2018/12/26

【長岡出張2日目】長岡オープンディスカッション  調査・旅行・出張

長岡震災アーカイブセンターきおくみらいにて、オープンディスカッション「中越から福島へ 福島から中越へ」。

ふくしま連携復興支援センターの天野和彦さんの基調講演「被災地の学びを全国へ」に続いて、長岡造形大学の平井邦彦さんと山の暮らし再生機構の山口壽道さんから、中越大震災の復興ビジョンや災害メモリアル拠点構想の形成過程について詳しく報告を伺いました。

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その後、天野さんがモデレーターを務めて、全体でディスカッション。
天野さんは、以前、富岡町の生活復興支援センター(おだがいさまセンター)の責任者をされており、2013年4月に原爆文学研究会で福島フィールドワークをしたとき、郡山でお話を伺っていたのでした。思わぬところで、思わぬ再会です。

そのときも天野さんは話術の巧みな方だと思ったのですが、モデレーターとして、まったく遠慮も妥協もせずに、問題の本質に深く切り込む発言を促しつつ、全体のバランスをとって議論を進めていく力量に驚かされました。

私は中越でも福島でもない立場なので、静かに話を聞かせていただこうと思って座っていたのに、天野さんにそそのかされて、何度か発言をしてしまいました。それがどれだけ役に立てたのかはわかりませんが、緊張感のある刺激的なディスカッションであったと思います。

「人災」と「天災」、体験者と非体験者の語り、そもそもミュージアムの存在意義や使命とは何か、ミュージアムは人を変えることができるか、変えられるとしたら、どういう人に育ってほしいか、どんな価値をもって欲しいか。
さまざまな考える材料をもらいつつ、議論は場所や日を変えながら、まだまだ続いていくことになりそうです。

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昼食でいただいた多菜田の山古志弁当が、とても美味でした。ごちそうさまでした。
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2018/12/25

【長岡出張初日】中越メモリアル回廊・旧山古志村  調査・旅行・出張

一昨日は福島ライフミュージアムネットワークのリサーチ。
2004年10月23日の新潟中越地震で大きな被害を受けた旧山古志村の「復興」を学びに、新潟県長岡市へ。

まずは、長岡駅近くの長岡震災アーカイブセンター「きおくみらい」で、福島の方々と合流。
この施設は、中越地震の記憶と復興を語り継ぐための4施設、3公園を結ぶ「中越メモリアル回廊」の起点になっています。
http://c-marugoto.jp/index.html

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これらの立ち上げにかかわり、現在は福島県立博物館学芸員の筑波さんに、震源や被害を受けた地域、復興住宅などの位置を教えていただきました。
床全体が鳥瞰写真になっているので、山や川の地形と道路の関係が把握できます。
大規模な土砂崩れによるライフラインの寸断や、河道閉塞といった中越地震の特徴を教えていただきました。

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旧山古志村といっても、種苧原(たなすはら)、虫亀、竹沢といった集落に分かれていて、地元住民は集落への帰属意識の方が強いとのこと。
全村避難をした後は、年配の方ほど「山古志へ帰りたい」ではなく、「自分の集落へ帰りたい」という思いがあったそうです。
そのつながりを分断しなかったことが、「復興」に向けた力になったようです。

被害の概要を聞いたあとは、長岡市の防災拠点や、市街へ移住した人たちの家や養鯉場が多い地域を見ながら、信濃川沿いの県道を車で走り、小千谷市との境界の道路崩落現場に向かいました。新しい道が整備された脇には、土砂崩れによって川に落ちこんだ道路やガードレールの残骸が、今も残されています。

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この土砂崩れによって走行中の車両4台が巻き込まれ、92時間後に発見された車中では、母親と4歳の女児が死亡、2歳の男児が救出されて大きなニュースとなりました。
その慰霊と災害の記憶を伝える場として整備されたのが、妙見メモリアルパーク。

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崩落現場の方向を示す「祈りの軸線」と、10月23日の日沈方向を示す「風景・記憶・再生の軸線」、同じく日昇方向を示す「未来と希望の軸線」が交わるモニュメントは、強烈なリアリティのある現場に寄り添うように配置されていて、過剰な存在感がないのがとても良かったです。

