2017/4/7

「原爆の図保存基金」へのご協力のお願い  分類なし

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2017年5月、原爆の図丸木美術館は開館50周年を迎えます。
美術館の核となる《原爆の図》は、近年、ますます歴史的・社会的な意味が大きくなり、美術史的な視点からも20世紀を代表する絵画作品として、国内外で高く評価されつつあります。
一方で、丸木美術館は、建物の老朽化や、展示室・収蔵庫の温湿度管理および紫外線・虫害・塵埃対策の未整備などの現実的な問題に直面しています。
将来的に《原爆の図》は、人類の普遍的な財産として、重要文化財や世界遺産に選ばれる可能性もあるでしょう。
しかし、すでに画面上には虫食いなどの深刻な被害が表れ、このままの状態では作品の保存に支障が出ることは間違いありません。
そこで、50周年という節目を期に、「原爆の図保存基金」を立ち上げることにしました。

◎作品保存管理のできる新館の建設

基金は具体的に、ふたつの計画を考えています。
ひとつは、《原爆の図》保存展示のための新館建築です。
現在の美術館の東側敷地内に、温湿度管理・虫害塵埃対策の可能な100u程度の展示室と、都幾川を展望できる休憩スペース、地下収蔵庫と美術輸送車用の搬出口を備えた建物を建設します。
完成後は、《原爆の図》14点のうち3、4点ずつを、新しい展示室で、年4回程度の展示替えを行いながら、期間限定で順番に公開します。
また、現在ある建物の展示室では、《原爆の図》14点の原寸大複製屏風を作成し、これまで同様に常設展示していきます。

◎資料整理・保存と公開の充実

ふたつめは、丸木夫妻関係資料の整理・保存、つまりアーカイブの整備です。
現在も、丸木夫妻に関する新聞・雑誌掲載誌や発行物、書簡などの資料収集を進めていますが、広く一般に公開できるだけの整理やデジタル化の作業まではできていません。
絵画作品とともに、その制作の背景や受容の歴史などの資料を未来に残すことは、作品理解を深めるために重要です。将来的には、インターネット・アーカイブの確立や、ウェブサイトの多言語化・海外発信の充実を目ざします。

◎未来に歴史をつなぐために

こうした目的を達成するため、「原爆の図保存基金」は、目標金額を5億円に設定しました。
丸木美術館にとっては、かつて例がないほどの大規模な募金活動となります。けれども、避けて通ることのできない試みです。
この美術館は、行政や企業の資本に頼ることなく、ひとりひとりの市民の力に支えられて、50年という長い歳月を生き続けてきました。これからも、《原爆の図》を中心に、自由で自立した活動のできる美術館として、次の50年に歴史をつないでいきたいと願っています。
どうぞ、ご理解の上、皆さまのお力をお貸しください。よろしくお願いいたします。

       公益財団法人原爆の図丸木美術館

【郵便振替口座】
口座名称:原爆の図保存基金
口座番号記号:00260‐6‐138290
※他行等からのお振込の場合は、店番029 当座預金 口座番号0138290


寄付金額は任意となりますが、1万円以上寄付された方には記念誌をお送りいたします。10万円以上寄付された方のお名前は、新館に掲示いたします(希望制)。
この寄付は寄付金控除の対象となります。遺贈・相続財産のご寄付も受けつけています。
詳しいお問い合わせは、原爆の図丸木美術館(0493-22-3266)まで。
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2016/7/11

永六輔さんのこと  分類なし

永六輔さんの訃報を知りました。
永さんが丸木美術館に来て下さったのは、10年前のこと。2006年5月4日でした。
神宮寺の高橋卓志さんとの「いのちの対話」。

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その日の会場は200人を超える超満員。
永さんは開場時間前に会場入りして、みずからお客さんを誘導しながら「野球で言う試合前のシート・ノック」と軽快なトークを開始。そのまま最後まで、お客さんの前ではずっと立ちっ放しで、用意した椅子には座りませんでした。

戦争の話、憲法の話、命の話、話題はあちこちに飛びながら、会場は爆笑の連続。
「話芸」とはこういうものかと、間近で聞いていて、おかしいのと嬉しいのとで、涙がこぼれそうになりました。

今も覚えているのは、「私たちは、今、丸木美術館で生きています」という話。
「私たちは、今、銀河系宇宙の、太陽系第三惑星の、地球の、北半球の、日本列島の、本州の、関東地方の、埼玉県の、東松山市の、丸木美術館で生きていて、36億年前からみんなで受け継いで来た大切な命だから・・・これからは自分の年齢に36億を加えて自己紹介をして下さい!」
会場の皆といっしょに笑いながら、ああ、丸木夫妻が描いた《原爆の図》も、丸木スマの絵も、結局はこういうことなんだなと、その言葉は胸に沁みました。

