2017/12/25

【広島出張A】横川シネマにて「河」上演  調査・旅行・出張

広島の横川シネマにて、「河」(作・土屋清、1963年)の30年ぶりという上演を観ました。
生誕100年を迎えた詩人・峠三吉を主人公にした戯曲です。2日間計4回上演で、本来70席の会場に毎回130人が入る超満員とのこと。

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舞台は、峠が友人画家と「芸術と政治」をめぐる論争を行う第1幕、1949年6月の日鋼闘争の第2幕、1950年8月6日に福屋から反戦ビラを撒く第3幕、肺炎のために入院・手術に向かう第4幕という構成。

占領下・朝鮮戦争の勃発期に原爆詩に取り組んでいく峠三吉の動きは、ほぼ同時期に「原爆の図」を描いていた丸木夫妻に重なります。
劇には登場しませんが、第3幕の2ヵ月後、峠は「原爆の図」展広島開催に協力し、互いの人生は交錯します。
だから1950年前後という時代を実感するためにも、ぜひ見ておきたい舞台でした。

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また、戯曲が書かれた1963年は、原水禁運動分裂の時期であり、原爆文学研究会の川口さんの教示によれば、峠が主宰したサークル誌『われらの詩』を受け継いだ『われらのうた』が終刊に向かう時期にも重なります。
時代の変化の中で、峠の仕事を検証する必然もあったでしょう。そうした時代背景にも興味を惹かれます。

印象的だったのは、友人画家(モデルは浜本武一)が、峠は「反戦」というテーマを扱わなくてもすぐれた詩人であることを強調し、政治運動に疲弊するのでなく、自身の才能を伸ばすようにと繰り返し忠告していたこと。峠は苦悩の末に、「反戦詩を書かせたのは他の誰でもない、自分自身だ」と自らの道を選びとり、『原爆詩集』に到達します。
芸術のための芸術でなく、政治のための芸術でもなく、芸術と政治が接触する一瞬の火花の中から力のある表現が生まれることは、確かにあるのだと思います。

林幸子の孫にあたる某新聞社の若い記者が、彼女をモデルにした女性役を演じていたことも感慨深く拝見しました。
彼女が暗誦した渾身の「ヒロシマの空」は、再演の意味を感じさせるという点で、今回の上演の中で、もっとも胸を打つ見せ場のひとつだったように思います。
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2017/12/23

【広島出張@】第54回原爆文学研究会  調査・旅行・出張

広島大学東千田キャンパスにて、第54回原爆文学研究会
単独の研究会としては過去最多の約60名が参加するという大盛況でした。

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齋藤一さんの発表は、1958年5月に広島大学で行われたスティーヴン・スペンダーの講演「現代詩の諸問題」について。『死の灰詩集』論争からはじまって、質疑応答では、ほぼ同時期の復興大博覧会や『ヒロシマ・モナムール』まで話が広がる非常に興味深い刺激的な内容でした。

『〈原爆〉を読む文化事典』の書評ワークショップの発表者は東琢磨さん、権赫泰さん、伊藤詔子さん。
「事典」の書評ということで、どうしても項目立てについての(例えば「映像」や「同和問題」などの項目を立てられなかったか、というような)問題が中心になったのですが、質疑応答の途中で、(批判の前提として)事典をまとめあげた編者の力量を讃える発言が次々に挙がり、川口さんは頭を下げて目頭をおさえていました。

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ともあれ、さまざまな示唆に富んだ書評会。今後の原爆と文化を思考していく上での「武器庫としての事典」(東さんの発言)にしていきたいと、あらためて思いました。
『原爆文学研究』最新第16号も入手。こちらも丸木美術館で取り扱っていきます。
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2017/12/21

四國五郎『わが青春の記録』  書籍

丸木美術館ニュース新年号が、ようやく校了しました。
今号は高畑勲さん×アーサー・ビナードさん対談、川崎哲さん講演の抄録に、柿木伸之さんによる『〈原爆〉を読む文化事典』書評、谷本清平和賞受賞報告など盛りだくさんの内容となりました。

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そして、昨夏の企画展でも展示した、四國五郎の1000頁に及ぶ画文集『わが青春の記録』上下巻セットをご恵贈いただきました。どうもありがとうございます。
記念碑のような存在感から、刊行にかかわった方々の思いが伝わってきます。
シベリア抑留と戦後文化運動の貴重な記憶が、世に残されることを嬉しく思います。
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2017/12/17

