2017/6/24

【広島出張】中国軍管区司令部後/みんぱく共同研究会  調査・旅行・出張

午前中は広島城内の中国軍管区司令部跡へ。
石垣の近くにひっそりと残る、半地下式鉄筋コンクリート平屋造の建造物。
先月亡くなられた岡ヨシエさんが、原爆投下の第一報を伝えた場所です。

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爆心地から790m離れていて、しかも小窓は反対方向にあったのですが、中の人は爆風の衝撃で吹き飛ばされたそうです。
岡さんは交換機の下敷きになり、必死に外へ脱出しましたが、再び壕の中に戻り、広島壊滅の第一報を福山の部隊へ電話で伝えました。

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昨年、広島県立福山工業高校電子機械科計算技術研究部が、岡さんの証言をもとに広島城内にあった大本営や中国軍管区司令部をCGで復元、岡さんに当時の行動を再現してもらってモーションキャプチャで映像化しています。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=63192
その映像が、鞆の津ミュージアムの「原子の現場」展に出品されていました。被爆体験継承の現場にも、進化したテクノロジーが入りこんでいるようです。

司令部跡は今年4月まで内部見学ができましたが、残念ながら老朽化によってコンクリートの剥離がひどく、現在は見学中止になっているとのこと。

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二の丸跡に残る被爆樹木のユーカリは、中沢啓治の『ユーカリの木の下で』の題材になった樹。
平井鉄太郎の「言論の自由なき世はうばたまの心の闇の牢獄とぞ思う」などの歌が引用されている作品です。

   *   *   *

午後は国立民族学博物館共同研究会の皆さんといっしょに、楊小平さんの案内で原爆ドーム、動員学徒慰霊塔、原爆供養塔、韓国人原爆犠牲者慰霊碑などを回り、その後、広島平和記念資料館の東館を見学しました。

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すでに何度も見ている場所ばかりでしたが、ふだんは一人で見て歩くことが多いので、修学旅行生になったように新鮮な気分でまわりました。

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ありがたかったのは、レストハウス(旧大正屋呉服店)の地下室をまだ見たことがないと言ったら、楊さんがすぐに手続きをして、見学させてくれたこと。
爆心地から170mしか離れていなかったのに、被爆時にたまたま書類を取りに地下室に入っていた人は、ここで命拾いをしたそうです。
ヘルメットを着用して地下室に入ると、案外きれいに整理されていて、見学に訪れた修学旅行生の折鶴もいくつか納められていました。

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リニューアルされた広島平和記念資料館東館の展示は、格段に情報量が増えたものの、結果的に「今、ここで、自分の頭の上に原爆が落とされた」という錯覚、共感を遠ざけるという問題を抱えているように見えました。
そのあたりのバランスは、なかなか難しいのでしょう。

楊さんに「新しい展示になって、ボランティアガイドの方々の感想はどうですか?」と聞いたところ、「微妙。全体的に微妙。これだけ情報ばかりになると、ボランティアガイドのやることがなくなってしまう」と言っていたことが印象に残りました。

確かに、気をつけて見ていると、来館者は「読む」「触る」あるいは「音声ガイドを聞く」という行為が中心になって、目の前にいるガイドの方は、それをぽつんと立って眺めているようでした。
最新の科学技術の導入、あるいは「モノ(実物)に語らせる」という方針は、逆に言えば「ヒトに語らせない」ということにもつながるのかもしれません。

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資料館の方針に沿わなければならない公認ガイドから離れて、平和公園の中で独自に「流し」のガイドをする方もいるという話も含めて、考えさせられます。

見学の後、2時間にわたって、楊さんが調査に取り組んでいる中国の報道や教科書における「ヒロシマ」観や、中国人被爆者についての話を聞きました。
「ヒロシマ」が「国際化」するとはどういうことか。
「唯一の被爆国」という内的な視点で世界に向かうのでなく、内側にある多層的な他者の存在を再発見することが道を開くのだと、再認識させられました。
丁寧にガイドをして下さった楊さん、どうもありがとうございました。
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