TBSのラジオ番組でも、折に触れて丸木美術館のことを紹介して下さり、「永さんの番組で聞いたよ!」と受付でお客さんが声をかけてくれることもしばしばでした。

最後にお会いしたのは東中野のポレポレ坐だったでしょうか。
永さんが応援して下さっている、と思うだけで元気が出たし、自分がラジオで話すときにはいつも、「テレビと違ってラジオは自由に話せる」という永さんの言葉が胸にありました。

本当に、心からありがとうございました、お疲れ様でした、と言いたいです。
そして、やっぱり、とても寂しい。
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2016/3/16

第41回木村伊兵衛写真賞に新井卓さん!  分類なし

朝から、とても嬉しいニュースが飛び込んできました。

写真家の新井卓さんが、第41回木村伊兵衛写真賞を受賞されたというのです。
木村伊兵衛写真賞は、「写真界の芥川賞」とも呼ばれ、気鋭の若手写真家の優れた仕事を評価する日本の写真界を代表する賞です。

新井さんは、「3.11」を機に、福島や第五福竜丸、そして広島、長崎へと核被害の歴史をたどる取材を続け、昨年写真集『MONUMENTS』を刊行しました。
2012年夏には、丸木美術館で個展「福島からひろがる視線 MIRRORS HALF ASLEEP」も開催しています。

最初期の写真技法「ダゲレオタイプ」(銀板写真)で撮影を続ける彼の仕事は、時代に逆行しているようで、時代の流れに左右されない普遍的な問題を浮かび上がらせます。
そして、磨き上げられた銀板に写し出されるイメージの儚さ(自然光のもとでは、ほとんど鏡面にしか見えない)は、現実をなかば仮想世界の物語のように昇華させ、記憶に刻みこみます。

震災直後に三軒茶屋のKENで初めて彼の写真を見たときから、その優れた力量に惹かれてきた身としては、彼の仕事が高く評価されたことは、自分のことのように嬉しいです。
下の銀板写真は2013年1月16日、丸木美術館にて。向かって左が新井卓さんです。

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With Yukinori Okamura (curator), Maruki Gallery of Hiroshima Panels, Saitama,
00:05, 2013/01/16


2016年3月16日付『朝日新聞』朝刊「ひと」欄でも、新井さんの受賞が紹介されています。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12259494.html

本当に、おめでとうございます。
これからもますますのご活躍を、期待しています。
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2016/1/10

ヨシダ・ヨシエさんの葬儀・告別式  分類なし

この上ない晴天。
美術批評家ヨシダ・ヨシエさんの葬儀・告別式の前に、ご自宅近くの雷電池(かんだちがいけ)に立ち寄りました。

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この池には龍蛇が棲み、干ばつのときに池のほとりの雷電社に祈ると必ず雨が降ったという言い伝えが残っています。

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4年に1度、巨大な龍蛇が練り歩く雨乞の祭りがあり、ヨシダさんはこのいわれが大好きで、「龍のフェスティバル」というアンデパンダンのアート祭を企画されていました。
のどかに鴨の群れが泳ぐ池のほとりで、しばし、ヨシダさんを偲びました。
そういえば今年は、雨乞祭りの年です。

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式場には、重村三男さんによるヨシダさんのブロンズ像が屹立していました。
ヨシダさんのご自宅の玄関前にあった彫刻です。

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昨日の通夜の小沢節子さんの弔辞の一節が、とても心に残りました。
「アヴァンギャルドな青年、ヒッピーな中年、パンクな老人」
たぶん、ヨシダさんが一番、喜んでいたのではないでしょうか。

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70年代、80年代のヨシダさんの活動について調査研究を続け、このたび、UCLAのヨシダ・ヨシエ文庫設立にも尽力された嶋田美子さんが、ヨシダさんのお宅にあったという赤松俊子(丸木俊)のデッサンの存在を教えてくださいました。

1950年夏といえば、ちょうどヨシダさんが原爆の図第2部《火》のモデルになっていた頃です。
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2016/1/4

ヨシダ・ヨシエさん逝去  分類なし

2015年1月4日未明に、美術評論家のヨシダ・ヨシエさんが亡くなられました。
昨年末から予断のならない状況と伺っていましたが、ご家族に見守られての穏やかな最期とのこと。

美術評論家として、本当に多岐にわたる仕事を残された方で、光田由里さん、中嶋泉さん、足立元さんによる2009年のインタビューが日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイブスに掲載されています。

