2015/2/11

「赤松俊子と南洋群島」土方久功日記より  作品・資料

2月11日は丸木俊の誕生日。
パラオ生物学研究で知られ、アンガウル戦の生還者でもあった倉田洋二さんの知人のMさんが「赤松俊子と南洋群島」展を見に来て下さいました。
「すごい展覧会ですよね!」と興奮気味のMさん、この展覧会のために2度目の来館とのこと。
現在、パラオのコロール島にいる倉田さんに俊のスケッチを見て頂いて、そこから何が読みとれるのか、報告して下さるそうです。

   *   *   *

先日、世田谷美術館のN学芸員から、『土方久功日記X』(国立民族学博物館調査報告124、土方久功著、須藤健一・清水久夫編、国立民族学博物館発行、2014年)をご恵贈頂きました。

俊もパラオで世話になった彫刻家・民族学者の土方久功の膨大な日記を、全5巻に書き起こしたという労作。1941年の日記には、しばしば俊の記述が登場します。
とりわけ、3月に開催した昌南倶楽部での俊の個展の前後から、カヤンガル島をいっしょに訪れるあたりは、頻繁に俊の名前が記されています。

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写真は、俊がパラオで描いた土方の肖像スケッチ。今展出品作でもあります。
こうして展覧会を通じて新しい情報が集まってくるのも、大切な成果と言えるでしょう。
以下に、土方日記から、俊の関連個所を註とともに抜書します。

【1月】
27日(土) 
昨日ノ笠置丸デ来タ、赤松俊子ト云フ女流画家ガ役所ニ訪ネテ来ル。


28日(日) 
バイニ昨日ノ赤松氏ト守屋氏トガ居ル。大キナ守屋氏ガ小サナ絵具箱トスケッチ板トヲ持ッテ――赤松氏ハ半ズボン ニ ネクタイ ナシノ セビロ形ノ上着ヲ着テ――守屋君ガ ア・バイノ説明ヲシテ クレト云フノデ、マリヤ達ヲ待タセテオイテ、一通リ説明スル。


29日(月) 
夜、興発倶楽部ニ泉井氏ヲタヅネル。一時間程モシテ赤松氏モ帰ッテ来タノデ、十一時頃頃モ話シテ居ル。其ノ頃ニナッテ雨ヤム。


※泉井氏=言語学者の泉井久之助。当時、京都大学助教授で南洋群島の言語を調査していた。

【2月】
6日(火) 
朝役所カラ、泉井氏ノ所ヲ尋ネタガ、留守デ、赤松氏ガ居タノデ、二時間程話シテ来ル。

14日(水)
夜、赤松君ノ所ニ油ヲ分ケテ貰フツモリダッタノデ、興発倶楽部ニ行キ、泉井君、赤松君ノ所ニヒッカカッテシマッテ、十時半頃マデ遊ンデ来ル。

17日(土) 
夕食後、堂本部長ヲ訪問、二時間程モシテ帰ラウトシテ居タラ、赤松君ガ、コレモヒョッコリ訪ネテ来タノデ、又一時間程話シコンデシマヒ、八時半頃一緒ニ辞ス。赤松君ハ検事ノ所ヲ訪ネルトテ行ク。

【3月】
5日(火) 
役所ニ帰ッテ来ルト、赤松サンガ部長ニ面会ニ来テ居タ。部長ガ会議ガアッタノデ、話ヲキイテクレト云フ。ソレデ南貿ニ行ッテオ茶ヲノミ乍ラ、話シ、十一時過ギ図書室ニ野口君ニ話シニ行ク。是レハ赤松君ノ展覧会ノコトト、ソレカラ丁度丸山晩霞老ガ来テ居ルノデ、一日文化協会ニ美術講演会ヲヤラセヨウト云フノデアル。
(中略)
一時、赤松君ト部長ヲ訪ネテ話スト、直チニ林サンヲ呼ンデ話シテクレル。ソレカラ赤松君、私ノ処デ永イコト話シテ居タガ、真珠養殖場ノ佐伯氏ノ処ニ遊ビニ行カウト云ヒ出ス。ソレハ シャリヤッピン ノ レコード ヲキカウト云フノデアル。三時前、一寸興発倶楽部ニ寄リ、自動車ヲタノンデ「アラカベサン」ニ行ク。佐伯サンノ処デ蓄音機ヲキキ、コーヒーヲ飲ミ、ソシテ永イコト永イコト、古イ パラオ ノコトナドヲ話シ、ソレカラ晩餐マデ馳走ニナッテ、七時半、自動車デ送ラレテ帰ッテ来ル。

※南貿=南洋貿易株式会社
※野口君=野口正章。南洋群島文化協会嘱託で、『南洋群島』の発行人兼編集人。
※丸山晩霞=水彩画家。1867年生。太平洋画会創立に参加、南洋興発株式会社の依頼を受け、南洋の風物を主題とする献上画の下絵写生のため、来島していた。
※佐伯氏=アラカベサンに鰹鮪漁業および鰹節の製造販売を行う、本社・工場をもつ紀美水産合資会社を兄と経営し、真珠貝の採取や養殖、船舶所有・貸借その他水産業を行うパラオ水産株式会社の取締役だった。芸術を愛好し、彼の家はサロンのようになっていた。

