2018/10/6

峠三吉資料・丸木夫妻書簡調査  調査・旅行・出張

昨日の夜に広島へ移動し、午前中は広島市中央図書館で、峠三吉資料に入っている丸木夫妻の書簡調査。
峠資料については、広島市現代美術館のS学芸員が、峠や四國五郎との交流の一端を示す書簡を「丸木位里・俊ー《原爆の図》をよむ」展でいくつか紹介してくださっていますが、実際には1950年秋から1953年3月の峠の死後の和子夫人宛なども含めると16通の書簡が現存しています。

その中で最初に書かれたと思われる書簡(資料番号832)は、峠資料のリストには1951年とありますが、内容から1950年(消印は9月11日)で間違いないでしょう。
お手紙ありがとうございました。原爆の詩当地でずっとよましてもらってございます。廣島に峠さんのような人のあることをうれしく力強く思って居ります」という書き出しからはじまる書簡は位里の文字。
15日には広島に入ること、一度三滝の家を訪ねてほしいことなどが記され、「廣島でこの展らん会がうまく出来ればとも思って作品だけは持って行くつもりです」「今はこのことについては何もぐたいてきにははこんで居りません」と記されているので、全国巡回どころか、広島で本当に展覧会が開催できるのか、不安を抱えていたことがわかります。もちろん展覧会は、峠ら「われらの詩の会」の協力により、1950年10月5-9日の会期で実現するのですが。

その後も書簡のやりとりは続き、翌1951年に峠がガリ版『原爆詩集』を自費出版すると、丸木夫妻に巡回展で売ってほしいと依頼したようで、丸木夫妻は単価が高いので売れないだろう、近頃は巡回展も圧力が強まってやりにくくなっている、と返信しています。このあたりの書簡は、今回の広島現美展で紹介されています。

1952年4月に連合国軍の占領が終わり、原爆報道が解禁されると、青木書店からいち早く文庫版画集『原爆の図』が発行されますが、その際、丸木夫妻が峠の詩を青木書店社長の青木春雄に紹介し、『原爆詩集』出版(青木文庫版は1952年6月発行)の橋渡しをしていたことが、資料番号267の青木から峠宛の書簡(1952年3月7日消印)であらためて確認できました。

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写真は、「われらの詩の会」に宛てた、丸木夫妻からの画集『原爆の図』刊行のお知らせ。当時、全国でお世話になった巡回展関係者に送られたのでしょう。
峠から丸木夫妻に宛てた書簡の方は行方がわからないのが残念ですが、峠資料の丸木夫妻書簡については、そのうちにきちんと整理してまとめておきたいと考えています。
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