシニア世代が中心なのですが、私が知らない立川の情報などを提供してくださるので、双方向的な講座になっているのがありがたいです。

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講座を終えた帰りに、近くの諏訪神社に寄ってみました。
実は前回も母校を覗いてから帰ったのですが、立川高校には「ブランク」という用語があって、定期的に授業のコマが空いてしまう時間を「定ブラ」、自主的にブランクを過ごすことを「自ブラ」と呼んでいました。鬱蒼とした森の中の神社の記憶は、ぼくにとって「ブランク」という言葉とセットでよみがえます。

野球部の部室は上級生しか使えなかったから、下級生の頃は、読書に集中できる居場所を求めて、諏訪神社へ通っていました。村上春樹の文庫本の記憶までよみがえってきたのは、境内で読みふけっていた(そして、その後はあまり読んでいない)せいでしょう。

立川の街はここ20年くらい歩いてなかったので、少し歩くだけで冷凍保存されていた記憶が溶解します。洪水のように記憶に飲み込まれて、心が高校生に戻っていくのが不思議です。
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2017/9/22

立川市柴崎学習館連続講座第1回「原爆の図立川展と立川平和懇談会」  講演・発表

今月からはじまった立川市柴崎学習館の連続講座「原爆の図 丸木位里と俊」。
第1回の今日は、「原爆の図立川展と立川平和懇談会」。
これまで、1950年代の全国巡回展についての発表は何度もしているけれども、今回は初めて、その中のひとつの展覧会に焦点を絞って話す、という試みをしてみました。
もっとも、立川は学生時代に通い慣れた地元であり、展覧会についての資料も比較的見つかっているので、2時間の講座くらいは十分に話せる、という目算は立っていました。

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展覧会の中心人物である岸清次氏の回想録『小さなロウソクのように』(けやき出版、1984年)や、展覧会の記録として作られ、西東京市ひばりが丘図書館の「原爆小文庫」に所蔵されている『平和のために 原爆展感想文より』(立川平和懇談会、1952年)を読み、1953年公開の映画『原爆の図』(今井正、青山通春監督、新星映画社)に映っている展覧会の光景を紹介し、最後は展覧会の収益で製作したという神戸映画資料館蔵の幻灯『基地立川』(立川平和懇談会、日本幻灯文化株式会社、1953年)のデジタル画像上演も行いました。

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立川会場ということもあるのですが、当時の「原爆の図」展が、原爆の惨禍を伝えるだけでなく、朝鮮戦争や米軍基地問題を視野に入れていた雰囲気が、よく伝わったのではないかと思います。
また、会場の「南口公会堂」が、現在の柴中会公会堂の前身だと判明したことや、展覧会ポスターを手がけたという画家・佐藤多持の紹介もしました。
佐藤多持の屛風画《水芭蕉曼荼羅 白76》は立川市の所蔵で、女性総合センターアイムの5階に常設されています。

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こんなモダンな日本画を描く画家が、どんなポスターを作ったのか興味深いところですが、残念ながらポスターは見つかっていません。

今回の講座には、当時の展覧会を実際にご覧になった女性が来場され、「とにかくこわかった」という展覧会の印象や、「その後の砂川闘争は、地元農家は土地をめぐる問題だったが、都市部の住民にとっては原水爆基地を作らせないという問題意識が強くあったので、原爆の図展はその原点だと思う」という貴重な証言を聞かせてくださいました。
また、立川市史編纂委員会の副委員長も講座を聞いてくださり、「私たちもまったく知らない歴史を、よくここまで掘り起こしたものだと驚いた」と、思わぬ言葉をいただきました。

次回は10月20日、「1950年代の原爆の図全国巡回」というテーマでお話しします。
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2017/8/2

立川市柴崎学習館平和人権講座「ヒロシマ・ナガサキを考えよう」  講演・発表

午前中は立川市の柴崎学習館で平和人権講座「ヒロシマ・ナガサキを考えよう」の一コマ「原爆画家・丸木位里と俊」の講座を務めました。

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立川は高校時代を過ごした街なので懐かしい・・・と言いたいところですが、駅の南口は再開発ですっかり様変わりしていました。

1952年8月15日から17日まで、立川の南口公会堂で原爆の図展が開催されました。
占領から解放された(とはいえ米軍基地のある立川の街は決して「独立」していなかった)最初の「終戦記念日」に合わせた展覧会なので、主催した人たちにはそれなりの思いがあったはずですが、今ではほとんど知られていません。

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当時の展覧会の写真を見ると、周囲が森で囲まれていて、柴崎学習館の前身の中央公民館と諏訪神社の森のように思えます。しかし今回、学習館の方が当時の展覧会を見た方の話を聞いたところ、中央公民館ではなく、柴中会公会堂という別の施設に見に行ったという証言が出てきました。

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柴崎学習館も柴中会公会堂も、現在では建物がすっかり変わっているので、当時の面影はありません。それでも会場がどこであったかを突き止めたいので、講座の後、中央図書館のレファレンス室で南口公会堂についての調査依頼をしてきました。

