2017/6/30

三岸節子記念美術館「丸木スマ展」レセプション  他館企画など

午後から、一宮市三岸節子記念美術館「丸木スマ展 おばあちゃん画家の夢」のレセプションに出席。

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スマの孫にあたる小田芳生さんが広島から来られて、「スマは春になると私の生まれ育った加計の家に来ていた。私はスマのことが大好きで、いつもいっしょに絵を描いていた」と心の温まる挨拶をして下さいました。

レセプションの後は、テープカットに私も参加。
内覧会では、担当学芸員の野田さんが来場者に見どころを説明して回っていました。スマの伸びやかな絵に、参加者が顔をほころばせていたのが印象的でした。

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写真は、小田さんのお父さま(スマの息子で、親戚の小田家に養子に行き、表具屋となった)が表装した軸作品を前に談笑する小田さんと野田学芸員。スマの着物を使ったという掛軸は、母子の共作とも言うべき面白い効果を見せています。

小田さんの家には、スマさんを慕って浜崎左髪子や末川凡夫人といった個性的な画家たちがよく遊びに来ていたそうで、小田さんの絵に彼らが手を入れて小学校で最優秀賞を取ったことがあったという秘話も聞かせていただきました。

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中部地方でスマの絵を見ることのできる機会もなかなかないので、ぜひ多くの方にお楽しみいただきたいと思います。
展覧会は8月13日まで。その後、9月9日から11月18日まで丸木美術館に巡回します。
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2017/6/28

トークイベント「美術が繋ぐ広島・沖縄」のお知らせ  講演・発表

7月2日に、自由芸術大学の企画で、「美術が繋ぐ広島・沖縄──原爆の図丸木美術館と佐喜眞美術館」と題するトークイベントに出演します。

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丸木位里、丸木俊のアトリエに『原爆の図』を展示するために建てられた丸木美術館、丸木位里・俊の想いを沖縄で継ぐため、普天間基地の一角を返還させ『沖縄戦の図』を展示するために建てられた佐喜眞美術館。人間と戦争をテーマとし、記憶の忘却に抗うふたつの美術館の学芸員が、平和をつくる美術とその作品を収蔵する美術館についてレクチャーします。

日 時:2017年7月2日(日)16:00〜19:00/15:30 Open
場 所:素人の乱12号店|自由芸術大学
杉並区高円寺北3丁目8-12 フデノビル2F 奥の部屋
資料代:500円+投げ銭(ワンドリンクオーダー)


【スピーカー】
岡村幸宣(おかむら・ゆきのり)
東京造形大学造形学部比較造形専攻卒業、同研究科修了。2001年より原爆の図丸木美術館に学芸員として勤務し、丸木位里・丸木俊夫妻を中心にした社会と芸術表現の関わりについての研究、展覧会の企画などを行っている。著書に『非核芸術案内』(岩波書店、2013年)、『《原爆の図》全国巡回―占領下、100万人が観た!』(新宿書房、2015年)、『《原爆の図》のある美術館』(岩波書店、2017年)

上間かな恵(うえま・かなえ)
佐喜眞美術館学芸員。沖縄県那覇市生まれ。旅行代理店、団体職員(専門学校教務・講師)を経て1998年より佐喜眞美術館勤務。共著に『残傷の音−「アジア・政治・アートの未来へ」』(李静和編著 岩波書店、2009)、『時代を聞く−沖縄・水俣・四日市・新潟・福島』(池田理知子・田仲康博/編著 せりか書房、2012)

沖縄の戦争というのは、アメリカ側の写真は随分あるので、パンフレットや写真などになっておりますが、日本人が撮した写真は一枚もない。文章は随分ありますが、目で見るものは、日本側のがないので、描き残しておかなければならない。原爆もそうですが、沖縄の戦争は特にそうだと思って、一昨年の暮れから行き、去年暮れから今年にかけて2度目。ずうっと前にも「原爆」の展覧会で行ったので、3度行きました。本当にこの前の戦争を描き残すためには、沖縄を描かなければ描いたことにならない。 
 丸木位里――岩波グラフィックス 26「鎮魂の道:原爆・水俣・沖縄」1984年7月より
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2017/6/24

