2013/7/18

川越スカラ座『セデック・バレ』  川越スカラ座

久しぶりの川越スカラ座で、映画『セデック・バレ』(2部構成で4時間36分の超大作)を観ました。1930年10月27日、日本統治下の台湾で起きた「原住民族」セデック族による抗日暴動「霧社事件」を描いた作品です。

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そもそもの動機は、12月に参加を予定している日本近代文学会のパネルディスカッションで、台湾と縁の深い文学研究者のKさんがこの『セデック・バレ』と「霧社事件」を取り上げるというので、事前に観ておきたいと思ったからなのですが、スケールの大きさに圧倒されて、Kさんがどんなふうに読み解かれていくのか、俄然、楽しみになってきました。

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山岳地帯の深い森のなかを裸足で獰猛に駆け抜けるセデック族の卓越した身体能力が見事に表現され、アクション映画としても非常に完成度の高いものになっています。
もちろん、日本の植民地政策という歴史に深く関わる物語なので、どのような立ち位置で映画を観るのかは非常に難しいのですが、必ずしも硬直した二分法に寄りかかるのではなく、近代国家という巨大な怪物に否応なく組み込まれ、翻弄され、駆逐される人間の運命を丹念に描いた、普遍的な意味を持つ映画だったように思います。



台湾の山奥に虹を信仰する民族がいた。
ある時、海を隔てた北方から、太陽を崇める民族がやってきた。
2つの民族は出会い、互いの信ずるもののために戦った。
しかし彼らは気づいていなかった。
虹も太陽も、同じ空にあるのだと・・・。


これは、パンフレットの冒頭に記されていた文章。
その言葉を借りれば、“太陽”と“虹”という異なる背景を持つ者たちの、いわば誇りをかけた鎮圧と蜂起の物語ではあります。
しかし、両者のあいだに位置する人たち(たとえばセデック族を理解しようとする日本の軍人であったり、皇民教育を受けて日本兵となったセデック族の若者であったり、その妻たち)が、武力衝突によって、それぞれ身を引き裂かれるような悲劇に直面していくという描写が、非常に心に残りました。
むしろ、この映画の本当の主人公は、誇りを貫く者たちではなく、苦悩し引き裂かれる立場の彼らだったのかもしれません。

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写真は、「日本兵」となったセデック族の若者「花岡二郎」の妻役を演じたビビアン・スー。彼女もセデック族出身なのですが、日本名「高山初子」を名乗り、和服を着て、「霧社事件」の際には日本人の女性たちとともに逃げまどうことになるのです。

川越スカラ座では、8月10日から16日にかけて、連日『セデック・バレ』第1部・第2部連続上映+ドキュメンタリ映画『台湾アイデンティティ』も上映という“台湾まつり”が予定されています。
貴重な機会、ご興味のある方はぜひ、ご覧下さい。
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