2018/8/7

広島市現代美術館「丸木位里・俊―《原爆の図》をよむ」展のお知らせ  館外展・関連企画

2018年9月8日(土)から11月25日(日)まで広島市現代美術館で「丸木位里・俊―《原爆の図》をよむ」展が開催されます。
特設ウェブサイトが開設されました。

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https://www.hiroshima-moca.jp/maruki/

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水墨による独自の表現を探究していた広島出身の丸木位里(1901-95)と、女子美術専門学校で油彩画を学んだ北海道出身の俊(赤松俊子・1912-2000)は、1941年に結婚します。ふたりは1945年8月に原爆投下後の広島を訪れたのち、自らの体験と家族などから聞いた話をもとに《原爆の図》初期三部作である《第1部 幽霊》、《第2部 火》、《第3部 水》を制作しました。これらは報道規制が敷かれた1950年代初頭に日本全国を巡回し、いち早く人々に被爆の惨状を伝えたことで反核反戦の象徴となっていきます。《原爆の図》は、作品が担った社会的役割の大きさだけでなく、洋画家の俊による繊細な人体描写と、日本画家の位里による大胆な水墨技法が融合した表現である点においても希有な作品といえるでしょう。
本展では《原爆の図》より、初期三部作に加え、《第4部 虹》、《第5部 少年少女》とともに、《原爆の図》の需要が高まる全国巡回展中につくられた初期三部作の「再制作版」を同時にご覧いただきます。丸木位里と俊、それぞれがこれらの作品の前後に単独で制作した作品もあわせて紹介し、ふたりの画業の連続性のなかで、《原爆の図》にみられる絵画的表現の試みを読み解きます。


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9月8日の開幕日は、午前10時30分から、岡村がギャラリートークを行います。
広島での本格的な《原爆の図》の展覧会、楽しみにしています。
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2018/8/6

NHK首都圏ニュースで「ひろしま忌」紹介  TV・ラジオ放送

美術館で平和祈る灯ろう流し
 ―2018年8月6日 NHK首都圏ニュース

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20180806/0016200.html

以下はWEBサイトからの引用です。

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広島に原爆が投下されてから73年となった6日、原爆投下直後の様子などを描いた「原爆の図」を展示する埼玉県東松山市の丸木美術館では、平和を祈る催しが開かれました。

東松山市の「原爆の図 丸木美術館」は画家の丸木位里・俊 夫妻が、原爆が投下された直後の広島や長崎の様子を描いた連作の絵画「原爆の図」を展示しています。
毎年、追悼の催しが開かれ、6日はおよそ100人が美術館に集まり全員で黙とうをして原爆で亡くなった人たちを追悼しました。
このあと近くの川に移動し、「平和」などと書かれたおよそ80の灯ろうを川に浮かべて、静かに手を合わせて平和を祈っていました。
東京から参加した女性は「歴史をきちんと踏まえながら、平和の大切さを次の世代に伝えていかなくてはいけないと思いました」と話していました。


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2018/8/6

丸木美術館ひろしま忌  イベント

8月6日は丸木美術館ひろしま忌。
今年も暑いなか、大勢の方が来館してくださいました。

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NHK「ごごラジ」キャスター石垣真帆さんとは、さいたま局や名古屋局のラジオ番組で何度もお世話になり、もう10年ほどのおつきあいになるでしょうか。さすがに本職、安定感のあるトークと、絵本『おきなわ島のこえ』、『とうろうながし』の美しい朗読で、若者たちを中心に人気を集めていました。

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司修さんの講演「戦争と芸術」は、寺田政明や井上長三郎ら新人画会の画家たちの肉声を録音したインタビューを紹介しながら、戦争の時代を生きた画家たちの思いを語る内容でした。最後の質問で、藤田嗣治再評価のはらむ危険性について語ってくださったことも印象に残りました。

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西日本ツアー中にもかかわらず大移動で出演してくれた太鼓集団響の演奏も素晴らしかったです。彼らの母校である浦和商業高校定時制の記録映画『月あかりの下で』を撮影した太田直子監督も駆けつけて、「ひろしま忌の集い」でご挨拶をしてくださいました。

