2015/1/31

【東北出張2日目】宮城県美術館「針生一郎と戦後美術」展  館外展・関連企画

針生一郎前館長のご家族や縁の深かった美術関係者の方々とともに、午前9時から宮城県美術館「わが愛憎の画家たち 針生一郎と戦後美術」のオープニング・セレモニーに参加しました。

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仙台の街は昨夜の大雪が残り、宮城県美術館の周辺も真っ白です。

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佐藤忠良の屋外彫刻も、雪をかぶってちょっと重そうでした。

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オープニング・セレモニーでは、主催者挨拶に続いて、針生さんの娘のCさん、息子のTさんがお話をされました。
時おり笑いの混じる、とても楽しく心に沁みる挨拶でした。
続いてテープカットが行われ、その後はじっくりと展覧会を拝見しました。

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展示は、針生さんの寝室本棚に並んでいた保田與重郎の著書や、『ひむがし』に投稿した短歌、東北大卒論の島崎藤村論の草稿といった戦時中の資料からはじまります。
そして戦後美術との出会いを出発点に、「夜の会」への参加、ルポルタージュ絵画、アンフォルメル、アンデパンダン展、反戦・反核・平和運動、新しい日本画の研究、国際展における「国際的同時代性」の提唱、反博、環境問題、第三世界との連帯と抵抗……と続き、大浦信行監督の映画『日本心中』にいたるまで、美術評論家・針生一郎の人生の歩みと、彼が見つめ続けてきた日本の戦後美術の奔流の、深く複雑な交錯を追体験するような展覧会でした。

原爆の図第一部《幽霊》も、鶴岡政男《人間気化》などの作品とともに「反戦・反核・平和運動と美術」の章に、屏風状ではなく壁面に平らな状態で展示されていていました。

作品・資料を合わせて300点を超える膨大な展示に加えて、それぞれの美術家と針生さんとの関わりについての解説や文献引用のキャプションも充実していて、針生さんの生前から構想を練っていたという学芸員・関係者の方々の労が伺えました。

この壮大な枠組みの展覧会がよく実現したという感銘を受けた一方で、ヨーゼフ・ボイスやラインハルト・サビエを例外として出品作家を日本の作家に絞ったことや、「美術評論の“御三家”と呼ばれてアート・シーンに存在感を示した」50〜70年代の活動をメインに設定したことの意味については、いろいろと考えさせられました。

晩年に針生さんが関わり続けた、JAALA(日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ美術家会議)の活動や大浦信行《遠近を抱えて》をめぐる裁判、2000年の光州ビエンナーレ特別展示「芸術と人権」ディレクターなどの(丸木美術館学芸員として、比較的馴染みの深い)仕事は、チラシやパンフレットなどの資料で簡単に紹介されていますが、展示作品はほぼありません。

批評の立脚点であった「前衛」という理念がなし崩し的に崩壊し、美術評論の社会的な影響力も変化していくなかで、おそらく晩年の針生さんは、深い苦悩を背負い続けていたのではないでしょうか。

最近の「イスラム国」をめぐる緊迫したニュースを見るにつけ、欧米中心の「国際社会」から取り残されたアジアや南米、中東の抵抗の連帯を提唱し続けていた針生さんを思い出します。
傍目からは無謀な戦いのように見えなくもなかった仕事、けれども死の直前までたんたんと前に向かって歩き続けていた、あの後ろ姿の意味を位置づけることは、簡単ではなさそうです。
残された私たちが、自身の心の内で問いなおし続けるべきことなのかもしれませんが。

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写真は、2009年12月に針生さんのご自宅を訪れたときに書斎で撮影したもの。
この半年後、針生さんは玄関で一人静かに亡くなられました。
上着を着て、靴を履いたまま、うずくまるように座っていたそうです。

図録には、三上満良宮城県美術館副館長の「針生一郎―美術運動家としての足跡」、韓国美術文化研究者の古川美佳さんの「アジアのリアリズムを求めつづけて―光州ビエンナーレ2000「芸術と人権」展を中心に」というふたつの論考が掲載されています。

針生さん自身の筆による文献も、「「共通の言語」を」(1953年)、「芸術の変貌とその意味」(1967年)、「人間と自然―第10回現代日本美術展のテーマについて」(1971年)、「アスコーナ・コロニー再評価 対抗文化をめざす人々の一大滞在地―展開できなかった思想の源泉を見る」(1988年)、「〈芸術と人権〉展 企画と実情、反論1つ」(2001年)という5つの論考が採録されています。

また、自筆年譜をもとにした年譜・執筆歴「針生一郎の足跡 1925-2010(2015)」は、55ページに及ぶたいへん充実した力作です。
年譜の最終項、2011年12月には、針生さんが丸木美術館に最後に提案していた置き土産、「Chim↑Pom展」の実現も記録されていました。

会期は3月22日(日)まで。
宮城県美術館のみで巡回の予定はありませんが、見ておくべき重要な展覧会だと思います。

針生さんの目ざしたものを「イデオロギーでなく、民衆の血から湧き上がる個を礎とした「公」の概念を芸術表現によってイメージさせ、浸透させていくこと」と記された図録の古川さんの文章が、展覧会の後味とともに、ずっと心に残っています。
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