シンポジウム「ノーモアヒロシマズ、だが、ヒロシマはいたるところに」  他館企画など

先日の日曜日は、東大駒場キャンパスで開催されたシンポジウム「ノーモアヒロシマズ、だが、ヒロシマはいたるところに」を聞きました。

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登壇者は東琢磨さん、仙波希望さん、笹岡啓子さん。
それぞれ語り口も、「ヒロシマ」を掘り下げる手法も大きく異なりながら、正しさ、わかりやすさに集約されていく「ヒロシマ」に抵抗し、見失われがちなリアリティをすくい取ろうと試みる姿勢は通底していたように思います。

東さんの言葉で言えば「ヒロシマから/をチューニングする」。
仙波さんの言葉で言えば「同心円の想像力をずらして思考する」。
笹岡さんの言葉で言えば「いくつものヒロシマを呼び起こす」。

個人的な関心で言えば、それらは丸木美術館と「原爆の図」が抱えている問題にそのまま重なってくることでもありました。その意味で、とても刺激的なシンポジウムだと感じました。

求められる「正しさ」に応えなければならない部分はあるとしても、常にそこから逸脱し、裏切り、拒絶する感覚は持ち続けたい。その複雑な回路の中で「原爆の図」を考え続けることが、自分にとっての大きな課題です。
開館50周年の年の瀬に、あらためてそんなことを思う良い機会になりました。
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2017/12/16

ノーベル平和賞受賞記念川崎哲さん講演会「核兵器禁止条約で変わる世界」  イベント

ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)国際運営委員の川崎哲(あきら)さんをお迎えして、ノーベル平和賞受賞記念講演会「核兵器禁止条約で変わる世界〜日本はどうする〜」を開催しました。

ノーベル平和賞授賞式から前日に帰国したばかりという川崎さん。
講演を依頼したのはノーベル平和賞発表前の9月だったので、その後激変した状況の中で、本当に来られるのかという不安もあったのですが、約束通り、帰国後最初の講演に駆けつけて下さいました。

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会場には大勢の方が集まり、盛大な拍手で川崎さんを迎えました。

川崎さんは、ノルウェー・オスロでのノーベル平和賞授賞式の様子を詳しく報告した後、核兵器禁止条約の意義とICANの果たした役割について、論理的かつ明快に話して下さいました。

以下に、核兵器禁止条約の話を中心にした川崎さんの講演の抄録をまとめます。

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ノーベル平和賞受賞は、広島・長崎の記憶を伝えてきた市民の取り組みが受賞の土台になった。受賞最初の講演をこの場所でできることは光栄だ。

ICANは、国家間の情報収集や交渉の調整・提案を行い、核兵器禁止条約の締結を実現させた。
7月に締結された条約には、国連加盟190ヵ国の2/3に近い122ヵ国が賛成した。
世界では、圧倒的多数の国が核兵器は未来永劫不要だと思っている。
核保有国は9ヵ国、米国と同盟関係にあるのが約30ヵ国、合わせても約40ヵ国。
日本政府の立場は少数派だ。

オランダは唯一の反対投票をしたが、参加した点は評価できる。
オランダはICANの活動が活発で、議会を動かした。
最終的にNATOとの関係から反対票を投じたが、日本政府は参加すらしない。

条約成立のとき、サーロー節子さんは「これは核兵器の終わりのはじまりである」と述べた。
前文には、核実験被害者、先住民族、女性の存在を踏まえ、「いかなる核兵器の使用も国際人道法違反である」と明言されている。自衛などの例外はない。

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条約は、核兵器の製造、保有、持ち込みを禁じている。日本政府が非核三原則を守るなら障害はない。使わない、威嚇しないという条項もクリアできる。
問題は、援助・奨励・勧誘しないという条項だろう。米国の核の傘の下に守られているというのは、核使用作戦に参画しているということ。

「核保有国」という言い方をするが、使うために保有しているのだから「核武装国」だ。
世界には9つの核武装国があり、30の核武装協力国がある。
日本は北朝鮮の核武装には反対だが、米国の核武装に賛成という立場でいいのか。
米国の核武装に協力しないと言いきれるかどうかが問題だ。

条約は、核保有国が核を廃棄し、条約に入るまでの道も示している。
南アフリカは、かつて核兵器を保有していたが、90年代に廃棄し、国際機関の検証を受けて、その後は核廃絶を推進している。
私は北朝鮮がそうなれないかと考えている。北朝鮮の核問題があるから条約は意味がないと言う人もいるが、北朝鮮を核兵器廃棄の条約に参加させることこそ重要だ。