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そして、昨年は夕立のため中止になったとうろう流しは、今年も雷雨の予報で危ぶまれましたが、何とか無事に行うことができました。幅広い世代の方々が、手作りのとうろうを都幾川の流れに浮かべ、平和への祈りを捧げました。

ご来場された方々、ボランティアの皆さま、どうもありがとうございました。
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2018/8/5

ひろしま忌準備  イベント

明日は丸木美術館ひろしま忌
午後に雷雨の予報も出ていますが、ボランティア部隊はとうろう流しの準備を整えました。
どうか好天に恵まれますように。

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【スケジュール】
●午前中〜 とうろう作り
●13:00〜 丸木美術館クラブ・工作教室
 案内人:万年山えつ子(画家)&石塚悦子(画家)
● 14:30〜15:00 石垣真帆さん 絵本朗読
 NHKラジオ第1放送の番組「ごごラジ!」でパーソナリティをつとめている石垣真帆さんが、沖縄と広島を舞台にした戦争絵本の朗読を行います。
●15:15〜16:30 司修さん(画家・小説家) 講演「戦争と芸術」
 『戦争と美術』(岩波新書)などの著書によって、芸術家と戦争の問題を深く考察し続けてきた司修さんに、お話を伺います。
※講演を予定していた窪島誠一郎さん(無言館館主・作家)が体調不良で入院されたため予定変更となりました。
●16:45〜17:15 太鼓集団 響 公演
 2008年に廃校になった埼玉県立浦和商業高校定時制の太鼓部を前身に、現在、本庄市を拠点に国内外で活動を続ける太鼓集団響の公演です。
●17:30〜17:45 ひろしま忌の集い
●17:45〜 とうろう流し

・入館料800円 高校生以下無料
・朗読・講演(14:30〜16:30)は丸木美術館1階新館ホールにて。
・参加費1000円(入館料別途)となります。
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2018/8/4

沖縄県立博物館・美術館「儀間比呂志の世界」展ギャラリートーク  講演・発表

沖縄県立博物館・美術館にて「儀間比呂志の世界」展ギャラリートーク。
佐喜眞美術館の「本橋成一展」のトークと完全に日程が重なってしまって、「どちらに行こうか迷った・・・」と何人かのお客さんに言われ、申し訳ない限りでした。それでもご来場下さった皆さま、本当にありがとうございました。

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学芸員の豊見山さんにお会いしたのも、沖縄県立博物館・美術館を訪れたのも、2008年の「美術家たちの「南洋群島」」展がきっかけでした。
それから10年の歳月が流れ、その間、何度沖縄を訪れたか覚えてはいませんが、私はもっぱら豊見山さんの眼を通じて、沖縄の美術を近しく感じ、学んできました。
今回、儀間比呂志について、豊見山さんとクロストークをさせていただいたことは、ひとつの節目のような気がしています。
「南洋群島展」の調査で行われた儀間さんの貴重なインタビュー映像(2007年撮影)を見たことも、その思いを強くさせました。

インタビューの中で、儀間さんは、戦後、郷里の沖縄に帰ることができず、大阪で油彩画を学んだ後、東京の上野誠の家を訪ねて影響を受け、木版画に取り組んでいったと語っています。
やがて儀間さんは木版画一本に絞っていくのですが、「高価な油彩画より安価で複数刷れる木版画の方が多くの人に見てもらえる」という彼の言葉は、中国の木刻運動の影響を受けた戦後の版画運動の発想に重なります(「原爆の図」を描く前の赤松俊子=丸木俊も前衛美術会で木版画に取り組んだ時期がありました)。
また、初期油彩画の力強い線描や造形的な特徴は、メキシコの壁画運動の影響も感じさせます。豊見山さんの解説によれば、1955年に「メキシコ美術展」が大阪を巡回しており、儀間さんも見ていたかもしれません。
1950年代は儀間さんにとって画家としての自己形成期。民族の歴史と誇り、抑圧する者への抵抗の精神を、自身のルーツである沖縄に重ねながら、強固な表現に練り上げていったと思われます。

