2018/12/25

【長岡出張初日】中越メモリアル回廊・旧山古志村  調査・旅行・出張

一昨日は福島ライフミュージアムネットワークのリサーチ。
2004年10月23日の新潟中越地震で大きな被害を受けた旧山古志村の「復興」を学びに、新潟県長岡市へ。

まずは、長岡駅近くの長岡震災アーカイブセンター「きおくみらい」で、福島の方々と合流。
この施設は、中越地震の記憶と復興を語り継ぐための4施設、3公園を結ぶ「中越メモリアル回廊」の起点になっています。
http://c-marugoto.jp/index.html

クリックすると元のサイズで表示します

これらの立ち上げにかかわり、現在は福島県立博物館学芸員の筑波さんに、震源や被害を受けた地域、復興住宅などの位置を教えていただきました。
床全体が鳥瞰写真になっているので、山や川の地形と道路の関係が把握できます。
大規模な土砂崩れによるライフラインの寸断や、河道閉塞といった中越地震の特徴を教えていただきました。

クリックすると元のサイズで表示します

旧山古志村といっても、種苧原(たなすはら)、虫亀、竹沢といった集落に分かれていて、地元住民は集落への帰属意識の方が強いとのこと。
全村避難をした後は、年配の方ほど「山古志へ帰りたい」ではなく、「自分の集落へ帰りたい」という思いがあったそうです。
そのつながりを分断しなかったことが、「復興」に向けた力になったようです。

被害の概要を聞いたあとは、長岡市の防災拠点や、市街へ移住した人たちの家や養鯉場が多い地域を見ながら、信濃川沿いの県道を車で走り、小千谷市との境界の道路崩落現場に向かいました。新しい道が整備された脇には、土砂崩れによって川に落ちこんだ道路やガードレールの残骸が、今も残されています。

クリックすると元のサイズで表示します

この土砂崩れによって走行中の車両4台が巻き込まれ、92時間後に発見された車中では、母親と4歳の女児が死亡、2歳の男児が救出されて大きなニュースとなりました。
その慰霊と災害の記憶を伝える場として整備されたのが、妙見メモリアルパーク。

クリックすると元のサイズで表示します

崩落現場の方向を示す「祈りの軸線」と、10月23日の日沈方向を示す「風景・記憶・再生の軸線」、同じく日昇方向を示す「未来と希望の軸線」が交わるモニュメントは、強烈なリアリティのある現場に寄り添うように配置されていて、過剰な存在感がないのがとても良かったです。

クリックすると元のサイズで表示します

車は旧山古志村へ入り、次に訪れたのはやまこし復興交流館おらたる。
「おらたる」とは、山古志の言葉で「私たちの場所」という意味。
言葉とモノで震災と復興の記憶を振り返る展示スペース、プロジェクションマッピングを有効に使った地形模型シアター、地場産商品などを販売しているコーナーや多目的スペース、さらに地域住民のための診療所やカフェも併設されています。

クリックすると元のサイズで表示します

記憶の伝承と地域の活性化というふたつの任務を担う施設で、筑波さんや職員の井上さんの話を聞きました。お話の中で、山古志の復興が、一貫して「住民がどうしたいか」という方向を向いて進んできたことが、よくわかりました。

クリックすると元のサイズで表示します

震災当初、県や被災市町村は国に特別立法を求めましたが、中越地震は特別な災害ではないというのが国の見解。金は用意するが復興は地元でやれ、と言われたことが、結果的には良かったそうです。
もちろん震災前に比べて人口は当然ながら減っていますが、それでも観光客が大幅に増加したり、山古志の人たちから「震災のおかげ」で良くなった、コミュニティが強くなった、という言葉を聞けることが、復興の成功を示しているようでした。

クリックすると元のサイズで表示します

山古志は闘牛と錦鯉、棚田で知られる地域。さらに車で棚田(養鯉のための棚池も多い)の見える風景の中を走っていきます。
豪雪地帯の山古志では、12月にこれだけ雪がないのは珍しいとのこと。震災のときにも、雪の降る季節まで2か月というタイムリミットの中で、さまざまな決断を迫られたのでした。そんな噂の豪雪を見られず、ちょっとほっとしたような、残念なような。
土砂崩落で寸断された道路の一部はそのまま残り、そのとき放置された軽トラックも遠くから見ることができました。

クリックすると元のサイズで表示します

やがて、震災のときに土砂崩落で河道閉塞が起き、集落ごと水没したという木籠(こごめ)メモリアルパークへ到着。

クリックすると元のサイズで表示します

ここには、水没した家が2軒残されています。被災した家の向こうには、高台に建設された公営住宅が見えます。山古志木籠ふるさと会の方たちが開設した「郷見庵」で、美味しいおでんもいただきました。

クリックすると元のサイズで表示します

妙見も木籠も、中山間地直下型地震の事例を伝える貴重な存在ですが、法的には「保存」が難しく、会議を重ねて「存置」という扱いにこぎつけたとのこと。「何もしない努力」と筑波さんは言われていたが、貴重な「モノ」をしっかりと残していることに感心しました。

クリックすると元のサイズで表示します

もっとも、朽ちていく建物をどうするのか、2年前に補修工事がされたようですが、それが良かったのかどうか(原爆ドームを思い起こします)、悩ましい問題もあるようでした。

クリックすると元のサイズで表示します

帰り道には、震災のあとに集落ごと移住した十二平(じゅんでら)地区に残る石碑や養鯉場の跡を見て、長岡へ戻りました。

クリックすると元のサイズで表示します
0



トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