締約国は被害について医療的・社会的・経済的援助を行い、実験等によって汚染された環境を回復する義務もある。
日本には広島長崎の被爆者援護、福島の除染活動の歴史があるから、役割を果たすべき。

条約は50ヵ国が批准して発効する。
今は56ヵ国が署名し、3ヵ国が批准、4ヵ国目も国内承認まで進んでいる。
ICANの目標は、なるべく早く50ヵ国の批准を達成すること。
日本は核武装協力という基本姿勢が妨げになっているが、政府は直截に言わず、核保有国と非保有国の対立を助長するからダメだと言っている。
私は日本政府が核武装側に立って対立を助長させていると考える。
市民運動では、ヒバクシャ国際署名が515万ほど集まっている。

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今後は条約を周知させていくことが必要だ。
ノーベル平和賞の報道で注目されている今はチャンス。国会でも議論してほしい。
北朝鮮の加入を進めるためにも、専門家の知見を借りながら、条約の検証制度を強めていきたい。
金融機関・企業への働きかけも必要。核兵器製造に協力している企業や銀行は社会的な倫理違反であると呼びかけていく。かつてノーベル財団は核兵器製造企業に出資していたが、倫理規定を作って解消した。こういう動きが増えれば核兵器の資金調達が難しくなる。

北朝鮮が核兵器を持てば、日本にも核兵器は必要なのか。
それで北朝鮮は抑えられるのか。
「核には核」をという議論では、世界が核だらけになる。
それが安全だという考え方は、どうかしている。

米国は個人の権利として銃の保持を認めている。日本は銃を全面禁止している。
どちらが安全な社会か。米国が銃規制できないのは利権があるから。核兵器も同じ。

核兵器の物語には終わりがある。どのような物語かは私たち次第。
ICANのベアトリクス・フィン事務局長は「核兵器の終わりか、私たちの終わりか」と述べた。
サーロー節子さんは、広島で被爆し、奇跡的に助かった体験をもとに、「光が見えるだろう、そこに向かって這っていけ」と語った。
私たち自らが行動しなければ、状況を変えられない。

ノーベル平和センターでは、授賞式の翌日から、ICANの展示「Ban the Bomb(核兵器を禁止せよ)」がはじまった。
オスロの街にはその垂れ幕があふれている。
ノルウェー政府は条約に反対だが、ノーベル委員会は忖度しない。
ノルウェーでは条約に参加した場合どうなるかの論点整理を議会で行うことになったが、日本ではまともな議論の動きがない。その異常さをメディアも指摘して欲しい。

ICANは核兵器禁止条約という重要なツールを作り出した。日本は、被爆者や市民団体が運動をしてきた長い歴史があるが、自国の政府さえ動かせない。

奴隷制度も、女性の参政権も、最初から当たり前だったわけではない。
これは許されないと少数の人が言いはじめて、社会を変えた。
核兵器があれば、いつか使われる。使われれば人類が終わる。それが分かっていながら、仕方ないで片付けられる。
それはおかしいと声をあげて、行動しなければいけない。


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講演の後には、花束の贈呈も行われました。

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また、川崎さんのご著書である岩波ブックレット『核兵器を禁止する』の販売とサイン会も開催され、大勢の方が川崎さんにお祝いの言葉を伝えていました。

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お疲れの中、丸木美術館においで下さった川崎さんには、心から御礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。
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2017/12/13

『中國新聞』に寄稿「丸木美術館開館50年」  執筆原稿

寄稿 丸木美術館開館50年 「原爆の図」から命を思う
 ―2017年12月12日『中國新聞』朝刊

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以下のWEBサイトで全文を読むことができます。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=79377

谷本清平和賞の授賞式スピーチをもとに、新聞掲載用に短くまとめました。
一年の締めくくりとして、良い機会を頂きました。
お世話になった文化部のDさん、どうもありがとうございました。
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2017/12/12

『朝日新聞』に川崎哲さん講演会紹介  掲載雑誌・新聞

ICAN川崎さんが16日に講演
 ―2017年12月12日付『朝日新聞』朝刊埼玉版
 http://www.asahi.com/articles/ASKD74GVQKD7UTNB00J.html

以下は、記事からの一部抜粋です。

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 今年のノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN〈アイキャン〉)で国際運営委員を務める川崎哲(あきら)さんの講演会が16日、東松山市の原爆の図丸木美術館である。ノルウェー・オスロで10日にあった授賞式から帰国後初の講演となり、受賞の意義などについても語る。

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実は講演を依頼したのは3か月前だったのですが、ノーベル平和賞受賞、しかも帰国後初講演という絶妙なタイミングになりました。授賞式の報告もして下さるとのこと。
12月16日は、ぜひ皆さまいっしょに川崎さんをお迎えしてお祝いしましょう。
お待ちしています。
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2017/12/5