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車は旧山古志村へ入り、次に訪れたのはやまこし復興交流館おらたる。
「おらたる」とは、山古志の言葉で「私たちの場所」という意味。
言葉とモノで震災と復興の記憶を振り返る展示スペース、プロジェクションマッピングを有効に使った地形模型シアター、地場産商品などを販売しているコーナーや多目的スペース、さらに地域住民のための診療所やカフェも併設されています。

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記憶の伝承と地域の活性化というふたつの任務を担う施設で、筑波さんや職員の井上さんの話を聞きました。お話の中で、山古志の復興が、一貫して「住民がどうしたいか」という方向を向いて進んできたことが、よくわかりました。

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震災当初、県や被災市町村は国に特別立法を求めましたが、中越地震は特別な災害ではないというのが国の見解。金は用意するが復興は地元でやれ、と言われたことが、結果的には良かったそうです。
もちろん震災前に比べて人口は当然ながら減っていますが、それでも観光客が大幅に増加したり、山古志の人たちから「震災のおかげ」で良くなった、コミュニティが強くなった、という言葉を聞けることが、復興の成功を示しているようでした。

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山古志は闘牛と錦鯉、棚田で知られる地域。さらに車で棚田(養鯉のための棚池も多い)の見える風景の中を走っていきます。
豪雪地帯の山古志では、12月にこれだけ雪がないのは珍しいとのこと。震災のときにも、雪の降る季節まで2か月というタイムリミットの中で、さまざまな決断を迫られたのでした。そんな噂の豪雪を見られず、ちょっとほっとしたような、残念なような。
土砂崩落で寸断された道路の一部はそのまま残り、そのとき放置された軽トラックも遠くから見ることができました。

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やがて、震災のときに土砂崩落で河道閉塞が起き、集落ごと水没したという木籠(こごめ)メモリアルパークへ到着。

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ここには、水没した家が2軒残されています。被災した家の向こうには、高台に建設された公営住宅が見えます。山古志木籠ふるさと会の方たちが開設した「郷見庵」で、美味しいおでんもいただきました。

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妙見も木籠も、中山間地直下型地震の事例を伝える貴重な存在ですが、法的には「保存」が難しく、会議を重ねて「存置」という扱いにこぎつけたとのこと。「何もしない努力」と筑波さんは言われていたが、貴重な「モノ」をしっかりと残していることに感心しました。

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もっとも、朽ちていく建物をどうするのか、2年前に補修工事がされたようですが、それが良かったのかどうか(原爆ドームを思い起こします)、悩ましい問題もあるようでした。

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帰り道には、震災のあとに集落ごと移住した十二平(じゅんでら)地区に残る石碑や養鯉場の跡を見て、長岡へ戻りました。

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2018/12/23

【福岡出張2日目・3日目】第57回原爆文学研究会  調査・旅行・出張

2日間にわたって九州大学西新プラザにて、第57回原爆文学研究会。
夏の研究会の2日目が台風予報で中止になったため、中尾麻伊香さんの発表「被ばくと奇形をめぐる科学と表象― 1950年代の原爆映画を中心に」と、「原爆文学」再読6― 吉本隆明『「反核」異論』 (坂口博、村上克尚、加島正浩)が今回に繰り越されました。

さらに初日はセッション「『原爆に生きて』から『この世界の片隅で』へ:山代巴を中心に」(報告:キアラ・コマストリ、宇野田尚哉)、2日目は韓国から来られた文学研究者の金文柱さんの発表「東アジアの桎梏の歴史と原爆の文明史的な意味:韓国の原爆文学を中心に」と、ワークショップ「歴史修正主義と1990年代」 (報告:山本昭宏・倉橋耕平、コメント:中谷いずみ)という盛りだくさんの内容。

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狭義の「文学」にとどまらず、科学から歴史、政治、サブカルチャーへ領域を横断していくのがこの研究会らしいところです。しかも一見つながりがないようなそれぞれの議論が、往還しているように聞こえてくるのです。福岡アジア美術館で2日間にわたって観た、「アジアの木版画運動」展までよみがえってきます。
中尾さんの発表では亀井文夫監督の映画『世界は恐怖するー死の灰の正体』、キアラさんの山代巴についての報告では『原爆に生きて』が取り上げられ、どちらも丸木夫妻の絵が使われているから、自分の仕事にもつながってきました。