しかし、1956年に初めて沖縄で開催した個展は、必ずしも郷里の美術界に受け入れられなかったようです。
当時の沖縄美術の主流は、「ニシムイ美術村」の美術家たち。つまり、戦前に東京美術学校で学び、アカデミックな表現やシュルレアリスムの影響を受けたエリート層が中心となって、戦後の沖縄画壇を形成していたのです。
戦争の破壊とその後の過酷な米軍統治は沖縄を孤立させ、儀間さんが影響を受けた1950年代の文化運動も、沖縄には生まれていなかったようです。
その意味では、儀間さんは「沖縄の画家」ではなかった。1950年代における沖縄の「外側」の方法論によって、沖縄の抱えている問題を立ち上げ、日本の人びとに、そして沖縄に対しても突きつけていったのではないか。
そして、そんな儀間さんの作品に、当時の沖縄の先鋭派である『琉大文学』の新川明さんが共鳴し、歓迎したというのも、また興味深いところです。
儀間比呂志、もう少し続けて考えたい作家です。
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2018/8/3

【沖縄への旅】平敷兼七ギャラリー/佐喜眞美術館  調査・旅行・出張

ひろしま忌が近づいていますが、沖縄に来ています。
最終日を迎えた平敷兼七ギャラリーの平敷兼七・小原佐和子写真展「渚」、開幕したばかりの佐喜眞美術館の本橋成一写真展「在り家」。そして夕食は本橋さん、小原さん、平敷さんの娘さんたちとともに写真家のタイラジュンさんのお店rat&sheepへ行くという、写真づいた一日。
小原さんの写真集『神の真庭』と、平敷兼七写真集『山羊の肺』(復刻版)を入手しました。

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久高島を撮影している小原さんの写真展は、数年前に東京でやっていたのを見逃していて、今回も、まさか沖縄で見られるとは思っていなかったのですが、絶妙なタイミングで沖縄に来ることができて本当に良かったです。
写真展では、生前の平敷さんと小原さんの交流の一端が垣間見えたのも印象的でした。若い作家にとって、写真を撮り続けること、そして生きていくことは真底たいへんだと思うけれども、世代を超えて受け継がれていくものが確かにあることを感じて、心を打たれました。

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佐喜眞美術館の本橋成一展は、限られた展示空間いっぱいに、炭鉱からチェルノブイリ、アラヤシキまで、本橋さんのこれまでの仕事が凝縮された見応えのある内容。とりわけ、丸木夫妻が沖縄で絵を描く姿の先に《沖縄戦の図》が屹立する空間構成は、佐喜眞美術館ならではのクライマックスです。会期は9月3日まで。
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2018/8/1

『歴史地理教育』特集「核の戦後」に寄稿  執筆原稿

歴史教育者協議会(歴教協)発行の『歴史地理教育』第883号(2018年8月号)の特集「核の戦後」に、「見えない核の脅威をあばき出す─原爆の図丸木美術館の今日的意義」を寄稿しました。

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最近はなかなか新しいことが書けるわけではないのですが、今回、1970年代なかばに山陽新幹線開通という条件が整い、葛飾区の中学教師・江口保の提案によって、広島へ修学旅行に行き、被爆者の体験談を聞く学校が増加、事前学習として丸木美術館に来る学校も多くなった、と書いたところ、同じ特集内で詩人の石川逸子さんがやはり江口保について書かれていたので、連続性があって良かったな、と思いました。

歴教協の担当の方には、来年8月に埼玉県内で開催予定の歴教協全国大会の分科会で講演を、との依頼もいただいています。
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2018/8/1

NHK戦争証言アーカイブス:丸木夫妻「絵に込めた広島の惨劇」  TV・ラジオ放送

本日よりWEB公開がはじまりました。
NHK戦争証言アーカイブス 画家 丸木位里さん・俊さん「絵に込めた広島の惨禍」

もとの番組は、1989年8月1日に放送された「ヒロシマの証言 被爆者は語る」。
丸木夫妻へのインタビューを、約20分に再編集しています。
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2018/7/29

ピースあいち「高校生が描くヒロシマと丸木位里・俊「原爆の図」」  講演・発表

台風とすれ違うように、神戸から名古屋へ移動。
戦争と平和の資料館ピースあいちでは、現在、「高校生が描くヒロシマと丸木位里・俊「原爆の図」」展が開催中です。

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午後1時より、展示中の原爆の図第11部《母子像》の前でギャラリートークを行いました。

