2015/1/23

【関西出張初日】大阪人権博物館《原爆の図 高張提灯》調査  調査・旅行・出張

今日から《原爆の図》調査のため、関西に出張に来ています。
まずは大阪市浪速区にある大阪人権博物館(リバティおおさか)へ。

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担当のY学芸員にご挨拶して、収蔵庫で丸木夫妻の共同制作《原爆の図 高張提灯》を見せて頂きました。

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12月に調査した《長崎原爆之図》もそうでしたが、《原爆の図》15部連作に入っていない《原爆の図》は、全国あちこちに存在します。しかし、そのほとんどが通常公開されていないため、なかなか見ることができません。

《高張提灯》は、高さは15部連作ひとまわり大きく感じる189cm、四曲一隻なので幅は約半分なのですが、やはりひとまわり大きめの384cmの屏風画。

原爆投下後の広島の被差別部落の状況を描いた作品で、1986年夏に大阪・部落解放同盟の主催による「いのち、愛、人権展」(池袋西武、その後各地を巡回)のために特別出品されたものです。
1970年代から80年代にかけての市民運動の高まりのなかで誕生した作品と言えるでしょう。

画面右下には、次のような言葉が記されています。

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ふだん公開していないせいもあって、画面は非常に状態が良いです。
もっとも、炎の描き方、墨の流し方は後期の共同制作の特徴が出ていて、《水俣の図》や《沖縄戦の図》のように墨だまりにヒビ割れが起きていました。

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他の《原爆の図》と同様、画面全体はほぼ人間の裸体で埋め尽くされていますが、画面左下には「暁部隊」(原爆投下後市内の救護活動に当たった陸軍船舶司令部)と大書された高張提灯が描かれています。

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また、地面に横たわる幟には「福島町」という被差別部落の名称も見ることができます。

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人物像は、俊の特徴的な線による描写がほとんどですが、中には位里が手がけたのではないかと思われる渇筆やぼかしを用いた描写もあります。

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被爆後の被差別部落の実態がどういうものであったかは、もう少し詳しく調べてみたいところですが、丸木夫妻がこの作品で、戦争をはじめとする暴力の根底にある「差別」の問題に光を当てているのは伝わってきます。
とりわけ位里は、戦前から広島の被差別部落の問題について、関心を寄せていたようなので、いつかは手がけたいテーマだったのでしょう。

   *   *   *

大阪人権博物館は、2013年3月をもって大阪市からの補助金が打ち切られ、非常に厳しい運営を強いられている施設です。
その上、昨年末には大阪市より土地代の賃借料の請求があり、財政的に見通しがないと大阪市が判断したときには立ち退き請求を行うという重大な事態を迎えているそうです。

しかし、今回見学して感じたのは、1985年の開館以来30年にわたり、人権問題に特化して地道な収集・展示活動を続けてきた博物館の重みでした。
被差別部落、障害者、女性、ハンセン病回復者、薬害エイズ、ホームレス、在日コリアン、沖縄、アイヌ民族、性的少数者、いじめなど、その豊かな蓄積が伝わってくる展示の価値は、計り知れません。

博物館のある浪速地域は、近世には渡辺村といわれ、皮革・太鼓づくりで全国的に知られていた場所だそうです。
立地的にも、文化的にも、他に類のない貴重な施設というわけです。

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丸木俊が手がけた人権教育の副読本の挿絵原画も、まとまって収蔵されています。

博物館だけではなく、その周辺地域にも、皮革産業や太鼓文化の歴史を知るためのポイントが点在していました。

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緑道には、日本、沖縄、朝鮮の太鼓文化を伝えるブロンズ像が並んでいました。
特に周辺マップを持っていたわけではなかったのですが、歩いているうちに、太鼓屋又兵衛の屋敷跡、西濱水平社発祥の地の碑にも遭遇しました。

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「太鼓屋又兵衛」は、江戸時代を通じて太鼓の全国ブランドとして知られていました。
1616年に大阪城の「時太鼓」を作った渡辺村の平八が、その功労によって「太鼓屋」という屋号を使うことを許されたそうです。
以後、代々「太鼓屋又兵衛」の名を受け継ぎ、皮革問屋として地位を築きました。
屋敷の跡地は浪速玉姫公園として整備され、太鼓と打ちてをモチーフにしたモニュメントなどが設置されています。

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浪速東第3公園の西濱水平社発祥の地の碑には、次のような説明が記されていました。

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人の世に熱あれ
      人間に光あれ
  自由解放の「よき日」をめざし――
 1922年3月3日 京都において全国水平社が創立され 同年8月5日、この地に、西浜水平社が創立された。そして、多くの先輩たちは、自らの団結の力をもって差別・迫害にたちむかい、自主解放の「よき日」をめざしてたちあがった。
 この60年間の戦いのなかで、内閣同和対策審議会答申をかちとり、不充分であるが法的措置を制定させ、部落の環境改善をはじめ、生活の一定の向上、差別を許さない体制づくりが前進した。
 われわれは、その歴史と伝統、教訓を正しく継承し、部落解放運動を平和と人権、福祉を守りぬく砦としてさらに発展させなくてはならない。その使命と責任は重大である。
 すべての兄弟姉妹よ、開放理論と荊冠旗の下に団結しよう。
 そして「よき日」のために前進しよう。
 全国水平社ならびに西浜水平社創立60周年の記念事業として, 浪速の兄弟姉妹の浄財によりこの記念碑を建立する。
    1983年8月5日
            部落解放同盟大阪府連合会
                  浪速支部


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夜は神戸に出て、7年前に初めての講演でお世話になった(そして、昨年の韓国ノグンリでの国際平和博物館会議などでもお会いした)神戸YWCAの方々と再会して、美味しい和食の店で楽しい時間を過ごしました。
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