【広島出張】中国軍管区司令部後/みんぱく共同研究会  調査・旅行・出張

午前中は広島城内の中国軍管区司令部跡へ。
石垣の近くにひっそりと残る、半地下式鉄筋コンクリート平屋造の建造物。
先月亡くなられた岡ヨシエさんが、原爆投下の第一報を伝えた場所です。

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爆心地から790m離れていて、しかも小窓は反対方向にあったのですが、中の人は爆風の衝撃で吹き飛ばされたそうです。
岡さんは交換機の下敷きになり、必死に外へ脱出しましたが、再び壕の中に戻り、広島壊滅の第一報を福山の部隊へ電話で伝えました。

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昨年、広島県立福山工業高校電子機械科計算技術研究部が、岡さんの証言をもとに広島城内にあった大本営や中国軍管区司令部をCGで復元、岡さんに当時の行動を再現してもらってモーションキャプチャで映像化しています。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=63192
その映像が、鞆の津ミュージアムの「原子の現場」展に出品されていました。被爆体験継承の現場にも、進化したテクノロジーが入りこんでいるようです。

司令部跡は今年4月まで内部見学ができましたが、残念ながら老朽化によってコンクリートの剥離がひどく、現在は見学中止になっているとのこと。

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二の丸跡に残る被爆樹木のユーカリは、中沢啓治の『ユーカリの木の下で』の題材になった樹。
平井鉄太郎の「言論の自由なき世はうばたまの心の闇の牢獄とぞ思う」などの歌が引用されている作品です。

   *   *   *

午後は国立民族学博物館共同研究会の皆さんといっしょに、楊小平さんの案内で原爆ドーム、動員学徒慰霊塔、原爆供養塔、韓国人原爆犠牲者慰霊碑などを回り、その後、広島平和記念資料館の東館を見学しました。

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すでに何度も見ている場所ばかりでしたが、ふだんは一人で見て歩くことが多いので、修学旅行生になったように新鮮な気分でまわりました。

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ありがたかったのは、レストハウス(旧大正屋呉服店)の地下室をまだ見たことがないと言ったら、楊さんがすぐに手続きをして、見学させてくれたこと。
爆心地から170mしか離れていなかったのに、被爆時にたまたま書類を取りに地下室に入っていた人は、ここで命拾いをしたそうです。
ヘルメットを着用して地下室に入ると、案外きれいに整理されていて、見学に訪れた修学旅行生の折鶴もいくつか納められていました。

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リニューアルされた広島平和記念資料館東館の展示は、格段に情報量が増えたものの、結果的に「今、ここで、自分の頭の上に原爆が落とされた」という錯覚、共感を遠ざけるという問題を抱えているように見えました。
そのあたりのバランスは、なかなか難しいのでしょう。

楊さんに「新しい展示になって、ボランティアガイドの方々の感想はどうですか?」と聞いたところ、「微妙。全体的に微妙。これだけ情報ばかりになると、ボランティアガイドのやることがなくなってしまう」と言っていたことが印象に残りました。

確かに、気をつけて見ていると、来館者は「読む」「触る」あるいは「音声ガイドを聞く」という行為が中心になって、目の前にいるガイドの方は、それをぽつんと立って眺めているようでした。
最新の科学技術の導入、あるいは「モノ(実物)に語らせる」という方針は、逆に言えば「ヒトに語らせない」ということにもつながるのかもしれません。

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資料館の方針に沿わなければならない公認ガイドから離れて、平和公園の中で独自に「流し」のガイドをする方もいるという話も含めて、考えさせられます。

見学の後、2時間にわたって、楊さんが調査に取り組んでいる中国の報道や教科書における「ヒロシマ」観や、中国人被爆者についての話を聞きました。
「ヒロシマ」が「国際化」するとはどういうことか。
「唯一の被爆国」という内的な視点で世界に向かうのでなく、内側にある多層的な他者の存在を再発見することが道を開くのだと、再認識させられました。
丁寧にガイドをして下さった楊さん、どうもありがとうございました。
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2017/6/23

