2018/11/22

【済州島出張3日目】済州4.3記念館シンポジウム  調査・旅行・出張

済州島3日目は、済州4.3記念館へ。

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済州4.3記念財団と済州大学平和研究所の主催で、1981年に沖縄創価学会が募集した体験者による沖縄戦の絵123点を展示する企画があり、開幕シンポジウム「沖縄戦の記憶と絵」に、O大学K先生とともに招待されたのでした。

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基調講演は、沖縄戦の絵の展覧会を企画した済州大学のC先生。済州における創価学会の研究もされていて、そのつながりを生かして、今回は原画の貸出を実現させています。

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その後、K先生が「市民が描いた原爆の絵」や、基町高校の生徒が体験者の証言を聞きながら描いた「原爆の絵」、山城知佳子の映像《あなたの声は私の喉を通った》を紹介し、私は《原爆の図》を中心に丸木夫妻の仕事を紹介。
事前に打ち合わせたわけではありませんが、K先生は「史実かフィクションか」の二分法を迫る議論がもたらす問題点を指摘し、私も丸木夫妻が「記録」からこぼれ落ちる立場の人たちの「記憶」を描いたとしつつ、「記憶」は曖昧で変化するため、絶対化は危険であり、「事実」と「記憶」をどう整理して読み解いていくかは受け取る側の課題だと話しました。

午後に行われた韓国側の発表は、どちらも4.3事件を主題にした美術について。一方は体験者が自身の記憶を描いた絵画、一方は芸術家による表現の紹介でした。
続いてディスカッションも行われましたが、われわれが提起した「記憶」をめぐる問題にはほとんど触れられず、被害者の「記憶」がいかに「真実」を伝えるか、という方向で話が進んだので、少し拍子抜けではありました。
後で打ち上げの席でK先生の知人に聞いたところ、韓国ではまだそこまで自由な議論はできない、とのこと。被害者の「記憶」も政府公認のものが真実として扱われる傾向にあるようです。政権が変わり、ようやくこうした企画ができるようになっただけでも前進なのだとのこと。

ちょうどテレビでは、4.3事件の犠牲者の遺骨がDNA鑑定によって遺族のもとに返された(シンポジウム会場の隣の建物でセレモニーが行われていた)とニュースが流れていましたが、こうした事業も前政権のときには予算化されず、まったく進まなかったそうです。
日本には日本の問題があるが、韓国には韓国の問題があると感じた一日。しかし、葛藤を抱えつつ、限られた条件のもとで自分のできることをやろうしている人たちがいることも知りました。

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「沖縄戦の絵」は、第1部「避難」(疎開、亀甲墓への避難、ガマへの避難、集団自決、爆撃、避難)、第2部「虐殺」(日本兵、米兵、戦後)という2部構成、9つのテーマに分かれて展示されていました。
1980年代という早い時期に集められたこともあって、特に第2部の絵は非常に詳しく生々しい。C先生が、今の創価学会は原画の貸出に積極的ではない、と言うのもわかる気がします。

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また、同時開催として「沖縄と済州交流美術展」も開催され、沖縄から石垣克子、比嘉豊光、与那覇大智ら、韓国側は前日に個展を観たばかりの高吉千の作品も展示されていて、こちらも興味深く見ることができました。
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