2018/10/10

TOKYO ART RESEARCH LABO「めぐりめぐる記憶のかたち」  講演・発表

夕方、人生で初めて秋葉原駅で下車して(とモデレーターの佐藤李青さんに話したら、ゲスト紹介のネタにされてしまった)、3331 Arts Chiyodaへ。廃校になった中学校の跡地を文化芸術施設として活用していることは、もちろん以前から聞き知っていたけれど、実際に訪れるのはこちらも初めて。

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TOKYO ART RESEARCH LABのディスカッション企画の第1回「めぐりめぐる記憶のかたち」。記録集『はな子のいる風景』(武蔵野市立吉祥寺美術館、2017年)を手がけたNPO法人remoメンバー/AHA!世話人の松本篤さんとご一緒しました。

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私の発表は、丸木夫妻の仕事を伝えるという、よくある「定型」の依頼ではなかったことと、若い世代を中心にした実験の場であるという場所性も考えて、あえて〈記憶〉をめぐる、ふだんは話さないような問題意識を挑発的に盛り込んでみました。それが個人的には、楽しかった(聞く側にとって、どうであったかはわかりませんが)。刺激的な機会を提供してくださった李青さんに感謝です。

松本篤さんの報告は、井の頭公園の象のはな子を結節点に、遠心的に広がる人びとの記憶を、「象を通して人を見る/人を通して象を見る」という往還するイメージでつなげていく作業について。それは、《原爆の図》の求心的なイメージの喚起力とは、ある意味では対照的であるようにも思えて、とても興味深く聞きました。ちなみに「イメージ」は日本語で「図像」。「今日は原爆の“図”と、“象”のはな子の話です」というのが李青さんの企画の動機?だったようです。

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変容しながら広がる「追体験」の記憶、という点では、1950年代に有効だった巡回展という「成功体験」をそのまま模倣するのでなく、2010年代の現在に必要とされる新しい手法を考えることが必要である、と自ら問題提起をしたのですが、ディスカッションのおかげで、近年、若い世代の人たちが丸木美術館でさまざまな表現や発表の活動をしていることも、そのひとつの答えなのではないかと気づくことができました。
丸木夫妻の死後、作品保存の問題を考えると、かつてのように《原爆の図》を巡回させることは簡単にはできません。しかし、今は夫妻が残した《原爆の図》のための美術館があり、「3.11」後には新しい世代の作家たちがこの美術館を発表の場として使いたいと考えるようになっています。
そうした企画が行われることによって、《原爆の図》を知らない世代の客層がこの美術館に足を運び、丸木夫妻の仕事を再発見して「追体験」の機会を得る。作家たちもまた、丸木夫妻の遺した仕事と対峙することで、有形無形に「記憶」を自身の内に立ち上げていく。
今春に個展を開催した風間サチコさんが、《原爆の図》を観て「自分が直感的に酷いと思ったそのままの姿を描きとめておくことも、ひとつの方法なのだと素直に思った」(『美術手帖』2018年8月号インタヴューより)と語るように、それぞれの仕事の中に《原爆の図》の精髄が注ぎ込まれていく。
もちろん、それだけが今の時代の《原爆の図》の役割ではないのだけど、近年活発になっている(そして現在も開催希望が入ってくる)企画展の意味を、あらためて考える機会になりました。丸木美術館を“通過した”皆さんには、これからもどんどん幅広く活躍していただきたいですね。

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追記。そんなことを考えていると、ちょうど翌日、久しぶりに、2013年に個展を開催した遠藤一郎くんが丸木美術館に立ち寄ってくれました。
「未来へ」号の前での立ち話は、遠藤くんの近況や開催中の「加茂昂展」から、一昨日のディスカッションのことに。「ここで展覧会をする作家は、みんなそのことをわかっている」と遠藤くん。
「この美術館の重要性や、企画展のことを、あちこちで伝えてきますよ」と言い残して、「未来へ」号は再び旅立って行ったのでした。
遠藤くん、どうもありがとう。
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