2018/11/18

広島にて丸木美術館企画「いのちを観る いのちを歌う」開催報告  イベント

広島平和記念資料館東館地下メモリアルホールで開催した丸木美術館主催企画「いのちを観る いのちを歌う」。おかげさまで200人を超える盛況となりました。
ご来場下さった皆さま、どうもありがとうございました。

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昨年、埼玉会館で行った企画に引き続き、司会は俳優・語り手の岡崎弥保さん。
舞台の転換時に挿入される《原爆の図》の絵解きの朗読も担当してくださいました。

この企画は、昨年、映画監督の高畑勲さんが《原爆の図》について語ってくださったことをさらに広げ、深めていきたいと考えたところからはじまりました。
そのため、イベントは二階堂和美さんの歌からはじまる、というイメージをずっと持ち続けていたのです。

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「蝉にたくして」、「一本の鉛筆」、「伝える花」、そして「いのちの記憶」。
高畑監督の最後の作品「かぐや姫のものがたり」の主題歌になった「いのちの記憶」は、二階堂さんと高畑さんが作り上げた曲です。
広島の、それも平和記念資料館に響いたこの歌は、亡き高畑さんへの追悼であると同時に、《原爆の図》の世界にもつながっていくようにも感じられました。

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歌の余韻の残る中でスタートした奈良美智さんと蔵屋美香さんの対談は、直前にお二人が広島市現代美術館の展示をご覧になっていたこともあって、美術史的な蓄積を持った丸木位里、赤松俊子(丸木俊)という二人の芸術家が、原爆という重要な主題と出会い、絵画という手法を用いて、生々しい現実を普遍化させていったことの意味が語られました。

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はじめに奈良さんは、2000年頃に丸木美術館を訪れて、初めて《原爆の図》を観たときの感想を話してくださいました。
「絵画言語というか、どのように表現しようとしているかが怒濤のごとく襲ってきた。すごいドキュメンタリー映画を続けざまに見たような感じだった」
戦争の映画や手記は数多くありますが、《原爆の図》はそれとは違った、と奈良さんは感じられたそうです。
「《原爆の図》は、大きなテーマとは別に、美術としての取り組みが、極めて真摯に、情熱を持って行われていた。高畑さんが言ってたことは、たぶんそういうことじゃないか」

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印象的だったのは、奈良さんが《原爆の図》について、打ち合わせの段階から、たびたび「絵画なのに彫刻的」と表現し、「塊(マッス)」という言葉を使っていたこと。
「大きな赤や黒の塊と白い地で構成されている《原爆の図》が重さを感じないのは、地面が描かれていないからで、浮遊している。この絵画には、物理的な重さではなく、心の中にドンと来るような精神的な重さがある」というのです。
その話を受けて蔵屋さんは、「奈良さんも地平線のない作品が多いですね」と指摘されました。
丸木夫妻と奈良さんという、一見まったく異なる画家の思わぬ共通点が浮かび上がってくる、興味深いやりとりでした。

奈良さんは、「絵の持つ力が、原爆以前と以後ではまったく違う。以前はうまいな、という絵だったのが、原爆を経験した後では精神的な筆圧が変わって、大きなものが立ち上がっている」と語りました。
「ヤップ島の女の人たちを塊で捉える絵はうまいなと思いましたが、同時に、画家の、これ面白いでしょ、という意識も感じられた。そういう技術を十分磨いた人が《原爆の図》という最適なテーマを与えられて、ただうまいとか面白いとかとは別の方向の使命を見いだしていったんですね」と蔵屋さんも頷きます。

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「描くよろこびだけではない、苦しみながら大きなテーマを描くことで人間的にも成長していく。震災や津波や原爆や空襲に人が出会ったとき、その苦しみを違うものに変える力が引き出されることってあるんですね。画家も歌手も、被災地に行くボランティアも。それは大きい小さいじゃなくて……」
奈良さんは、遠藤ミチロウさんを例に挙げながら、そんなことも語りました。

「この絵を観ると、広島だけじゃなくて、東日本大震災とか、阪神大震災とか、自分が経験したいろいろな厄災を想うわけです。広島をストレートに、あるがままに表現していたら、それは難しかったと思います。この作品が“美術の言葉”を使って、より抽象的に普遍化しているので、想像を広げる余地がある。直接経験していない人に伝えるには、美術や音楽といった別のかたちに変換して、みんなが想像しやすい場所を作ることが重要なのかなと思います」と蔵屋さん。
広島の、それも平和記念資料館という場所で、このような問題提起が行われたことは、案外、重要ではないかと話を聞きながら思いました。

「いい小説や詩は、簡単に言えるような言葉を使わない。違う言葉でハッと伝わるような作り方をしている。《原爆の図》も、それと似ている」
対話の中で繰り返し語られた「塊(マッス)」や、抑制された色彩も、《原爆の図》の表現の工夫だと奈良さんは指摘します。
蔵屋さんも、色を白黒にするだけで、すでに違う世界へ一段階寄せている、と言い、「描かれている人たちが裸であることも、とても重要だと思いました。もちろん、衣服が焼かれた現実を反映していると思うのですが、裸にすると時代や場所が特定されず、人類普遍の姿として誰もが自分の経験を重ねられる」と付け加えました。

《原爆の図》を“美術の言葉”で語ることは、ともすると被爆体験の伝達の問題とは相容れないと思われてしまうのですが、そうではなくて、“芸術”という手段を用いたからこそ、個々の体験を普遍化させて伝えることができたのだと、あらためて考えさせられる対話でした。