【第1回】
http://www.oralarthistory.org/archives/yoshida_yoshie/interview_01.php

【第2回】
http://www.oralarthistory.org/archives/yoshida_yoshie/interview_02.php

丸木美術館との接点としては、1950年代の原爆の図巡回展が挙げられます。
占領下に置けるゲリラ的な展覧会は、ヨシダさんが語り続けたことで、その記憶が継承されていったのです。
私の調査研究は、そのヨシダさんの語りを客観的に検証することから始まっているので、必ずしもヨシダさんの証言通りというわけにはいかなかったのですが、ご長男のKさんに「これまで断片的な知識しかなかったものが、事実の前後関係が解りやすく記されているので興味深いです。特にヨシダ・ヨシエの口述と記録に違いが観られるところなど笑えました。父は元来サービス精神旺盛なため、他人に語る時脚色を加えます。そのうち事実と虚構の区別が自分でも本当につかなくなるという傾向があります」とのご感想を頂いて、ほんの少しだけ気が楽になったものでした。

ヨシダさんに本を読んで頂けなかったことは、残念なような気もするものの、もうこれ以上は聞けないというほど何度も聞き取りをさせて頂いたので、これはこれで良かったのだという気もしています。

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写真は1952年の立川展で身振りを交えて《原爆の図》の解説をするヨシダさん。
最後に丸木美術館に来られたのは、昨年1月22日のテレビの取材で、とりわけ女性に対する優しさとサービス精神の旺盛さは、年を重ねてもまったく変わることはありませんでした。

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美術の現場に、そして社会の現場に一貫して寄り添いながら評論活動を行った、本当に稀有な方でした。
心からお悔やみ申し上げます。
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2013/8/24

『はだしのゲン』閲覧制限の撤回を求める教員・研究者有志からの呼びかけ  分類なし

21日より3日間夏休みを頂いていましたが、その間も95人、127人、76人(無料の幼児団体など含む)と連日、丸木美術館には多くの来館者が訪れているようです。

   *   *   *

そして、松江市教育委員会の『はだしのゲン』閉架問題についても、日頃からお世話になっている研究者の方々が呼びかけ人となって、「『はだしのゲン』閲覧制限の撤回を求める教員・研究者有志からの呼びかけ」が立ち上がりました。

http://hadashinogenappeal.blog.fc2.com/

以下に、ブログから一部を転載いたします。
ご賛同頂ける方は、ぜひ、8月25日(日)午後4時までに、必要事項をご記入の上、メールを送信して下さい。
すでに報道されている通り、次回の松江市教育委員会は8月26日(月)に開催されますので、要望書は、8月25日(日)中に松江市教育委員会宛てに送られる予定です。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

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 報道によれば、島根県松江市教育委員会は、中沢啓治『はだしのゲン』について、2012年12月・2013年1月の二度にわたって、市内小中学校学校図書館での閲覧を制限する要請を行っていました。この問題については、すでに多くの市民から疑問と反対の声があがっており、インターネット署名サイト「Change.org」でも、8月23日現在で20,000筆を超える多くの署名が集まっています。すでに、日本図書館協会・図書館の自由委員会(西河内靖泰委員長)からも、教育委員会委員長・教育長に宛てて、当該措置の再考をうながす「要望書」が送付されています。
 わたしたちは、この問題は、単に学校図書館における自由な図書利用の問題にとどまらず、文学・文化の教育活動にかかわる重要な問題だと認識しています。文学や文化を愛し、広い意味での文学・文化の教育と研究、普及に携わっている立場から、差し当たり、閲覧制限の撤回を求める「要望書」を、松江市教育委員会委員長・教育長宛てにメールとファックスで送付したいと考えています。

 以下、この問題を憂慮する教員・研究者の有志が作成・検討した「要望書」の文面を掲げます。この「要望書」をお読みいただき、主旨にご賛同いただける方は、下記の内容についてご記入の上、8月25日(日)16:00までに、

hadashinogen.appeal[*]gmail.com ※[*]を「@」に変えて下さい 

宛てにメールにて送信くださいますよう、お願い致します。

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松江市教育委員会委員長・松江市教育長宛て要望書「『はだしのゲン』閲覧制限措置の撤回を求めます」に賛同します。

 お名前
 肩書き
 メール・アドレス
 メッセージ(任意。簡潔にお願いします)
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*「お名前」「肩書き」は、そのまま「要望書」に添付し、このページでも公開します。
*「メッセージ」は、そのままこのページで公開させていただく場合があります。 
*[追記]「肩書き」の非公開をご希望の方は、「肩書き」欄は空欄のまま、お送り下さい。 
 