《母子像》については資料が少なく、なかなか語ることが難しいのですが、今回、ピースあいちボランティアの丸山泰子さんが、メールマガジンで絵本『ひろしまのピカ』とつなげて書いて下さったのを読み、第10部《署名》までの〈群像〉の力学から、〈個人〉の物語へと転換していく作品として《母子像》を語ることにしました。

丸山さんのメールマガジンはこちら。
http://www.peace-aichi.com/piace_aichi/201806/vol_103-10.html

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(写真はピースあいちtwitterより)

午後2時からは、基町高校の生徒やOB、担当の先生たちと登壇し、高校生が被爆者の体験を油彩画に描く活動についての公開トークに参加。
基町高校には創造表現コースがありますが、この「原爆の絵」の活動は、授業でも、部活でもなく、土日を使ったボランティア活動なのだそうです。

H先生の話からは、生徒の自主性を生かしながらも、温かく活動を見守り、問題が生じないよう配慮している様子がうかがえました。

また、OBや現役高校生の話からは、他者の記憶を絵画で再現することの難しさに戸惑いながらも、それが高校生にとって非常に大きな「体験」であり、思いのほか表現に独自の工夫を凝らしていることも伝わってきました。

トークを聞きながら、この取り組みは、「被爆体験の継承」というだけでなく、消失する過去を再現できるのか、という絵画の本質的な意味を考える試みになっていると感じました。
絵画に対立するメディアとして、しばしば写真が挙げられますが、写真は圧倒的な現実のごく一部のトリミングに過ぎないという点で、決して「現実をそのまま伝える」メディアではありません。それに、そのときその現場にいなければ記録できないという、大きな制約もあります。

一方で絵画は、後から生まれてきても、〈想像力〉によって、いつ、どこにでも飛んでいくことができます。
もちろんそれは写真のように(写真以上に)現実そのものではないけれども、「どうやらこういうものであるらしい」という仮定の現実を積み重ねながら、それぞれの「ヒロシマ」を立ち上げることはできるのです。
それが「記憶」するということで、本当は「記憶」とは、当事者より他者にとって大切な行為なのではないか。その行為を繰り返しながら別の他者に受け渡していくことが、「継承」というものなのではないか。
高校生たちの言葉を受け止めながら、そんなことを考えていました。

お世話になったピースあいちの皆さま、いつも本当にありがとうございます。
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2018/7/28

第56回原爆文学研究会  講演・発表

台風が迫る中、神戸センタープラザにて第56回原爆文学研究会へ。
午前中の世話人会では、原爆文学研究会史上初めて、台風により2日目の中止が決定されました。
ちなみに2日目の研究発表は、中尾麻伊香さんによる「被ばくと奇形――原爆映画におけるその表現と科学」。そして「原爆文学」再読として、吉本隆明の『「反核」異論』について坂口博さん、村上克尚さん、加島正浩さんが発表する予定になっていたので、残念でした。

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というわけで、1日のみの開催となってしまった原爆文学研究会。
最初の研究発表は新会員の池田清さんによる「広島市の戦災復興都市建設と「植民地都市計画」―近代(核)文明と日本国憲法―」。
池田さんは都市計画を専門とされており、広島市の戦災復興都市計画が、戦前の「植民地都市計画」を引き継ぎ、被爆者を置き去りにして道路・建物・公園を優先するものであったことを指摘しました。「人間復興」とはかけ離れた、近代的な科学技術による「平和と繁栄」を求める復興計画は、現在の福島原発事故にも連続していくというのです。

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続いて、ワークショップ「炭鉱と原爆の記憶 ―文化運動・被爆朝鮮人・遺構から考える―」。
司会は楠田剛士さん。報告は次の3名でした。

1950年代「原爆の図展」と炭鉱文化運動  岡村幸宣
炭鉱と原爆をつなぐ ―雑誌『辺境』を視座に  奥村華子
遺構を通して考える〈炭鉱〉と〈原爆〉  木村至聖

岡村の発表は、1950年代の「原爆の図展」が炭鉱文化活動と深くかかわっていたことを、当時の資料などを参考にしながら明らかにするものでした。とはいえ、当時の観客や関係者が、「炭鉱」と「原爆」の〈共通点〉にどれほど自覚的だったかは、資料からはあまり読み取れません。エネルギー問題や差別の構造などの問題が社会的に浮上してくるのは、もう少し後の時代だったのでしょう。その予兆を1950年代の文化運動からどのよう読み解いていくのかは、もう少し考え続けていきたいところです。

