2017/5/24

福沢一郎記念館 福沢一郎『秩父山塊』  他館企画など

午後、世田谷の福沢一郎記念館へ行き、本間岳史さんの講演「もうひとりの福沢一郎―画集『秩父山塊』にみる科学者の眼―」を聴きました。

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福沢一郎は、丸木位里を美術文化協会に誘うなど、深い親交のあった画家です。
日本へのシュルレアリスム絵画の紹介者であり、1941年4月には治安維持法違反容疑で瀧口修造と共に検挙されています。そして7ヵ月後に放免され、1942年から1943年にかけて、精力的に両神山周辺の奥秩父へ通い、特異な地形や人びとの暮らしの風景を写生しました。

1944年には、北原白秋の弟・北原義雄が経営していたアトリエ社から、画集『秩父山塊』を刊行。ドイツ文学者の池内紀さんが、その画集をもとに、1998年に五月書房から『池内紀のちいさな図書館 福沢一郎の秩父山塊』を刊行していて、私はその本で福沢一郎の秩父への関心を知りました。

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地質学者の本間岳史さんは、埼玉県立川の博物館館長、埼玉県立自然の博物館館長を歴任されました。そのため、福沢一郎の地質学的知識を解説するには最適な方なのですが、それだけでなく、実は御父君が美術評論家の本間正義氏。学生時代に福沢絵画研究所へ通い、後に美術評論家として埼玉県立近代美術館の館長などを務められ、やはり丸木位里と親交がありました。
https://fukuzmm.wordpress.com/2016/11/20/myfukuz_004_hommat/

『秩父山塊』は、本間さんによれば、地形や地質現象、地層名、年代などに関する記述は、高度な地質学的知識を示しているとのこと。
日ごろ熱心に上野の国立科学博物館に通い、専門的な論文を読んで身につけたようです。
現地踏査に当たっても、事前に仮説を立てて現地で確認するという科学的態度が見られ、自然科学者としての確かな目を持っていたことが読み取れるそうです。

「和銅呈瑞の地」(実際はほとんど銅が採れなかったらしい)や、平賀源内の「火浣布」(源内はその原料を両神山から採取したと書いているが、地質学的には誤りとのこと)、福沢が泊まった寿旅館(現小鹿野町観光交流館)に、近年、盛岡高等農林学校時代の宮沢賢治も宿泊していた資料が見つかったことなどの話が、個人的には面白かったです。

また、福沢が特に白亜紀や恐竜に関心があったという話には、親近感が湧きました。『秩父山塊』にも、ティラノサウルスとステゴザウルスの攻防を「今日の戦車戦」に見立てる記述があり、興味深かったです。こうした関心も、絵画制作に大いに生かされていたことでしょう。
講演の情報を教えて下さった学芸員のIさん、どうもありがとうございました。
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