10日(日) 
帰リ赤松氏ノ所ニ一寸。赤松君ハUheliyangヲ画キニ行クト云フデ昼頃行ク約束シテ別レ、ゴロゴロシテ居ルト、HobhouトSailongトガHohopヲツレテ来ル。

12日(火) 
赤松君ノ展覧会ヲ開イテヤルコトニ就キ、十時、文化協会ノ野口君、新聞社ノ森田君、養殖場ノ佐伯君ト、当ノ赤松君ト倶楽部ニ集ッテ相談、南貿ニモッテ行カウト思ッテ皆デ南貿ニ行ッタガ、面白クナイノデ、結局倶楽部ノ二室ヲ使ッテヤロウト云フコトニナル。

(中略)
ソレカラ興発倶楽部ニ赤松君ヲ訪ネ、案内状に入レル作者ノ言葉ヲカカセ、デッサンヲ一枚トッテ来ル。ソレカラ、役所ニカヘッテ、推薦ノ言葉、紹介ノ言葉ヲマトメ、アレヤコレヤシテ、新聞社ニ、ソレラヲ届ケテ来ル。
赤松君ハ全部絵ヲモッテ額縁屋ニ行ッテ居タノデ、夕方行ッテミル。ココデモ一時間バカリ、帰リニ一所ニ食事シテ別レル。


※文化協会=南洋群島文化協会。南洋庁長官を会長とし、月刊『南洋群島』の発行、書籍出版、展覧会や講演会開催など文化活動をする南洋庁の外郭団体。

14日(木)
午後二時頃カラ、赤松君ノ展覧会ノ飾リツケ。額縁ガ乾カナイヤラ何ヤデ遅クナッテ、夜九時ニヤット終ル。終ッテカラ、野口君、松沢君、赤松君ト額縁屋ノ川村君ト皆デ宝来軒ニ食事ニ行ク。

17日(日)
昼、倶楽部ヘ、二時頃帰ッテ寝、五時再ビ倶楽部ヘ、六時、紀美水産ノ中村陸男サンカラ迎ヘノ車ガ来タノデ、赤松サント二人デ行ク。佐伯サンノ晴サンモ先キニ来テ居ル、話、蓄音器、トマトチーズ ノ スープ ト ngduul ノ コキール ト ダック ノ丸アブリト、ポテト ト ニンジン、ソレカラ キウリ ト アスパラガス ト卵ノ皿、ビール ノ夕食、パインアップル ト パイ ト コーヒー ノ デザート、ソレカラ又、話ト歌ト蓄音器ト、笑ヒト親シサト。ソレカラスバラシイ貝ノ コレクション ト バリー ノ珍ラシイ彫刻物ト。デ十二時前ニナッテシマフ。
迎ヘノ車デ三人、ミユンスデ清サンガオリ、興発クラブデ赤松サンガオリ、ソシテ十二時少シマハッテ、オ手製ノオミヤゲノ パン ヲ持ッテ帰ッテクル。パラオ デハナカッタ様ナ一夜。

18日(月)
赤松サンノ展覧会カタヅケ。

19日(火)
十時出航ノちちぶ丸デ和田[清治]君、赤松君トNgheangngalニ行クコトナッテ居タノデ、八時半ニ倶楽部ニ赤松君ヲ訪ネ、九時自動車ヲ頼ンデ一緒ニ熱帯生物研究所ニ和田君ヲ誘フ。九時半、コロール波止場ニ行ッタガ、ちちぶガ来テ居ナイ。又機械ガ悪イソウデ、マラカル デナホシテ居ル由、十時ニナッテモ来ナイ、十一時ニナッテモ来ナイ、三人デ波止場ノ先キニ行ッテ居タガ、十一時半ニハオ腹ガスイテシマッテ、オ弁当ヲ、乾パン ト チーズ トヲ出シテ食ベテシマッテ、十二時過ギテモ来ナイノデ、アキラメテ帰ル相談ヲシテ居ルト、船ノ人ガ来テ、何デモ会社デハ出シ度イノデ、二時半迄ニ来ルヨウニ云ッテヤッタカラ待ッテクレト云フ。ソウシテ随分タッタト思フタ頃、二時ニNgurukノ島カゲニちちぶガ姿ヲ現ハシタ。二時半ニ波止場ニツイタノデ早速乗リコンダガ、船長ト機関長トノ間ニ又々話ガヒッカカッテシマッテ、結局二人ハ荷物オートバイデ会社ニ行ッテシマフ。ソシテ三時半ニナッテ、今日ハ出ナイデ明日ノ十時ニ出ルト云フコトニ決ル。Kisaulモ来テ居タノデ、皆デオートバイデTehekiニ行キ、少シ早カッタケレド食事ヲスマセ、別屋ヲアケテ貰ッテ三人トモ寝テシマフ。目ヲサマスト日ガ暮レテ居タ。赤松君ハ島民ヲツカマヘテ踊ヲヤリ出シタノデ、和田君ト二人デ アラバケツ ノ和田君ノ家ニ帰ル。八時半。コーヒー ヲ入レテ十時頃マデ喋ッテ寝ル。