「異郷のモダニズム」展/「原子の現場」展  他館企画など

午前中は名古屋市美術館「異郷のモダニズム 満洲写真全史」へ。

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会場入口で日本文学研究者のFさんに偶然お会いしました。
展覧会は、近代における写真表現の展開が、植民地主義の現場である満洲国のイメージをどのように読み替えていったのかをたどる内容。

第1章「大陸の風貌」は、1920年代に、撮影・解説・頒布まで一人で行う「満蒙印画協会」を立ち上げ、後に「亜東印画協会」に改称して中国各地を学術調査のようにまわった櫻井一郎の写真67点の展示。
主な撮影地は大連、香港、蘇州、重慶、山西省、雲南省、河南省、北京など、とても広域でした。
「曠野を行く隊商」や「雪の興安嶺」といった満洲のイメージを最初に提示したのが彼の写真とのことで、当時絶大な人気を呼び、年会費12円完全予約制の会員は7000人を数えたそうです。
実際、今回もっとも時間をかけて写真と解説を読み込んだのは、第1章でした。
しかし櫻井は1928年に急逝、満洲の写真界は新たな局面を迎えることになります。

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第2章「移植された絵画主義」では、神戸の写真家・淵上白陽をはじめ、彼が創設した満洲写真作家協会の会員による112点の写真が展示されていました。
淵上は1928年に満鉄総裁室弘報課嘱託として渡満し、満洲国建国の1932年に写真雑誌『満洲グラフ』を創刊。そこには「建設」と「開拓」のイメージが繰り返し展開されますが、プロパガンダとして消費されるだけでなく、満洲写真作家協会の機関紙『光る丘』を創刊し、芸術表現としての質を高める役割も果たしました。
淵上らの写真は、ミレーらバルビゾン派の絵画をそのまま模すように満洲の農民や羊飼いを抒情的に撮影した作品が多く、展覧会のポスターになっている田中靖望の《機関車》や、外看板に使われている馬場八潮の《麦秋》も、この第2章の作品です。
人目をひく「絵画的」な美しい表現は、メインイメージとして使いやすいのでしょう。
個々の作家の美意識を追求したそれらの写真は、しかし、決して満洲の現実そのものを写し撮っているわけではなかったようです。
1941年、淵上が妻を亡くし、満鉄を退職して帰国すると、入れ替わるように関東軍報道写真連盟が発足し、再び満洲の写真界は大きく変化していきます。

第3章「宣伝と統制」は、満洲国国務院弘報処の登録写真制度による公募、つまり官僚主導によって選ばれた『満洲国写真集』などの5つの写真集で構成されます。
この制度を考案した武藤富男は、淵上が育てた絵画主義的表現を一掃し、よりステレオタイプなプロパガンダに見える増産、躍進、五族協和のイメージを強調した写真を重用していきます。

さらに第4章の「プロパガンダとグラフィズムの諸相」は、満鉄発行の『満洲グラフ』全巻表紙の展示や、名取洋之助編集の『MANCHOUKUO』、『FRONT』No.5-6『偉大なる満洲国』などのグラフ雑誌を紹介。
豊かな大地の恵みである野菜を抱えて映る家族写真や、和服とチャイナドレスの女性が仲良くお茶を嗜む写真など、いかにも宣伝的なイメージが並ぶ中には、革命から逃れて満洲に移り住んだ白系ロシアの人びとも「新建設の一翼」として取り込まれていました。

1945年、満洲国は日本の敗戦とともに崩壊します。
最後の第5章「廃墟への査察」は、米国国立公文書館に所蔵されている調査報告書「ポーレー・ミッション・レポート」の写真。
日本の戦後賠償の査察のため満洲を訪れた米国大統領特使エドウィン・ポーレーの一行が撮影したのは、ソ連側によって破壊され、収奪され尽くして廃墟となった工場の光景でした。