奥村さんの発表は、井上光晴編集の雑誌『辺境』に掲載された平岡敬や朴壽南らの文章をもとに、在日朝鮮人被爆者を通して「炭鉱」と「原爆」を併置するものでした。
これまでにも繰り返し取り上げられてきた、原爆文学研究会らしいテーマ設定と言えるでしょう。

一方、「軍艦島」などの遺構を研究している木村さんは、遺構を通して歴史を語り、記憶を継承することの可能性と困難を伝える発表でした。「原爆」と「炭鉱」を短絡的に結びつけることはできないが、一見異なる遺構から喚起される「想像力」を、さらに「想像力」で架橋していくことは可能なのではないか、という発言は興味深く聞きました。

その後の質疑応答もなかなか刺激的でしたが、結果的には「炭鉱」と「原爆」がいかにつながらないか、あるいはつながりを〈不可視化〉されているかが浮かび上がったという感じです。

閉会後は、三ノ宮の地下街の店で打ち上げ。皆さま本当にお疲れさまでした。
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2018/7/27

『週刊読書人』に『池田龍雄の発言』書評寄稿  執筆原稿

2018年7月27日付『週刊読書人』に、『池田龍雄の発言 絵画の後ろにあるもの』(論創社)の書評を寄せました。

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2002年から2017年までの画家の発言を集めたアンソロジー。
半世紀以上を経た後も、戦争の記憶は血肉に染みこみ、日常の細部に宿る。
池田の強靭な言葉は、過去と現在をつなぎ、未来を作りかえていくための礎になる。
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2018/7/21

丸木ひさ子絵本原画展作家トーク  イベント

丸木ひさ子さんの絵本原画展『てっちゃんのたんじょうび』の作家トーク。
ひさ子さんの故郷であり、丸木俊の故郷でもある北海道・秩父別を舞台にした心あたたまる物語について、1時間ほどお話をお聞きしました。

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『てっちゃんのたんじょうび』は春の田植えの季節。
そして続編の『てっちゃんのゆきすべり』は冬の豪雪の季節。
どちらも、自然とともに生きる人びとの暮らしを絵で伝える、民俗資料のような絵本です。
馬の蹄鉄屋さんや畳屋さん、映画館などが並ぶ町なみの描写にも目を惹きつけられます。
それは、作者の育った1960年代の秩父別であり、家族たちから話を聞いた少し昔の光景も取り入れているのだそうです。

観客からは、ぜひ他の季節の絵本も描いてほしい!というリクエストの声もあがっていました。
続編、実現するのでしょうか。
期待しながら、じっくり待ちたいと思います。
 
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2018/7/14

儀間比呂志展オープニングトーク  企画展

夏の企画展「追悼 儀間比呂志 沖縄を描き続けた版画家」が開幕。
オープニングトークでは、戦後の沖縄で「反復帰論」の旗手でもあったジャーナリストの新川明さんと、沖縄県立博物館・美術館主任学芸員の豊見山愛さんをお迎えして、貴重なお話をしていただきました。

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実は昨日から沖縄県立博物館・美術館でも「儀間比呂志の世界」展が開幕しており、新川さんも豊見山さんも、その開幕に立ち会われて、慌ただしく丸木美術館に駆けつけてくださったのです。

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儀間さんが沖縄で初個展を開催されたのは1956年のこと(5月12-14日、第一相互銀行3階ホール、沖縄タイムス後援)。そのとき新川さんは沖縄タイムスの記者として、展評を記しています。
新川さんによれば、戦争や占領の現実を直視しようとしない沖縄の文壇・画壇を、儀間さんの作品が揺さぶってくれるという期待があったそうです。

過酷な現実を体験した人たちが、それを「忘れたい」と思うのは、沖縄戦であれ、原爆であれ、当然でしょう。
非体験者がそれらの記憶を表現することは、ときに批判の対象になりますが、むしろ、「記憶」し「伝える」ことは、非体験者の役割なのではないか、と思うことがあります。