参加者は両日とも50人ほど、いつのまにか発表者も参加者も、年下の若い研究者が増えていて、この研究会に入ってから10年が過ぎたことに気づかされます。
懇親会で、初参加の若者が「この研究会は熱いと聞いてきました」と挨拶していましたが、たしかに今回も、両日ともに熱かったです。

とはいえ、研究会の規模が大きくなれば、運営面での新たな課題も生じます。世話人会の片隅で、会の行く末をじっと見守る身としては、考えることも多かったです。

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『原爆文学研究』第17号、自分の原稿は冴えないのですが、「炭鉱と原爆の記憶」ワークショップの趣意文を執筆した楠田剛士さんがすくい取ってくださり、ありがたく思いました。
楠田さんは「なんだか岡村論みたいになってしまいました」と言っていましたが、これまで書いたものや日常の仕事まで丁寧に目配りして書かれています。
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2018/12/21

【福岡出張初日】北九州市立美術館・福岡アジア美術館など  調査・旅行・出張

早朝の飛行機に乗って福岡へ。
午前中は北九州市立美術館分館で「1968年 激動の時代の芸術」展を観ました。

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その後、若戸渡船で若松へ、と目論んでいたのですが、残念ながら桟橋工事で運休中だったので、無料化されたばかりの若戸大橋をバスで渡り、火野葦平記念館「山福康政と裏山書房40年」展を観ました。
北九州の文化を支えた山福印刷・裏山書房の山福康政さんの残した仕事を総覧する展覧会。

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さらに若松駅で筑豊本線に乗り、折尾駅で乗り換えて教育大前駅へ。上野英信の息子の上野朱さんが経営している古本アクスを訪れました。朱さんには久しぶりのご挨拶。

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最後は福岡アジア美術館「闇に刻む光 アジアの木版画運動 1930-2010s」に駆けつけ、閉館時間まで粘りました。

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中国の木刻運動と日本の30年代、50年代、韓国の80年代の民衆美術だけでも濃密なのに、東南アジア、さらには南アジアまで広域の活動を一堂に集めて「共振」させるという企てに圧倒されました。

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上野英信の言うところの、「変革のエネルギーのルツボ」的な一日でした。
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2018/12/20

高麗神社  その他

埼玉在住17年にして、実は初めて訪れた埼玉県日高市の高麗神社。

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高麗神社は、高麗王・若光を祀る神社です。
若光は666年に高句麗から渡来し、2年後に高句麗が滅亡したため、大和朝廷に仕えました。
716年、武蔵国に1799人の高麗人が集められて高麗郡が設置かれると、郡長に任命されたそうです。

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江戸時代に建てられた高麗家の住宅も保存されています。

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朝鮮半島との歴史の深さを実感する年の瀬でした。
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2018/12/14

ミサコの被爆ピアノ・くじらのこえ なみのこえ  他館企画など

劇作家の山谷典子さんにお誘いいただき、和光鶴川小学校体育館「ミサコの被爆ピアノ・くじらのこえ なみのこえ」を鑑賞しました。

「ミサコの被爆ピアノ」は松谷みよ子作。「くじらのこえ なみのこえ」は山谷さんの書き下ろしで、第五福竜丸の乗組員である「大橋又七」とクジラの「ボヌール」の交流を描いた創作物語。企画制作・ピアノは崔善愛さん、チェロは三宅進さん。出演は辻輝猛さん(演出も)、斉藤とも子さん。被爆ピアノの運搬・調律は矢川光則さん。

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米軍の水爆実験による第五福竜丸の被爆事件を、小学校高学年向けに伝えるための劇で、鑑賞者は和光鶴川小学校の4-6年生と先生、保護者たちが中心でした。
朗読劇にピアノやチェロの演奏があり、歌もあり。子どもたちを引きつける工夫が凝らされています。あの斉藤とも子さんが、私はクジラよ、と客席の後ろから現れて、目の前を軽やかに疾走していったのには驚かされました(と、ご本人にお伝えしたら、赤面されていました)。