五ノ神まいまいず井戸と玉川上水取水堰  調査・旅行・出張

先日、足利市立美術館で「涯テノ詩聲(ハテノウタゴエ )詩人 吉増剛造展」を観ました。
吉増剛造さんは啓明学園、立川高校の先輩に当たり、だからといって特に接点があるわけではないのですが、彼の作品に登場する場所には、自分の幼い頃の記憶も共振します。

今日は、青梅の吉川英治記念館で丸木スマの《カニの図》を返却した帰りに、羽村駅で途中下車して、久しぶりに五ノ神まいまいず井戸へ行きました。

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「まいまいず」とはかたつむりのことで、武蔵野台地特有の砂礫層に掘った井戸へ向かう通路が鮮やかな螺旋を描いていることから、その名で呼ばれます。

地表面の直径約16m、深さ約4.3mの擂鉢状の窪地を降りていくと、直径約5mの底面に、屋根のついた小さな井戸があります。
鎌倉時代に掘られたと推定されるそうですが、保存・管理状態は極めて良好です。

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駅前の片隅に、ぽっかりと現れる異空間。
子どもの頃、週末によく家族でサイクリングをして、この井戸は定番のコースになっていました。小走りに渦巻きながら地の底へ降りていく感覚が、懐かしく思い出されます。

吉増さんの映像作品「gozoCiné」の冒頭に、この五ノ神まいまいず井戸が登場します。
多摩の土地性をよく表し、どこか魔術的な匂いのする古井戸を、吉増さんはお気に入りのようです。

昔のように駆け下りたい衝動に突かれましたが、母の手を引きながら降りていく少年がいたので、遠慮して道を譲りました。

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ちょうど紅葉が見頃で、地の底から空を見上げると、異界的な強度が増していました。

   *   *   *

せっかく羽村駅で途中下車したので、その後は、やはり子どもの頃のサイクリングコースの定番だった玉川上水取水堰にも行ってみました。

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江戸の爆発的な人口増加を支えた上水開削計画。
武蔵野台地は掘削に不向きな砂礫層なので、工事は困難を極めたそうです。

幕府から支給された資金が途中で底をつき、最後は家屋敷を売り払って工事を完成させたという玉川庄右衛門・清右衛門兄弟は“郷土の偉人”として小学校で教わります。
図書室で伝記も読みましたし、取水堰の近くには銅像も立っています。

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二人はその功績で玉川姓を名乗ることを許されたそうですが、経費はちゃんと幕府に請求できたのでしょうか、気になるところです。

工事の総奉行が“知恵伊豆”と呼ばれた川越藩主の松平信綱だったということも、川越に住むようになってから、あらためて知りました。

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ともあれ、玉川上水はここからはじまります。
四谷大木戸まで約43km、すべて露天掘りの上水道です。
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2017/12/4

小沢節子「『原爆の図』に寄せて−丸木美術館50年目の年に」  作品・資料

丸木美術館50周年の記念誌に、近現代史研究者・小沢節子さんにご執筆頂いた文章「『原爆の図』に寄せて―丸木美術館50年目の年に」が、「公共空間 X」というWEBサイトに紹介されました(一部加筆)。
「原爆の図」をめぐる現状、そして未来を示唆する重要な論考です。
http://pubspace-x.net/pubspace/archives/4575
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2017/12/3

狭山市立中央図書館平和祈念講演会  講演・発表

午後から、狭山市立中央図書館にて平和祈念講演会「伝え続ける−丸木夫妻が残したもの」に登壇。
狭山市主催の企画で、朗読グループ「あ・うん」によるアーサー・ビナードさんの写真絵本『さがしています』の朗読も行われました。

地元・埼玉県内での一般向けの講演依頼は珍しいのですが、会場には大勢の方が来て下さいました。
「丸木美術館に来たことのある方は・・・」と聞いてみると、ほとんどの方が手を挙げて下さって、ひと安心。「いやあ、これが都内の大学だと、誰も手を挙げないこともあるので・・・」と苦笑すると、会場の皆さん笑っていましたが。

政策企画課の職員も聴講して下さって、市内の公立小中学校の児童・生徒を対象に出張授業などで連携していきたいというお話も頂きました。今後につながればありがたいです。

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写真は、しばらく下車しないうちに様変わりした狭山市駅前の広場から見た中央図書館。
手前のミニオンは「奥富かかし祭り」の出品作とのことです。
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