呼びかけ人:
 川口隆行(広島大学教員)*世話役
 五味渕典嗣(大妻女子大学教員)*世話役
 石原俊(明治学院大学教員)
 小田原琳(非常勤講師)
 高榮蘭(日本大学教員)
 小沢節子(早稲田大学他、非常勤講師) 
 佐藤泉(青山学院大学教員)
 島村輝(フェリス女学院大学教員)
 杉山欣也(金沢大学教員)
 中谷いずみ(奈良教育大学教員)
 Nobuko Yamasaki (University of Washington, PhD Candidate / Pre-Doctoral Instructor)
 日比嘉高(名古屋大学教員)
 深津謙一郎(共立女子大学教員)
 山本昭宏(神戸市外国語大学教員)
 

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2011/6/11

東日本大震災チャリティコンサート  分類なし

午後2時から、丸木美術館1階新館ホールにて、PHILIA PROJECT主催による東日本大震災チャリティプロジェクト「with You」が行われました。
午前中は小雨模様の不安定な天候でしたが、参加者はおよそ100人の盛況となりました。
出演された方々は以下の通りでした。

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中国出身の歌手・古筝奏者の謝雪梅さん。

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ファゴット奏者の津田雄三さん。

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ウクライナで生まれ、チェルノブイリ原発事故の被曝体験を持つ歌手・バントゥーラ奏者のナターシャ・グジーさん。実は、ナターシャさんは2000年5月5日の丸木俊さんを偲ぶ会でも出演して下さっているので、丸木美術館での公演は11年ぶり2回目となります。

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そして、音楽とは異なるジャンルの表現者3人によって結成されたというジプシー音楽ふうのゲルブ・アル・リシャット・アンサンブル。

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このコンサートの様子は、NHKさいたま放送局と東松山CATVが取材して下さいました。
NHK首都圏ニュースの放送の様子は、以下のHPで数日間ご覧頂くことができます。

http://www.nhk.or.jp/saitama-news/20110613115750_04.html

 東日本大震災や東京電力福島第一原子力発電所の事故の被災者を支援しようと、旧ソビエトのチェルノブイリ原発事故で被災した経験を持つ音楽家などによる支援コンサートが東松山市で開かれました。
 ウクライナ出身の音楽家、ナターシャ・グジーさん(31歳)は、6歳の時、自宅からわずか3.5キロの場所で起きたチェルノブイリ原発事故で避難生活を余儀なくされた経験を持ち、現在は日本を拠点に震災や原発事故の被災者のために各地で支援コンサートを開いています。「バンドゥーラ」という民俗楽器を手に舞台に立ったグジーさんは、「同じ過ちを繰り返さないよう祈りながら歌っています」と語りかけながらウクライナの民謡などを披露しました。当時のグジーさんの自宅は放射性物質に汚染されたために取り壊されて埋められたということで、訪れた人たちは重いメッセージを受け止めるように目を閉じて演奏に聞き入っていました。コンサートには中国出身の音楽家なども参加して演奏や詩の朗読を披露し、収益金の一部は被災地に送られることになっています。コンサートを主催した団体の二瓶龍彦さんは、「自分たちに出来る方法で長期にわたる支援を続けたい」と話していました。

(NHKさいたま放送局HPより)
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2005/9/11

9月8日(木)  分類なし

【今日の入館者】43人(招待2人)

丸木スマ展準備
実習生2人に手伝ってもらい、14日から銀座松坂屋で行われる丸木スマ展の作品チェックと額拭き掃除、梱包などを行う。出品作品は全部で58点。丸木スマさんの作品は、とても自由奔放で伸びやかなものが多いのだが、その一方で耐久性に問題があり、作品の色褪せや損傷も大きい。あらためて作品をチェックしてみると、果たしてデパートの明るい照明の下での鑑賞に耐えられるのかと不安を感じる作品もある。予算の都合もあり、作品保存は頭の痛い問題である。
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2005/9/11

9月7日(水)  分類なし

【今日の入館者】

学芸員実習生
8月30日より、東京国際大学のSさんと女子美術大学のAさんが当館で学芸員実習を行っている。実習期間も半分以上過ぎてしまったが、私は今日初めて二人そろって顔を合わせた。もっとも、二人とも今年の5月の開館記念日からボランティアとして参加してくれているので、ある程度は顔見知りになっている。今回はたいへん忙しい時期の実習で、美術館としても実習生のために特別な時間を用意することができず、目の前の仕事を片付けるために実習生にはフル回転してもらうことになる。現在進行中の主な仕事は、緊急支援カンパの整理、銀座松坂屋丸木スマ展の準備、日韓五世代の対話展の準備、今日の反戦展の撤去の準備など。二人ともすっかり慣れて、楽しそうに仕事をこなしてくれている。
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2005/9/11