小学校の体育館が会場なので、設営も簡易なのだろうと思っていたら、はじまってすぐに照明がプロの仕事だと気づきました。劇的効果がまったく違ったのです。
第五福竜丸展示館から運んできた大石又七さん手作りの船の模型や、被爆ピアノの位置、高さなどもよく計算されていて、当日の朝に設置したとは思えませんでした。

山谷さんの脚本は、実人生の気配がしのびこんでいて(彼女の作品は、いつもその傾向があるように感じます)、歴史・平和教育というだけではない面白さがありました。
そして辻さんの歌声はさすがに重厚。ラストシーンのとも子さんとの二重唱が本当に良かったです。
何より、これだけの舞台をきちんと実現させる崔善愛さんの企画力、そして三宅さんのチェロとピアノとの共演が素晴らしかったです。

息のあった、それぞれ一芸に秀でる人たちの鮮やかなコラボレーション。
小品ではあるけれど、広く一般向けの再演の機会が待たれます。
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2018/12/9

福島オープンディスカッション「ふるさと、奄美に帰る」をめぐって」  調査・旅行・出張

早朝の東北新幹線で、福島へ向かいました。
郡山に近づくと、窓の外は雪景色でした。

ライフミュージアムネットワーク実行委員の方々と福島駅前で待ち合わせ、富岡街道を車で走ります。
最近まで避難区域だった川俣町の山木屋地区を通り、浪江町へ。
街道以外の道は依然封鎖されていました。

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表土の剥がされた地面を、うっすらと雪が覆っています。
汚染土を詰め込んだフレコンバッグの山が見えました。
福島駅前で0.05μSv/hだった線量計の数値は、浪江町内津島地区では車内で0.4μSv/h、窓の外のモニタリングポストの数値は5μSv/hを超えていました。

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帰りは飯舘村を経由して福島市へ戻りました。
「日本でもっとも美しい村」のひとつと言われた面影は残っていますが、ここでもフレコンバッグの山を見てしまいました。

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午後は福島大学で、ライフミュージアムネットワークの連続オープンディスカッション「時を語るミュージアム」第3回「「ふるさと、奄美に帰る」をめぐって」に参加。

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熊本にあるハンセン病の国立療養所・菊池恵楓園の絵画クラブ「金陽会」の方々が描いた油絵を(2人の入所者の故郷である)奄美で展示する企画を行った藏座江美さんの報告。

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続いて『障害者の芸術表現ー共生的なまちづくりにむけて』の著者である鳥取大学の川井田祥子さんの発表を聴きました。司会は、はじまりの美術館の岡部兼芳さん。
ハンセン病の隔離政策によって故郷を追われた方々の思いを、絵は観る者に「自分ごと」にひきつけて伝えます。
川井田さんは、故・南嶌宏さんの、「障害者」は「幻想としての健常者」と対になっている、という言葉を引きました。

民俗学者で、ライフミュージアムネットワーク実行委員長の赤坂憲雄さんは、「ふるさと、奄美へ帰る」というタイトルには、福島にも変奏できる普遍性を感じる、と語りました。
クリエイティブサポート レッツの久保田翠さんは、表現より背景の方が大事なこともある、と挑発めいた発言をしていまた。
福島県立美術館の荒木康子さんは、3.11の後は自分が「差別」をしていないか自問している、と繰り返しました。
港千尋さんは「健常者」が幻想であるように「美術」の型もまた幻想であると指摘しました。
福島県立博物館の川延安直さんも「幻想としての被災地」「幻想としての福島」という言葉を使っていました。

午前中に見てまわった風景を、いつのまにか「被災地」という「幻想」に押し込めてはいなかったか。
福島から離れ、「日常」へと帰還する新幹線の中で、そんなことを考えていました。

本当は地続きの「自分ごと」であるはずの世界に、橋を架ける。
「外」から福島に向けて。福島から「外」に向けて。
ライフミュージアムネットワークとは、どうやら、そうした往還の中で考え続けていく「場」のようです。
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2018/12/8

