2018/10/7

【会津出張初日】田子倉ダム・ふるさと館田子倉など  調査・旅行・出張

広島市現代美術館で足立さんの講演を聴いた後は、台風の進路と重なるように福島へ移動。
広島では強風で新幹線が止まっていると聞いたので、駅まで行って動かなかったら諦めよう・・・と思っていたのですが、広島始発の臨時列車にうまく乗れ、それでもダイヤは大幅に乱れていたので、東京駅で東北新幹線の最終列車に間に合わなければ家に帰ろう・・・と覚悟していたところ、辛うじて間に合い、郡山で一泊。
今朝は磐越西線で会津へ向かったものの、途中強風で列車が停まり、ようやく動き出したと思ったら、架線に枝が引っかかって撤去作業。今度こそ半分諦めて、会津若松で待つライフミュージアムネットワークの皆さんには、先にフィールドワークへ行っていただくようお願いしたのですが、結局、2時間遅れで列車は会津若松駅に到着しました。
駅ではネットワークの事務局をつとめる福島県立博物館の学芸員の二人が待っていてくださり、只見町の田子倉ダムでその他のメンバーと合流すべく、車で急ぎました。

クリックすると元のサイズで表示します

学芸員の皆さんの尽力にもかかわらず、残念ながら最後はわずか10分ほど間に合わず、発電所内部の見学ツアーに参加することはできなかったものの、全国屈指の規模を持つダムのスケールを体感し、その後は、田子倉ダムの直下流で放流水量を調節する只見ダムと、J-POWER(電源開発株式会社)の只見展示館を見学。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

さらに、田子倉ダム建設の際に湖底に沈んだ旧田子倉集落の記憶を伝える資料館「ふるさと館田子倉」や、「ただみ・ブナと川のミュージアム」も見て回りました。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

只見町は、冬には4-5mを超える積雪量となる厳しい環境でありながら、ブナを中心にした豊かな自然が残り、古くから農林業や採取、狩猟、漁撈(ツキノワグマやサクラマスなどが獲物だったそうです)をなりわいとする暮らしが営まれていました。
しかし、1959年に首都圏に電力を供給する水力発電ダム建設のため、旧田子倉集落は湖の底に沈みました。当時の集落には50戸290人が暮らしており、移転交渉の難航や反対運動が社会問題として注目されたそうです。
「ふるさと館田子倉」には、皆川文弥・弥親子が個人で収集展示していた、ダム水没前の暮らしを伝える狩猟や漁撈の用具を中心とした資料が残されています。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

ダム建設反対運動を記録した写真には、「金は一時 土は万年の宝」「魚は水に生き 農民は土によって生きる」といった貼紙も見られました。
つい先ほど見たばかりの静かな湖面の底に存在していた集落の全景写真には、しばらく目を奪われました。1950年代はじめの撮影とのこと、すでにダム計画が決まっていて、空撮をしたのでしょう。写真からは、そこに暮らしがあったという生々しい空気感が立ち上がってきます。

田子倉ダムは、総工費約348億円、建設に携わった人員延べ約300万人という大事業。絶景で知られるJR只見線も、もとは田子倉ダム建設のために敷設されたそうです。
田子倉発電所は、一般水力発電所として日本有数の規模となる(建設当時は日本最大だった)認可出力38万kWを有しています。
その送電線(只見幹線)が、現在私が住んでいる埼玉県川越市や生まれ育った東京の多摩地域を経由して、町田市まで繋がっているということを、恥ずかしながら初めて知りました。宮崎駿監督のアニメ映画『となりのトトロ』で猫バスが疾走する送電線も、只見幹線のようです。
自分が生まれてから現在にいたるまでずっと使い続けてきた電力が、この場所から送られていたとは。原発事故だけではなく、福島のエネルギー供給と自分たちの生活が密接に関わっていることを、あらためて考えました。
この機会に、小山いと子『ダム・サイト』や城山三郎『黄金郷』、曽野綾子『無名碑』など、田子倉ダムを舞台にした文学作品も読んでみようと思います(『ダム・サイト』はかなり入手困難のようですが)。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