2018/4/7

ポレポレ坐「丸木俊 本のたのしみ」展などのお知らせ  館外展・関連企画

4月24日から5月7日までは、東中野のSpace&Cafeポレポレ坐で「丸木俊 本のたのしみ」展。

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絵本原画ではなく、丸木俊が手がけた100冊を超える刊行物を一挙展示するという内容。ポレポレの若者たちが楽しそうに企画しています。

4月26日(木)にはトーク「丸木俊の絵本を語る」も開催します。
出演は丸木ひさ子さん(絵本作家)と本橋成一さん(写真家・映画監督)と岡村です。
午後7時より開始、1500円ワンドリンク付き。

また、ポレポレ東中野では、4月21日から27日まで特集上映「32年目のチェルノブイリ」として、本橋監督のチェルノブイリ作品のほか、丸木夫妻関連映画を上映します。
4月21日(土)午後5時からは『ビデオ絵本 ひろしまのピカ』(25分)と『HELLFIRE:劫火―ヒロシマからの旅―』(58分)の上映後に、本橋さんと岡村がトークイベントを行います。

というわけで、1週間に2回もポレポレでトークすることになってしまいましたが、どうぞお近くの方はお運びください。よろしくお願いいたします。
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2018/4/3

朝日新聞「美の履歴書」に丸木スマ《柿もぎ》紹介  掲載雑誌・新聞

美の履歴書:544 丸木スマ 顔が実よりも小さいわけ
 ―2018年4月3日『朝日新聞』夕刊文化欄

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https://www.asahi.com/articles/DA3S13435006.html

以下、記事より一部抜粋です。

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 画題の多くは、村の暮らしや草花、鳥、猫、魚などの生きもの。「人間がいれば人間が中心に描かれがちだが、そうではない。『柿もぎ』は身のまわりの自然を平等にいとおしんだスマさんの価値観が表れている」と原爆の図丸木美術館の岡村幸宣学芸員は話す。
 俊はスマと仲がよく、スマが81歳で他界した後、「女絵描きの名を継ぐ」と旧姓ではなく丸木姓を名乗るようになった。
 「柿もぎ」は、なぜ柿の実より人間の顔が小さいのか。質問されたスマは「柿を描きよりましたら、人を描く場所がのうなりましての、それで、小さく描きました」と答えた。俊はユーモア交じりにそう書き残している。


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《柿もぎ》などの丸木スマ作品は、5月末まで特集展示しています。
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2018/3/27

横湯久美展「時間 家の中で 家の外で」  企画展

現在開催中の企画展「横湯久美展 時間 家の中で 家の外で」
じわじわと評判が広がっている質の高い展覧会です。

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第2次世界大戦時に戦争に反対した夫婦。
夫は何度か逮捕・拷問されたのち、獄中で結核におかされ仮釈放時に死亡。
妻は治安維持法の弾圧化を未亡人として生き抜きました。

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作家が幼い頃「絶対に外に言ってはいけないよ」と言われて育ってきたという、ひそやかなファミリーヒストリーと世界の戦争の歴史の交錯するところから、静かな物語がはじまります。

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「あんたの思うように、確かに私には今の美術のことはわからない。でもね、美術をやる人、芸術家の役割は知っているつもりだよ。私にも、芸術家の人たちと似たところが少しはあるからね。
芸術家はワガママであることを最も大切にしている仕事なんだよ。
どんな時でも、自分自身に正直でいないと、呼吸ができなくて死んでしまうくらいの人たちだよ。
誰よりも、自由に敏感なんだ。
だから、国が戦争を始めようとした時、他のどんな人たちよりも先に、この人たちは戦争の気配に気付いて、皆にもわかるように大騒ぎをすることができる。
そのために自分のやり方で生き、見て考えて、声をあげ、表現する練習をし、いつも準備しておくんだ。
現実は厳しく、自分のやり方で生きると、時にとても惨めな目にもあう。
多くの人が別の道に行く中で、己の信じる方向に進むことはそう簡単でない。
まさに命がけだからね。
だから、美術の人たちの仕事はものすごく大変だけれど、ものすごく特別な仕事なんだよ。
それは、大きく激しく大切な務めだよ。
すごい作品を作り残すことは、次の務めだと私はそう思う。」
「この話は、したことなかったよね?」


