2014/12/13

中島晴矢個展アーティスト・トーク×福住廉  イベント

「今日の反核反戦展2014」最終日。
中島晴矢個展「上下・左右・いまここ」も最終日で、午後3時から、ゲストキュレーターである美術評論家・福住廉さんと中島さんのアーティスト・トークが開催されました。

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冒頭からいきなり、「アンデパンダン」という形式について、たんなる“自由出品”というだけでなく、歴史的に“対立”を演出するものであったという分析からはじまり、「対立がどこにあるのかを問い返したい」と鋭く語る福住さん。

そもそも今回の「反核反戦展」で福住さんにゲストキュレーターをお願いしたのは、2010年の「今日の反核反戦展」のレビューを彼が次のように書いていたことがきっかけでした。

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残念ながらいずれもひとつの作品として突出することがなく、全体的に横並びの印象が強い。それが作品の質に由来するのか、それとも「反戦反核」という文脈の質に起因するのか、わからない。けれども、ひとまず誰もが出品できるアンデパンダン形式を再考するべきではないだろうか。たとえば毎年、特定のキュレイターに特定のアーティストを選ばせるなど、個展やグループ展の形式によっても、「反戦反核」というメッセージに接続することは十分可能である。「反戦反核」という言葉の硬さをもみほぐすことができる若いアーティストはたくさんいるだけに、もったいなくてしょうがない。

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彼ならどんな作家を選ぶのだろう……という期待からゲストキュレーターをお願いしたのですが、福住さんは、これまでの「反核反戦展」の意味をずらし、《原爆の図》に拮抗していく可能性のある作家として中島晴矢さんを選んだ、と語りました。

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中島さんは、二人の背後に展示された新作《上下・左右・いまここ》を、《原爆の図》へのアンサーソングとして制作した、と応えました。

夏に丸木美術館を訪ねて、《原爆の図》に感動したという中島さんは、共同制作者とともに図録を見ながら下地の抽象的なペインティングに《原爆の図》のマチエールを再現したそうです。

和紙の質感や髑髏のイメージを描き上げたものの、その表現は「自分たちのリアリティではない」と考え、上から「薄っぺらい」「アメリカ発祥の」グラフィティを重ね、「ふたつのレイヤー」によって、「反核反戦」と叫ぶでもなく、もちろん「レイシスト」でもなく、上流でも下流でもなく、どこにも行けずにさまよう自分たちを表したとのことでした。

トークのあいだ、繰り返し中島さんが「ベタ」と「アイロニー」という言葉を繰り返し語っていたのは印象に残りました。
同じ「反戦反核」をテーマにしても、上の世代は「ベタ」、Chim↑Pomのような若い世代は「アイロニー」で表現する傾向にあるようです。けれども、Chim↑Pomの次世代(!)に位置する中島さんは、今のような時代には、むしろ「ベタ」が有効なのかもしれない、と揺れ動きます。
今回の展示は、その「ベタ」と「アイロニー」のあいだで揺れている自分の落とし前を《原爆の図》に向けて発信したというのです。

中島さんと福住さんの根底には、この国が「前近代」のまま進んできているのではないか、という問題意識が共有されているようでした。
関東大震災後に「新感覚派」と呼ばれた横光利一や、『天皇の肖像』を著した多木浩二なども引用しながら続けられた対話のなかで、「無理を重ねたなれの果てが原発事故になったのではないか」と指摘した福住さんの言葉には納得しました。

中島さんは、渋谷にあるアーティストたちのシェアハウス「渋家(シブハウス)」のメンバー。
この日は、他のメンバーの若者と話す機会もありましたが、社会に対する関心の深さ、知的好奇心の強さ、自分たちの立ち位置を相対化できる冷静さに、すっかり圧倒されてしまいました。

こうした思わぬ新しい出会いがあるから、展覧会は本当に面白いのだと思います。

追記。12.18 中島晴也展について読み応えのある展評が記されていたブログを紹介します。
http://www.art-it.asia/u/qkxvdu/1wXB2Y3gjx6AUnvzL95r
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