2014/12/8

千葉市美術館「赤瀬川原平の芸術原論展」/映画『アオギリにたくして』  他館企画など

休館日。
午後から千葉市美術館で開催中の「赤瀬川原平の芸術原論展」(12月25日まで)へ。
月曜日に開館している美術館はありがたいですね。

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生涯を通じて多様な表現活動を展開した赤瀬川原平さんの仕事を網羅的に紹介する充実した展覧会。400頁を超える図録も、2300円とお買い得です。

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2004年に東京藝術大学美術館・東京都現代美術館で開催された「再考 近代日本の絵画」展の際、『朝日新聞』の美術評(4月15日付)で、原平さんが「絵のいわれの重要さにも気付かされた。たとえば「原爆の図」など、その絵の背後にあるいわれと一体化して切り離せない。」と、短いけれども本質的な部分に触れてくださったことを思い出します。

実は、原平さんと丸木夫妻のかかわりは、まったく無縁というわけではありません。
1941年に俊さんがモスクワで娘たちの家庭教師をつとめた駐ソ公使・西春彦は、原平さんのお父さまの従兄弟にあたります。

ヨシダ・ヨシエさんが1971年に『美術手帖』に連載した「戦後前衛所縁荒事十八番」の挿画を手がけたのも原平さんです。《原爆の図》について回想している2回の挿画には、シュルレアリスム風の原爆のイメージが描かれています。

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上写真左側は今展図録より、小さな画像が《現代公害考》。右側はヨシダさんの「戦後前衛所縁荒事十八番」の挿画に描かれた原爆のイメージです。

この頃の原平さんは、社会風刺を題材にした精緻な線描による劇画風のイラストレーションを数多く描いていました。今展に出品されている《現代公害考》(1970年)などの原爆のイメージ、さらに丸木夫妻も手がけている水俣病や三里塚闘争といった題材も登場しています。

また、原爆といえば、1980年代に展開された、路上の無用物を超芸術として“発見”していく「トマソン」の活動にも、「原爆タイプ」という分類が登場します。
撤去された物体が隣接する壁面に遺した原寸大の影の“物件”を「原爆タイプ」と呼ぶのですが、朝日新聞社カメラマンの松本榮一が1945年9月に撮影した長崎要塞司令部に残された梯子と兵士の影に代表される原爆のイメージを、パロディ的に引用したものと言えるでしょう。

   *   *   *

その後は、池袋に移動して、豊島区立舞台芸術交流センターあうるすぽっとで開催された映画『アオギリにたくして』上映会(主催:ムジカ九条の会)に参加しました。

広島の原爆の語り部として知られる沼田鈴子さんをモデルにした手作り感あふれる劇映画で、だからこそ製作にかかわった方がたの思いが強く伝わってくる作品でした。
沼田さんについては、広岩近広さんの著作『青桐の下で 「ヒロシマの語り部」沼田鈴子ものがたり』(1993年、明石書店)に詳しく記されています。

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結婚式の3日前に被爆して左足を失い、婚約者も戦死して、戦後に絶望から立ち直って教師として働きながら、原爆フィルムに記録された被爆直後の自分に再開したことを機に“語り部”の活動をはじめたという沼田さん。
生きることのさまざまな苦しみを被爆青桐に託したという生涯そのものがたいへん劇的なので、映画の物語にも自然に引き込まれていきました。


映画『アオギリにたくして』予告編

上映後には、主人公の母親役を好演された斉藤とも子さんがトークを行い、「沼田さんの生涯には差別を含めたいろいろな問題が集約されています。映画には描かれていませんでしたが、広島の証言活動だけでなく、アジアにおける日本の戦争責任に思いを広げていったことも重要なことだと思います」と凛とした口調でおっしゃっていたのが印象に残りました。

聞けば、製作だけでなく、配給も自分たちの手で広げているとのこと。なかなか劇場で見る機会がありませんでしたが、ずっと見ておきたかった作品でした。
貴重な上映会の存在を教えて下さった、友の会のKさんに感謝です。
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