今日の反核反戦展2018  企画展

「今日の反核反戦展2018」のオープニング。
実行委員会形式となって2014年から開催された展覧会も、今回でひと段落となります。

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アンデパンダン形式の展示や委員運営の難しさなど、考え悩むことも多いですが、ともあれ、展示は見届けたいです。展覧会ポスターのために作られた共同制作の木版画が会場入口に掲示され、ひとつの見どころとなっています。

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黒田オサムさんのパフォーマンスは健在。

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また、美術館の奥の林では、「国際野外の表現展」の展示として、赤松功さんのインスタレーション《痕跡ー'18 丸木美術館・枝が伸びる》も見ることができます。

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午後の陽ざしが紅葉/黄葉を照らして、赤松さんの設置した白い木肌の作品がよく映えていました。ご来館の際は、こちらもどうぞ、お見逃しなく。

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2018/12/7

キュンチョメ「完璧なドーナツを遠くへ投げる」  他館企画など

カトリック本郷教会で、2人組のアーティストユニット・キュンチョメの映像作品「完璧なドーナツを遠くへ投げる」を観ました。

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「完璧なドーナツ」とは、アメリカのドーナツの輪の中に、沖縄のサータアンダギーを組み合わせたものだそうです。あくまでドーナツの話ですが、沖縄の人たちに「完璧なドーナツ」をつくりたいと提案すると、その発想は否応なしに辺野古や高江の問題と結びついて、政治性を帯びてきます。

はじめはちょっと稚拙なプロジェクトのようにも思えてハラハラしながら観ていましたが、90分の映像は、現在の沖縄の人たちの複雑な思いを映し出す、非常に興味深いドキュメントになっていました。
このプロジェクトが重要なのは、タイトルの通り、できるだけ「遠くへ投げる」ことなのでしょう。
米軍基地は、沖縄と米国の間の問題ではないのだから。

本郷教会の上映会では、難民支援のためのトマト缶とドーナツを交換する企画を行っていました。鑑賞者は、トマト缶を持って会場を訪れ、それを置いていく代わりにサータアンダギーまたはドーナツをもらい、映画を観ることになるのです。
本郷会場は今日で終了ですが、年明けにも場所を変えて、プロジェクトはこれからも続いていくそうです。
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2018/12/5

国立新美術館「ここから3」に丸木スマ作品展示  館外展・関連企画

六本木の国立新美術館にて「ここから3 障害・年齢・共生を考える5日間」展が開幕しました。
会期は12月9日までと短いですが、入場無料。

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特別展示として、丸木美術館から丸木スマの絵画18点を出品しています。
この日のために、《白い鳥》と《夏みかん》の額を新調しました。《白い鳥》は、ディヴォートさんの厚意で画面の傷も修復して頂いています。

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監修者である新潟市美術館の前山裕司館長が、楽しそうにスマさんの絵を紹介して下さっていたのが嬉しかったです。
前山さんには、埼玉近美時代の2008年に「丸木スマ展」でお世話になりました。
もちろん、障害のある方々のアートやいがらしみきおの漫画原画なども見応えあります。

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以下は、毎日新聞・岡本同世記者の記事。良い取材でした。

https://mainichi.jp/graphs/20181205/hpj/00m/040/009000g/18?fbclid=IwAR1shrMe5W8QbGhsWbej9sA7v3kpLMfqV0OfliAoH8G10yzqfzcMrgDa0kk
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2018/12/4

丸木俊の絵画と戦後―解放され行く人間性  特別企画

冬の2階小展示室の特集展示は、「丸木俊の絵画と戦後」(1月20日までの予定)。

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俊の油彩画の代表作ともいうべき《解放され行く人間性》や、口をふさぎ筆を持つ《自画像》など、戦後の束の間の解放感の中で描かれた油彩画を中心に紹介します。というのも、この2点は訳あって、丸木美術館での展示が最後となる可能性が高いからです。

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また、位里の影響を大きく受け、《原爆の図》の予兆を感じさせる水墨画《地球儀(二人の画家)》や、鉛筆スケッチ《ゑをかく自画像》など、戦争末期に描かれた作品も展示。

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《原爆の図》前夜の赤松俊子の表現をじっくりと観ることのできる構成になっています。
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