第5章だけが地下会場に離れて展示され、満洲国の夢の残骸がいっそう虚しく感じられます。
国書刊行会から発行されている図録は会場では消費税分サービスの3500円で販売されていました。少し高いし、ハードカバーで重いのですが、とりあえず資料的な意味が大きいので、絵葉書セットとともに購入。

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ショップのレジの前には、企画展の売れ残りか、フリーダ・カーロのフィギュアが半額に値下げされて寂しく立っていました。
「顔がかわいくないせいか、かわいそうに売れないんです」という店員のお姉さんの言葉に、思わずおまけで購入してしまいました。

   *  *  *

午後は福山駅から30分バスに揺られて鞆の浦へ。
鞆の津ミュージアム「原子の現場」展を観ました。

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近年は戦争や原爆の表現が美術館で紹介されることも珍しくありませんが、「アウトサイダーアート」の枠組みを拡大する活動を行ってきたこのミュージアムらしく、普通の美術館より選択する表現の幅がはるかに広いところが面白い展示です。

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岡部昌生の宇品駅のフロッタージュ、ガタロの《豚児の村》や原爆ドームの連作、ジミー・ツトム・ミリキタニの日系人収容所や原爆ドームの絵など比較的一般に知られている芸術家の作品をはじめ、平井有太、瀬尾夏美といった若手作家の現代美術作品。それだけならまだ普通ですが、横田礼右、辛木行夫、藤登弘郎、廣中正樹らシニア世代の「素人」表現者の力強い絵画、最年少16歳の広島の表現者・大江泰喜の原爆ドームの立体やイラスト、さらに広島平和記念資料館所蔵の「原爆の絵」(複製)や山口県ゆだ苑所蔵の「被爆者の絵」、北海道の僻地で自作絵本を描く鈴木智、大久野島での労働や入市被爆の体験を自費出版で絵本にまとめた岡田黎子、そして丸木美術館の反戦展にも出品している木版画集団A3BCや広島県立福山工業高校電子機械科計算技術研究部(!)まで、良く言えば多彩、まあ、ごった煮状態とも言える作品が、古い蔵を生かした空間にところ狭しと並んでいました。

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この迷宮的な感じが凄く良くて、原爆が限られた表現者や問題意識を持つ人たちだけの主題ではなく、世代や距離を超えて、真剣に、切実に、そして時にはポップに、現実と空想の狭間で自由自在に表現されて、私たちの生きる時代とダイレクトにつながっていることがよくわかります。

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少し前に丸木美術館にも来て下さった学芸員のTさんが、丁寧にひとつひとつの展示を案内して下さって、作品を理解する上で、とてもありがたかったです。

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会場には参考資料コーナーもあり、拙著『非核芸術案内』も置かれていました。ちょっと嬉しいです。机のまわりの椅子は、ガタロさんのアトリエからお借りしてきた座れる「作品」。
近くには、四国五郎シベリア展のときにガタロさんが作ったというオマージュのシベリアコートも展示されていました。
ぜひとも図録の欲しい展覧会でしたが、残念ながらまだできていない、でも作る意志はあるとのこと。少人数で力の入った企画を手がけるのはたいへんそうですが、これからもぜひ、頑張って欲しいところです。

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展覧会は8月20日まで。
でもミリキタニの原爆の絵は、丸木美術館の企画展のため7月下旬にこちらの方に引き取ります。
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2017/6/21

『埼玉新聞』に本橋成一写真展紹介  掲載雑誌・新聞

埼玉ミュージアム 反戦描く夫婦の素顔〈本橋成一写真展 二人の画家〉
 ―2017年6月21日付『埼玉新聞』美術館・博物館情報欄

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『埼玉新聞』に6月から新設された県内博物館・美術館情報欄。大きく掲載していただきました。
丁寧に取材して下さった小出奈津子記者、どうもありがとうございました。
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2017/6/20