(「爆弾か 黒雪ダルマ 雪ダルマ」より一部抜粋)

3月31日(土)午後2時30分からは、美術家の辻耕さんを迎え、横湯さんとの対話によるアーティスト・トークを行います。
どうぞ皆さま、ご来場ください。
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2018/3/25

【長崎出張3日目】原爆文学研究会/長崎平山家調査  調査・旅行・出張

長崎大学環境科学部大会議室にて、第55回原爆文学研究会の2日目。

午前中のみの開催で、発表者は2人。
新木武志さんは、1950年代前半の長崎における平和運動と被爆者運動の歴史を丁寧に解説してくださいました。
この発表でも、丸木夫妻の1953年1月に長崎労働会館で開催された「原爆の図」展が紹介され、被爆者の救済運動のための募金の宣伝として「原爆の図」が大歓迎を受けたという指摘がありました。

山口響さんの発表は、被爆者の証言を、あえて原爆が「大日本帝国」に投じられたという「固有の文脈」に埋め戻すことで、当時の軍の倫理や秩序の存在を浮かび上がらせるという「読み解き」の可能性の一例を提示する内容。体験者の「証言」を次の世代がどのように生かしていくか、という問題を考える上で、興味深く聞きました。

今回もまた、濃密な発表と白熱した質疑に、さまざまな考える材料をもらい、研究会は終了。
次回は7月28日、29日に神戸で開催予定です。

* * *

原爆文学研究会の後は、1984年12月から翌1985年1月にかけて丸木夫妻が約40日間滞在して《地獄の図》を描いた平山惠昭さんのお宅に伺い、聞き取りをしました。
ジャン・ユンカーマン監督の映画『HELLFIRE 劫火ーヒロシマからの旅』の冒頭のシーンを撮影したアトリエも、映画の印象そのままでした。稲佐山の急傾斜に立つ家の高低差を、撮影に生かしていたことがよくわかります。

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アトリエの写真は、1985年に同じ角度から本橋成一さんが撮影した写真(2017年カレンダーより)を、参考として右下にいっしょに写しています。

平山さんご夫婦と、わざわざ来てくださった当時20歳だった上の娘さんにとって、丸木夫妻の滞在していた日々は幸せな記憶であり、とりわけ妻の千枝子さんは「とにかく楽しい毎日だった、あんなに楽しいことはなかった」と繰り返し語っていました。

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丸木夫妻の長崎滞在の相談は、当初、長崎銀屋町教会の牧師のもとに寄せられ、ともに同和教育に取り組んでいた縁で、春陽会に出品していた平山さんが紹介されたそうです。平山さんはよろこび、ふたつ返事で承諾して、アトリエを提供することにしました。
絵画の制作に専念するため、丸木夫妻が滞在していることは極秘でしたが、ユンカーマンさんや本橋さんの撮影のほか、石牟礼道子さんや松谷みよ子さんが来訪するなど、賑やかな日々であったとのこと。

1985年は丑年だったので、位里は世話になった御礼に、牛の絵を2点、平山さんに贈りました。俊は平山さん夫婦と下の娘さんの肖像を描きました。
大切に保管されたそれらの絵を見せていただくと、丸木夫妻と平山さん一家の心のつながりが伝わってきます。

平山さんはその後、丸木夫妻のように絵にはメッセージがなければいけないと思うあまり、しばらく絵の制作ができなくなったそうですが、やがてフラメンコを踊るロマというテーマに取り組むようになりました。
そして、ふたりの娘さんも丸木夫妻の影響を強く受け、それぞれ中学校、小学校の先生になって、今も平和教育に熱心に取り組んでいるそうです。
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2018/3/24

