2014/3/26

国際雑誌『おりぞん』第5号「平和問答 火野葦平と赤松俊子」  作品・資料

火野葦平資料館のS館長より、国際雑誌『おりぞん』日本版第5号(Horizons/株式会社おりぞん日本支社/編集発行人=淡徳三郎/1955年8月1日発行)に掲載されている「平和問答 火野葦平と赤松俊子」の複写を頂きました。

丸木スマと火野葦平の交流は、これまでにも何度か学芸員日誌で紹介しています。

http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1445.html
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/2140.html

今回の「平和問答」は、赤松俊子(のちの丸木俊)が火野葦平を取材して絵と文を記した記事で、丸木夫妻と火野葦平の交友をあらためて裏付ける興味深い資料です。

葦平は1955年4月にニューデリーで開かれたアジア諸国会議に日本代表の一人として参加し、その後、中国、朝鮮を訪問して5月末に帰国。俊はその旅程を取材するために、葦平宅を訪れたようです。

冒頭部分を抜粋して紹介いたします。

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 こまかい刺しゅうのあるわらじのような、どこかの国のくつが柱にぶらさげてある。のれんがあつて、色の白い、美しい少し太つた小さなおばあさんがお茶を出して下さる。
「あつ、おかあさんですか」
と、あわてておじぎをしたら、
「いいえ、おばさんです」
といわれる。お手つだいの人らしい。秘書の人もきれいなひとだし、そういう清潔な感じのする家。

「お宅のおばあちやんのネコの絵をいただきましたよ。お正月には、また何か下さるといわれたので待つていました。こんどはカッパがほしいです」
 と、先生はいわれる。よく太つて、まだ若々しい体つきです。正直な目をしている。くせものといつた感じはない。
「なるほど、それはいいですね。『カッパちゆうものは見たことがないけえ、ネコけん』、というかもしれません。おばあちやんはリアリストです」
「写実派ですか……」
 サカナかと思つてよく見れば犬です。というおばあちやんの絵を、いあわせたみんなは、思い出して笑い出す。

「火野葦平さんは絵かきだぞ、そのつもりで話して来い、と、うちの亭主が申しました。」
「いや、ほんとうは絵かきになりたかつたのです。今でも百号のカンバスを用意してあります。向井さんのアトリエに置いてあるのです。カッパを描こうと思うのです」
「赤松さんは、一昨年コペンハーゲンの世界婦人大会へ行かれましたね。ちようどあなたがペンクラブの会合に出席されたころです」
と、淡徳三郎さんは、話を本筋へ向けるようにと、私を紹介して帰られた。

「いや、私は美術館ばかりを見て歩きました」
と、また絵の話へもどってしまう。
「ルソーがいいです。ゴーガンがすきですね。ゴヤはますます好きになる。」
「ゴヤの絵と原爆之図を対照して批評されますが、私はまだゴヤの油絵の本もの見ていないのです。どんな感じでしょう」
「すさまじいな。スペインへいらつしやい。ぜひごらんなさい」
「見たいです。ほんとうに怒つてる、怒つてる絵を見たいです」


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ふたりの対話はこの後、インドの画壇と文学、中国の民衆の暮らし、朝鮮半島の38度線の非武装地帯の話へ続きます。そして、おそらくこの「平和問答」の核心と思える、文学・芸術の戦争責任について話が及んでいきます。
俊はあえてこの話題に触れようと覚悟を決めて葦平との対話に臨んだようです。
俊が藤田嗣治の戦争画について触れていることもあり、少々長くなりますが、以下に書きとめておきます。