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最後に奈良さんは、広島市現代美術館のコレクション展に展示中の自作《Missing in Action -Girl meets Boy-》についても、語って下さいました。

「無垢な子どもの片方の目が、赤地に白くなっているんです。それは、原爆がピカッと光った瞬間を見ているから。広島市現代美術館から、『広島に関する絵をお願いできませんか』って言われて、たいていそういう話は断るんです。無理して描こうと思わなきゃ描けないものは、断った方が気が楽だと思って。ところがそのときだけは、すごく描ける気がして、描いたのがその絵なんです。僕は原爆について、ほんとに少ししか知らない。ならば、爆発して、まだ体が焼ける前、まだ普段の生活がそのままだった一瞬を描こうと思って。だから、目には映っているけど、顔もきれいだし、体も焼けてない。それくらいしか、リアルにできないかなと。その後のことは僕はやっぱり、描けないという気がしました」

「今日、アメリカのアレックス・カッツとチャック・クロースの間に僕の絵が挟まれていて、いつもだったら、こんな有名人の間で恥ずかしいって思うんだけど、今日は、そこに自分の作品があることがすごく誇らしくて。あんまりそこにいたら飛び上がってしまいそうだったから、すぐ離れたんですけど。描いてよかったなと、心から思ったことってあんまりない。いつも、次、次、次、とやってきて。でも、今回広島に来て、丸木夫妻の展示を見てから、自分の絵を発見したときに、ここでこの流れを見るために俺は生きてきたのかな、ってちょっと思った(笑)」

見事な締めの言葉に、会場は大いに沸きました。
奈良さん、蔵屋さん、そして二階堂さん、本当にありがとうございました。皆さんからいただいた大切な言葉や歌を、また、次の企画につなげていきたいと思っています。

なお、この対談の内容は、2019年1月発行の『丸木美術館ニュース』に、抄録として掲載する予定です。
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2018/11/14

広島企画「いのちを観る、いのちを歌う」  イベント

先日、那須のN's YARDへ行き、奈良美智さんと対談の打ち合わせをしてきました。
11月18日に広島平和記念資料館東館地下メモリアルホールで開催する丸木美術館企画「いのちを観る、いのちを歌う」。いよいよ間近に迫ってきました。

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奈良美智さんと蔵屋美香さんの対談「いま、原爆の図をどう観るか」、そして二階堂和美さんのトークと歌。
とても楽しみで、夜更けに予習をして気持ちを高めています。

ここ数日、反響が広がっていますが、まだ前売予約は可能です。
お問い合わせは丸木美術館まで。エディオン広島本店プレイガイドでも発売中です。
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2018/11/12

前進座「ちひろ」公演  館外展・関連企画

練馬文化センターにて前進座の舞台「ちひろ―私、絵と結婚するの―」初日を鑑賞。
いわさきちひろ生誕100年企画で、ちひろが舞台化されるのは初めてとのこと。演出が鵜山仁さんということからも、その力の入れようが伝わってきます。

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敗戦翌年に松本から単身上京して新聞社を訪ね、画家夫妻(劇中では丸山夫妻)のもとに世話になり、やがて弁護士志望の青年(劇中では橋本善明)と出会って恋に落ち、紙芝居「お母さんの話」で文部大臣賞を受賞するまでの物語。
丸木俊が準主役級、というか、脚本を手がけた朱海青さんによれば「ちひろより台詞が多いくらいです」とのことで、事前に役者の方たちが丸木美術館に来てくださり、脚本も読ませていただきました。

丸木俊をモデルにした登場人物を舞台で観たことは、これまでにも何度かあるのですが、皆それぞれ違う役者さんなのに、俊の言葉を語ると、どこかリアリティが生まれて「丸木俊」に見えてくるのが面白いところ。
今回、浜名実貴さん演じる丸山俊子は、威勢が良くてアトリエ村の女親分のような存在。有田佳代さん演じる可憐なちひろに「一本の線に責任を持ちなさい」と時に厳しく叱咤しつつ、温かく見守る姿が格好良かったです。

前進座からお誘いを受けて、会場で販売しているパンフレットにも寄稿させていただきました。
「ちひろと俊と「前衛」の夢」と題して、二人の前衛美術会時代に焦点を当てた内容です。
初期の前衛美術会は、年1回の東京都美術館を会場に行う展覧会とは別に、銀座・天元画廊で「街頭展」を隔月開催していました。それを逐一報じていたのが『東京民報』で、おそらくは俊の主導でしょうが、素描や油彩、生活美術などの小品展が企画されていたことがわかります。そして、1947年11月の第3回街頭展では、後にちひろの出世作となる紙芝居「お母さんの話」が出品されているのです。

この紙芝居は、1950年に日本紙芝居幻灯株式会社(現在の童心社)から発行されたのですが、正確な制作年は特定されていなかったとのこと。
最近は忙しさにかまけて、なかなか新しいことが書けずにいたのですが、ささやかながら従来の資料を補完する仕事ができて、少し肩の荷が下りた思いです。

前衛美術展に紙芝居とは意外な気がするものの、社会変革の前衛を目指した会の目的・事業には、「児童美術研究」も含まれていました。試みは必ずしも成功したとは言えず、程なく俊もちひろも会を離れていくのですが、二人の中でその志は生き続けて、それぞれの豊かな仕事へと結実していったのでしょう。今回の舞台では、そんな未来の予兆も感じさせる、二人の画家の心の交流が印象的でした。

舞台はこれから、12月25日まで東日本各地を巡回するそうです。
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