【長崎出張2日目】第55回原爆文学研究会  調査・旅行・出張

長崎大学環境科学部大会議室で行われた第55回原爆文学研究会に参加。

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会場は三菱長崎兵器製作所大橋工場の跡地、つまり作家の林京子さんが女学生で学徒動員され被爆した場所です。

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丸木夫妻も1953年に長崎原爆之図《三菱兵器工場》(長崎市原爆資料館蔵)を描いています。

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キャンパス内には旧長崎師範学校の「原爆慰霊碑」もありました。

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以下は原爆文学研究会の内容を、簡単な備忘として。

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初日の発表者は3名。
四條知恵さんは、長崎における聞こえない人々(ろう者)をめぐる原爆被害の語りの問題を取り上げました。はじめは、マイノリティの集団的な語りの「挫折」についての発表と思いながら聴いていたのですが、質疑が進むうちに、実は原爆被害を「語る」ことそのものの意味を問い直すテーマであることが浮かび上がってくる、研究会ならではの展開が刺激的でした。

永川とも子さんの発表は、被爆者のライフ・ストーリーを取材したスーザン・サザードの『ナガサキ』(2015)を、原爆投下直後の被爆者の様子を伝えるジョン・ハーシーの古典『ヒロシマ』(1946)と比較しつつ、米国において原爆を語り直すことの意味を考える内容。
被爆者のライフストーリーが、原爆投下の是非に関する論争になりがちな米国の核言説の限界を乗り越える可能性を持つ一方、脱政治化の危険も伴うといった議論や、物語の作者という「神」の視点と、米国の建国にかかわる「神」、長崎の祈りの対象としての「神」のそれぞれの「神」の捉え方を区別する必要があるといった議論など、こちらも質疑応答は白熱しました。

安ミンファさんは『倭奴(イエノム)へ 在韓被爆者 無告の二十六年』(布川徹郎、1971年)と『もうひとつのヒロシマ アリランのうた』(朴壽南、1986年)の2本の映画を取り上げ、社会に排除されていく韓国人被爆者の身体と、冷戦下/軍国主義下の風景のイメージを比較する発表。
研究会の後、『もうひとつのヒロシマ』の題字が丸木位里であったことを数人の方から指摘されましたが(映画の前に刊行されていた同名書籍の題字がすでに位里の筆だったと記憶しています)、実は『倭奴へ』も丸木夫妻が原爆の図第14部《からす》制作の参考にするため、布川監督が来て上映したと回想されているので、どちらの映画も丸木夫妻との「距離」は近いのでした。
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2018/3/23

【長崎出張初日】長崎原爆の図《母子像》調査  調査・旅行・出張

丸木夫妻の作品調査のため、長崎出張。
午前中は丸木夫妻とゆかりの深い場所を訪ね、貴重な作品を拝見しました。所有者の意向で情報公開はできませんが、今も良好な状態で作品が保存されていることを嬉しく思いました。

その後、長崎県美術館へ行き、収蔵庫で、かつて長崎県教育文化会館が所蔵していた長崎原爆の図《母子像》を確認。
作品の制作過程は、ジャン・ユンカーマン監督の映画『HELLFIRE 劫火ーヒロシマからの旅』にも記録されています。
こちらも絵の状態は非常に良好。