『日本カメラ』に本橋成一写真展紹介  掲載雑誌・新聞

丸木位里・俊の暮らしを柔らかい眼差しで捉えた本橋成一写真展
 ―『日本カメラ』2017年7月号「ニュースエクスプレス」

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2017/6/18

野見山暁治さん来館  来客・取材

画家の野見山暁治さんが来館。
芸大で野見山さんに師事されていた坂口寛敏さんが、車でお連れ下さいました。

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東松山市の高坂図書館で開催中の高田博厚展をご覧になったとのこと。パリの高田博厚のアトリエを引き継いで借りたのが野見山さんだったという縁があるそうです。

意外にも、野見山さんが丸木美術館に来られるのは初めてとか。
とても丁寧に時間をかけて、《原爆の図》や本橋成一写真展を観て下さいました。

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スマさんの絵をご覧になったときには、「私も70歳を過ぎてから絵をはじめればよかった。もう遅いね」と笑っておられました。
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2017/6/17

1950年代幻灯上映会・時代劇特集  イベント

毎年恒例の「1950年代幻灯上映会」。
今年は時代劇3本立てという珍しいプログラムでした。

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前日まで海外公演をされていた活動弁士の片岡一郎さんが駆けつけ、「さすがプロ!」と思わせる臨場感のある熱演をして下さいました。

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最初の上映作品は『裏切者』(製作年不詳 製作:エルモ社/フィルム提供:福岡市総合図書館)。
プロスペル・メリメの短編小説『マテオ・ファルコーネ』を、舞台をコルシカ島から筑波山麓に移し、幕末の天狗党の乱を背景に翻案したスリリングな作品で、幻灯ならではのパノラマショットを駆使している表現が、とても印象的でした。

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続いての上映作品は『修行者と羅刹 涅槃経 雪山童子 物語』(製作年不詳 製作:日本光芸株式会社 松尾プロダクション/作:榎本晃/企画:近藤真頂/作画:粟津潔/フィルム提供:福岡市総合図書館)
企画者の鷲谷花さんによれば、「寺院は学校や官庁と共に幻灯製作メーカーの有力な顧客だった」とのことで、多くの仏教説話が幻灯作品になっているそうです。
この作品もそのひとつなのですが、注目すべきは、1950年代にグラフィックデザイナーとして鮮烈なデビューを飾り、原水禁世界大会のポスターなども手掛けている粟津潔の名が、「作画」として記されているのです。
そのため、粟津潔の息子のケンさん一家がわざわざ幻灯を観に来てくださいました。ケンさんによれば「この表現が粟津潔、と言える特徴は幻灯の絵には一切見られなかった。作家としての個性が確立する前に描いたのだろう」とのこと。これまで幻灯を手がけていたとは一切聞いたことがなかったそうですが、若い頃は映画の看板描きの仕事をしていたので、そうしたつながりから幻灯の仕事もこなしていたのではないか、と推測して下さいました。

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休憩をはさんで、最後の上映作品は『ひとくわぼり』(1956年 製作:日本炭鉱労働組合/配給:日本幻灯文化株式会社/原作:上野英信/作画:加太こうじ フィルム提供:神戸映画資料館)
鷲谷さんによれば、筑豊地方に伝わる民話に、魯迅『故事新編』中の短編「鋳剣」の影響を加味して創作された上野英信の原作をさらに脚色している作品とのことですが、上映時間45分という前後編の大作。片岡さんの熱演はたいへん見応えがありました。
この作品の見どころは、街頭紙芝居の作者として活躍した加太こうじによる作画表現。片岡さんによれば、紙芝居作者らしく、幻灯をスクロールする方向を計算して登場人物の向きなどが描かれていて、絵のつながりが非常に優れているとのことです。

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上映の後は、鷲谷さんと片岡さんが幻灯の歴史や表現的な特徴などを解説して下さいました。
参加者の関心はたいへん高く、会場のほぼ全員が順番に質問をしていたほどでした。

丸木美術館で幻灯上映会をはじめて3年目。
はじめの年には『松川事件 1951』の作画に桂川寛がかかわっているという発見があり、昨年は満州映画協会に勤務されていた90代の女性が来場されました。そして今年は粟津潔の知られざる幻灯作品の発掘。
映画に比べて、注目される機会の少ない幻灯ですが、まだまだ興味深い発見がひそんでいる予感がします。
1950年代には社会運動の重要なツールとして活用されていただけに、今後も条件の許す限り、丸木美術館で上映を続けていきたいと考えています。