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「先生の“麦と兵隊、土と兵隊、花と兵隊”の三部作を拝見いたしましたが――。この事は、美術の方でもいろいろ考えねばならぬことがございます。藤田嗣治は戦争画を描いて、戦後、日本にもいられなくなり、アメリカに行き、アメリカにもいずらくて、パリへ行つた。私も批判をした一人ですが、しかし、“アッツの玉砕”“サイパン島の玉砕”の図など、日本人の死んで行く、自分で銃口を口にあてて足で引きがねを引いて、女は胸に短刀をあてて、あの惨状は、戦争を謳歌するより、戦争を嫌悪する感情の方がずつと強くわいてきます。もう一度かんがえなおさなければならないと思うのです。私たちは、また戦争反対のために勇かんには闘えずに沈黙していたのですし、個人的にも、藤田先生にお手紙でもあげたいと思います。そうして、あのすばらしい腕前で、世界平和のために働いていただきたい」

「麦と兵隊、土と兵隊など、戦争中に書いたが、いま、弁解する気はない。ただ、兵隊の不幸、戦場の悲惨、人間愛、敵味方の別なく、戦場の兵隊の生活を卒直に書いたつもりです。兵隊には戦争を謳歌する気持など一つもない。ただ愛国心、批判もあろうけれど、国が負けては大変だ、という気持しかなかつたのです。そのことは軍歌にも現われているし、日本人は、すぐレッテルをはつて片づけてしまうけれど、もつと、人間の問題について考えていきたい。いたわりながら成長していくものだ。」

 先生は、少し、つらそうな表情で語られる。わたしは、この問題にふれるべきかどうか、昨夜は眠れずに考えた。わたしは決心したのです。大ぜいの文化人が、このことについて、いまこそしんけんに考えてほしい。そうして、私もその一人として、ともどもに手をとりあつて歩んでいただくために。老婆心かしら、うるさいかしら、よけいなことかしら、せんえつだろうかなどと考えた。

「ほんとうに、心からほんとうのことを打ちあけ合い、助け合い、はげまし合つて行きたいものだと思います。いま大変な時でございます。一人でも、たつた一人の人がどんなに大切な時でありますか。」
「人間は過失の中から成長していく。戦争も過失だ。アジア会議で、“みんな仲よくしましよう
”と決議しましたが、こういう気持も戦争という過失から出た成長だと思う。」

 わたしは、質問するのがつらかつた。火野先生も答えて下さるのにつらかつたと思う。でもよかつた。とてもよかつたと思う。わたしは、過失の中から成長する人間、わたしも一歩一歩と成長したい。成長する人間を信じることが出来る。火野先生ありがとうございました。こんな言葉を使つておゆるし下さい。私は黙つて心の中で手をあわせました。
 みんな、しーんとなりました。


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最後は北朝鮮での崔承喜との対面、そしてスマのカッパの絵の話で締めくくられています。

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「崔承喜さんにおあいになりましたか」
「あつたあつた。若いね。美しいね。まつたくほれぼれするね。わずかの時間だつた。日本の代表が来たというので、わざわざ忙しいなかをかけつけて来てくれたんだ。」
 うらやましいようなたのもしいような気がする。五十近いか、あるいはすぎてるかもしれない崔承喜さんの話をきいて、みんなほつとため息。
「石井漠の門下だつたころは、裸に近い洋舞だつたが、今は、民族衣裳をつけて、民族の踊りです」
 話はつきない。芝居や踊りや絵のことになると、目をかがやかせて語られる。火野先生は、芝居や踊りや絵がほんとうにすきなのです。暗がりで、舞台ばつかり見つめて描いた崔承喜さんのスケッチ。老漁夫の踊りのスケッチなど、脈々と、生き生きとおどつていました。

 おばあちやんは今日は火野先生に贈るカッパの絵を描いています。


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スマが描いた魅力的なカッパの絵は、火野葦平のリクエストに応えたのがきっかけだったのでしょうか。
北九州市の火野葦平資料館には、スマが葦平に贈った黒猫の絵《クーちゃん》が、復元された葦平の部屋に展示されています。

貴重な資料をご教示くださったSさんに、心より御礼を申し上げます。
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