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作品が描かれた経緯は、2000年3月20日付『ながさき教育新聞』に、平山惠昭さんが詳しく記しています。
平山さんは当時公立中学校の先生で、長崎市同和教育研究会の事務局長を兼務。春陽会に所属する画家でもありました。
記事によれば、1984年8月8日から12日まで「原爆の図」長崎展が市民会館で開かれ、このときに第15部《長崎》を長崎市国際文化会館(現・長崎原爆資料館)に寄贈するという話が持ち上がったそうです。
実際、《長崎》は半年後の1985年2月1日に正式に寄贈されるのですが、長崎でもう一枚絵を描きたいという丸木夫妻の意向と、ぜひ描いてほしいという「長崎展」実行委員の思いが重なり、同年12月に丸木夫妻は長崎を再訪。40日余りを平山さんの家で過ごし、大作を描きました。それが、現在はブルガリア国立美術館に所蔵されている《地獄の図》です。映画『劫火』の冒頭には、平山家で制作をする丸木夫妻の姿が映し出されています。
この《地獄の図》制作中に、当時の県教組委員長の近藤禮司氏が丸木夫妻のもとを訪ね、県教組のために一枚《原爆の図》を描いてほしいと依頼したそうで、埼玉の東松山に帰宅してから描いたのが、長崎原爆の図《母子像》というわけです。画面には1985年夏の制作と記されています。

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作品調査の後は、県美術館で開催中の「田川憲展」を観ました。田川憲(1906-67)は長崎における創作版画の草分けで、戦中は従軍画家として中国に渡り、上海で創作版画の会を創設して個人誌を発行していました。
上の画像(絵葉書より)は、田川が長崎に帰郷後の1951年に制作したという木版画《長崎原爆遺跡(浦上天主堂)》。
また、菊畑茂久馬の1990年代の「海」をテーマにした特集展示も見ることができて良かったです。

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長崎は昼頃から気温が上がり、稲佐山の国際墓地(唐人/中国人はじめ、ロシア人、ポルトガル人、オランダ人、ユダヤ人などの墓がならぶ)では、すっかり桜が満開でした。
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2018/3/18

ビュフェ美術館「絵画と想像力」展オープニング  館外展・関連企画

ベルナール・ビュフェ美術館で「絵画と想像力 ベルナール・ビュフェと丸木位里・俊」展オープニングイベント。水沢勉さんとの対談は、100名を超える方が来場して下さったそうで、たいへんありがたく思っています。

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岡村が丸木夫妻、司会の松岡学芸員がビュフェの近年の再評価の動きをそれぞれ紹介し、「リアリズム」の問題が時代によって揺れ動き、読み直されていくということを、同時代の他の画家たちの仕事をもとに水沢さんが深めて話して下さいました。
無理に結論は出さないようにしましょう、と事前の打ち合わせで確認していましたが、それでも難しいテーマが何とかまとまっていったのは、司会の松岡学芸員のおかげでしょう。参加者のアンケートも概ね好評で、安心しました。

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その後のレセプションも盛況でした。写真家の本橋成一さん(今展には本橋さんの写真も展示されています)、佐喜眞美術館の館長ご夫妻、地元の方々、そして北海道、東京、広島や京都からもさまざまな方が駆けつけて下さいました。
お世話になった岡野副館長はじめ学芸員、スタッフの皆さまに御礼を申し上げます。
展覧会は6月12日まで。ぜひ皆さま、ご覧ください。
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2018/3/14

ベルナール・ビュフェ美術館展示立ち会い  館外展・関連企画

ベルナール・ビュフェ美術館で「絵画と想像力 ベルナール・ビュフェと丸木位里・俊」展の展示作業立ち会い。

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ビュフェの「キリストの受難」シリーズのために作られた天井の高い三角形の空間に、原爆の図第3部《水》が並びました。ヨーロッパの同時代の画家の作品と相対する機会は滅多にありませんが、画面構成、色調、主題が意外なほど共鳴しています。

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3月18日はオープニングイベントとして神奈川県立近代美術館の水沢勉さんと、「絵画 ―現実と想像 丸木位里・俊とその時代」と題する対談を行います。
https://www.clematis-no-oka.co.jp/buffet-museum/event/742/
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2018/3/10