鷲谷さん、片岡さんはじめ、ご来場いただいたみなさま、どうもありがとうございました。
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2017/6/11

ユンカーマン監督映画『劫火』上映+アフタートーク  イベント

丸木美術館開館50周年の関連企画として、ジャン・ユンカーマン監督による丸木夫妻の記録映画『劫火―ヒロシマからの旅』の上映会を行いました。

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ユンカーマン監督も駆けつけて下さって、到着早々、さっそく地元高校の新聞部がインタビューをしていました。

後に『日本国憲法』や『うりずんの風』を撮るユンカーマンさんの出発点は丸木夫妻だったのだなあと、あらためて噛みしめながら映画を観ました。
30年前の公開になりますが、今の時代につながるメッセージも込められていて、とても丁寧にまとめられた作品です。

上映後のトークと質疑応答も気持ちの良い内容で、後でユンカーマンさんからも「良い時間でした」とメールを頂きました。

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丸木夫妻の絵画からは、決してセンチメンタルではない美しい勇気を感じた、というユンカーマンさん。
映画の構成は最初から決めていたわけではなく、1年くらいかけて編集しながら、ふさわしいトーン、話の運び方を探し当てていくような仕事だったそうです。

位里さんは口数が少なく、インタビューはほとんど100%映画に使ったとのこと。
「あんたは私のことよくわかってるんだから、自分でやんなさい」と言われて、途中でインタビューが終わってしまったというエピソードには、会場から笑い声が起きていました。

俊さんは逆に、いつも初めて質問に答えるように、いくらでもインタビューにくれたそうです。
それは演技ではなく、俊さんが培った人とのコミュニケーションの術で、小学生に対しても同じように真剣に答えていた、とユンカーマンさんは振り返っていました。

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40年以上前に丸木美術館を初めて訪れた時、《原爆の図》を見て、被爆の本当の姿を初めて見たと衝撃を受けたというユンカーマンさん。
「生と死の境界を越えた絵画」で、「忘れてはならない歴史の記憶を残した」という丸木夫妻の仕事の意味の大きさを強調されて、会場は大きな拍手に包まれていました。
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2017/6/7

《大逆事件》公開特別講演 白井聡「永続敗戦と安倍政権の本質」のお知らせ  イベント

《大逆事件》公開の関連企画として、『永続敗戦論』の著者で気鋭の政治学者・白井聡さんをお招きして、「永続敗戦と安倍政権の本質」と題する特別講演を開催することになりました。
どうぞ皆さま、ご来場ください。

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《大逆事件》公開特別講演 白井聡「永続敗戦と安倍政権の本質」
7月16日(日)午後2時より 入館料+1000円
※当日は午後1時に森林公園駅南口に送迎車が出ます。

【講師プロフィール】
白井聡(しらい・さとし) 1977年、東京生まれ。京都精華大学人文学部教員。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。 専門は、政治学・社会思想。2013年『永続敗戦論――戦後日本の核心』(太田出版)で第4回いける本大賞、第35回石橋湛山賞、第12回角川財団学芸賞を受賞。著書に『未完のレーニン』(講談社選書メチエ)、『戦後政治を終わらせる』(NHK出版新書)ほか。
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2017/6/6

川越市霞ヶ関北小学校にて出張授業  講演・発表

今日は午前中に地元の川越市立霞ヶ関北小学校で出張授業。
川越市立西図書館、伊勢原公民館との複合施設として2002年に建てられたという現代的な校舎で、公民館の視聴覚室を使って6年生3クラスの「平和学習」を行いました。

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テーマは原爆ということで、丸木夫妻の映像なども見せながら、爆心地で何があったのかを伝えられないことの難しさや、それでもなお私たちが72年前の惨禍を学ぶことの意味について、3時間目と4時間目を使ってお話したのですが、子どもたちの反応がとてもよくて、質問にもすぐに答えが返ってくるので、楽しく話すことができました。

