2015/11/16

【米国出張H】クーパー・ユニオン大学  調査・旅行・出張

午前中、少し時間が空いたので、イースト・ヴィレッジにある、1859年開校という長い歴史を持つクーパー・ユニオン大学を訪れました。

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設立者のピーター・クーパーによる、大学教育は「人種、宗教、性別、貧富または社会的地位とは関係なく、資格のあるものたちが受けることができ、すべてに無料で開かれているべきである」という信念に基づいて、つい最近まで入学を許可された生徒すべてが授業料を全額免除されていた建築・芸術・工学を専門とする私立大学です。

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ニューヨークの歴史的建造物にも指定されている校舎は、建設時からランドマークとして親しまれ、絵葉書や本でたびたび取り上げられていたようです。

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すべての差別を否定し、講義は無宗教で、女性も男性と同様に扱われ、大学が優秀と認めれば高校の成績は無関係に学ぶことができました。女性の美術学校もいち早く作られました。地下のグレート・ホールでは急進的な思想も排除されることなく講演会を行うことができたそうです。

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若き日のトーマス・エジソンもここで学び、1860年2月27日には、リンカーンがホールで奴隷制に関する重要な演説を行っています。

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なぜこの大学を訪れたのかというと、ここの卒業生に、丸木位里が一時期通っていた大阪精華美術学校の校長・松村景春がいたからです。松村については、以前にお孫さんに詳しい話を教えて頂いたことがあるので、学芸員日誌ブログをぜひとも読んで頂きたいところです。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/2005.html

松村が卒業したのは1905年。今はすぐ隣に立派な新校舎が建ち、大学機能の多くはそちらに写っているようです。

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その後、マンハッタンの5番街で日本図案製作所を開設し成功した彼は、1911年に帰国して、国外輸出を目的とした図案学校を大阪・天王寺に設立。今でいえば、流行最先端のデザイン専門学校というところでしょうか。
学びたい者は誰でも自由に学ぶことができるという理念は、明らかにクーパー・ユニオンの理念を受け継ぐものでしょう(クーパー・ユニオンもまた、パリのエコール・ポリテクニークの影響を受けていました)。
その門をくぐった若者のひとりが丸木位里であり、位里の20年後には武良茂という鳥取出身の若者もやってきました。後の漫画家・水木しげるです。

二人とも学校教育に馴染めず、無試験で絵の勉強ができるという理念に吸い寄せられたと思われます。
もっとも、画家になりたい二人の思いと、図案(デザイン)を教える学校の教育方針にはズレがあり、二人とも程なく辞めてしまい、後の画業に大きな影響を与えたとは言い難いでしょう。

それでも、その二人がともに、当時の公教育からは生まれることがなかったであろう地を這うような視点から戦争の不条理を見つめ、今に残る作品に昇華させていることには、不思議な感動を覚えます。
お孫さんの話では、松村自身は丸木位里も水木しげるもおそらく知らないまま、戦局悪化のため閉校し、空襲で校舎も焼かれ、郷里に隠遁したまま1963年に亡くなってしまいました。

しかし、歴史の糸は細くとも、確実に受け継がれていくものはあります。
エジソンやリンカーンと丸木位里や水木しげるが、時代や海を越えて、こんなふうにつながっていることは、決して偶然ではないのだろうと思うのです。
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