横湯久美展オープニング  企画展

企画展「横湯久美展 時間 家の中で 家の外で」がはじまりました。
午後2時半からはアーティストトーク「逃げるか掴むか、時をめぐる記憶の話」を開催。

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聞き手は、学生時代から横湯さんを知る美術家の辻耕さんです。

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決して他人に言ってはいけない、と言われて育ってきたという家族の歴史を軸に、うっすらとした戦争の痕跡をたどる物語的な作品。

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初めて横湯さんに出会った2年前、「丸木美術館だから、この作品を差し出そうと思った」と言って下さったことを思い出します。
そのとき展示された作品を含めて、今回の展示は5つの章で構成されています。

ひとりの人間の命とともに失われていく記憶をたぐりよせる、という点では、とても今日的な「戦争」の表現とも言えそうです。
会期は4月21日まで。3月31日(土)午後2時半からもアーティストトークを開催します。

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2018/3/4

石川真生「大琉球写真絵巻」最終日も大盛況!  企画展

石川真生展「大琉球写真絵巻」最終日もまた、約400人が来館する大盛況となりました。
ギャラリートークでは、またしても会場から人があふれました。

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記録的な盛況は、この作品が極めてタイムリーなメッセージ性を持っていること、それ故に「ヤマト」での展覧会開催が困難であることが大きな理由であると思われます。
感想ノートを見ると、来場者は北海道から九州まで、非常に広域にわたっていることがわかります。

「丸木美術館でしか開催できない」ことが、営業的には良かったにせよ、社会的に良いことかどうかは、悩ましいところです。ともあれ、写真集などのグッズも多く売れ、わざわざ沖縄から来てくださった石川真生さんに、どうやら当初の予定以上の御礼ができそうで、安心しました。
会期中、ご来場くださった多くの方々に、心より御礼を申し上げます。

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写真は、石川真生さん、映画監督のジャン・ユンカーマンさんと。
よく気のつくボランティアのSくんが撮影してくれました。
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2018/3/3

石川真生展ギャラリートーク大盛況!  企画展

石川真生展「大琉球写真絵巻」の最終週。
午後から石川真生さんが来場され、ギャラリートークを行ったため、一般有料入館者が約400人という丸木美術館では例のない大盛況となりました。

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これまでの最高は260人ですから、2倍近い記録更新。午前と午後で2回「ひろしま忌」をやってしまったような感覚です。
急きょボランティアの人たちが受付や駐車場係をサポートして下さったおかげで、何とか大きな混乱もなく進行することができました。

とはいえ、トークの時間には会場から人があふれました。
隣の部屋で待機しているお客さんも多かったので、前半と後半でお客さんを入れ替えて、順番に真生さんの近くでトークを聞いていただくような状態でした。

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写真は、フォトジャーナリストの豊田直巳さんの撮影。こちらはいつ撮影されたのか、まったく気づいていませんでしたが・・・
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2018/2/28

武田美通さんの造形作品と市民アーカイブ多摩を訪ねる旅  他館企画など

久しぶりに竹内良男さんの企画に参加して「武田美通さんの造形作品と市民アーカイブ多摩を訪ねる旅」へ。

2010年に丸木美術館の企画展で紹介した鉄の造形作家・武田美通さんの作品を観に恵泉女学園大学を訪れました。
武田作品は今年8月に沖縄県立博物館・美術館の県民ギャラリーで展示予定とのこと。作品保存などの課題はあるのですが、「広める会」の皆さんががんばって活動を続けています。

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その後は、多摩都市モノレールで玉川上水駅に移動して、東大和市の旧日立航空機変電所跡を見学。
外壁に米軍空襲の弾痕の残る貴重な戦争遺跡です。

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さらに、歩いて10分ほどの場所にある市民アーカイブ多摩へ。
もとは都立多摩社会教育会館が行っていた(石原都政で切り捨てられた)市民運動のミニコミ紙などの保存収集活動を引き継いでいる小さな施設です。