偶然、3月まで別の小学校で息子の担任をされていた先生が、4月からこちらの小学校に転任されていて、思わぬところでお会いするという驚きもありました。

ともあれ、地元の子どもたちに《原爆の図》の存在を知ってもらえるというのは、本当にありがたい機会です。

午後は丸木美術館に戻って、今度は高校の生徒団体160人ほどを相手に、絵の前で館内説明。
6月は毎年、学校見学の多い季節です。
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2017/6/4

富岡太美子油絵展/座・高円寺「まつろわぬ民」  他館企画など

午前中、川口市立アートギャラリー・アトリアで富丘太美子さんの個展を観ました。

富丘さんは元小学校教諭で、退職後に油彩画をはじめ、画家の夫の急逝後に、夫が描いた鋳物工場を探し当てたことから、キューポラをテーマに描くようになったそうです。
「だから絵の技術はないんです」と控えめに笑う富丘さんですが、以来20年、ずっと鋳物工場で働く人たちを描き続け、今回の展覧会は、40点ほどの油彩画を一度に展示する集大成のような機会となりました。

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戦時中に吉田博が描いた溶鉱炉の絵や、戦前・戦後のリアリズム絵画などを思い起こしますが、21世紀にも労働の記録画は意味を持つのだなと、会場を訪れた大勢の観客を見ながら実感しました。

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工場の薄暗闇に輝く溶湯のコントラストは絵になりやすいように思えますが、モデルになった鋳物職人さんにお話を伺うと、「写真はあるけど、油絵はあまり見ないね」とのこと。

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映画『キューポラのある街』で知られる川口も、近年では鋳物工場が少なくなっているそうで、それでも仕事を続ける職人の誇りと、その姿を丹念に描き残そうという富丘さんの思いが二重に伝わってくる、気持ちの良い展示でした。
昨日は川口市長も訪れたそうで、地域にとって意味を持つ貴重な作品として、保存体制が整うことを願います。

   *   *   *

午後は座・高円寺で演劇集団風煉ダンス「まつろわぬ民2017」(作・演出:林周一)を観ました。
主演は白崎映美さんで、「白崎映美&東北6県ろ〜るショー!!」の歌「まづろわぬ民」から想を得て、2014年に初演された舞台の再演。

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舞台は、現代の一軒のゴミ屋敷。街の再開発を進めるため、ゴミごと屋敷を撤去しようと国会議員や土建業者たちが忍びこみます。
彼らはひとりの老女に出会い、やがて廃棄物の姿をした妖怪たちの百鬼夜行がはじまります。
「まつろわぬ民」とは、「ミカドの軍」に抗った古代の蝦夷の生き残りであり、忘れ去られる者、虐げられながらも闘い続ける者たちでもあるのでした。
「まつろわぬ民」が待ち続ける英雄サンベはついに帰りません。
しかし、心の中に小さな火を持っている者は、誰もがサンベなのでした。
「鬼」好きとしては、主要人物の多くが鬼/まつろわぬ民という、満足度の高い舞台でした。

隣に座る男性が、せっせと舞台をスケッチしているので、時々手もとを覗き見ていたら、舞台の後で白崎さんに、「ますむらひろしさんと隣同士で座っていた」と教えられました。
スケッチに見とれて気がつかず、ご挨拶ができなかったのは本当に残念でした。

ともあれ、「まつろわぬ」魂の炎を燃え上がらせる、圧倒的な迫力の歌と踊りのスペクタクル。
白崎さんの存在感は本当に素晴らしかったです。
彼女は今年の8月6日、丸木美術館ひろしま忌に出演して下さる予定なので、とても楽しみです。
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2017/6/1

1950年代幻灯上映会のお知らせ  イベント

6月17日(土)午後2時より、今年も恒例の1950年代幻灯上映会を開催します。参加自由(入館料別途)。
今年は時代劇3本立て。いずれも貴重な作品で、これまで存在を知られていなかった初期の粟津潔の画による作品も含まれています。
どうぞ皆さま、ご期待下さい。