9月6日(火)  分類なし

【今日の入館者】11人

休養日
昨日は休館日であったが、今日も休養日をいただき連休となる。
外は台風。夏の疲労蓄積のせいか、昨日は妻が寝込み、今日は私が寝込んだ。わんぱく息子が一人だけ連日の大暴れ。
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2005/9/11

展覧会情報  分類なし

山猫ギャラリィ20周年記念「村上ひさ子・画展」
9月2日(金)〜10月16日(日)までの金・土・日・祝日のみ開催 11:00〜19:00
民家ギャラリィ&カフェ山猫軒 入間郡越生町龍ヶ谷523 TEL 049−292−3981 http://www.yamaneko.info
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2005/9/11

9月4日(日)  分類なし

【今日の入館者】98人(招待1人、友の会1人)

丸木美術館再生プロジェクト会議
中国出張の帰国翌日ではあるが、再生プロジェクト会議があるため朝から出勤。簡単な中国展報告の後、会議の準備をして美術館を出発。午後1時半より文京区男女平等センターにて会議に出席。中国美術館の分厚い図録を持参し、展覧会の報告を行う。会議の主な議題は、緊急支援カンパの中間報告、銀座松坂屋丸木スマ展の準備、支援芸術祭、友の会再編について等。
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2005/9/9

8月の有料入館者  分類なし

【8月計】個人3072人(前年比+1523人)、団体201人(+16人)、計3273人(+1539人)
【年間累計】個人5216人(前年比+1546人)、団体3731人(+739人)、計8947人(+2285人)
=8月31日現在
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2005/9/9

9月3日(土)  分類なし

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▲『原爆の図』中国美術館での展示風景

中国出張7日目(帰国)
午前6時に台湾飯店を出発し、午前8時15分北京発の飛行機で帰国。
今回の中国出張で感じたことを簡単に記したい。少なくとも私自身は滞在中に「反日感情」に直面した機会は一度もなかった。これについてはK理事の言う「日本のマスコミが煽りすぎる」という指摘は当たっているように思えた。むしろ、ほぼ同世代の中国の若者と60年前の戦争を媒体にして出会い、屈託なく交流できたということが、中国をとても身近に感じる大きな要因となった。一方で、日本の「戦後60年」報道と、中国の「反ファシズム戦争勝利60周年」の様子を見比べて、他人を傷つけたとき、傷つけた側はすぐに忘れてしまっても、傷つけられた側の傷痕は容易に癒えず、また、元の状態には決して戻らないということを今更ながら痛感した。そして、今回出会った中国の友人たちとの友情のためにも、「過去を鑑にして未来を創る」仕事を、微力ながら務めていきたいと強く感じた。
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2005/9/9

9月2日(金)  分類なし

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▲オープニングセレモニーで歌う中国の子どもたち

中国出張6日目(展覧会オープニング)
午前8時30分、中国美術館前で丸木美術館理事のKさん(東京都日中友好協会の副理事長をされている)と通訳の陳臣さんと待ち合わせ、タクシーで盧溝橋の中国人民抗日戦争記念館を訪問。丸木美術館訪中ツアーが4年前に訪れていたこともあって、副館長の張量さんに挨拶。その後、若い職員の姜凌さんが日本語で館内をとても丁寧に案内してくれた。館内は今年の7月7日にリニューアルし、9月7日までの2ヶ月間は無料公開中ということもあって1日に1万人が訪れる盛況ぶり。展示については以前のように日本軍の加害性を強調するジオラマ展示はなくなり、より客観的かつ歴史的事実を基盤とした展示を心がけているとのこと。また、従来はなかった国民党の功績を紹介しているのも今回のリニューアルの大きな特徴であるという。
午後4時からは中国美術館にて展覧会のオープニングセレモニーに出席。昨日いっしょに長城へ行ったバーンスタイン氏が最優秀賞を受賞。『原爆の図』に対する関心も高く、会場では出品作家やジャーナリストたちにたびたび声をかけられ、質問を受けた。展覧会は圧倒的に中国人の作品が多いが、欧米の作家も出品している大規模な国際展。丸木夫妻との交友の深かった周思聡さんの作品コーナーもあり、丸木夫妻の肖像スケッチが展示されていた。午後7時頃よりパーティ。中国美術館館長や企画責任者の陳履生さんと話し、「今後も丸木美術館との連携を深めていきたい」との言葉をいただいた。
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