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『丸木美術館ニュース』もしっかり保存して下さっていて、その地道かつ重要な活動には本当に頭が下がる。やはり紙媒体のニュース発行を続けていかねば・・・とあらためて思いました。

竹内さんのツアーはこれで終わりですが、夕方はちひろ美術館・東京の大巻伸嗣展「まなざしのゆくえ」展レセプションへ。ちひろ生誕100年「LIFE展」連続企画の第1弾。

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去年の高畑勲さんキュレーション企画あたりから、この美術館が従来のイメージから脱却して新しい時代を迎えようとしていることは感じていましたが、今回はついに現代美術家によるインスタレーション。
大巻さんの新作「Echoes Crystallization」は、白いアクリル板の上に修正液と水晶の粉で花の絵を描いた美しい大作で、作者によれば、丸木夫妻の《原爆の図》などを参照した原爆の暗喩とのこと。作品はもちろん、照明や床を作り込んだ展示が、3つの部屋それぞれ異なるかたちで展開されています。最初の作家がここまで思い切った挑戦をしたら、この後に続く作家たちも、かなりの刺激を受けるのではないでしょうか。

松本猛さんにお話を聞いたところ、役員も若返り、既成概念にとらわれない新しい試みをどんどんやっていく方針とのこと。生誕100年の特別企画とはいえ、ちひろ美術館の本気を感じました。
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2018/2/12

美学校「超・日本画ゼミ」公開講座のお知らせ  講演・発表

原稿仕事などに追われ、長い冬眠状態が続いていますが、今月の講座の告知です。

美学校「超・日本画ゼミ」公開講座:岡村幸宣「《原爆の図》という絵画実験」

2018年2月24日(土)午後6時30分〜午後8時(入場無料)
ゲスト 岡村幸宣(原爆の図丸木美術館学芸員)
会場 美学校(東京都千代田区神田神保町2-20 第二富士ビル3F)
申込み:不要(※公開講座はどなたでもご参加可能です。お気軽にご参加ください。)

丸木位里・俊夫妻の《原爆の図》は原爆投下後の広島の惨状を描いた作品群で、公開当時、全国に衝撃を与えました。原爆の図丸木美術館学芸員の岡村幸宣氏をお招きし、絵画史上きわめて稀な二人の画家の共同制作についてお話しいただきます。ぜひこの機会に、奮ってご参加ください。

【講義内容】
シュルレアリスムに傾倒した水墨画家・丸木位里(1901-1995)と、写実描写を得意とする油彩画家・赤松俊子(丸木俊、1912-2000)。異なる個性を持つ二人の画家が、紙と墨によって絵画史上稀な共同制作を試みた。テーマは「原爆」。敗戦後、占領軍によって報道規制が敷かれていた時代。二人の画家は、領域を横断する絵画の実験を試みながら、隠されていた人間の痛みを人びとに伝えるため、全国各地で展覧会を開いて歩く。共同制作とは何か?絵画に社会性は持ち込めるのか?圧倒的な破壊や大量死に直面したとき、芸術に何ができるのか?国内外で再び評価が高まり、今なお鋭い問題意識を発し続ける《原爆の図》という絵画実験について考える。

https://bigakko.jp/event/2018/nihonga_genbaku
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2018/1/12

「石川真生 大琉球写真絵巻」展のお知らせ  企画展

2018年も丸木美術館をどうぞよろしくお願いいたします。
2月10日から3月4日までは、「石川真生 大琉球写真絵巻」展を開催いたします。

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米軍統治下の沖縄に生まれ育ち、基地近くの外国人バーで働く女性たちや米兵の姿を赤裸々に撮影して、写真家としてデビューした石川真生さんは、以後、沖縄で生きる人たちに熱い眼差しを向け、数多くの写真を撮り続けてきました。