ファーレ立川の一角にある中央図書館を訪れるのは、約20年ぶりでしょうか。学生時代は頻繁に通っていましたが、当時とまったく雰囲気は変わっていません。本棚の配置も昔のままで、しかし美術書の棚には『《原爆の図》全国巡回』や『《原爆の図》のある美術館』が並んでいたりして、過去の記憶と現在の自分が交錯するような、不思議な気分になりました。

9月からは毎月1回、4回連続で柴崎学習館の講座を行うので、立川に通う機会が増えるのが楽しみです。

【連続講座のお知らせ】
「原爆の図 丸木位里と俊」
◾️日程
9月22日(金)午後2時〜4時 原爆の図立川展と立川平和懇談会
10月20日(金)午後2時〜4時 1950年代の原爆の図全国巡回
11月17日(金)午後2時〜4時 丸木夫妻の絵画表現と原爆の図
12月15日(金)午後2時〜4時 今日における原爆の図
◾️定員25名、保育若干名(1歳〜就学前)
◾️申込み 8月10日から柴崎学習館(042-524-2773)へ
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2017/8/1

「匿名の肖像」展トークセッションのお知らせ  講演・発表

8月19日(土)午後4時より、友人の画家・平川恒太くんの展覧会「匿名の肖像」にお呼びいただいて、「3.11」後に陸前高田に移り住んだアーティストの瀬尾夏美さんとトークセッションを行います。ご興味のある方はぜひ。お待ちしています。

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作家が、今、話を伺いたいゲストをお招きして、参加者と共にテーマについてゆるやかに語り合います。作家が選りすぐったお酒やおつまみをご用意いたします。

1drinkオーダー制/1杯300-500円/予約不要
・オープン セッション 1
2017年 8月19日(土) 16:00 - 19:00 ※途中入退場自由
テーマ : 『記憶と忘却について』
ゲスト : 瀬尾 夏美(アーティスト)/岡村 幸宣(原爆の図丸木美術館)
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2017/7/25

立川市「ヒロシマ・ナガサキを考えよう」講座のお知らせ  講演・発表

立川市の柴崎学習館にて行われる平和人権講座「ヒロシマ・ナガサキを考えよう」のお知らせです。
2017年8月2日(水)午前10時から丸木美術館学芸員・岡村幸宣による講座「原爆画家・丸木位里と俊」。同日午後2時から16ミリ上映『HELLFIRE:劫火―ヒロシマからの旅』(ジャン・ユンカーマン監督)が行われます。

平日の午前中という時間帯ですが、お近くの方はぜひお運びください。
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2017/6/28

トークイベント「美術が繋ぐ広島・沖縄」のお知らせ  講演・発表

7月2日に、自由芸術大学の企画で、「美術が繋ぐ広島・沖縄──原爆の図丸木美術館と佐喜眞美術館」と題するトークイベントに出演します。

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丸木位里、丸木俊のアトリエに『原爆の図』を展示するために建てられた丸木美術館、丸木位里・俊の想いを沖縄で継ぐため、普天間基地の一角を返還させ『沖縄戦の図』を展示するために建てられた佐喜眞美術館。人間と戦争をテーマとし、記憶の忘却に抗うふたつの美術館の学芸員が、平和をつくる美術とその作品を収蔵する美術館についてレクチャーします。

日 時:2017年7月2日(日)16:00〜19:00/15:30 Open
場 所:素人の乱12号店|自由芸術大学
杉並区高円寺北3丁目8-12 フデノビル2F 奥の部屋
資料代:500円+投げ銭(ワンドリンクオーダー)


【スピーカー】
岡村幸宣(おかむら・ゆきのり)
東京造形大学造形学部比較造形専攻卒業、同研究科修了。2001年より原爆の図丸木美術館に学芸員として勤務し、丸木位里・丸木俊夫妻を中心にした社会と芸術表現の関わりについての研究、展覧会の企画などを行っている。著書に『非核芸術案内』(岩波書店、2013年)、『《原爆の図》全国巡回―占領下、100万人が観た!』(新宿書房、2015年)、『《原爆の図》のある美術館』(岩波書店、2017年)

上間かな恵(うえま・かなえ)
佐喜眞美術館学芸員。沖縄県那覇市生まれ。旅行代理店、団体職員(専門学校教務・講師)を経て1998年より佐喜眞美術館勤務。共著に『残傷の音−「アジア・政治・アートの未来へ」』(李静和編著 岩波書店、2009)、『時代を聞く−沖縄・水俣・四日市・新潟・福島』(池田理知子・田仲康博/編著 せりか書房、2012)

沖縄の戦争というのは、アメリカ側の写真は随分あるので、パンフレットや写真などになっておりますが、日本人が撮した写真は一枚もない。文章は随分ありますが、目で見るものは、日本側のがないので、描き残しておかなければならない。原爆もそうですが、沖縄の戦争は特にそうだと思って、一昨年の暮れから行き、去年暮れから今年にかけて2度目。ずうっと前にも「原爆」の展覧会で行ったので、3度行きました。本当にこの前の戦争を描き残すためには、沖縄を描かなければ描いたことにならない。 
 丸木位里――岩波グラフィックス 26「鎮魂の道:原爆・水俣・沖縄」1984年7月より
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