丸木夫妻も儀間さんも、「外から」沖縄戦を描いたからこそ、表現できたことがあったはずです。芸術表現が抉り出す「真実」が、体験に基づいた「現実」と、必ずしも一致するとは限らない。儀間作品を丸木美術館で展示しながら、そんなことを考えました。

8月4日(土)午後2時からは、今度は私が沖縄県立博物館・美術館へうかがって、ギャラリートーク「南洋から沖縄へ−儀間比呂志と丸木俊の交錯するまなざし」を行います。
沖縄で儀間比呂志の作品をまとめて観るのは、2009年の「美術家たちの『南洋群島』」展以来でしょうか。今から、とても楽しみです。
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2018/7/13

東京ステーションギャラリー「いわさきちひろ展」内覧会  館外展・関連企画

東京ステーションギャラリー「生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。」内覧会へ。

ちひろという、先入観を解きほぐして自由に語ることの難しい画家を、あえて読みなおし、「イメージの刷新」を試みるという展覧会です。
岡田三郎助、中谷泰、丸木夫妻ら師事した画家たちとの影響関係や、表現の技術的な画期性に焦点を当て、新たに掘り起こされた幻灯などの資料も充実していました。

展示構成は比較的オーソドクスでしたが、「絵画」として正攻法で見ることがかえって新鮮に感じられるのは、「原爆の図」も他人事ではありません。

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「イメージの刷新」という意味では、図録に収められた足立元さんの論考「前衛のちひろ 1947-1952」が良かったです。
前衛美術会への関わりという、これまで重視されていなかった視点から、温和なイメージの彼女が、過激な「前衛」の芸術活動にどれほど意識的だったのかを検証する内容。
革新のために自己さえも破壊するのが「前衛」の宿命ならば、「前衛」を通過して「童画家」の道を選びとった彼女の存在を、足立さんは「前衛芸術の側から、むしろ積極的に評価すべき」ではないかと挑発的に問いかけます。さらに、いわゆる「前衛の女性」からちひろを排除してきたことこそ前衛芸術史観の問題ではないか、と。
ごく少数の例外を除いて、生涯「前衛」であり続けた者はほとんどなく、「挫折」や「転向」にも意味を見出そうとする彼ならではの、興味深い問題提起でした。

今回の展覧会も含めて、近年のちひろ研究は、変革をおそれず、自立した「童画」の新しい表現手法の実験を試み続けた(最後の作品となった『戦火のなかの子どもたち』は、何度見ても凄みがあります)画家としての評価が基軸になっているので、その出発点として前衛美術会時代のちひろの思索に迫ることは、彼女の画業の根幹を考える上で重要な意味を持つでしょう。

「破壊の果てに自壊してしまう前衛芸術のひとつとして、童画家「いわさきちひろ」の誕生があった」とする足立さんの指摘からは、たしかに「新しいちひろ像」が浮かび上がります。
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2018/7/11

儀間比呂志展展示作業  企画展

7月14日からはじまる「追悼 儀間比呂志展」の展示作業がほぼ終わりました。

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立命館大学国際平和ミュージアムより借用した木版画45点の展覧会。「風間サチコ展」から木版画の展示が続きますが、首都圏で儀間作品をまとめて見ることのできる貴重な機会となります。

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14日午後2時15分からは、儀間さんと数多くの仕事をされてきたジャーナリストの新川明さんと、沖縄県立博物館・美術館の豊見山愛学芸員をお迎えして、オープニング・トークを開催します。
実は沖縄県立博物館・美術館でも一足早く13日から「儀間比呂志の世界」展がはじまるのですが、お二人ともお忙しい中、丸木美術館に駆けつけて下さるのです。

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戦後、「沖縄の外から」沖縄戦を表現し続けたという点で、儀間さんと丸木夫妻には通じるものがありますし、その他にもいろいろと共通点を考えながら展示作業を行いました。この夏、ぜひ多くの方に儀間比呂志の版画作品をご覧いただきたいと思っています。

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また、8月4日午後2時からは沖縄県立博物館・美術館の「儀間比呂志の世界」展で、岡村がギャラリートークを行います。丸木美術館における「儀間比呂志展」の報告をしつつ、沖縄の方々とともに儀間作品を観て、お話ができたらと楽しみにしています。
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