その石川さんが現在取り組んでいるのが「大琉球写真絵巻」のシリーズです。薩摩藩の琉球侵攻から続く沖縄の苦難の歴史を学び、歴史上の場面を友人たちに再現してもらい創作写真として撮影するという手法で、沖縄戦や米軍の新基地建設問題にいたるまでの400年間の出来事を、怒りとユーモアを織り交ぜながら、全4巻、長さ120メートルに及ぶ壮大な絵巻に表現しています。

昨年2月にはステージ4の新たながんが見つかりましたが、治療手術前に病を押して撮影し、最新作のPart4を完成。9月に那覇市民ギャラリーで完成披露の展覧会を行いました。本展は、石川さんを支える方々の協力により、沖縄以外では初めて、Part1からPart4まですべての「大琉球写真絵巻」を公開する貴重な機会となります(前後期展示替え制で2巻ずつ展示)。

初日の2月10日には、石川さん本人が丸木美術館を訪れ、熱いトークを繰り広げてくださいます。ぜひこの機会に、沖縄の人たちの不屈の魂と抵抗の歴史を、全身で受け止めて下さい。

企画協力 天野太郎、三ツ山一志
前期展示[ Part 1&2 ] 2.10〜2.21
後期展示[ Part 3&4 ] 2.22〜3.4

会期中の関連企画
●石川真生オープニングトーク
2月10日(土)午後2時 参加自由(入館料別途)

●ギャラリートーク
2月24日(土)午後2時 参加自由(入館料別途)
出演 天野太郎(横浜市民ギャラリーあざみ野主席学芸員)

●石川真生作家トーク
3月3日(土)・4日(日)午後2時 参加自由(入館料別途)
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2017/12/25

【広島出張A】横川シネマにて「河」上演  調査・旅行・出張

広島の横川シネマにて、「河」(作・土屋清、1963年)の30年ぶりという上演を観ました。
生誕100年を迎えた詩人・峠三吉を主人公にした戯曲です。2日間計4回上演で、本来70席の会場に毎回130人が入る超満員とのこと。

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舞台は、峠が友人画家と「芸術と政治」をめぐる論争を行う第1幕、1949年6月の日鋼闘争の第2幕、1950年8月6日に福屋から反戦ビラを撒く第3幕、肺炎のために入院・手術に向かう第4幕という構成。

占領下・朝鮮戦争の勃発期に原爆詩に取り組んでいく峠三吉の動きは、ほぼ同時期に「原爆の図」を描いていた丸木夫妻に重なります。
劇には登場しませんが、第3幕の2ヵ月後、峠は「原爆の図」展広島開催に協力し、互いの人生は交錯します。
だから1950年前後という時代を実感するためにも、ぜひ見ておきたい舞台でした。

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また、戯曲が書かれた1963年は、原水禁運動分裂の時期であり、原爆文学研究会の川口さんの教示によれば、峠が主宰したサークル誌『われらの詩』を受け継いだ『われらのうた』が終刊に向かう時期にも重なります。
時代の変化の中で、峠の仕事を検証する必然もあったでしょう。そうした時代背景にも興味を惹かれます。

印象的だったのは、友人画家(モデルは浜本武一)が、峠は「反戦」というテーマを扱わなくてもすぐれた詩人であることを強調し、政治運動に疲弊するのでなく、自身の才能を伸ばすようにと繰り返し忠告していたこと。峠は苦悩の末に、「反戦詩を書かせたのは他の誰でもない、自分自身だ」と自らの道を選びとり、『原爆詩集』に到達します。
芸術のための芸術でなく、政治のための芸術でもなく、芸術と政治が接触する一瞬の火花の中から力のある表現が生まれることは、確かにあるのだと思います。

林幸子の孫にあたる某新聞社の若い記者が、彼女をモデルにした女性役を演じていたことも感慨深く拝見しました。
彼女が暗誦した渾身の「ヒロシマの空」は、再演の意味を感じさせるという点で、今回の上演の中で、もっとも胸を打つ見せ場のひとつだったように思います。
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