※Ngheangngal=カヤンガル。パラオ本島の北32kmの海上にある島。1935年時の人口93人。
※熱帯植物研究所=パラオ熱帯植物研究所。1934年、東北大学の生物学教授・畑井新喜司の奔走で生まれた文部省管轄の研究機関。

20日(水)
九時半ニ波止場ニ来ルト、十分程シテ赤松君モ来ル。十時半出航。風ナクベタナギニ近イ静カナ海、三時半オコトル着、四時村役場ニ行ク。パン ト キュカンバー・サンドヰッチ ト クカウ ト オムスビデ、早ク夕食。


※オコトル=パラオ本島北端のアルコロン村の西海岸にある波止場。

23日(土)
朝三人デ海岸ヲ一週スル。

24日(日)
午前、MakarトNgardohoニ行ッテ、南ノDelonghoklヲ全部キイテ来ル。午後、昼寝シテ後、Brottohニ行ク。夜九時頃カラ南ノ浜ヘ。沢山ノ女達。赤松君ハ汀デ終始踊ヲ習ッテ居ル。十二時前ニ帰ッテ来ルト、三四人ノ女達ガ又家マデツイテ来ル。又休ミ場ニ腰ヲオロシテ一時過ギマデ話シテ居ル。ソンナニ惜シイ月。

31日(日)
朝六時、Ngkeangngal発、十時okotol、午後四時頃、コロール着。
夜、赤松君、和田君ト南洋ホテル ヘ晩餐。

【4月】
2日(火)
夜、赤松氏ト一緒ニ内務部長ヲ訪ネル。暫クシテ一緒ニ活動写真ヲ見ニ行カウト云ハレ、夫人ト皆デ若葉館ニ行ク。

8日(月)
カヤンガル カラ レモン ガ、私ト赤松サント和田サント三人ニ届ク。手紙ガアッタソウダノニ、ワカラナイノデ誰ガヨコシタノカワカラナイ。ドウモ連中ニハチガヒナイノダガ。晩、和田サンガ来ル。赤松サンモ呼バウトシタガ、ドウシテモ電話ガカカラナイノデ二人デ散歩ニ出ル。

12日(金)
夜十時頃ニナッテ赤松君ガKisaul、Bauldong、Maria三人ヲ引張ッテ来テ、熱帯生物ニ和田サンガ待ッテ居ルカラ行カウト誘ヒニ来ル。行ッテ、十一時半迄遊ンデ来ル。

14日(日)
朝七時半、興発倶楽部ニ赤松サンヲ誘ヒニユク。
倶楽部ノ手前デ松沢君ニ逢ヒ一緒ニ。八時、赤松サント二人デ アラカベサン ニ向ッテポツポツ歩イテ行クト、連絡道路ニカカル所デ、後カラバスガ来タノデ乗ル。
パラオ水産ノ所デ降リ、佐伯君ノ所ヲ訪ネル。佐伯サンハ待ッテ居タガ、遅イノデ来ナイト思ッテ食事ヲシテシマッタカラ、少シ待ッテクレトテ、三十分程シテ、又皆デ朝食ヲヤリナホス。
ホットケーキ ノオ招キナノダ。タラフク食ベル。

16日(火)
夜、六時パレスデ赤松サンノ送別会、文ノ家、沖縄踊、佐伯、野口、森田、松沢。


この後、俊はヤップ島を経由して日本に帰ります。

   *   *   *

また、「解説」によれば、土方は1967年5月6日の丸木美術館開館記念式に出席し、当時の日記に次のように記しているそうです。

マルキ俊子君(赤松俊子君)トノ出合イワ、モオ古イコトニナル。昭和14年、私ガ サトワル島カラ パラオニ出テ来タ年ダッタト思ウ。サッソウト、ハツラツト、ショート・パンツニ リュックヲショッテ、若キ俊子君ガコロールニ乗リコンデ来タノワ。
ソシテ、ドコデモイイ、日本人ノ居ナイ島マデ連レテ行ッテクレト言ウノデ、熱帯生物研究所ノ研究員ダッタ若キ和田清司君ヲ誘ッテ皆デ、カヤンガル島ニ行ッタノダッタ。俊子君ノ喜びビヨオッタラナク、早速島民ノ娘タチト仲ヨクナッテ、歌ト踊(マトマトン)ヲナラッテ、オボエテ帰ッタノダッタ。


「赤松俊子と南洋群島」展は4月11日まで。
これだけ多くの南洋のスケッチを展示する機会は、もう二度とないのではないかと思いますので、ぜひ、この機会に俊が見つめた「南洋群島」を、ご覧になってください。
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