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占領期の検閲が日本刀による殺傷描写を軍国主義・封建主義の表れとして忌避したこともあり、1940年代には苦闘を 強いられていた時代劇映画は、占領終了前後の1950年代に全盛期を迎え、黒澤明監督、溝口健二監督らによる数々の名作が生まれ、中村錦之助、美空ひばり、市川雷蔵、勝新太郎といったスターたちが大いに活躍しました。
時代劇ブームは映画にとどまらず、雑誌連載・単行本マンガや絵物語、紙芝居、そして幻灯(スライド)などの他メディアにも波及します。
今回の幻灯上映会では、いずれも1950年代に作られたユニークな幻灯時代劇3作品を、世界的に活躍する活動弁士片岡一郎さんの公演により、フィルムと幻灯機により上映します。
なかなか実見する機会のない幻灯時代劇の世界をお楽しみください。

※本プログラムはJSPS科研費15K02188「昭和期日本における幻灯(スライド)文化の復興と独自の発展に関する研究」(研究代表者:鷲谷花)の助成による。

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〔上映作品紹介〕

裏切者
製作年不詳 製作:エルモ社/フィルム提供:福岡市総合図書館

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光学機器メーカーのエルモ社が1950年代に発売していた「エルモグラフ」シリーズの1作で、プロスペル・メリメの短編小説『マテオ・ファルコーネ』を、舞台をコルシカ島から筑波山麓に移し、幕末の天狗党の乱を背景に翻案した幻灯時代劇。
原作の「金時計」が「印籠」に置き換えられるなど、ユニー クな時代劇的翻案が随所にみられる。複数フレームを繋げて画面を水平方向に拡大して見せるパノラマ ショットを駆使したアクションやサスペンスの演出も効果的。

修行者と羅刹 涅槃経 雪山童子 物語
製作年不詳 製作:日本光芸株式会社 松尾プロダクション/作:榎本晃/企画:近藤真頂/作画:粟津潔/フィルム提供:福岡市総合図書館

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明治期から寺社仏閣での信者に向けた幻灯上映は盛んに行われており、戦後に至っても、寺院は学校や官庁と共に幻灯製作メーカーの有力な顧客であり、多数の仏教説話幻灯が製作されている。
『涅槃経』の「聖行品」にある「雪山童子(せっせんどうじ)」の説話を幻灯化した本作もその一つで、おそらく1950年代前半に製作されたものと考えられる。
作画は「粟津潔」とクレジットされており、従来存在を知られていなかった貴重な初期作品である可能性が高い。

ひとくわぼり
1956年 製作:日本炭鉱労働組合/配給:日本幻灯文化株式会社/原作:上野英信/作画:加太こうじ フィルム提供:神戸映画資料館

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1950年代を通じて、日本炭鉱労働組合(炭労)は、幻灯を利用した教育宣伝活動に積極的に取り組み、傘下の労働組合による争議を記録・宣伝する一連の幻灯のほか、筑豊炭鉱の文芸サークル運動の生んだ上野英信・千田梅二の「えばなし」を原作とする物語幻灯2本を製作している。
本作『ひとくわぼり』はそのうちの1本で、筑豊地方に伝わる民話に、魯迅『故事新編』中の短編「鋳剣」の影響を加味して創作された上野英信による原作に、さらに脚色を加えて幻灯化している。
幻灯版の作画は戦前から街頭紙芝居の作者として活躍してきた加太こうじが担当しており、当時、衰退しつつあった街頭紙芝居業界にあって、加太は幻灯に活路を見い出すべきであるとの主旨の発言をしており、本作はその実践例でもあるといえるだろう。

活動弁士:片岡一郎
2001年、日本大学芸術学部演劇学科を卒業し、2002年に活動写真弁士の第一人者である澤登翠に入門。現在は国際的に最も活躍している弁士である。これまで講演した国はアメリカ、ドイツ、クロアチア、オーストラリア、チェコ等。日本の伝統的なスタイルを踏襲し、弁士の芸術を現代に伝えている。これまでの演じた無声映画は約300作品。弁士の他にも声優や文筆などで活動している。2016年歌舞伎座出演。
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